血脈を守る者-10-(完)
親愛なる、ヴァリアンテ。元気にしていますか? また、無理をしているんじゃなくて?
先日、例の部隊が無事に全員帰還したことをダークエルフから聞きました。誰の怪我もないとのこと、嬉しく思います。よく頑張ってくれました。わたくしが感謝していたとを伝えてくだされば嬉しいわ。
そうね。わたくしの事を伝えるわね。
わたくしは毎日、魔法から魔導に至るいろいろなことを学んでいます。レグノ様はとてもいい教師だけれど、とても厳しい方だわ。
今はわたくしの『千里眼』を使いこなせるように訓練しています。この眼はあらゆる魔を見通す魔眼とのことです。魔力の強弱を見抜くのは得意だったけれど、あのとき、はるか遠い国境沿いまで見通せたように、いいえ、それ以上のことができるとレグノ様がおっしゃっています。
王女の責務を果たさずに言うべき言葉ではないのですけれど、わたくし、とても楽しいと感じるのです。
この力をしっかりと身につければ、わたくしは、わたくしの力で民を護れるようになるわ。きっと。
それに、魔術だけではなくて、政も学んでいます。ダークエルフは驚くほどカーマに詳しいのね。自分の国のことなのに、わたくしは己の無知さが恥ずかしいわ。応用は追々、今は詰め込めるだけの知識を詰め込みます。
親衛隊が護るに足る王族になるわ。だから、待っていてね。
そういえば、M3と呼ばれていた男のかたがきたわ。双方向の転送門はないはずなのに、魔脈を割り込んでこの谷のエントランスホールに現れたの。レグノ様は何も言わなかったから承知していることなんでしょうけれど、わたくしは心底驚きました。
彼は大量の魔導書を運んできて、それを置いたらあっさり帰っていったけれど……。あんな王族、はじめてです。どう対処したらいいのか、戸惑ってしまいます。
わたくしの勉強にとても役だっているのが不思議。教材にふさわしい物を選別してきたのかしら。彼にはわたくしが何を学んでいるのか伝えていないのに。
ちゃんとお礼を言ったほうがいいことは、わかっているのですけれど、彼の顔をみると、礼儀について教えてあげたくなるの。だからまだ感謝を伝えられていないわ。それがとても気になっています。
けれどきっと、もし彼が谷に顔をだしたら、わたくしはお説教をしてしまう気がするわ。
「遠慮なく蹴り返してやりゃあいいんですよ、あんな奴」
香を焚きしめた上質な紙に綴られる美しい文字を読みながら、ヴァリアンテは苦笑を浮かべた。
ヴァマカーラ王女からの手紙は、大抵が枕元に隠されている。ダークエルフの誰かが届けているのはわかるが、こちらから気軽に返信ができないので、それだけは不満だ。
けれど、仕えるべき主が健やかであるのなら、それでいい。
指南役の制服にマルシュヴァリーリ公の紋章を刺繍されたサッシュを巻くことを許され、ヴァリアンテはヴァマカーラ殿下付きの親衛隊として正式に認められた。けれど、仕えるべき主は不在だ。留学中の王女は国で一番安全な場所にいるので、つきっきりで警護する必要もない。
いまのヴァリアンテは所属こそ親衛隊だけれど、実働は指南役として剣士たちを教育し、剣聖付きの使者としてあらゆる折衝に借り出されていた。ヴァマカーラ殿下から呼び出されると、全ての職務を放棄して姫の元へはせ参じるという条件で、複数の職を掛け持っている。
士官学校を出てからひとつの職に落ち着いたことはないので、いっそ慣れたものだ。殿下が王城へ戻ればつかず離れずの生活になるのだから、今のうちに様々な経験を積み、見聞を拡げておこうと思う。
ヴァマカーラ殿下が戻られるまで、やることは多い。彼女を護る親衛隊はひとりでは足りない。同志を探すには、指南役という職は最適だった。彼女が女王となったときに、全ての準備を整えておきたい。
この国は、カーマは、十年もしないうちに様々な変化を迎えるだろう。それを何より近くで見ていけることは、きっと幸運なことだ。
主の署名を指でなでたヴァリアンテは、大事な手紙を胸元にしまった。今日はいい日になりそうだ。
「なぁによ、ニヤニヤしちゃって。やらしいわネ。思い出し笑い?」
「……ひどいな、ドナ。新しい内務大臣の就任式に何を持っていこうか考えてただけなのに」
待ち合わせに遅れてやってきたドナ・デヴァナが席に着くなり鼻に皺を寄せた。師団付きのカフェテラスは関係者以外立ち入り禁止だが、指南役が制限を受けることはない。
それでも、二階のバルコニー席を選んだのはひと目を避けるためだった。隠れる気はないが、目立ちたいわけでもない。
「……もっとタチ悪いわネ。アタシは嫌よ、コネになんてなってあげなーい」
「わかってる。君にばかり負担はかけられないしね」
両手をあげて降参のポーズを決め込むと、彼女は鼻で笑ってローストチキンを挟んだサンドウィッチにかぶりついた。ヴァリアンテは待っているあいだに昼食を食べ終わって、食後の紅茶を飲んでいる。彼女のランチの付け合わせのポテトに手を伸ばすと脛を蹴られた。
ドナは赤狼師団の部隊長だが、役職以上の重要な位置にいる。捜査や任務が不正に行われていないか、正しく運営管理されているかを監査する部署のひとつが、彼女の部隊だ。そしてきっと、それだけでもないのだろう。けれど、実際にどんなことをしているのか、付き合いの長い親友にも語ることはない。
わかっていることは、彼女がカーマという国と魔神の血に忠実だということだけだ。そして、それで充分だった。
「できるだけ仲良くなっておきたいんだけど、彼女がマッチョ好きって本当かなぁ。私が出張るよりイラーブルブ様に頼んだ方がよさそうな気がする……」
「アンタじゃ細すぎるわネ。……って、止めなさいよ、そういうの。親衛隊員がカラダ売るとか、笑えないわヨ」
「わかってる。大丈夫だよ。いまのところ、色仕掛けは未来の黒羆師団長くらいにしか使わないことにしてる」
「……なによ、アイツ、色仕掛けに引っかかんの?」
「可愛いだろ?」
実際に彼が黒羆師団の師団長になるかはわからないが、遠い未来にはその席に座ることもあり得るだろう。カーシュラードは、すっかり若手で一番の出世頭だ。どうにかして繋ぎをつけようと、あらゆる方面から狙われている。
「アンタのそういうトコ、好きよ」
「ありがとう。私もドナが好きだよ。信頼してる」
「ハイハイ。ゴシップには気をつけなさいヨ」
ドナは呆れながらも、機嫌がよさげに笑顔を浮かべた。度を越さなければ、人生は刺激的なほうがいい。親友の持論を思い出して、ヴァリアンテも一緒に笑った。ポテトに手を伸ばすと、やっぱり脛を蹴られた。
◇◇◇
処刑場広場での事件からひと月半が過ぎた。
カーシュラードが王都に戻った時には、すでに国営新聞で事件の顛末が語られ終わり、国民の目は魔神顕現の方に向けられていた。
二十五年監禁されたあげく、檻を出ようとした息子に殺人の罪をきせて処刑しようとした。書かれていたのは事実のみだ。憶測はない。だが、魔神の生まれかわりだろうがなかろうが、それはセンセーショナルな事件だった。
いよいよ処刑される間際で魔神としての復活を果たしたとしても、それは正当防衛に他ならないと、新聞を読んだ者は勝手に同情を抱いた。巻き込まれた者の遺族は同情などできないだろうが、国という大きな生き物を存続させるための潮流に飲まれてしまうだろう。
王子が魔神の生まれ変わりであることと、王位返上および家名抹消。衝撃は国全土を駆け巡ったが、大半の民にとって神祖『紅蓮の魔神』の顕現は吉事として受け取られた。
国営新聞は王家や評議会の検閲が入っている。魔神復活を認める国王の宣言が掲載された影響も大きいが、国が混乱しないよう記事がある程度弄られているのは当然だ。事実を歪めているわけではない。真実を別の角度から見せているだけだ。
当然、民間の新聞社はあることないことを書き立てた。スクープだとタイトルで煽って根も葉もないスキャンダルを載せた雑誌も発行された。一時期は大騒ぎになったけれど、これまでの生活になんら影響がないとわかるにつれ、国民の興味は薄れていった。
処刑場広場はその後、国立公園へと姿を変えることになった。造園技師がデザインを検討しているが、以前のような処刑場を思わせる殺伐さは消えるだろう。慰霊碑の周りはたくさんの花で飾られるらしい。
ミネディエンスからの攻撃はあれ以降ないが、国境基地の警戒はしばらくは緩まないだろう。それでも、第二種警戒から第三種警戒へと警戒度を下げ、通常勤務に戻りつつある。
黒羆師団本部の部隊長執務室で、カーシュラードとその副官のサムハインが書類に齧り付いていた。ノックの音にふたりそろって顔を上げると、サムハインが動くより先に扉が開いた。
「よう、連隊長」
「……まだ違いますから、誤解を招く発言はやめてください」
光の加減で赤く光る黒髪と王族らしい赤紫の瞳。特徴的な左顔面の霊印と魔笏。童顔だが侮りがたい大魔導師のM3が、礼儀など無視して侵入してきた。呆れるカーシュラードはペンを置いて、サムハインは茶器を並べたチェストの元へ移動した。強制的に休憩だ。
「魔梟師団のお偉いさんが、王都縦断してまで黒羆に何の用ですか」
「王城への用事のついでだが、なんだよ愛想悪いな坊主。俺が魔導師賃貸代金ロハにしてやったの忘れたのか?」
勝手にソファに座って踏ん反り返る姿を見れば、誰がこの部屋の主だかわからなくなる。
面識はあったがその程度だったM3とは、今回の一件でよく話すようになった。今日のように一方的に立ち寄って去っていくので、カーシュラードから呼び出したことはないけれど。
「どうせ予算会議で今回の件を持ち出して、魔梟の予算を大幅引き上げさせるつもりなんでしょう」
「当たり前だろうが。俺らの技術と魔力を絞るだけ絞って金を回さないなんざ、国の発展を足蹴にしてるようなもんだぞ」
「……それは、まあ、返す言葉もありませんが」
「いい心がけだな『三百人殺し』。お前さんのおかげで、学者ばかりじゃないということが証明できた。礼を言ってやろう」
無茶ぶりを言うし態度もでかいが、M3は一貫して国を想っている。だからこそ、黒羆師団の施設の中を魔梟師団の魔導師が闊歩しているのを許しているけれど、聞き捨てならない単語が聞こえた。
「ちょっと待ってください。なんですかその『三百人殺し』って」
「そういうあだ名がついてたぞ、お前に」
耳まで口が裂けているんじゃないかと錯覚するほど、M3が嬉しそうにニヤけている。何をもって三百なのか想像はつくが、それはあまりにも誇張がすぎるだろう。からかうならもう少し笑えるものにしてほしい。
「……勘弁してくださいよ。骸骨平原で埋めた死体の数は二百七十二だったし、実際に僕が斬ったのは百いくかどうかですよ」
「初陣で百近いってのも相当だぞ……」
長らく戦争をしていないカーマにおいて、どこと比較して相当になるのかわからない。問い詰めてやりたかったが、歴史書を持ち出されても面倒なのでそっぽを向くだけに留めた。苦笑を隠しもしない副官がコーヒーをいれてくれたので、ありがたく口をつける。
そんなカーシュラードを、M3はじっと観察していた。
「……なんですか」
「いいや、案外平気そうだと思って」
それは、彼なりに心配してくれたということだろうか。どうやら自分は、いろいろな人物に見守られているようだ。二十代前半という若さのせいかもしれない。子供扱いは止めてほしいけれど、そういう反発が子供っぽいことだとわかっているので、素直に受け入れるようにしている。
けれど、実際に、心配されるほどでもないのだ。出撃の数日後にヴァリアンテの熱を知れたことで、吹っ切れたこもあるけれど。
「つくづく自分は魔族の血統だと思いますが、いまさら人を殺して病むような可愛げはなくなりましたよ。そういう判断は哲学者と法務省と赤狼師団に任せます」
「悪くないな。俺が投資しただけある」
にやついたまま、M3の瞳は老獪な輝きに色を変える。まるで悪巧みをする古狸のようだ。
「……やめてくださいよ。あなたに首輪を繋がれるつもりはない」
「俺もお前を飼う気はねぇから安心しろ。そういうのは恋人に言え。俺は俺の予想する未来のために、お前に投資したんだよ。見返りはくれてやるさ」
「怖いな。遠慮して――」
「吠えるな。天才だって一人じゃ立てねぇんだよ」
魔笏を床に打ちつけて大魔導師が遮った。M3の言いたいことがうっすらと読めるカーシュラードは、だが、それ以上の反論は飲み込んだ。
「五年やる。そのあいだに、黒羆を掌握しろ。地方末端まで顔を売れ。金剛は飾りじゃねぇって、示してこい」
道場破りでもしにいけというような提案にめまいがする。だが、地方基地の戦力レベルを把握しにいくのは、楽しそうだ。
啖呵を切って満足したのか、M3はサムハインに給仕されたコーヒーを飲んだ。途端に顔を強張らせる。今度はなんだ。
「あまりうちの隊長を虐めないでくださいね」
自分に気後れしない相手が珍しいのか、M3がサムハインを凝視する。もう一度カップに口をつけてうなる。それから、眉間に皺を寄せたままカーシュラードを呼んだ。いつになく真剣な顔だった。
「おい、そいつを俺んとこの副官にくれないか。給料は倍出すぞ」
「あげませんよ」
今度はどんな無理難題をふっかけるのかと身構えていたカーシュラードは、ほとんど反射的に拒否した。無類のコーヒー党であるM3は執務室に響き渡るような舌打ちをした。
日付も変わる頃に寮の個室へ戻ると、窓枠に愛する兄が座っている姿を見つけた。指南役の制服ではない。病室から抜け出すときに渡したセーターを着てくれているようで嬉しい。
部屋の合鍵は渡していなかったが、窓の施錠程度なんとでもなる。カーシュラードが病室に不法侵入していたように、ヴァリアンテもその程度のことは造作もないだろう。師団施設に部外者の侵入を許す危機管理の足りなさはあるが。
「おかえり。窓の鍵、あいてたよ」
なるほど。危機管理がなってないのは僕の方か。
「あんたが不法侵入なんて珍しいですね」
「おや、機嫌が悪い?」
部屋の鍵を閉めて聖霊灯をともす。シャワーをあびて寝るだけの部屋なのに、ヴァリアンテがいるだけで暖かく感じた。不機嫌さをぶつけてしまうのは子供っぽい甘えだ。
カーシュラードは剣帯を外してサーコートを脱ぎ、愛飲している煙草に火をつけた。肺一杯にハーブの香りを満たしてゆっくりと吐き出す。
「君のそれ、なんだか久しぶりな気がする」
「……病室は禁煙でしたし、オベロアンには持っていくのを忘れました。僕の執務室にあんたは来ないでしょう?」
久しぶりと言われてざっと記憶を辿ると、確かに久しぶりかもしれない。
「プライベートであんたと会うのは一か月ぶりですよ」
「そう、だっけ?」
「そうです」
細かい日数は覚えていないが、誤差まで細かく数える必要はないだろう。師団の施設や王城ですれ違うことはあるし、同じ会議に出席することもあったが、私服の彼と話すのは本当に久しぶりだ。
「まだ落ち着かない?」
ヴァリアンテはカーテンを閉め、彼も剣帯を外した。武器を手放す意味はひとつだ。ベッドに座る一挙手一投足が気になってしまう。だが、会話もせずにがっつくのは獣みたいで品がない。
「師団の立て直しに奔走しているのに、晩餐会と懇親会の誘いばかり舞い込んでくるんですよ。こっちは春になったら演習訓練もあるっていうのに……」
「手の平返しがすごいなぁ」
皮肉まじりに笑うヴァリアンテは、寮の一室でもくつろいでいた。カーシュラードは王都にクセルクス邸があるので寮に入らなくてもいいのだが、邸と師団までの移動時間を考えて下士官用の部屋を借りていた。オベロアンで借りていた士官用の個室より狭いが、個人のシャワーブースがあるというだけでありがたい。それに、どうせ寝るだけなのだから狭さなど気にならなかった。
「まあ、ネオミ女史も嘆いてたよ。噂の武人を見てみたい、って」
「ネオミ女史……? まさか、新しい内務大臣の?」
「そう。就任式で少し話したんだ」
「あんた、どこの手先かわかったもんじゃありませんね」
「顔は広くあるほうが都合がいいだろ?」
茶目っ気たっぷりにウィンクを返すのだから、言葉遊びのような悪態を返す気も削がれた。彼にはいつまでたっても勝てそうにない。
煙草をもみ消して隣に座ると、細い指で頭をなでられる。気持ちがよくて目をつむり、そのまま倒れ込んで腿の上に頭を乗せた。ずっとなでていてほしい。
「おつかれさま、カーシュ」
「あんたも、でしょう」
「私は耳と目を駆使しているだけだからなぁ。デスクワークで机に齧り付いてる君より、よっぽど楽だ」
こめかみを揉まれ、それだけで満足げな吐息がもれてしまう。ゆっくりと息を吸うと、煙草の残り香に混じってヴァリアンテの匂いを感じた。石けんと、レモンと、彼自身の匂いだ。それだけで下半身がぐっと重くなる。
カーシュラードの気配が変わったことに気づいたのか、聡い実兄は喉を鳴らすような笑いを響かせた。目を開いてじっと見つめると、ヴァリアンテがだんだん困り顔になる。
「いい男になったなぁ」
「……なんですか、いきなり」
「すっかり子供臭さが消えちゃったよね。初陣を終えて血の味を知った男の顔だ。あんまり、愛想笑いを振りまいちゃ駄目だよ?」
「珍しいな。焼き餅ですか」
外面のよさはヴァリアンテの方が数倍上手だ。ダークエルフの美しさを惜しげもなく発揮し、蠱惑的な微笑で相手を翻弄してしまう。男女どちらの美も併せ持つが、彼は決して女性ではない。そのくせ、汗臭い雄の気配とは縁遠い。どことなくアンバランスで、魔族的は魅力に、ふらりとよろめく者がいることを知っている。
好いた相手がそんな男だから、気が気じゃないのはこちらのほうだ。王家とダークエルフの血を継いでいるので、カーシュラードも己の見てくれがそれなりに整っているという自覚はあるけれど、ヴァリアンテが心配を覚えるほどではない。はずだ。はずだと思うのだが、実兄の反応はあまり目にしないものだった。
彼はなんだか面白くなさそうに視線を泳がせている。
「……嘘でしょう?」
「君は私をなんだと思ってるんだ」
からかったつもりなのに、まさかの反撃を食らってしまった。ヴァリアンテとは師と弟子であり、あまり実感のわかない兄弟であり、同志だ。セックスはしているけれど、恋人という枠を越えている。カーシュラードにとって彼は恋するかけがえのない相手だが、ヴァリアンテの愛情が恋ではなく親愛の方が多いことを知っている。
だが、案外とそうでもないのかもしれない。
「このあいだまで小さかったのに、私の見ていないあいだにこんなに雄臭くなるなんて許せないだろ。君の魅力に気づいた周りが、絶対に放っておかなくなる。君は私の可愛い弟なのに。いまさら手を出そうなんて虫がよすぎる」
「なに親戚のおじさんみたいなこと言ってんですか……」
思わず胸がときめいた。彼より小さかった頃に対面した記憶はないが、焼き餅を焼いたり独占欲をむけてくれるのは嬉しい。
「三十一歳は立派におじさんだよ」
面白くなさそうに囁かれ、カーシュラードは感慨深くなった。三十一歳は立派な若造だと思うが、年齢よりも老化のない容姿に、血と魔の濃さを想う。
ダークエルフは絶頂期の姿を保つので、いつかきっと、自分も老化が止まってしまうのだろう。叶うなら、ヴァリアンテの外見年齢を超えてから老化が止まればいいのに。せめてそのくらいは、愛しい兄に勝ちたい。
「……ニヤけるなよ」
鼻をつままれて、我慢ができずに笑い声を上げてしまった。こんなに穏やかな時間が戻るなんて思いもしなかった。
全てが終わったとはいえない。もしかしたら始まったばかりなのかもしれない。ずっと続くと思っていた世界が変わっていく。きっと、今までと同じようにはいかない。自覚と覚悟を、あらためて考え直すきっかけになった。
「いろいろと、ありがとうございます、ヴァリアンテ」
孤立無援の中で、彼がいたからこそ挫けずにいられた。何を考え、何を選択しても、ヴァリアンテなら味方になってくれると信じていた。同族だからといって、思想が別れることもあるだろう。けれど、何があったって彼だけは僕を信じてくれる。
一緒に育った家族が怒らなくとも、彼なら僕のために怒ってくれる。それを、知っている。だから、誰に何を言われようと、僕が傷付くことはない。
「……私のしたいことと、君が望むことが一致していただけだよ」
「それでも、僕は救われました」
何を護るべきか、何のために刀をふるうのか。彼が盾として守ってくれるのなら、僕は剣として後ろを振り向かずに駆けていける。他の誰でもない。ヴァリアンテだからこそ、任せられる。
何もかも全てをひとりで賄わなくていい。それを彼が気づかせてくれた。人はひとりでは動物のままだ。ふたりいなければ人間にはなれない。
この兄と、国に尽くすのだ。ならば、何の不安もない。
カーシュラードは態勢を変えて、ヴァリアンテを抱きしめた。細い腰に腕を巻きつけ、柔らかいセーター越しに彼の匂いを吸い込む。暖かくて、甘い。素肌の味を思い出し、熱を分け合える快楽をたぐり寄せる。
ああ、帰ってきた。
戦場から戻ってしばらく経つというのに、カーシュラードはようやく故郷に戻ったような安堵を得た。
◇◇◇
この時代のカーマ王国は、後世、もっとも歴史書の中で書き加えることが多い時代になった。魔神の復活に比例するように現れた異能の者たちは、全てが血と誇りによって国に仕え、カーマは未曾有の繁栄を遂げた。
生涯ヴァマカーラに仕え、彼女の子供たちの指南役としても名を残したヴァリアンテ。彼は王家の盾となり、武力のみならず様々な計略からも彼らを護った。
歴代在位が一番長い黒羆師団長となったカーシュラードは、剣聖を継いだ後にはカーマ王国軍元帥として、他国からの一切の侵略をはねのけた。
魔神の元で魔導と政を学んだヴァマカーラは、城に戻った後は精力的に国政に参加し、弱きを守る女王となった。紆余曲折を経てM3を婿として迎え入れ、その統治をさらに堅固なものとした。
そして魔神は――。
彼は全く表舞台に出ることはない。どの文献にも、復活した魔神について記されることはなかった。
カーマ王国の国土が荒らされるような戦では、時折その片鱗をみせることもあるが、それが本当に魔神の力かどうかを確かめた者はいない。
やがて、『紅蓮の魔神』の顕現も忘れられてしまうのかもしれない。それでも魔神は、己が血脈を見捨てることはないだろう。
彼は待っている。
血脈の流れの中で、愛する者が戻ることを。




