第662話 お月様と血の匂い
「というわけで、このままでは俺とエピクレシは混ぜるな危険扱いされてしまう」
「はあ……。ですが、レイ様ってわりと誰に対してもそうなっていませんか?」
「……俺自身がやばいやつだったということか」
「い、いえ! レイ様は素晴らしい方だと思いますが、私たちがそれゆえに暴走するといいますか!」
フォローされるもさすがにそれは無理があるだろう。
そして何よりもたちが悪いのは、わりと身に覚えしかないというところだ。
ディキティスとイピレティスはダンジョンを考案するとき過激な思想になる。
リピアネムは落ち着きがない犬みたいになる。
ピルカヤやルトラやテクニティスは仕事中毒になる。
フィオナ様はガシャ中毒になるし、時任はアホになる。
……最後のは自己責任だけど、わりと俺と関わることで変な方に暴走する魔王軍は多い。
「なら、今日はエピクレシの仕事を観察させてもらおう。そこでマッドにならないよう、お互い注意できれば一歩前進だ」
「私、マッドだと思われてます?」
「え、違うのか?」
「……いえ、合っています。そうですよねえ。レイ様の場合、皮肉とかでなく単にその結果として述べただけですよねえ」
そりゃあそうだ。
エピクレシに皮肉を言う理由はないからな。
俺が皮肉を言う相手はせいぜいフィオナ様くらいのものだろう。
「では、私はいつも通りにしていればいいでしょうか?」
「ああ。俺はいないものとして扱ってくれ」
「そ、それはそれで難しいですね……」
暗影の指輪が発動していると思ってくれたらそれでいい。
最近では敵意を抱いた侵入者は先に四天王が処理して俺と会うこともないし、めっきり発動機会がなくなりつつあるけどな。
それはそれで安全を確保できているということだし、悪いことではないのだろう。
そんなことを考えながらエピクレシについていく。
そこで一つ気になったことが……いや、俺にもデリカシーというものがある。
さすがにこれを本人に言うつもりはない。
ただ、あれだ。少々匂いが強いな。
エピクレシといえば、ピルカヤやマギレマさんと同じく作業に没頭する魔族だ。
もしかしたら、温泉あるいは風呂に入る暇も惜しんで、作業を行っているのかもしれない。
「どうかしましたか? レイ様」
「……いや、大丈夫。俺はエピクレシ好きだから」
「ええっ!? あ、ありがとうございます……」
そう。多少の匂いなどどうでもいい。
エピクレシは優秀だしいい魔族だ。ならばそれだけで十分じゃないか。
それに忘れがちだけど、エピクレシは吸血鬼とはいえアンデッドに区分されるらしい。
なら、腐臭みたいなものがするのも不可抗力なのだろう。
「そ、それでは……えっと、私の部屋にご案内します……」
「ああ、頼む」
エピクレシの部屋というか、エピクレシとプネヴマの部屋兼研究室だな。
私室と作業部屋が同じだと落ち着かないと思うのだが、彼女にとってはむしろそのほうが楽らしい。
どこかぎこちなく歩くエピクレシに案内され、俺は彼女たちの部屋へと向かった。
◇
「解釈が違う……」
「ち、違いますから! 私がレイ様を誘ったのではなく、レイ様が私の作業を見るために」
「レイ様は……魔王様以外誘わない……。解釈違う……よ? エピクレシちゃん……」
なんの解釈だ。
というか、フィオナ様以外を誘うことだって多いぞ。
昨日はテラペイア、一昨日はダスカロスを誘って作業を見学させてもらった。
誘ったというよりは、頼んで同行させてもらったんだけど。
「なんかごめんな二人とも。今、十魔将強化計画中だから、十魔将を観察しているんだ」
「それなら……解釈一致……です」
プネヴマは何やら満足そうに頷いてくれた。
よくわからないが、彼女の中でセーフ判定をもらえたらしい。
同居人の許可を得たことだし、さっそくエピクレシの作業を見学させてもらうとしよう。
「それでは、昨日の作業の続きをしますね」
「ああ、俺のことは道端の石ころ程度だと思ってくれ」
「な、なぜ、そんなに卑屈に……」
エピクレシは少し引きつった表情を浮かべながらも、アンデッドたちを召喚しはじめた。
二人の部屋はかなり広く作ってあるが、さすがにこれだけのアンデッドが喚び出されると狭く感じる。
「あなたたち、昨日の続きを行いますよ」
エピクレシの指示に従い、一人のアンデッドが作業台の上に移動する。
他のアンデッドたちは、エピクレシの助手みたいな扱いっぽいな。
こうしてみると、テラペイアのところの手術と似たような光景に思える。
「……」
それにしても、なんだか匂いが強くなったな。
別にアンデッドが臭いというわけではないはずだ。
以前から何度もエピクレシたちに会いに来ているが、そこで極端に匂うと感じたことはなかった。
だけど、今日はやたらと匂いが強い。
その原因、どうやら今作業台の上に寝ているアンデッドにあるらしいな。
彼女が召喚されてから、この部屋の匂いがいっそう強まった気がする。
「……なあプネヴマ。これはどういう実験なんだ」
「ひゃ、ひゃいっ! ……え、えっと……腐敗を強めた……アンデッドなら、その……腐敗さえも……武器にできないか……という検証……らしいです」
急に話しかけたせいか、背筋をぴんと伸ばして驚きつつも、プネヴマは俺の質問に答えてくれた。
なるほど……腐敗を強めたアンデッド。
女性型のゾンビのようだが、ところどころ肉が腐り落ちている。
そこから粘液のようなものも垂れているのだが、粘液が酸のように地面を溶かしているな。
これはたしかに攻撃にも使えそうだ。
「……」
ふとプネヴマのほうを見るも、彼女は特にこの匂いは気にしていないようだ。
幽霊ということもあり、腐臭のような類の匂いにはなれているのかもしれない。
あるいは、同居人がこんな実験をしていることで、鼻が麻痺したか……。
「……っ!? あ、あの……すみません……。悪霊で……」
俺の視線に気づいたプネヴマは、しどろもどろになりながらわけのわからない反省へと帰結した。
別に幽霊だろうとアンデッドだろうと、俺は気にしていないんだけどな。
「いや、悪霊であることを悪いと思ったことはないんだけど……」
悪とつくけれど、それを言い出したら悪魔のプリミラも同じだ。
そもそも魔族だの魔王だのも名前負けしているというか、トップがあのぽんこつなマスコットだもんなあ……。
「で、でも……私ごときを見る……ってことは、何か……失敗を……してませんか……?」
「自己評価低いな。何も失敗してないから安心してくれ、ただプネヴマはこの匂い平気なのかと思っただけだよ」
「……」
あ、つい口にしてしまった。
プネヴマがぷるぷると震えている。
「ほ、ほらぁっ! エ、エピクレシちゃん……! レイ様も、臭いって……思ってるよ!?」
エピクレシが相手だからか、わりとはきはきと喋っている。
あるいは、それだけ抗議に夢中だからか?
「え!? く、臭かったですか!? た、たしかに……この子は腐敗を追求しているので、匂いも比例して強くなっているかもしれませんが……」
「ああ、それでか」
そうか。だから今日のエピクレシは匂いが強かったのか。
よかった。エピクレシ自身の匂いというよりは、あのアンデッドから匂いが移っただけみたいだ。
「な、何がでしょうか……」
俺が一人納得していると、エピクレシが恐る恐るといった様子で尋ねてくる。
……これ、言ったら失礼じゃないかなあ。
でも、ここで黙ってしまうのもよくないし……まあいいか。
「さっきエピクレシと一緒に歩いてたろ?」
「は、はい」
「そこで、今日のエピクレシはなんというか、その……。匂いが強いなあと思って」
「……」
「研究に夢中で風呂に入る時間を削ったんだろうなと考えていた」
「ち、違いますからね!? 私は毎日お風呂に入ってますから! 私の匂いじゃありませんから!」
わかった。わかったから落ち着いてくれ。
近いよ。フィオナ様やイピレティスの間合いだぞ。それは。
興奮しているのか、吐息やら鼻息までが俺に届いてくる。
……うん。たしかに吐息は腐敗臭じゃないな。
ということは、この匂いはあのアンデッドのせい……。
エピクレシよ。興奮するのは仕方ないが、アンデッドのことも見てあげてくれ。
匂いを思い切り否定されたためか、アンデッドは心なしか落ち込んだように蹲ってしまった。
「エピクレシ。その発言はあの子が傷ついている」
「……。ああ! ち、違います! あなたを責めているわけではありませんから!」
「だから……言ったのに……」
プネヴマは、エピクレシに忠告していたみたいだな。
だがエピクレシは止まらなかった、と。
諦めてこの匂いに対応したプネヴマがすごいな。
それだけエピクレシと仲がいいということだろう。
「お、お風呂にいきましょう!」
「え、俺も?」
「ち、違います! いえ、別に私は構いませんけど! いえ! やっぱり魔王様が怒るので駄目です!」
すごいな。
わりと冷静なエピクレシが完全に狼狽しているぞ。
うん。やっぱり女の子に匂い云々の話なんてすべきじゃなかった。
フィオナ様ならむしろドヤ顔で匂いを嗅がせてくるので、俺は俺でなんか麻痺していたみたいだ。
「行きますよ! 腐敗はさせますが、温泉で匂いを取りましょう!」
そうしてエピクレシは落ち込んでいるゾンビの女性を連れて、研究室兼自室から出ていくのだった。
なんか、温泉が大変なことになりそうだなあ……。




