血脈を守る者-4-
「四半世紀も、あなたは人間の抑圧に耐えていたというの?」
「闇に生まれ、この世界で過ごし、奈落に沈んだ私にとって、四半世紀を時と言うのもおこがましい」
「人間が作った檻なんて、あなたにとってはないも同じだからかしら」
「仮にも私の魔力の一部と血を受け継いだ民だ。可愛くないと言えば嘘になる。一滴でも私の魔が混入していれば、それは私の駒なのだ。駒に自分の役割を教えてやることは簡単だが、私とて『人間』のふりを楽しんでみたい。目覚めの余暇にしては代わり映えのない日々だったが」
「……あなたは暇を潰すために囚われ、この世界での肉体形成上の親を殺したというわけ?」
「私の情は深いのだ。あの男は、愛に狂っていた。愛のために世界を滅ぼすことを厭わなかった。実に魔族の血族に相応しい動機だ。意志は尊重しよう。権利も認めよう。認めるということは、平等ということだ。私にもあの男の殺意に対して防衛をする権利がある」
「――どうしてわたくしを連れ出したの?」
「檻に囚われたまま逃げることもできず朽ち果てさせるには、あなたの魔はあまりに惜しい」
「わたくしが千里眼で、カーマ一位の魔力を持っていなかったら、あなたは求めてくれなかったのかしら」
「あなたにはカーマの女王になってもらう。私がこの世界で何にも煩わされず暮らすため、あなたが必要だ。私のために、あなたを利用する。落胆したか?」
「いいえ。ならばわたくしもあなたを利用するわ。わたくしは、あなたの共犯者となる道を選びましょう」
「共犯者」
「ええ。お兄様の作る国では、わたくしは真綿で首を絞められ続ける。カーマは本来、華々しき魔の文化に根ざした魔導国家よ。魔神の系譜が魔を排斥しようなど反逆に等しい。わたくしがあなたに学び、魔の使い方を覚えたのなら、弱き者には支配させないわ」
「ヴァマカーラ、あなたは慈愛の姫と聞いていたが、鋭い牙を隠し持っていたようだ」
「あら、わたくしは弱き者を虐げるつもりはなくてよ。強さは飾られる象徴ではないと、皆に気づいてほしいだけ。わたくしこそが、カーマを護るべき者。強きも弱きも、この国を侵そうとする者からすべてを護るわ」
「……なるほど、私はよき共犯者を得たようだ」
「頼ってくださってよくてよ。……でも、本当は、あなたが王になる世界も見てみたかった。あなたは俗世など興味がないのでしょうけれど」
「然り。私は人の王にあらず。混乱を招く、魔の王だ」
◇◇◇
瞼を開いた瞬間、身体が拘束されているのかと錯覚した。指先一本動かすだけで、ごっそりと体力を持っていかれそうな気がする。意識を保て、状況を確認しろ。眠っていたあらゆる感覚が動き出す。けれど感情に反して鈍い肉体の反応にいらだった。
暗い。重い。どこかの室内。清潔な匂い。見知った魔力。馴染んだ魔力。
ああ、私は、生きているのか。
「……カ、シュ」
ヴァリアンテの第一声は、ひび割れてひどいものだった。かすれすぎて、音になったのかさえわからない。
見知らぬ天井を見上げ、暗闇に沈む前の記憶を引き出した。膨れ上がる魔力から護らなければいけない。防御結界を維持できるのなら、命を削ってもかまわない。
爆音と肺を刺すような魔力。魔神を救わねばならないという焦燥感。弟が無事であれば、自分がどうなっても、彼がなんとかするだろう。
「カーシュ」
今度はマシな声だった。
ぎこちなく何度も指を握っては開く。足の指も開閉させ、足首を伸ばす。全身の血流を行き渡らせて感覚を取り戻していく。
「カーシュラード」
ゆっくりと腕を動かして、手の甲で柔らかい赤毛を小突いた。どうやら彼は、寝台に突っ伏したまま眠っているらしい。
「……ッ!?」
触れた途端、弾けるように顔を上げたカーシュラードは、漆黒の瞳を限界まで見開いて、言葉を発しようと何度も唇を開閉させた。けれど言葉にはならず、唇を大きな手の平で覆い、そのまま全身の力を抜くようにしてうつむいた。
泣かせてしまったのかと思った。泣き方を知らない不器用な子供みたいな顔が、愛おしくてならない。
「君が無事でよかった」
「……笑ってんじゃないですよ」
意図して低く抑えられた声だった。かすかに震えているけれど、気がつかないふりをする。剣だこのある手が伸ばされて、縋りつくように握りしめられた。
「ごめん、ね」
「僕が、……どれだけ、心配したか」
「うん」
「あんたの霊印はほとんど消えかけてて、魔神もギラーメイアも魔力を分けてくれましたけど、安心なんてできなかった」
「……うん」
魔力を限界以上に使えば肉体が内部崩壊を起こし、自然治癒も不可能になる。生きながらえるには魔力を戻さねばならない。あの場で魔力の譲渡ができる相手など、魔神の他にはいなかった。いまは溶け込んでしまっているが、彼の魔力を感じることができた。
高濃度で高純度。熱く、重く、癖が強い。ダークエルフの魔と似ているが、より上等だ。瀕死状態からすくい上げてくれたのは、他でもない『紅蓮の魔神』そのひとだ。彼を救うどころか救われてしまった。
そして、拗ねてなじる弟の魔力もずいぶん多い。回復したそばから分け与えていたのではないかと、心配になってしまう。
「……僕を置いていかないで」
それはきっと、カーシュラード個人の本音だ。義務をぎりぎりまでそぎ落とした、魂の嘆願。聞き取れないような小さな声でも、血を吐くような悲痛な叫びだ。
けれど。
「私たちは『紅蓮の魔神』の僕だ」
ヴァリアンテは慰めも気休めも口にはしなかった。唯一の同族で同志の弟を甘やかしてやりたいとは思う。そうできれば、どれだけ安らげるだろう。だが、夢を見てはいられない。
そして何より、カーシュラード自身、己の願いが夢物語なのだと、きちんと理解している。それを、ヴァリアンテもわかっている。
「……言ってみたかっただけです」
「善処は、するよ」
「その言葉だけで充分ですよ」
どこか諦めに似た声音が切なくて泣きたくなる。ヴァリアンテはつかまれた手を握り返した。葛藤と寂寥を飲み込んで腹の奥にしまいこむ。
ようやく顔を上げたカーシュラードは、ひどく疲れた目をしていた。片手はきつく繋いだまま、ベッドに乗り上げる。彼が何をしたいのか、何を求めているのか、漆黒の瞳を見ただけでわかってしまった。
許諾を伝えるかわりに瞼を閉じれば、おそるおそるといったふうにくちづけられた。いつもの強引さが消えているのがおかしい。それだけ心配させてしまったのか。
誘うように舌先で舐めると、カーシュラードはぴくりと筋肉を強張らせた。そして、キスは深く激しいものに変わった。
ヴァリアンテは弟の激情を受け止めた。身体を明け渡すことはできないかわりに、くちづけぐらいは応えたい。全身で愛情を訴える逞しい背中に腕を回し、そして、はたと気づいた。
肩を叩いて唇を離させ、そのくせ確かめるように背筋や腹筋にふれる。くすぐったいのか身をよじるカーシュラードは、ヴァリアンテの指から逃げだした。やましいところがなければ、逃げたりはしないはずだ。
「……カーシュ、ちゃんと食べてる?」
筋骨隆々というタイプではないけれど、カーシュラードは筋肉質だ。パワー型の剣士に相応しい筋力を保持している。その厚みが、どことなく減っている気がした。
「僕のことより、あんたでしょう」
ばつが悪そうな態度は図星をさされたからだろう。カーシュラードは寝台から降りて背を向けた。チェストに用意された水差しを手に取っている。水を飲ませてくれるのは嬉しいが、見逃してやるわけにはいかない。
ヴァリアンテはゆっくりと上体を起こして、ベッドボードに背を預けた。
「軍人は身体が資本だよ。というか、そもそも、なんで君がここで突っ伏して寝てたの。私が生き汚いのは知ってるだろう? 命を狙われてるわけでもあるまいし、寝ず番が必要な状況でもないんじゃないか? そうだよ、状況を聞かなきゃ。レグナヴィーダ様はどうな――」
グラスを片手に持ったカーシュラードは、ヴァリアンテの唇を手の平で覆った。漆黒の瞳は冷たい怒りを帯びていた。
「誰のせいだと思ってるんですか」
それは何に対しての責めだろう。原因が多すぎて、ヴァリアンテは黙らざるを得なかった。命は削ったが、やるだけやって後処理の全てを放り出している。置かれた状況によっては、ここでふたり監禁されている可能生だってあるのだ。
「状況は、順を追って教えます」
カーシュラードはヴァリアンテが落ち着いたことを確かめ、グラスを渡した。おかわりを問われ、首を横にふる。
「僕がここにいるのは、あんたのそばじゃないと眠れないからです」
迷子の子供みたいな顔で、彼は本音をもらした。ああ、私は君に、消えない傷を残してしまったのか。
カーシュラードは強い。剣聖をはるか凌駕するような剣技を身につけている。けれど彼はまだ若いのだ。
もちろん、成人しているし、部下を抱えた部隊長として責任感もある。王族として育てられ、見たくないものもたくさん見てきて、同年代より達観もしている。
それでも、甘え方が下手な子供みたいなところがあるのだ。いつもはうまく隠してしまう繊細さを、兄にだけはさらけ出す。そんな可愛い弟に、帰って自分のベッドで寝ろなんて、言えるはずがない。
「……ほら、カーシュ」
ヴァリアンテはベッドの端に座り直した。
「どうせ寝るなら、隣においで」
男ふたりが横になれるほど広くはないけれど、抱き合って眠るには充分だろう。カーシュラードは逆らわず、温もりと安眠を求めた。
「あんたが生きててよかった」
すがるように抱きしめられながら、ヴァリアンテは押し殺した囁きを聞いた。




