血脈を守る者-3-
「密会場所に病室を使うっていうのは、いかがなものかしらン」
音もなく気配もなく、換気のために開けた窓から赤毛の美女が転がり込んだ。赤狼師団の部隊長であるドナ=デヴァナ・ニコリューンは短いスカートの汚れをはらう。見舞いにくるにしては物騒な侵入方法だが、正面玄関から殴り込まれるより安全だ。師団付きの病院はいい隠れ蓑だった。
昏睡状態のヴァリアンテは、国家にとって重要人物だ。一般病院へ預けることはできないし、大部屋に寝かせておくのも問題がある。つきっきりの看護は必要ないけれど、安全性を鑑みて特別個室に寝かされていた。
師団付属病院は基本的に関係者以外の立ち入りを禁じている。お見舞いにくることは可能だが、きちんと受け付けで氏名や所属を記入しなければならない。
ただ、剣位を授けられるような者にとっては、警備などあってないようなものだ。
カーシュラードは毎晩、三階の窓からこっそりと侵入していた。窓に鍵がかかっていても、金庫でもあるまいし、解錠の魔術を組み立てるのは簡単だ。飛翔術が使えなくても三階程度の高さが障害になることもない。
何より、カーシュラードの不法侵入を、担当医が許していた。魔梟師団の高位魔術士である医者は、剣位がなくとも思うところがあるのかもしれない。カーシュラードに関する噂を鵜呑みにしてはいないようだ。
一般兵に警護を任せるより、金剛位の剣士を寝ず番に置いておくほうが安全だという判断かもしれないし、そもそもカーシュラードが侵入してくる理由が魔力を分け与えるためなので、止める理由がない。親族のいないヴァリアンテの世話をする者はいないのだ。
現在、この病院には負傷者が多数運ばれてきている。黙って寝ていれば回復する魔力不足の昏睡患者に与える余剰の魔力も人員も足りない。
それに何より、カーシュラードがヴァリアンテに向ける心配は本物だった。師を案じる弟子の姿そのもので、疑うところはない。医療関係者には不法侵入は暗黙の了解になっていた。
「僕の結界下にあるこの部屋が一番安全なんですよ」
窓とカーテンを閉めて、防音と盗聴防止の結界術にほころびがないかを確かめる。問題ない。
まさか医者も、ヴァリアンテの病室を密会場所に使われているとは思わないだろう。心配を笠に着て医療従事者を騙しているわけではないが、善意を利用している自覚はある。
ドナは眠るヴァリアンテの顔を確認して、橙色の瞳に慈愛を浮かべた。穏やかに眠っていることに安堵する。それから、カーシュラードを真正面から見つめた。
「……アナタ、ちゃんと寝てるの?」
「活動に支障のない程度に」
「いま倒れられちゃ本末転倒ヨ」
「わかってます。倒れてる暇なんてありませんからね。命の使いどころはここじゃない」
折りたたみの椅子をすすめると、ドナは遠慮なく足を組んで座った。下着がみえそうなスカート丈に、いまさら驚くこともない。
ドナはもともと、ヴァリアンテの友人だった。知人友人の多いヴァリアンテだが、中でも彼女は親友と位置づけても過言ではなくて、無条件に信用する数少ない相手だ。そうなると、ヴァリアンテと繋がりのあるカーシュラードにとっても他人ではなくなってくる。いまでは彼女とも五年近い付き合いになっていた。
ドナはカーシュラードとヴァリアンテの血縁を知らないが、カーシュラードがヴァリアンテに懸想していることは知っている。面白おかしく応援してくれもする。
彼女は格好こそ突飛だが、黄玉位の剣士だ。若くして部隊を任されているところは、カーシュラードの出世の仕方と少しだけ似ていた。どの派閥にも属さず、忖度で上司におもねることをしない。
だからこそ、この部屋に呼んだのだ。
「本題の前にひとつ聞いてもいいですか」
「どうぞ?」
「あなたは騎士としての忠誠を、何に対して誓っていますか?」
カーシュラードの直球の問いに、ドナは見事な霊印の描かれた両足を組み直した。柳眉が寄り、橙の瞳に鋭さが混じる。
「その質問は、ギリギリだってわかってるのかしら」
「わかっています。あなたは僕のことを聞いているんでしょうし、それについての密談だ。ヴァリアンテが一番信頼していたあなただからこそ、答えを知りたい」
カーマ王国軍の軍人は、その任命式の折に国王の前で忠誠を誓う。
「アタシは『我らに流るる魔神の血脈へ』忠誠を誓うと宣誓したワ」
独特な地方訛りのままで、叙任式での形式上の文言をそのまま発したドナに、カーシュラードは首を振った。
その文言は台本に載せられたものだ。大抵の兵士は国王に忠誠を誓うし、それが暗黙の了解になっていた。むしろ王ではない相手に忠誠を誓えば、王家や上級官吏からの覚えが悪くなる。例外は親衛隊員だけだが、それだって王家筋の相手に忠誠を誓うのだから、似たようなものだろう。
けれど、当然、建前と本音は乖離している。剣位持ちならば特にその傾向は顕著だ。
「……わかったわヨ」
ドナはカーシュラードの視線の圧に負けた。
「アタシは、アタシとしての強さの源であるカーマの血に対して忠誠を掲げてる。誰かじゃなくて、もっと漠然としたものネ。国そのものでもなくて、血に、かしら。カーマの民のためになら喜んで剣を振るうわ」
では、国王個人に忠誠を誓っているわけではないのだ。それがわかっただけでも、カーシュラードの懸念がひとつ減った。
「血は力です。魔神の血が濃く、なおかつ魔力が強ければ強いほど、守るに値する。配合的に王族には魔力が高い者が多いけれど、魔導のなんたるかを吸収する者は少ない。例外的に血が濃くても魔力が並の者もいますが」
「魔力が並だからといって守護に値しないワケじゃないでしょう。純血であるってだけで価値があるもの。純血であるということは、そのほとんどが王家の一員で、結局のところ、陛下に忠誠を誓うことだって間違いではないのヨ。でも、アンタはアタシが、陛下に忠誠を誓っていないことを確認したかったんでしょ?」
「そうですね」
「それで? 告発でもしたいわけ?」
「まさか。僕ができるはずもない」
一度言葉を切って、カーシュラードは深く息を吸い込んだ。
「ねぇ、ドナ。もし、あなたの目の前に、その血と魔力が沸騰しそうなほど畏怖を感じる相手が現れたら、どうしますか?」
「たとえば、ヴァリアンテとかアンタとか姫様とか?」
「姫は正しいかもしれませんが、厳密にいえば僕とヴァリアンテはイレギュラーなので違います。とりあえず僕たちのことは置いておいてください。ドナ、あなたは現国王陛下と神祖『紅蓮の魔神』を前にしたとき、どちらに剣と魂を捧げますか」
「馬鹿いってんじゃないわヨ。神祖復活なら考えるまでもないでしょ」
言明を避けていたカーシュラードがようやく言葉にした内容に、ドナはニヤリと意地悪い笑みを浮かべた。迂闊にくちづければ毒牙にかかりそうな、紫紅の唇が凶暴につり上がっている。
「あの混乱の中、首謀者に忠誠を誓った者がいた。その力と称号のせいで反逆罪に問うべきが否か。即断は避けねばならない」
訛りを殺したドナの語る内容に、カーシュラードは肩をすくめた。
「これが赤狼での見解。いまのアンタはアンタッチャブルよ。金剛持ちでよかったわね。ずいぶん危ない橋を渡ってるけど、橋から落ちてはいない」
「理解しています。ですが、僕はこの血に誓って、絶対的に正しいと断言できる」
ドナを射抜く漆黒の瞳には、狂気や暗さなど一片も混じってはいなかった。根拠の提示は何ひとつないのに、断言する力強さは揺るぎない。
「……いいわ。答えてアゲル。もしも復活をはたしたのなら、『紅蓮の魔神』に忠誠を誓うワ。それがギュスタロッサの剱を背負う騎士の使命と義務でしょう?」
カーマ建国の初期に生きた伝説の刀匠ギュスタロッサ。刀匠自身が魔導師であり高位の召喚士あり、魔神と縁深い魔族や魔人を召喚しては武器の形に写し取った。ギュスタロッサの魔具を扱える者は、魔神の血を受け継いでいなくてはならず、魔神の剣になるからこそ強大な力を与えられる。
それは魔具を手にした瞬間に魂に刻まれる。剣位を持つ者の共通認識ではあるが、持たない者が理解できない超自然的な感覚なので、あえて口にすることもなかった。
「あなたの本音を聞けて安心しました」
「……そうも言ってらんないわよ。アタシたちギュスタロッサの騎士は普通の人間より強いけど、それはカーマを守るっていう大儀があるから。敵が王族や善良なカーマ国民なら、アタシたちは手も足も出せない」
ダークエルフほどではないが、剣位を与えられるということはカーマの血に対する抑制力が働く。ただ、カーマ人だからといって善人ばかりではないし、犯罪者も無法者もいる。その手の輩まで守れと求められることはなく、剣の切れ味が鈍ることも抑止力が働くこともない。
だが、相手が何も知らない善良な人々であれば、信念のためであっても簡単には排除できない。カーマの血というものは、誇りと同時に呪縛にも近かった。
たいていのカーマ国民たちは、王国軍や剣位持ちの騎士たちの忠誠は、国家や王家に捧げられているものだと信じている。形骸化していても、反する者がいれば非カーマ人ではないのかと疑いを持たれてしまう。
けれどいまのカーマは、血の濃さや魔の強さで優遇することをよしとしない風潮だった。実力が評価されるのは軍属でも一定範囲だけで、上士官や権力者になるほど魔力より政治手腕が物を言う。現国王からして魔導師でもなんでもなく、魔力だけではかれば一般市民と変わらない。国民に寄り添う王だと人気が高いけれど、実力のある者たちには目の上のたんこぶも同じだ。
「カーマ人たちは原点回帰すべきなんですよ」
「アンタ、そんな過激なこと言うタイプだったっけ? 本来ならアタシは、アンタみたいなのを査問委員会にチクる立場なんだけど」
赤狼師団は国の防衛を司る黒羆師団と違い、国内の警務にたずさわる部署だ。重軽犯罪はもとより、国家反逆者の摘発や軍内部の風紀を乱す者の取り締まりを生業としている。カーシュラードの発言は、赤狼師団の部隊長たるドナにとって、軍人として過激思想の持ち主だと報告する義務がある。
「したきゃどうぞ、と言いたいですが、剣位持ちは多かれ少なかれ内心そう思っているでしょう? 一般人と違う力があればあるほど、市井では生きにくい。師団という盾がなければ凶暴な獣のように恐れられる。魔導国家と謳われるこのカーマで、魔力の高さが反感の元だなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある」
「……だから、罪人であるレグナヴィーダ殿下に忠誠を誓ったの?」
「彼をテロリスト扱いするのは許しませんよ。僕が剣を捧げた相手は、『紅蓮の魔神』だ」
もし、とか、たとえ、なんて仮定ではなく、カーシュラードはついに断言した。愛刀を引き寄せ、鐺を床につけて威圧する。
ドナの問いは巧妙だ。カーシュラードが否定をしなければ、レグナヴィーダは魔力至上主義者で、王家と国家に謀反を企てた首謀者になってしまう。支持する者の思想を織り込んで他者に肉付けするやり口は、褒められたやり方ではない。わかっていて誤解を生み出すことだ。
「罪人として連行する要請には従いましたし、たしかにレグナヴィーダ殿下を処刑場まで護送しましたけど、あくまでも僕が膝を折った相手は魔神です。ただのカルマヴィア家のカーマ人じゃない」
カーシュラードも、詭弁として受け取られることを理解している。だが、事は複雑だが簡単だ。『紅蓮の魔神』の復活というそれだけで、あらゆる惨事が些末ごとで片付いてしまう。
ドナは橙の瞳でじっとカーシュラードを見つめた。彼が何を見て経験したのかを探るような、真剣な視線だった。そして、瞼を閉じた。こめかみをほぐすように指で揉む。それから、愛剣の柄をなで、自分の身体を抱きしめた。
「……本当に、……ああ、本当なのね。あの魔力、あれが……、あの時感じた、あれが『紅蓮の魔神』」
「疑ってたんですか」
「疑うっていうか、信じられなかったのヨ。レグナヴィーダ殿下の件は禁忌扱いで、世間話にも出せなかった。ずっと城のどこかで暮らしてたんでショ? 目と鼻の先じゃない。それなのに、魔力のひとかけらも感じられなかった。どうしたら二十五年もあんな魔力を隠しておけるのよ」
その問いには、カーシュラードも答えを持っていなかった。
「……彼は、ネディエール公に断罪を下したと告げました。二十五年間どう暮らしていたのか、それがなぜ処刑劇にまで繋がったのか、暴かなきゃいけない」
「関係者は全員死んでるのに?」
「死者の墓を暴いてでも」
漆黒の瞳を伏せ、カーシュラードは死者に黙祷する。だが、いくら祈りを捧げたって望む行為は過激だ。
「アナタ、やっぱり少し変わったワ」
足を組み替え呆れたような溜め息をついて、ドナはやっといつもどおりの妖艶な笑みを浮かべた。カーシュラードは笑みに応え、緊張を緩める。
「……生きる意味を得たから、かも、しれません」
自分でも、以前とは違うという感覚があった。変化に驚くこともあるが、立ち止まっている時間は惜しい。
これまではずっと、惰性で生きてきたようなものだ。カーマ人とダークエルフの狭間で育ち、王族でありながら継承の輪から弾かれ、己の強さに膿んでいた。ヴァリアンテに目覚めさせられて軍属に進んだが、与えられた居場所は兵器としての墓場のような場所だ。それでも、変化のない日々に順応して生きてきたのだ。
けれどようやく、己の価値を発揮することができる。全身全霊と魂と血でもって、仕えるべき相手と出会った。忠誠を許され、進むべき道筋が見えた。
「『紅蓮の魔神』の剣となるべくして作られたなら、ようやく本領を発揮できる」
「作られた?」
「僕はダークエルフとのハーフですよ。知りませんでしたっけ?」
「……ゴシップなら散々聞かされたけど、だから何ヨ」
「ダークエルフはそもそも『紅蓮の魔神』の眷属で、だからこそカーマ人を護るんです。けれど母の視野はもう少し広かった。魔神の復活を予想して僕を生んだんじゃないかな」
「だからって、都合よくアンタみたいなのが生まれるわけないじゃない。ハーフだったらほいほい金剛位になれるわけ?」
「なれるのかもしれませんよ。ヴァリアンテもハーフですからね」
ぽろりと漏らしてしまったが、どうやらドナはそれを知らなかったようだ。橙色の瞳を見開いて、眠るヴァリアンテの横顔とカーシュラードを見比べる。
「……ヴァルがアンタのこと可愛がってんのって弟子だからかと思ってたけど、そもそも同族だからなの?」
おや、とカーシュラードは片方の眉を上げた。ドナはヴァリアンテの親友ではあるが、出生や血縁については一切知らされていないらしい。もっともカーシュラードも表ではヴァリアンテが実の兄だとは、ひと言だって漏らしていない。彼女が知らなくても当然だ。そして、今後も伝える必要はないだろう。
「同病相憐れむ部分は否定しませんけど……、純粋に僕に惚れたのかもしれませんよ?」
「アンタが一方的に追い回してんのかと思ってたワ」
ドナの率直な意見に傷付いた。確かに周囲からはそう見えているのだろう。実際、食事もセックスも誘うのはいつだってカーシュラードの方だ。想いは伝わっているし、ヴァリアンテも受け入れてくれているが、彼の方から求めてくることはない。
けれど、ふたりきりになれば、目一杯甘やかして愛してくれるのだ。彼からの情を疑ったことはなかった。
「……まあ、僕たちの関係はいいんです。ヴァリアンテが告げていなかったのなら、彼がハーフエルフであることはオフレコでお願いします」
「そうネ。了解したワ。彼の切り札かもしれないし、勝手に使わないよう心しとく」
囁き合って、ふたりはヴァリアンテを見つめた。目覚める気配はまだ薄いが、肉体の損傷はほとんど癒えている。
「ヴァルは、起きたらどうするのかしら」
「『紅蓮の魔神』に忠誠を誓いにいって、ついでにヴァマカーラ姫を連れ戻しそうですけど」
「親衛隊の打診、ガセじゃないんだ?」
「どうですかね。僕も噂を聞いただけなので」
ヴァリアンテは正式に決まったことでなければ情報を漏らさない。それがどれだけ信頼している相手でも態度は変えない。だが、もしヴァマカーラ王女の親衛隊に選ばれていたのなら、彼にとっては身を引き裂くような事態だろう。
「やることが、たくさん」
ドナがうんざりした表情のまま、指を一本立てた。
「まず、レグナヴィーダ殿下が『紅蓮の魔神』であるという前提で動く」
二本目の指が伸びる。
「この二十五年、彼に何があったのかを調べて、十八人殺しに正当性を見つけなきゃいけない。少なくともネディエール公に関しての殺意は認めてるんでしょ? 一件の殺人と十七人の過失なのか、十八件全てが正当防衛なのか、ついでに忘れてたけど、乳母殺しがどうなってるのかも調べなきゃいけない」
「そもそも乳母なんて本当にいたのか、そこからですね」
「最終的に誰かが責任を取らされるだろうけど、それを国王陛下に向けるのだけは絶対に避けなきゃいけないわ。ギュスタロッサの剣士が束になったって、世論には勝てないのよ」
「真実を公開することを求められているんですが、難しいことはわかります。もう一度魔神に謁見できればいいんですけどね」
「いまアンタが動くのは下策よ。ただでさえレグナヴィーダ殿下の心証は悪い。ヴァマカーラ姫様は国民にとって心の拠り所みたいなひとなのよ。その彼女をさらっていったんだから、バレたら暴動が起きかねない」
「母が持ってきた姫の親書を預かっているので、彼女の無事は証明できます。陛下に陳情の場を求めてるんですけど、軍人相手に割く時間はないらしい」
吐き捨てるカーシュラードに、ドナは指を上げていた腕を降ろして長嘆した。戦闘中のような鋭い視線で睨みつける。
「どういうことか詳しく教えなさいヨ」
「すみません。言うタイミングを逃していただけです」
素直に謝罪したカーシュラードは、実母のギラーメイアがどんな存在であるかと、ヴァマカーラ姫の状況を伝えた。彼女は誘拐されたわけではない。彼女の意志で、魔神に同行したのだ。
「……クセルクス家ってとことんおかしな王家だと思ってたけど、そこまで行くとちょっと怖いわヨ」
「否定はしませんよ。でもそのおかしな家も使いようです。軍人でだめならクセルクス家の次男として正式な謁見を申請しました。近日中にヴァマカーラ姫の件からは手を引けると思います」
頭を抱えて赤毛をかき回したドナは、飄々と言ってのけたカーシュラードを睨みつけた。けれど、うっすらと残る目の下のくまに、怒りの矛先を収める。
「味方が欲しいわネ」
「あなたとヴァリアンテがいる」
「……現実を見なさい。三人じゃ国は変えられないのヨ」
しかもひとりは絶対安静の寝たきりなんだから。ドナの指摘はもっともだ。カーシュラードはヴァリアンテのアンバー色の髪をすいた。首筋の部分だけ長いのは、過去に願掛けで伸ばしたまま定着したから。早く目覚めてと願いながら、カーシュラードはわずかな魔力を分け与える。
それから、ゆっくりとドナを見つめた。
「あなたが味方でいてくれる。それが充分、心強い」
強い信念を帯びた漆黒の瞳に迷いはない。
「……そういう人タラシなとこ、ヴァリアンテそっくりネ」
わずかに頬を染めたドナのぼやきに、カーシュラードは微笑を返した。
◇◇◇
ドナの行動は早かった。
彼女の部隊は赤狼師団でも特殊な位置づけにある。師団内が正しく運営管理されているか監査を行う部署のひとつだ。通常は内部告発に関連する裏取りと、それに伴う武力制圧を主にしている。部下の数は少ないが全員が買収のきかない者ばかりだ。
ドナは上層部の混乱に乗じて職権を生かし、レグナヴィーダ殿下に関連するあらゆる資料を徴発した。内務大臣ネディエール公の執務室の資料を片っ端から調べ上げている。
また、レグナヴィーダ殿下が暮らしていたとされる部屋を隔離閉鎖し、すみずみまで魔術走査をした。名目上は、彼の罪状である乳母殺しの件の追跡調査になっているが、実際どんな手を使っているのかはわからない。
誰も信用できないが、だからといって利用できないわけではないという。彼女が仲間に引き入れる相手に目くじらを立てても仕方がない。カーシュラードはドナの方針に口を挟むようなことはなかった。
それこそ、どれだけ鼻息を荒く語ったところで、ひとりでは無力だと理解している。カーシュラードが軍人となって五年目。上司の覚えが悪い部隊長には、動かせる権限などないに等しい。
餅は餅屋だ。彼女には内部からの調査を。僕は王族としての交渉を。
カーシュラードは第四王家クセルクス家からの正式な書状で、国王陛下へ謁見依頼を出していた。本来なら父か兄を使った方がより摩擦が少なくなるけれど、彼らは遠く領地にいる。事態を察知して兄が向かっていると聞いたが、到着を待っていられない。
カーシュラードは軍服を脱いで正装に着替えた。そんなあつらえがあることさえ忘れていたけれど、執事はふたつ返事で整えてくれた。馬子にも衣装ですね、なんて憎らしい口をきく執事に、幼少の頃から支えられてきている。彼はカーシュラードをとりまく状況を理解しているが、不安を見せることすらない。彼もまた、数少ない味方のひとりだ。
王城は別種の戦場だ。鋼のかわりにドレスを。記章のかわりに家紋を。クセルクス家は家名を誇示する金を惜しまない。ただ下品に着飾るのではなく、抱えた職人の腕を最大限に生かした仕立ては優雅なものだ。
ほとんど袖を通すことのなかったカーシュラードの正装は、それでも佩刀することを当然としている。長身と筋肉質な肉体が映える、奇妙な気品と野蛮さが同居していた。
クセルクス家の次男は家紋の彫られた馬車で、正門から堂々と登城した。通常、王城での帯剣は禁じられている。許されるのは親衛隊員と近衛兵のみだが、ギュスタロッサの剱を与えられた剣位持ちは例外だ。近づいてきた近衛兵は、特異な太刀と金剛位を示す指輪を確認した瞬間、目礼で身を引いた。
王族として完全武装したカーシュラードに声をかけられる者は誰ひとりとしていない。罪人に忠誠を誓ったという噂は市中に漏れていなくとも王城には伝わっている。悪意の囁きがないかわりに、すれ違う者の視線は雄弁だ。困惑、嫌悪、侮蔑。けれど、カーシュラードはそのどれもを真っ向から無視した。
王との謁見は非公式だ。仰々しい儀式や長口上を聞いていられないし、何より衆目は少ないに越したことはない。謁見室には国王そのひとと、剣聖イラーブルブ・ゼフォン、側仕え、そして宰相がいた。なぜ宰相がいるのか疑問だが、内務大臣のかわりだろうか。
カーマ王国を治める国王クーヴェルトは、不愉快を隠そうともせずカーシュラードを見下ろしていた。初老の剣聖と同程度の年嵩だが、厳めしい表情のせいで老けてみえる。
もっとも、彼はもともと陽気な性格をしていない。物静かで苛烈さの対局にいるような男だ。それでも、国民の前ではとても穏やかで優しい。顔を使い分けてはいても、欺いているわけではない。良くも悪くも正直な正確をしていた。
「……クセルクス家の次男坊か。最近、お前の噂をよく耳にする」
声をかけられるまで跪いて頭を垂れていたカーシュラードは、許しを得てようやく顔をあげた。
「お久しぶりでございます、陛下。御親友を亡くされ、心痛お察しいたします」
「皮肉がましいな。用件を言え」
長々と世辞や悲嘆を語るよりマシかと思ったが、形式的すぎるのも気に障ったようだ。辛辣な声音をぶつけられてしまったが、カーシュラードは怯まなかった。反感も覚えない。
クーヴェルトは国王だ。彼が魔神を排斥しようと動かないかぎり、敵ではない。
「ダークエルフ全氏族長ギルデメレクの娘である我が母ギラーメイアが、ヴァマカーラ殿下からの親書を持参しました。陛下へお渡しするよう、預かっております」
「カラケルサスの後妻だったな。ダークエルフも今回の件に関わっているのか」
「ヴァマカーラ殿下をお護りし、身の回りのお世話をしていると聞いています」
レグナヴィーダと結託しているのかと問われたことは理解していて、答えをすり替えた。関わるもなにも、ダークエルフがレグナヴィーダに従うのは当然だ。けれど、邪険にされているこの状況でダークエルフの生態を語ったところで、火に油を注ぐだけだろう。
懐から書状を取りだして側仕えに渡すと、表情のない男は一瞥しただけで、それ以上の検分もしなかった。親書には魔力による親展処置がされている。ヴァマカーラ姫の魔力は隠されいないので、偽造することも難しい。
「……お前は目を通したのか」
「それは陛下宛の書状です。私が開封できるはずはありませんし、内容を知らされてもおりません」
「だろうな」
クーヴェルトの口調も態度も、カーシュラードへの不信感を隠しはしなかった。周囲への猜疑心に囚われていたカーシュラードより、国王そのひとの方がよほど疑心に囚われているように感じた。
王は書状を開き、眉間の皺を深めた。一読してから側仕えに返し、声に出して読むよう命じる。
「親愛なるお兄様へ――」
側仕えは蕩々と読み上げた。
――わたくしの魔眼は、ルクレヴァウス公レグナヴィーダ様が、神祖『紅蓮の魔神』であると映しました。
まずお伝えしますが、わたくしがお兄様の元を出奔したのは、レグナヴィーダ様に教えを請うためです。彼に誘拐されたわけではございません。剣聖様や侍女たちにも伝えましたが、改めてここに記します。
わたくしが、わたくしの意志で、彼の誘いを受諾したのです。
わたくしたちカーマの民は『紅蓮の魔神』の子孫です。いつかの復活を望み、魔力と血に敬意を表することこそ本質です。彼と対峙すれば、それがわかります。
ネディエール公はカーマの血によってお姉様を奪われたとお考えでしたが、それは違うことのように思います。レグナヴィーダ様に行った仕打ちを考えると、恐ろしさに身が震えます。
わたくしがお姉様を、お兄様と同じように愛しておりますこと、お兄様もご存じでしょう? まみえたことが一度もなくとも、お姉様の残された痕跡が充分慰めになります。お姉様は、すべてわかっていらしたんですよ。それをふまえて言わせていただきますが、お姉様は、その身をもって、『紅蓮の魔神』を体現なされたのです。
レグナヴィーダ様は母体を選んで復活されたわけではない。カーマ王家が近親婚を繰り返してまで純血を繋げてきたのは、『紅蓮の魔神』を世に顕すためでしょう?
どうして彼を、なき者として扱えたのですか。カーマは悲願である復活を迎えたというのに。求めておきながら、彼を弑逆するなど笑止千万ではありませんか。
レグナヴィーダ様は、カーマ王国への介入を拒絶されています。あの方こそ建国の祖であるというのに。それがどれだけ悲しいことか、お兄様ならおわかりになるでしょう?
どうか、カーマの礎が何であるかを、いま一度お考えになってください。『紅蓮の魔神』の復活をお認めになってください。魔神へ連なることを阻害なさることはお止めください。
我らの『紅蓮の魔神』は、現世に干渉しません。ただ、力には力で返すのみ。彼は我らを害さない。我らが彼を害さないかぎり。それをおわかりになって、お兄様。
またお手紙を書きます。この身に流れる魔を正しく制御できるよう、日々鍛錬をする所存です。どうか、お兄様もそれまで健やかにお過ごしください。
「……あれもカルマヴィアの野心を持っていたようだ」
王はやはり不愉快そうだった。
「愛する者を知らぬ娘の言い分だが、魔神を持ち出されては黙らせることもできぬ。だが、剣聖よ、そなたの言葉は証された。ヴァマカーラは自分で鳥かごを出た」
「お疑いが晴れてようございました」
「ヴァマカーラ姫の奪還案は白紙に戻しましょう」
剣聖はまだしも宰相の発言を聞いて、カーシュラードは内心で舌打ちした。何という愚かなことを考えていたのだ。
「しかし、『紅蓮の魔神』とはな。いまさら……」
「陛下」
声音の不穏さを感じ取ったカーシュラードは、ほとんど反射的に発言を遮った。側仕えや宰相から非難の視線が向けられる。
いまさら? いまさらだと? その続きを王に語らせなかっただけ、むしろこちらが褒められてしかるべきだ。
抑えようにも漏れ出てしまった底冷えがする魔力に、気づいたのはただ剣聖だけだった。イラーブルブはただ眉をひそめたに過ぎなかったが。
「陛下、どうぞお喜びください。我らが神祖の復活で、カーマはより豊かな繁栄を約束されたも同然です。血が歓喜するほどの魔を前に、我らは膝を折り、言祝ぎを捧げるだけでいいのです」
「それが罪人であってもか」
「罪の所在は、遠からず開示されましょう。魔神が何者であるかを理解している者たちは、真実を白日にさらすことに、なんら異を唱えないはずですから」
カーシュラードの淀みない言葉に、カーマの王は忌々しげに鼻先で笑う。
「大きく出たな、クセルクスの末子よ」
「これはご無礼を。魔神の末裔たるカーマ国王である陛下には愚問でございました」
大見得を切ったカーシュラードは、その厚顔を隠すように深く頭を垂れた。




