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カーマ王国物語  作者: 喜佐一
血脈を守る者
10/11

血脈を守る者-9-

 単眼鏡で戦況を追っていたクウィンデル・サムハインは、懐中時計で時間を確かめた。隊長の宣言通り一時間以内で事が済んだ。

「……なんということだ」

 隣に立って同じく戦場を注視していたマレフィカルム司令官がうめき声を上げる。驚愕に混じるかすかな恐怖を嗅ぎ取ったが、司令官もサムハインも黙るだけの分別はあった。

 敵を恐ろしいと思ったことはないが、味方であるはずの者たちに畏怖を覚えたのだ。その感覚には覚えがある。剣位を持つ者が本気で戦う姿を見ると、血の薄い者は誰だって身体の芯が震える。ただ恐ろしいわけじゃない。どこか憧れも混じるから、畏怖なのだ。

「部隊が帰還します。第二種警戒で帰路の警戒と併せて哨戒を始めてください。後方にあるという騎兵隊の姿を感知したら、すぐに教えてください。我々は休息の準備を始めます」

「あ、ああ。施設長に話は通してある。必要なものは彼女に要求してくれ。優先的に融通されるだろう」

「俺はカーシュラード隊が戻るまで引き続き防衛結界の維持に回ろう」

「よろしくおねがいします。では、隊長が戻り次第また」

 砦の防御結界を一手に引き受けている魔導師にも敬礼を向け、サムハインは物見塔を降りた。

 隊員の大半が軍馬を捨てているので徒歩で戻ってくるのだろう。基地まで戻ってきた馬を集めて迎えに行ってもいいが、殺気立って血の匂いを漂わせる人間を、いくら訓練されていたとしても馬が乗せるのを嫌がるに違いない。

 集団から一騎だけ離れて戻る影が見えたので、きっと伝令の代わりだろう。回収の必要があるなら、指示を聞いてから荷馬車を向かわせればいい。

 副官として行わなくてはいけないことは、彼らに文化的な生活を思い出させることだ。自分より二十も年下の隊長は初陣だった。昂ぶった精神を落ち着かせるために、温かい湯と食事は大事な回復材料だ。

 先遣隊が設置した天幕には、休憩のための準備が整っている。最後の確認ついでに、不慣れな者が怯えないよう声をかけておこう。

 最初に戻ってきたのは魔導師と護衛の剣士だ。負傷者なし、作戦終了、敵歩兵隊殲滅完了。詳細は追って知らせるが、速報を本部へ通達するよう伝えられた。その通り文言を記載して伝達兵に渡す。

 最後に回収班を要請され、荷台をつけた馬車を送り出した。出動した十七名が戻ったのは、それから一時間後のことだった。

 黒羆師団の軍服は、師団名にもあるとおり黒色をしている。彼らは行きよりも色濃くなって戻ってきた。荷台が血と泥で汚れているから、洗わされる下級兵たちは可哀想だが仕事なので頑張ってもらおう。

 クセルクス隊長の赤毛もまだらに染まっていた。頬についた汚れは土か酸化した血液かわからない。近接戦闘を行った兵士は誰もがひどい格好だった。

「作戦は終了しました。逃走兵を追う必要はありません」

 サムハインはマレフィカルム司令官に伝えた指示と基地の状況を伝えた。

「よろしい。戻る途中で不寝番を決めたので、彼らの休息を優先させてください。我々も第二種警戒でシフトを回しましょう」

「了解しました。さて、湯と食事の準備はできています。先に汚れを落として着替えられた方がいいと思いますが」

「そうですね。この格好だと施設を汚してしまう」

 苦笑でおどけるカーシュラードに続いて、隊員たちが同意や野次を飛ばした。どうやら全員、それなりに元気があるようにみえる。疲労を自覚するより高揚感が引かないのだ。

 そういう戦闘員たちのケアをするのも、副官の役目だった。だからこそ文官出身の自分が特殊部隊の副官に選ばれたのだ。サムハインは魔梟師団が緊急輜重として持ち込んだ魔力回復薬酒をふるまって、部隊をふたつに分けた。一方は天幕で警戒につかせ、もう一方を宿舎のバスルームに突っ込む。

 こざっぱりして清潔な衣類に身を包むと、隊員たちの緊張が幾分かほぐれたようだ。軽く食事をとれば、彼らは武器や装備の点検に入る。備品の整備に関しては基地に所属する兵が手伝いにきた。ビクついているのがおかしいけれど、迂闊にからかうことはできない。一般兵の怯えが畏怖ならかまわないが、戦闘昂揚と殺気を抑えきれていないのなら問題だ。

 サムハインはカーシュラードが刀を手入れしながら語る戦闘状況を書き取りながら、年若い隊長を窺った。常のように穏やかな口調だけれど、瞳孔のわからない漆黒の瞳だけが翳りを帯びている。大丈夫か、などと聞けば侮辱することになるから、様子をみるだけにとどめた。

 さて、処刑場の事件からずっと気を張っている我らの金剛位に、私は何をできるだろうか。

 ペン先に残るインクを処理しようと砂壺を手にしたサムハインは、はたと手を止めた。新しい紙を用意して、報告書とは別の用件をしたためる。宛名を書いて封蝋でとめるとようやく安心することができた。あとはこれを、報告書とともに伝令に渡せばいい。

 すっかり日が暮れて夜の静寂に包まれる骸骨平原を眺め、サムハインは深く息を吐き出した。



◇◇◇



 第十五連隊特殊剣撃部隊、通称カーシュラード隊は作戦終了から最長十日間の逗留を決定していた。ヴァマカーラ姫が千里眼で見透した騎兵を警戒してのことだが、おそらく襲ってくることはないだろう。本格的な戦争へは発展しないとみている。

 査問会から三日後の昼過ぎ、ヴァリアンテはオベロアン国境基地に降り立った。使った門は黒羆(バラム)師団のものだ。伝令の移動に便乗させてもらったのだが、王城の門より制御が荒っぽい気がした。

 魔術転送門は軍の主要基地または政庁に備え付けられている。特殊な床石が必要なので個人所有の門はほとんどないし、どこにでも移動できるわけではない。両方向の転送を可能にする鍵が必要で、設定調整は魔梟師団の専門技師に頼まなくてはならない。そして、転送するには多大な魔力が必要になる。

 手紙や書類であれば一般人の魔力でもなんとかなるが、人や物を運ぶには最低でも魔術士レベルの魔力をあてにしなくてはならなかった。部隊と馬をまるごと転送させたM3がどれだけ異常なのか、それを見るだけでわかろうものだ。

 オベロアン国境基地転送門の警備兵は、伝令ではなく指南役の制服が現れてぎょっとしていた。案内された執務室で司令官その人もぎょっとしていたので、ヴァリアンテは別の服装でくればよかったと申し訳なくなった。

 査問会の休廷から四時間でもたらされた勝利の一報に、議事堂は大混乱だった。真っ先に誤報を疑った議員たちの元に正式な戦闘報告書が届いたのは夜のことだ。カーマの危機は去ったが、別の意味で一様にうなる姿を、たまたまその場にいたヴァリアンテは目撃してしまった。

 噂というものは伝令より早い。翌日には王城のメイドたちまでが、剣位持ちに対して向ける視線の色を変えていた。カーシュラードが打ち立てた戦歴の追加効果だ。

 マレフィカルム司令官とは、特殊部隊の隊長も含めて話しておきたいことがある。議会や師団からの資料は渡したので、夕方には会議の時間を作ってもらえるだろう。遅くとも翌日の昼には帰城したかった。

「第二種警戒中ですか?」

 派遣された特殊部隊隊長のもとへ案内をする兵士に尋ねると、彼は正直に応えるべきかどうか迷うそぶりをみせた。

「ああ、すみません。私は軍人ではないので答えなくて結構です。どうも基地内がピリピリしているから、少し気になったんです」

「申し訳ありません……」

 それは答えられなかったことに対する謝罪か、基地内の雰囲気についてなのか。さすがに、戦時の空気は感じる経験はなかったが、あまりつられないようにしなくては。

 砦から緩衝地帯側へ出ると、乾いた空気が頬をなでた。王都は真冬だが、オベロアンは春のように暖かい。大陸を横断していることを意識する。

 特殊部隊用の天幕は検問所の大門近くに設置されていた。しばらくは国境を閉鎖するので、大門は閉じたままだ。

「お? ヴァリアンテか? なんだってお前さんが」

「やあ、お疲れさま。無事でなにより」

 カーシュラードの部下のひとりが気さくに声をかけてきた。軍人になってから黄玉位を授けられた彼とは、剣位持ちの定期訓練で顔を合わせたことがあった。案内兵を帰して世間話に付き合うことにする。

「まさか直々に指南にきたわけじゃないよな」

「違うけど、どういうこと?」

 男が顎で天幕の奥を指した。黒い軍服の一般兵が、特殊部隊の隊員と木刀を打ち合っていた。稽古をつけているようにみえる。

「……警戒中に、いいの?」

「隊長もここの司令官も駄目って言わないから、いいんだろ。稽古してる奴らはシフト外だし。娼館に行くわけにもいかんから、暇な時間は有意義に使うさ」

 教えにいく側ではあるが軍人ではないヴァリアンテは、警戒態勢の中で訓練をすることの正否がわからない。襲撃から三日しか経過していないのに暢気だと取るべきか、待機時間の有効活用と考えるべきか。

「なんだったら、現役の金剛位指南役が参加してくれてもいいんだが。最近黒羆(バラム)に教えにこないだろ?」

「……君のとこには別の金剛位がいるじゃないか」

「うちの隊長は教官向きじゃないんだよ。あいつは加減をしない」

 ぼやいているようで、男の顔はどこか誇らしげだった。

「その隊長に用があるんだ。そろそろ行くよ」

「……カーシュラードをよろしくな」

「うん?」

 男の言い回しが気になったものの、ヴァリアンテはとぼけた顔をしてみせた。数日前に受け取った信書の文言を思い出す。どうやらカーシュラードは、それなりに部下に愛されているらしい。

「クセルクス部隊長に渡す物と報告があるんだけど、入っていいかな」

 天幕は開かれていた。扉がないのでノックもできないから、姿を見せて声をかけるしかない。

「王国軍総帥、剣聖イラーブルブ・ゼフォンに任命され、使者として参りました。ヴァリアンテ・ゼフォン指南役です。議会からの報告書や関係書類を持参しました。マレフィカルム司令官には先に目通りいただいております。クセルクス隊長にもお時間を割いていただきたい」

 軍式ではなく騎士の礼をとれば、カーシュラード以外の天幕にいた者たちが敬礼で返した。天幕の奥は即席の執務室になっている。無数の簡易椅子は隊員たちのためのものだろう。

「指南役、どうぞお入りください」

 カーシュラードの隣に立っていた副官に促され、同時に天幕内にいた隊員たちが入れ替わりで出ていった。別段いてくれてもかまわないが、呼び止めるのもおかしい気がした。

 ヴァリアンテはカーシュラードの前に進み出て、あらためて最高位の礼に頭を下げた。

「こたびの作戦の成功、良くやってくれた。国王陛下と剣聖より感謝の辞をお伝えするよう言いつかっております」

「もったいないお言葉です。ありがたく頂戴いたします」

 カーシュラードが返礼を返せば、仰々しい挨拶は終わりだ。親しくとも形式はおざなりにできない。本心では抱きしめてしまいたいけれど、それは後に回そう。

「特殊部隊からの報告を受けて、議会が今回の件の決定をまとめた。それがこの報告書。同じ物を司令官にも渡してある。機密文書ではあるけど、部隊内で回覧していいよ。彼らには読む権利があるだろうし」

「頂戴いたします」

 封書を受け取ったカーシュラードは、さっそく封蝋を割る。こちらを見ているが、微妙に視線があわなかった。

 なるほど。

 ヴァリアンテはわずかに瞳を細め、胸中でごちた。椅子を勧めるカーシュラードの副官が視線だけで何かを訴えてくるのを、かすかなうなずきで了承に変える。

「ここの状況を教えてもらっていいかな」

「サムハイン」

 書類から視線を外さず、カーシュラードが副官を呼んだ。

「副官のクウィンデル・サムハインと申します。現在、奇襲に備えて、第二種警戒で魔導師の監視及び騎兵での哨戒を行っています。このまま一週間ほど継続予定です。部隊の損害は修復済みで、隊員の体調を考慮しつつ三交代制で警戒任務にあたっています。一週間後に変化が見受けられないようでしたら、五名を残して王都へ帰還予定であります」

「敵の死体は?」

「昨日午後からと本日午前に、基地から目視できる範囲のみ、魔術使用によって処理いたしました」

「そう。骸骨平原に眠る者が増えたわけだね。特に問題はないから、そのまま続行してください。帰還に転送門を使用するなら、申請書を出せば最優先で処理できるように準備しておく」

「ご配慮痛み入ります」

 サムハインが目礼する。

「詳しいことはそこに書いてあるけど、口頭でも伝えておくよ。レグナヴィーダ様の殿下返上と資産返還は正式に受け入れられた。ヴァマカーラ姫については……、おそらく留学扱いになるだろう。ネディエール公の狂気による職権乱用とスキャンダル。魔神が顕現したけれど、彼はまた遠くへいってしまった。それでも、このカーマを見守ってくださるだろう。そういう筋立てで、近日中に国営新聞でも発表される予定」

「そうですか」

 カーシュラードが顔を上げた。やはり視線は合わない。そのくせ、穏やかな気配を漂わせている。ひどくちぐはぐで危うい印象を受ける。

「ここからはオフレコになるんだけど、黒羆師団の重要ポストが空いているから、一大編成が始まるよ。いまのところ、剣聖が師団長代理を兼任する。たぶん、君の部隊から何人か管理職に引き抜かれると思う」

「それは困りますね。部隊が維持できなくなる」

「その辺、ちゃんと編成委員会に訴えた方がいいよ。特殊部隊と二重所属にしろとか。今の君の意見なら、きっと誰もが耳を貸す」

「僕は処分されるわけじゃないんですか」

「馬鹿なことを言うんじゃない。査問会中座でその日のうちに平定させたんだ。議員連中がぐうの音も出ないって顔で俯いたんだよ。あれは見せてあげたかったな。次の日には、君の部隊は英雄扱いに変わってた」

「危険分子は子飼いにしておくのが得策だと?」

「卑屈だなぁ。そういうパワーゲームがないとは言わないけど、単純に君の信者ができたんじゃない?」

「……まさか」

 途端に半眼になったカーシュラードに、ヴァリアンテは満面の笑みを浮かべてみせた。

「魔神の血のもとにカーマを守ったんだ。堂々と、胸を張って凱旋しておいで」

 凱旋パーティーが開かれることはないけれど、おそらくあの議事堂にいた誰もが、金剛位カーシュラード・クセルクス本来の強さを知った。強者の使いどころと、どう扱うべきかを、嫌でも考え直さなくてはならない。

「ああ、そうだ。特殊部隊に勲章の代わりに報奨金が出るみたいだよ。金額までは知らないけれど」

 戦死者よりも貰える額は少ないだろうけれど、とは言わなかった。元より金で派遣されてきたのではない。軍人として、剣位持ちとして、するべきことをしたのだ。

「僕は辞退するとお伝えください。その分、部下たちに回してくださると幸いです」

「君はそう言うと思ったけど、それは保留にしておく。私としては、もらっておいて、まるごとどこかに寄付することを勧めるよ」

 受け取らないという前例を作ると、後進のためにならない。誰もがカーシュラードのように金銭的に恵まれた環境で育っていないのだ。だが、最終的な判断は彼に任せよう。考えて決めたのなら、口出しする気はない。

「さて、クセルクス部隊長。壁の厚い場所で話したい確認事項があるのだけれど、砦内に執務室は?」

 役職名で呼んで、暗に盗聴されたくない情報があるのだと匂わせると、カーシュラードは漆黒の瞳を細めた。

「隊長、基地内宿舎へお戻りください。こちらは私の方で管理しておきます。司令官との会談時間の調整もお任せください」

 有無を言わせぬ押しの強さに、ヴァリアンテは笑い出したいのを堪えて立ち上がった。

 カーシュラードに先導されて砦内を歩いていると、すれ違う兵士たちからの視線が煩わしい。金剛位がふたりそろえば何事かと勘繰られるのかもしれない。王都ではそれほど気にならなかったけれど、反応の過剰さはここが地方都市だからなのか、それともカーシュラードが打ち立てた戦歴のおかげか。

 国境基地の宿舎部分は防壁を兼任する石壁の中にある。三階奥の数部屋が特殊部隊に与えられているらしい。部隊長のカーシュラードは水回りを完備した個室だった。士官用だがそれほど広くはない。ベッドと書き物机に椅子。クローゼットとチェスト。あるのはそれだけだ。

 扉を閉めて施錠し、盗聴防止の結界を張った途端に、ヴァリアンテは耐えきれずに笑い出した。

「……何ですか?」

 訝しそうに眉根を寄せたカーシュラードが、支給品の茶でも入れようとポットを掴むので、手を添えてチェストの上に戻させた。

「サムハインは使える副官だね。君の部下にしておくにはもったいないと思って」

 ヴァリアンテがこの場所にいるのは、八割がたサムハインのせいだ。彼は報告書に紛れ込ませて、機密性の高い親展処理を利用して私信を送ってきた。

「まあ、サムハインだけじゃなかったみたいだけど」

「何なんですか、いったい」

 不信感を顔中に貼り付けたカーシュラードを追い詰めるべく、ヴァリアンテは距離を詰めた。腰に吊った剣が狭い室内で家具にぶつかる。剣帯を外して、書き物机の上に並べて置いた。

「ヴァリアンテ?」

「手紙が届いたんだ。某部隊長の気が立ってるから、私に力を貸してくれ、ってさ。指揮に問題はないけど、初陣の疲弊は凄まじいから、精神に禍根を残さないように」

 直接何をどうしろ、という希望は書いていなかった。けれど、直接手紙を送ってきたというそれで、正確に意図を読みとることができてしまった。サムハインは、カーシュラードとヴァリアンテの関係が、友情や師弟関係だけではないと予想していたのだろう。例えば、肉体の快楽を伴うような関係だと。

 心配だったのは確かだ。カーシュラードがこの程度でへばるほど弱くないとも思っている。信じているからこそ、放っておいたほうがいいこともある。

 それでも、耐えられなかった。サムハインについて調べたが、彼は文官出身の職業軍人だ。妻子持ちで、年齢はヴァリアンテよりも十歳は上だ。長い経験の中で、凄まじい経験をした者の末路を知っているのかもしれない。

「……まさか。だから、『あなた』が使者として来たんですか。僕がこんな時に私情を挟むようにみえます?」

「利害の一致、かな。私は都合がいいんだ。ヴァマカーラ殿下の親衛隊内定は取り消されていないけど、彼女が王城にいないいま、何の働きもできない。けれどそのおかげで、私はどの派閥にも属していない。剣聖の使いとしてあらゆる部署に干渉できる」

「要するにスパイですか」

「そういうつもりはないけどね」

 嘘はひとつもついていない。この役目を受け入れてよかったと思っている。だって、カーシュラードの顔を見てわかったのだ。たしかにこの年若い剣士は、百数十の血を浴びて心を翳らせている。使者にでもならなければ、強引に会うこともできなかった。

 ヴァリアンテは装備の留め金を外した。ベルトを引き抜いて、葡萄色のコートを脱ぐ。着替えはないから、服は汚したくない。

「王都で話題の特殊部隊の隊長を陥落させられるなら、使者役も悪くないよ」

 唇を舐めながら誘いをかけた瞬間、視界がぶれた。乱暴な仕草で寝台に押し倒される。見上げたカーシュラードの瞳は悋気と憤りに燃えていた。

「……僕以外に色仕掛けをするのは許しませんよ」

「可愛い弟を泣かせるようなことはしないさ」

 それだけは絶対に。元より、セックスで陥落する相手は碌な末路に行き着かない。快楽で情報を売る相手など、利用価値はないのだ。特に、金剛位の騎士を屈服させたいと考えるような男は歪んだ思考の持ち主として、排除すべき対象になる。

 それがわかっているから、身体を使った情報収集をする気はなかった。カーシュラードへの誘いは、彼をわざと激昂させるためだ。そしてそれは成功した。

 カーシュラードは泣けばいいのか笑えばいいのかわからない、というような表情を浮かべていた。

「僕の昂ぶりを鎮めるための生贄扱いされても、気に病まないんですか」

「何とでも。ここで君を見捨てるほうが、耐え難いね」

 伸ばした指で精悍な頬をなぞった。押し倒してくる身体の熱は、戦闘服越しにでも感じられる。

「……すぐできるように、準備してきたんだ」

 確かめてみてよ、と囁けば、カーシュラードは息を飲んだ。漆黒の瞳に獣欲が灯る。優しいセックスでは済まない予感に、ヴァリアンテの腹の奥が痛いほどうずいた。

 いつもなんだかんだ言い訳をしているが、そもそもセックスが好きだ。気持ちがいいことが好きだ。下半身事情の倫理観の緩さは、弟と寝ている事実が裏付けのようなものだろう。

 カーシュラードに迫られるまで男を相手にしたことはなかったが、抱かれる側の快楽にすっかり味を占めてしまった。貪るよりも、貪られる方が、得られる快楽が深い。だから、抱かれる方が好きだ。

 清廉潔白な態度なんて仕事上の仮面のようなものだ。性欲に関して、確かに自分は魔族の眷属だろう。それを馬鹿正直に教えてやる気はないので、年長者としてもう少し手玉に取っていたい。

「ほら、おいで」

 毒のような誘惑で後押しをひとつ。

 カーシュラードはついに理性を手放した。



◇◇◇



 傷のない美しい背中だ。何かを守るように描かれた霊印(シジル)を見下ろして、カーシュラードはうめきを漏らした。満足にはほど遠いけれど、これ以上色に耽ることは許されない。

 穢してしまった背中をタオルで拭ってやれば、ヴァリアンテがくすぐったそうに笑った。加減もできず乱暴に抱いてしまったのに、彼には負担でもなかったのか、ごろりと横臥した。

 顔が見られただけで充分だった。それなのに、あろうことか性欲処理を買って出るだなんて、我が兄ながら頭痛がする。その恩恵にまんまとあずかってしまった己の愚かさと罪悪感は、けれど、ヴァリアンテの満面の笑みを見て霧散した。

「……スッキリした顔してる」

「そりゃあ、まあ、スッキリしましたけど」

「そうじゃなくて、ちょっと酷い顔だったんだよ。殺しに慣れきった暗い目をしてた」

 指摘されて、ああ、と納得した。確かに、腹の奥に暗い何かが居座っていた。戦闘中の記憶が飛んでいるわけじゃないし、全部を覚えている。覚えすぎていると言っていいほど、細部まで覚えていた。

 命を奪うということは、驚くほど簡単だった。刀のひと薙ぎで、あっけなく人を物に変えてしまった。実感はあとで考えればいいと身体の奥に押し込んだ、その反動がきていたのかもしれない。

 暗くて熱い塊の名残はあるけれど、ヴァリアンテのおかげで膿む前に消えてしまったようだ。罪悪感はない。命を奪う罪悪感がなくともいいのだとわかる。国のためという大義と魔族としての血が、正しく身体を巡っている。義務感と使命が魂に熱をくべる。

 そもそも、自分はただのカーマ人より魔族に近い。奪うことを楽しんでしまえるのは、種族としての性質だ。あとはそれを、認めるだけでいい。

「……そう、ですね。スッキリしました。ありがとうございます」

 素直に感謝を伝えると、ヴァリアンテは誇らしげに唇をつり上げた。乱れたアンバーの髪をかき上げる仕草が色っぽい。

「ヴァマカーラ殿下が見た騎兵の件だけど、心配しなくてよさそうだよ。今朝方届いた手紙に、天幕も畳んで姿を消したと書いてあった」

「それは嬉しい情報です。警戒態勢は解きませんが、帰還の憂いがなくなる」

 壁の厚い場所で話したいなんてセックスをするための大義名分かと思えば、本当に密談もあるらしい。カーシュラードは淫らな気配の残る寝台に腰掛け、射精後の倦怠感をやり過ごした。

「……『(マルバス)』が動いたよ」

「それ、本当に存在するんですか?」

 ヴァリアンテの口にした『(マルバス)』は、赤狼(マルコ)師団の秘密部署の通称だ。表に顔を出さず秘密裏に暗躍する部隊がいるらしい、と噂ばかりは流れているけれど、実在するのかどうかはわからない。特にカーシュラードは黒羆師団に所属しているから、他師団の内情を探ろうとすれば他方から反発をくらう。名前だけは聞いたことがあって、けれど、実生活に関わってくるわけでもないので興味も持たずにいた。

「ミネディエンスのタイミングの良さは不思議だろう?」

 ヴァリアンテは疑問には答えなかったけれど、別のヒントをくれた。曖昧に濁した物の形を求めても意味がない。カーシュラードは話題を追わず、彼が話すに任せた。

「自国を売るのは、自国民を殺すより罪が重い」

「それは言えてますね。赤狼が仕事ができるってのは今回でよくわかりました。彼らの働きぶりに期待しましょう」

 レグナヴィーダ殿下の冤罪証拠を調べ上げた件も、きっと掘り起こせば『(マルバス)』が関わっているのかもしれない。けれど、藪をつついたところで何になるだろう。正規の手段で提示された物なのだから、それでいい。

「そのミネディエンスからは何かありました?」

 世間話のように尋ねながら、カーシュラードは寝台を降りた。軍靴も脱がずに事に及んでしまった。戦闘服のズボンが汚れていないことを確かめて、前立てのボタンを留める。シャワーを浴びれば何を勘繰られるかわからないから、着替えは最低限だ。

 バスルームでタオルを濡らして渡すと、ヴァリアンテは大人しく汚れた下肢を拭った。体内に精を残す下手はうたなかったが、そのぶん、散々汚してしまっていた。

 清拭を手伝うかわりに、カーシュラードは床に散らばった衣類を拾った。

「今のところは特にないね。カーマ側からからは、大規模な賊の討伐を行ったこと、それによる国境警備の強化、一時的な通行規制の報告をしてるはず」

 けだるげに起き上がるヴァリアンテの裸を、できるかぎり視界に収めないよう気をつける。スッキリはしたけれど、満足できたわけじゃない。本当は、際限なく貪って指一本動かせなくなるほど快楽に耽りたい。必死に衝動を抑えこんでいるのだから、台無しにしたくなかった。

 シャツに腕を通すヴァリアンテもわかってくれているのか、抱き合う前のあからさまな色香は引っ込めていた。余韻を隠すことはできていないが。

 その余韻もきっと、この部屋を出てしまえば綺麗に消してしまうのだろう。実兄の切り替えのうまさは、ある種の才能だ。

「まぁ、でも、何も言ってこないと思うよ。カーマに対する戦略攻撃だと認めることはないだろう。なんたって、こっちは魔神が顕現したからね。創主の後ろ盾がないままで喧嘩は売れないだろう。自滅したいんじゃないかぎり」

「そう願いますよ。こちらもどこの所属かわからないように、死体は埋める前に焼いておきました」

「見事だね。抜け目なくて助かるよ。正直、いま戦争になれば少し厳しいだろ?」

「そうですね」

 魔神は顕現しているが、魔神がカーマの地を守るとは限らない。公式発表でどう書かれようが、カーシュラードもヴァリアンテも事実を知っている。

 今回の特殊部隊のような戦い方を、連続して行うことは難しい。剣位持ちの力は強力だが有限だ。戦争をするのなら、人的資産をきちんとそろえなくてはならない。

 黒羆師団の主戦力がどれだけ削られているかなど、隣国に知られるわけにはいかない。おそらく今回の襲撃は、本当に弱体化したのか試されたのだ。魔神の脅威に関しては加味されていなかった気がする。情報を流したときには魔神顕現の確証がなかったのか。

「我らが『紅蓮の魔神(インフェルニア)』を引きずり出すほどの戦力で挑まれるとどうなるか……」

「だからこそ『(マルバス)』に頑張ってもらわないとね」

 下着を履いたヴァリアンテが、彼には珍しく嗜虐的な笑みを浮かべた。同感だ。そして、穏やかそうにみえて国のことになると悪魔のように微笑む彼が、たまらなく愛おしかった。

 触れないでおこうと思ったのに衝動を抑えきれない。ヴァリアンテが好きだ。彼を愛している。カーシュラードは力尽くでヴァリアンテの腰を引き寄せ、噛みつくようにくちづけた。

「んッ、んぅ……!」

 不満げな嬌声が狭い室内に響く。舌を絡めて言葉まで奪い、華奢な身体をめちゃくちゃに抱きしめた。汗と精の匂いがたまらない。もう一度彼の中に潜り込めるのなら、これ以上ないほど幸福なのに。

 そんな、どうしようもない激情を沈めたのは、堂々としたノックの音だった。

「……時間切れですね」

 盛大にリップ音を響かせ、キスを終わらせる。背中を叩かれ、笑いを返した。急いでインナーシャツを着たカーシュラードは、身体で室内を隠すようにドアを細く開けた。

 案の定というべきか、ノックをしたのはサムハインだ。彼は室内を覗きこまないよう、背を向けて立っていた。

「会談は三十五分後からになります」

「わかりました。直接司令官室へ向かっても?」

「問題ありません。必要な資料は私が持参いたします。それと、よろしければこちらを」

 さりげなさを装って渡されたものは、コーヒーの入ったポットだった。香ばしさが鼻をくすぐる。カップはふたつだ。

「……その、色々と、すまない。感謝します」

「何のことか存じ上げませんが、お言葉はありがたく頂戴いたします」

 弱みを握られたわけでも、恩を着せられたわけでもない。知らぬ存ぜぬを貫き通すサムハインは、ヴァリアンテの言うように、自分にはもったいないくらいの副官だ。

 カーシュラードは、もし今後自分の地位が引き上がったら、何が何でもこの副官を一緒に連れて行こうと決意した。



◇◇◇



 カーシュラード率いる特殊部隊の全員が王都へ帰還する前に、死体がひとつ、王都を流れる川から引き上げられた。評議会議員の泥酔による転落事故での水死、という記事が新聞に小さく載った。

 だが、それが今回の一連の事件と結びつける要因は何ひとつなく、人々の脳裏に疑問が浮かぶこともないまま、歴史の闇に消えた。


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