第10話 骸野
血の匂いが濃く漂い、鉄の湿った臭気が森に沈んでいる。喉の奥に貼りつく。
男は呼吸を整える。
左の鎖骨は折れている。
肩をわずかに動かすだけで、内部で骨片が擦れ合う。
肋骨にも左右数本、ひび。
深く吸えば、内側から細い針で刺されるような痛みが走る。
右手親指と人差し指も折れている。
だが――
あの女を追うのに支障はない。
⸻
転移者は危険だと理解していたはずだった。
それでも想定を越えてきた。
戦闘の構造を理解している動き。
だが歪だ。本来選ぶべき手段を禁じられているような制約。
今日はすべてが一段上を行く。
魅了の女は最優先で処理した。
意志を奪われれば終わりだ。
男は視線を落とす。
鬼塚美鈴。
物理的脅威はこちらが上だった。
【ギフト:鬼躯】
生物の限界を超えた肉体強化。
その肉体を鎧へと変える。
――まだ生きているのか。
呼吸が泡立つ。
脳は掻き乱してある。
常人なら即死だ。
腕の裂傷が塞がりかけている。
皮膚が寄り、肉が繋がり、暗赤色の膜が張る。
回復能力。
表情は変わらない。
立ち上がる確率は低い。だが存在する以上、潰す。
男は剣を構え直す。
刃先を胸骨の隙間に合わせる。
抵抗の少ない侵入経路を選び、押し込む。
皮膚。
筋肉。
肋骨の間を滑る。
内部で硬いものが破れる。
心臓。
鬼塚美鈴の身体が跳ねる。
血泡が口から溢れる。
湿った音。
短い痙攣。
剣を引き抜き、首へ。
皮膚の張力を測る。
押す。
裂ける。
開く。
血管が弾ける。
噴き出す。
喉頭に触れ、抵抗が変わる。
さらに押す。
頸椎。
鈍い硬さ。
力を込める。
関節が外れる。
首が落ちる。
血が脈打つ。
頭部を蹴り、距離を取る。
最適ではない。
焼却が理想だ。だが十分だ。
男は紙を取り出す。
――転移者二十以上 最大三十
――一名逃走。
――追跡継続。
折らない。
懐へ。
森は静かだ。
男は深く息を吸う。
血の匂いが肺に入る。
吐く。
呼吸は整った。




