2036年3月13日、全日空NH9便・座席番号B3F 〜その3
突然に代替された機械の身体の操作の難しさは、一般的には義肢などのマニピュレーター制御面だけ注目されがちだ。しかし、実は口(口唇や頬周り)はもっと難しかったりする。私が目を覚めた直後に喋ろうとすると、口周りが全くと言って良いほどに随意に動いてくれなかった。
その時は擬体になったことすら気が付いていなかったので、訳が分からなかったが、最近になって過去ログを見直してみると・・・人口筋肉は顎と上手く同調せずにモゴモゴとぎごちなく動き、喉の奥に搭載された人口声帯は壊滅的なまでに狂った音程でしか発声できない。
もう、それを思い出すだけで死にたくなるほど恥ずかしい。
戸惑っていると、突然に口周りの可動部がまったく不随意になり、それとほぼ同時に喋りたい言葉が滑舌の良い発声で病室内に響き渡り始めた。自分の口は動いてないのにどこからともなく自分の肉声らしい「音」が聞こえる。本当に気味が悪かった。
実はそれこそが全身サイボーグ化された患者の「コンシェルツ」とされる「第二小脳」の初仕事だったのだ。発声器官の不具合を検知して、バックアップ機材を自力で探して患者の意図に可能な限り沿う形で代行する権限がデフォルト設定では付与されている所以だ。
第二小脳の作業は具体的には脳から発せられた命令を解析→スレイブ状態にあった身近な外部スピーカーに無線接続→意志を文字に置き換え→音声形式に変換出力だったに違いない。
なお、人工声帯はまだ高品位領域でのアナログ/デジタル変換(A/D変換)が達成されていない人工部位なので、患者が目覚めてから細かい調整を施してからリハビリを必要としているそうだ。特に、耳に搭載された音感センサーで聞いて違和感ない様に調整しないと、「機械の身体と生身の心の不同期」というストレス障害が出やすいのだとか。
また人工部位の中ではもっとも操作技術の幅が深く、設計者には想像もできないような発声をできる人もいると言う。アサマ先生の話では、私と同型の人工声帯を使用して生身では発声できない領域もカバーできるそうだ。
名前を忘れたイタリア人の歌手は肉声の時は二流止まりだったのだが、人工声帯移植後は世界を股に掛ける人気を獲得してアイチューン・ストアーの音楽ファイルの売り上げも歴代20位を記録したと聞いた。サイボーグ化によって開かれた未来、ポジティブな一面もあるという良い例らしい。
しかし、その時の私に用意されていたイベントはあまりに過密スケジュールで、自分を取り巻く新しい環境を深く推測する時間は用意されていなかった。
医療チームが待ちかねていたように視覚と聴覚の動作チェック作業を始めた。仕方なく、両親が離れて見守る状況下、訳の分からない質問に謎の室内スピーカーから発生する声で答え続けた。それが終わると「規定を大幅に上回る数値による稼働を確認」とだけ評価を下した。技術者っぽい誰かが力強くサムアップすると、今までたくさんいた医療チームはアサマ先生を除く全員が病室から去った。
続けて病室に入って来たのは代替治療専門カウンセラーだった。彼女は私に目の高さをわざわざ合わせてから、私が知らない私の現状をゆっくりと、優しくかみ砕いて、さらに手短に説明してくれた。
一方、私は彼女の口から出てくる一言一言を自分の聴覚、というかというか感音センサーで捉えて、直感的に理解した。
どうやらこの人が話すことは冗談や嘘ではないと。私は2ヶ月前にすでに肉体をすべて失っていて、今や脳だけがこの新しい機械の身体の中に残されているだけのはかない存在に成り果てたのだ。
実はこういう「情報」は私が覚醒する前に脳に直接書き込んで目覚めると理解させておくこともできた。第二小脳内のストレージスペース経由で脳の認識野の浅い階層に「新しい常識」とタグを付けて流し込むという『上階層記憶情報の同期』と呼ばれる技術だ。
しかし、こういう誰もが一瞬で絶望できて、ついつい高層ビルの屋上から地上に向けてダイブしたくなる第一級の危険情報は、患者自身が経験上慣れ親しんだ認識方法を通じて情報に接して、さらに心の中で事故を追体験しない限り心の整理が付かない事案なのだろう。
とにかく、患者が不都合な事実を全力で受け止める努力を発揮する方向に誘導するのが、代替治療カウンセラーの役目なのだ。そして、場合によっては事実を認識する恐怖を和らげたり、揺れる心の支えになるというのが彼女に期待されるパフォーマンスであったに違いない。
こういう情報伝達の段階を省いて機械化された身体のブート作業を急ぐと、退院後に容易にパニック障害を発症したり、心の闇に支配されて反社会的衝動に捕らわれ続ける潜在的テロリストになったりする傾向が増すと統計で明らかになっている。
しっかりと生身の脳だけで受け止めて、ゆっくりとかみ砕いて理解するのが定められた治療コースの一環なのだそうだ。
とにかく、こうしないとパニックを起こしてトラウマを抱えたり、最悪その場で自殺を試みるケースも起こりうると後で聞いた。
で、私はそう言う配慮がキチンとした施されたおかげか、取り乱すことなく現状を受け入れてしまった(比較的冷静にという意味)。ただし、開いた口は最期まで閉じられなかったそうだが。しかし、家族の話に依ればそれだけが私が見せて動揺を垣間見せた片鱗だったそうだ。
後で家族から聞いたのだが、彼らは事前にレクチャーを受けて覚醒直後に私が泣き出したり、暴れ出したりしてもそれが普通の反応なので驚く必要はないと説明されていた。例えば、身体を確認するため急な運動を試みるものの、まだリハビリ前でまともに操縦できないことから・・・ベッドの上で泳いだり這いずり回ったり反応があっても「するがままにさせておく様に」と厳命されていたそうだ(これは多分、本当は覚醒と直後に暴れ出すのを防ぐためにわざと義肢の操縦を困難にしてあるんじゃないかと私は疑っている)。
そんな事情で、家族は、いやスリガラスの向こうから私の反応を観察していた医療チームも、私の脳が「想定以上の損傷が原因で知能障害を起こして理解不能に陥っているのではないか」と連想してざわつき始めていた。また、知能障害を起こしていない場合でも、強いショックを受けて感情が一時的に凍り付く『現実認識拒否症状』に陥るケースも珍しくない。そこで頭部に内臓されていたホルモン分泌機能の調整の検討を始める始末だったとか。
酷い話である。どんな散々な状況だって認めるしかないのだ。認めなければ誰かが散々な状況を無かったことにしてくれるというのか・・・と医療チーム全員を正座させて小一時間ばかり問い詰めたい気分である。その考えは治療が完了した今でも変わらないぞ。
しかし、「さすがはアサマ先生!」と言いたい。彼だけはモニターに表示され続けていた生体モニターのホルモン分泌のバランス・シートから私の心情を正確に把握してくれていた。おかげでホルモン分泌による私の躁鬱制御は密かに回避されたのだった。
まあ、私自身にとっても達観して自分の置かれた状況を納得出来たことは意外だった。私はもっと心の脆い人間で、取り乱して、誰かに責任をなすりつけて泣きわめくのが相当だったと今でも思う。アサマ先生が教えてくれた日本の格言の様に、私が新しく獲得した『機械の心臓』には毛が生えていたんじゃないかとは冗談を言うけど、それも違う。
今はこう思うんだ。
私が機械の身体の中に入って・・・初めて世界を再認識した時、それはまず視覚から始まっていた。私の視界は最初に私を取り囲む家族の顔を捉えた。そして次は、私の顔を覗き込んでしきりに何かを訴えて私を取り囲んでいる家族達の隙間から白いカーテンが見えた。私は家族よりもカーテンに気を取られているとカーテンの裏に窓があることに気付いた。そのカーテンを凝視していると風がカーテンを少しだけ動かした。その弾みでカーテンの隙間が出来て、そこから真っ青な空がチラリちらりと見えたんだ。
そしてこう感じて、思えたんだ。
「この世界はやはり美しい。私は帰って来れたんだな」
その時、私はどう言う訳か長く続いた苦難を乗り越えて何とか生還を果たしたことを自覚していた。まるで勇者が褒美として与えられるような深い感銘に私の心は震えていた。だから、ちょっと前まで私の手を引いて前を歩いていてくれた誰かに感謝を伝えなければいけないと直感していた。
私はどういうわけか私を取り囲む環境が、実は何一つ変わりようが無いほどに強固な常識という城壁で守られていると知っていた。そして、何事もそれを観測する自分の価値観次第だと悟っていた。それがどうやって獲得した価値観なのかは未だに不明だが、魂の根本にそれが焼き付いたのだ。
いや、誰かに焼き付けられていたのだろうか? 私に寄り添っていてくれたはずの誰かがいたのは確かなのだ。それが誰かは明白な筈だった。しかし、完全に覚醒してしまうと同時にそれが誰だったのかさっぱり思い出せない。そして、今ではそれが実在しかのかもあやふやになりつつある。
この行き場のない感謝をどうしたら良いのだろう?
主治医のアサマ先生に相談してみると「夢というのはそういうものだよ」と万能の回答で諭されてしまった。しかし、私は後ろを向く直前に、先にも後にも見たことも無いような本物の笑顔をしていたのを見てしまった。そして「何故かそれが誰か先生には心当たりがあるんだろう」と直感した。でも、それを私が知るには早すぎるとも悟らされてしまった。
だから、それからの私は顔も声も名前も分からない誰かに感謝を伝えたいという使命感に支えられて世界への復帰する準備を重ねていくこととなった。それを考えていると日常で感じる新しい身体由来のトラブルの連続は本当に矮小なイベントでしかないと再認識を繰り返せるようになった。
兎にも角にも、その流れのおかげで『(サイボーグとなった)これからの生活は、きっと(生身だった)今まで生活と比べてもそう大きく変わることはない』という主治医の言葉に共感するに至ってしまったのだ。
事実、全身が機械に代わった後でも『私』はまったく変わらなかった。私の根幹がとか、私の尊厳がとかいう魂を語るような哲学的なレベルの話ではない。逆説で言うなら本当に「どうしても変われなかった」のだ。
私という個性は少しも知性的にならなかったし、品が良くなったりもしなかった。機械の身体と充実した思考支援機能があればもう少し冷徹な思考をもたらして然るべき想定していた。だから、十代の多感な感受性を刺激して、生身を懐かしんでペシミスト的な影のある人生に目覚めることも一切無かった。
次から次へと繰り返される日常へ対処し続ける忙しさの前には、生身と機械の違いなど選別して悩む暇もないほどに忙殺されてしまったからだ。
人間の悩みは暇がもたらす自家中毒であるのかも知れない。暇という余裕を失うと目の前の問題に集中する余り、その他をすべて些細なこととして認識・認定の作業すら永遠に先送りし続けてしまうのだ。
疲れれば眠くなるし、眠り過ぎれば夜には眠り付けずに寝返りを打ち続けて、結局は遅寝になって朝寝坊するはめに。
カッコイイ男の子を目にすればもう無くなってしまったはずの身体の芯にある何が熱くなった。
嘘をつく時に鼻を触る癖もぜんぜんそのまま受け継がれていた。
せめて、難しい本を手にして5分で眠ってしまう怠慢さだけは解消していて欲しかった。
新しい身体の中で目覚めてからほんの一瞬と言う短い間だけ、心の支えにしていた『この世界の美しさを再確認したドラマ』など、今思えば何とも薄い根拠の上に建てられた楽観という構造建築物だったと理解している。しかし、それでも、結果良ければすべてオーライだ。実際、あのときの私の立場ではそれを信じて一歩一歩前進する以外に選択肢が残されていなかったのだから。
そうやって私は生身の肉体を持っていた頃の常識をどんどん忘れて、新しい機械の身体にずんずんと慣れていった。まあ、そうやって一歩一歩前進する以外に選択肢が残されていなかったのだから、つまり仮に悩んで遠回りしてもこれに行き着くしか無いのだから、最初から至高の真理を得られたことは僥倖だろう。
世紀をまたいで今でも放送しているTVドラマ「スタートレック」のボーグの言葉は真理だ。曰く「抵抗は無駄だ!」。
ただ、生まれたままの肉体を失ったことに『何の喪失感もなかった』とは誤解されたくはない。『私の身体はもうないのか』と現実の再認識を繰り返す度にどういう訳か胸が痛くなった。サイボーグなのに架空の痛みに胸を締め付けられて眠れない夜を繰り返したりもした。そして両親からせっかく素敵な身体に育てて貰ったのに、それを永遠に失ってしまったことに申し訳が立たないと激しく後悔を重ねたのだ。
なお、実は生身はまだ完全には失われていないそうだ。今後の私が必要になるかも知れない遺伝子情報などをストックするために、専業の施設できっちりと保存されているそうだ(これを知ったのはつい最近のことなのだけれど)。
生身の長期保存はまだまだ確立中の技術で成功率は100%には遠く及ばない。生身の体質がうまく施設に適合しないと自然に壊死してしまったり、感染症で死滅してしまったり、最悪の場合は楽天的な数値を見せていながら、安定化する直前に癌化に陥る。だから、非適合者の場合は医師の独断で遺伝子サンプルとして卵巣などの重要臓器を優先して冷凍保存に切り替えるそうだ(脳などの生体核を抜かれた肉体は日本の法律では人権を伴っていないからモノとして取り扱われる)。
私の場合は高度な適合者であると転院前から判明してた。それでも成功率は100%とは言えないので、生身の保存が安定期に入るまで生身の保存に関する情報は患者には秘匿されていたそうだ(適合者でないとリハビリ中に判明した場合は情報公開が患者に二度目の喪失感を与えかねないと言う配慮だ)。
目覚めてからの一ヶ月間は生体的な安定度チェック(残った生体部位への感染症の有無と免疫機構の強弱)、さらに擬体側の作動チェック(主にサーボやセンサーの反応速度やファームウェアやドライバー同士の相性)に費やされた。
すべてが問題なしと判断されてから『擬体』のリハビリ・プログラムがやっと開始された。
その頃に看護師さんに教えて貰ったのだが、日本では全身機械化された身体を単に『サイボーグ』とは呼ばず『擬体』と呼ぶのが一般的なのだそうだ。
脳と機械化した身体は全くの別物として認知されているそうだ。
人権や尊厳は脳に宿る。そして脳が機械化した身体に宿る。機械化した身体は脳を受け止める器である。そして脳を受け止める器のことは『擬体』と呼ぶらしい。意味は『身体擬き(からだもどき)』、本体の生身とだいたい似た様なもの、またはそれになぞらえて作られたものという意味だそうだ。
また、脳が宿っている『擬体』のことは『擬体者』や『擬体保持者』と呼ぶのが一般的(共通の概念)なんだとか。
なお、腕や足の単体を機械化した場合は単に『義手』や『義足』の保持者、内臓器官などを機械化した場合は『人工臓器受容者』や『人工臓器レシピエント』と呼ぶそうだけだ(この時代では、他人からの生体臓器移植治療の割合はかなり減っている)。つまり、全身機械化治療以外は日本においては別に特殊なことでもないので、行動制限は物理的・理論的なものしかない。一方、公的な配慮も健康保険適用率や税制上の控除など・・・本当に最低限しか受けられないそうだ(これには治療を受けた人々に自立を促す一面もあるとか)。
法律で定められた割合以上に肉体を欠損を人工物で補ったが故に、生まれて育った国から国籍を剥奪されて傷心真っ只中な私にとって、日本のサイボーグ文化はあまりにまぶしくて目が眩みそうになる。おそらく人間と人形を区別することなく愛でる国民性と、一神教独特の押しつけがましい歴史(今思えばだけど)から自由な海に浮かぶ島国だから育むことの出来た鷹揚さが基本原理にあるに違いない。
そう言えばアサマ先生が言っていたな。「擬体研究の技術的なゴールは神を宿せる『鳥居』的な器を作り上げること」なんだとか。私にはまだ良く分からない日本人独特の価値観がそこにあるんだろうな。
で神ならぬ私が最初に宿ったまだまだ完成途上の技術で構成された擬体は、取り扱いが一番楽という理由で身長約160センチという少女規格のものだった(長い手足はバランスだけでなく、慣れないと取り回しに失敗して周辺の環境を破壊する事故が起こりやすいので上級者向けなのだそうだ)。これは外観が14〜17歳程度に調整できるもの、つまり第二次性徴期真っ只中の特徴を豊富に取り込まれた造形美が特徴だ。擬体保持者だけでなく、一般人にも受けが良いことから擬体市場でも大人気なモデルだという(年齢や性別を問わない需要があるモデルなのだそうだ)。
そんな事情で各工場の生産ラインが常に稼働していることから、ユーザーからもたらされる豊富なレスポンス(大半は苦情)に対応するため、アップデート(ソフトやドライバーだけでなく骨格そのもの構造などすべて)がもっとも頻繁に行われている。
また、擬体のメイテナンス用の消耗品も広い地域で入手可能なので、大規模災害時のサバイバビリティーが最も高いというメリットもある。
以上二段分の情報は100%がアサマ先生からの受け売りだ。私もそれらは十分に納得しているが・・・規格の選択では半分くらいは先生の個人的な趣味も入っているのでないかと疑っていたりする。
アサマ先生は「リハビリを開始する前であれば擬体の変更も可能だ」と言ってくれたがそれは断った。その擬体が本来の私の年齢や身体のサイズも偶然に同じだっただけでなく、何となく愛着が湧いてきていたからだ(アサマ先生が初めて私を目にしたときは、私の元の身長など推測できるような状態ではなく生理用食塩水ベースの液体が満たされた治療槽に浮く肉塊に過ぎなかったらしいので、これは本当に偶然の一致だと思う)。
実際、以前の私の顔をモデルとして再現された新しい顔が気に入っていた。三次元化(立体化)してくれたデザイナーの配慮でちょっと悩んでいたソバカスが消えて、左右微妙に大きさが異なっていた目も好みの右側のそれに統一されていたし。
それからやや高すぎると鏡越しに睨んでいた鼻も「こうであってくれたら良かったのに」と考えていたくらい理想的なサイズでモデリングされていたのが素敵だった(これは後になってからリハビリ初期の転倒事故などに備えた対物衝撃仕様で退院直前に調整と修正が予定されていたと知った。もちろん修正は断った)。
リハビリは順調に進んだ。過去の例と比較すると最短記録にプラスアルファーという日程で「擬体を操作して日常生活」を取り戻るレベルに到達したと判断された。
その一方で、中身の人間には備わっていない、擬体独自の後天的に付け加えられた「拡張機能系」の操作は平均以上の期間を費やすこととなった。
擬体保持者になると生体脳から出入りする信号が100%A/D変換されているため、擬体操作の応用で仮想空間での人間的な活動=直感的な操作ができる。これはデフォルト機能で、初期の擬体では失った人間的な機能を仮想空間での処理を通じて補う目的で搭載が始まったそうだ。
今では一般市場で流通する商用レベル擬体であっても感受性能はスペック的には生身に拮抗するほどに上昇し、さらに軍用レベルでは生身を遥かに超えると言われるほどに進歩を果たしている。そこで、余剰となった仮想空間対応機能はここ10年は仮想空間適応方面にシフトされつつあった。
今までキーボード、マウス、タッチ液晶モニターで行っていた操作を意識がインターフェイスを経由せず動作させたり、サイバー空間へ接続して意識をダイブするというSFチックな非現実感いっぱいの機能だ。これが欲しくて生身のままでも第二小脳だけ移植する富裕層のサイバー・マニアも増加中だと聞く(ただし健康保険が適用されないのですべて実費でまかなう必要がある)。
で、私は擬体保持者でありながら、その拡張機能とどうしても折り合いが付かなかった。
そう、折り合いが付かないだけで「苦手」とか「使いこなせない」と言うのとはちょっと違う。操作作業そのものは問題なく行えるのだが、その操作感を生理的に受け入れられないのだ。何というか・・・嫌いな昆虫に無理矢理に触らせられるかのような及び腰になってしまう。
私以外の世界的も万の単位の人たちが問題なく活用しているインターフェイスに原因があるわけではなさそうだ。どうやら私の人格形成のかなり深い部分に根ざした嫌悪感や拒否感を刺激してしまうのだろうとアサマ先生は推測していた。
このあたりは身体のどこも機械化されていない=生身のサイバネティクス医師には感覚的に捉えづらい分野であり、今後に発展が望まれているとか言っていたな。きっと世代が進んで擬体保持者のサイバネティクス医師が第一線で研究する様になれば状況も変わるに違いない。
そんなわけで拡張機能系へのプライマリー・アクセスはすべてを第二小脳経由でしか行えないようにプライバシー設定をしてもらった。一応、私の精神または第二小脳が何かしらの非常事態と判断(認識、判定)した場合はプライバシー設定を即時に自動解除する条件付けは先生のアドバイスに従って加えた。まあ、そんなことはあり得ないだろうけど。
拡張機能系ともそういう方法で折り合いを付けられたので、私は退院の許可が出て外来患者へとステップアップした。と言っても長期療養用の宿泊施設へ移っただけなのだが。しかし、それでも外出許可が出るようになったことは画期的なことだ。
私はその後も病院に通って擬体のリハビリ、調整、学習を続けた。やがて、第二小脳の積極的な補正なしで一般的な生活が送れるほどに擬体を正確に操れるようになった。どうやら私は後半にスパートが掛かるタイプらしく、最初は苦労していたマニピュレーターの同時操作などに不可欠なバランス感を突然に発揮し始めた。
擬体メーカーの人たちはそれを見て驚いた。脳の神経系がどうやら機械化された四肢や擬体を自分のものと認めたことが要因と推測されるらしい。彼らの話ではそういう患者は少ないらしく、擬体の効率的な開発にそういう珍しい人材は可能な限り多く試験者として確保したいんだそうだ。
「合衆国に帰国しないで多腕歩行工作機や潜水ドローンの操縦士を目指して見てはどうだろう? 良ければ技研の方に話を通すよ」
彼らは半分本気で退院後のキャリアをオファーをしてくれた。しかしそれは有り難く辞退させてもらった。だって早くホームタウンに帰りたかったから(思えば儚い希望だったなあ)。
アサマ先生も私の進歩の早さには驚いて、私の擬体への適応化の記録を特異な実証例としてライブラリーに加えさせて欲しい打診してくれた。それが擬体のメインテナンスやアップデートが優先的に行うために近道であり、開発者の目に止まれば「試作レベルのワンオフの最先端品のモニターにもなれる」という。
私は即答でそれを承諾した。
何と言っても擬体というのは日進月歩の技術であるらしいし、私自身も擬体の持つ可能性に対して深い興味を抱いている。何時の日かメンテナンスフリーの有機質だけで構成された義手や義足が開発されるのかも知れないと考えると、楽しみで仕方がない。
擬体に宿ってから約1年をまるまるリハビリに費やした結果、私の擬体の操作術は精密度の分野に限ってだがメーカーや研究者が注目するレベルにまで達した。
第二小脳のソフトウェアによる制御支援無しで、難易度Aクラスの「折り紙」や「あやとり」ができるようになったのだ。また、サイボーグがもっとも苦手としている、包丁を使った林檎の皮むきやキャベツの千切りの様な極めて難易度の高いタスクもそつなくこなせるようになった。
料理などの刃物を扱う作業は随意操作ではなく、第二小脳の内部記憶スペースに予めインストールされているソフトウェア制御という不随意操作でまかなっているのが一般的だと聞いてる。私はその常識を覆すことに成功したのだ。これはこれで小さな革命だ、とアサマ先生も褒めてくれた。
リハビリに励んでいる頃は知らなかったが、退院後に参加した擬体セミナーの座学で「義手や義足の随意操作による刃物の取り扱い」を法律的に制限する国や地方自治体が圧倒的に多いことを学ばされた。表向きは義手や義足の誤操作・誤作動による事故から使用者を保護すると謳われているが、実際の所は義手や義足を使用した暴力・犯罪を予防する処置であることは明白だ。
その手の制限の根拠も分からないことはない。生身よりも強い力と素早い反応を原理的に引き出せる擬体を利用した刃物による攻撃に曝されたら一般人には回避しようがない。例え、特殊技能を習得した軍人や格闘家でも無い限りは決して無傷では済まない。
特に犯罪組織や軍関係組織であればハッキングによって擬体のリミッター解除も不可能ではなく、その際は生身の人間なら威力の大きな銃器を使用しない限り制圧は不可能だろう。そして、もし擬体保持者が同等の銃器を持ち出した場合は警察力による対応を諦めて、軍の治安出動を依頼するレベルの大事件となってしまうことは疑いようもない。
先進国においてはこのような大規模なサイボーグ犯罪は発生していない。しかし、それを「まだ発生していないだけだ」と主張する社会勢力は確実に存在する。少なくとも西洋ではサイボーグの人権への配慮という考えに至るには、社会システム上の問題もあってサイボーグに対する知識や経験の不足が著しい。
そしてそれは明らかに無知を生み、それゆえにサイボーグへの組織だった社会的偏見も根強い。トランスジェンダーなどにはあれほど寛容でありながら、訳あって身体を機械化した者に対しては「前世の報い」的な理不尽な落ち度を指摘されることも珍しくない。
おそらく、自らを健常者であると信じる者達は私たちを「チャレンジング・ピープル」と呼ぶことを拒否して「ハンディーキャップト・ピープル」と呼ぶのがふさわしいとしているのだろう。
この種のサイボーグに対する無用な警戒や不当な差別は巷に溢れている。それは古今東西の共通事項で、一つの文化として適当に受け流してくれるのは先進国や中進国の間では、日本を中心とした非西欧文明圏という極めて狭い世界に限られる。
私は義手や義足という部分的なサイボーグ化ところか、義肢に動作を命じる神経系すら機械化される全身サイボーグである。きっと学校の同級生の中で幾人かは私のことを悪魔呼ばわりしたり、または人権を失った物として取り扱う様な価値観の持ち主もいることは疑いない。そうでない友達達であっても、今の私のことを知ったら卒倒して一晩悩みまくるに違いない。
だからと言って鬱になっても何も解決しない。何故ならそれ以外に私が生き返る方法がなかったのだから。アサマ先生曰く、
「他の選択の余地もない人間が一番強い」
それから、
「崖っぷちに立った時に頑張らないなら何時頑張る?」
だそうだ。
そうそう、肘関節部から先だけでも機械化部位を有する場合、多くの国で公的機関や社会的組織が開催する大規模イベント、特に宗教儀式へ参加する場合は事前の申請が求められる場合が多い。そして、多くの申請者が参加の自粛が求められる場合が多い。
仮に、求められた自粛を無視して入場を強行しようとすると、会場入り口に備え付けられた対人センサーのサイレンがけたたましく鳴ることになる。すぐに軽武装した慇懃無礼な警備員が集まって来て再度自粛を強要されることなる(彼らの強要は広義では自粛に当たるそうだが、法律の素人の私には武力排除としか思えない)。
その強制自粛による警備が正当性の根拠とするのは、はるか昔にテロリストが義手や義足に爆弾を隠し持って自爆テロを実行したという事件があったということだそうだ。
現在では同じ手が通用する筈も無なく、警備の専門家達もそういったテロの実行の可能性は著しく低くいことを認めている。しかし、管理側はそれを良しとせず独自見解を貫いて四半世紀以上が経過しているそうだ。
件のテロ事件はサイボーグが一般化する前の惨事であり、当時の義手や義足は動力やセンサーがまったく搭載されていなかったために中身がスカスカだから爆弾を入れるスペースがあったから可能だったのだ。しかし今では義手や義足には原動力ユニット、サスペション、センサー、予備電源など所狭しと詰め込まれているので、そこに爆発物を含む何かを新たに追加する余裕はあり得ない。
しかも義手義足が片側だけの場合、重量だけでなく配分までを生身に合わせる必要があるのでその場のやっつけ仕事による改造は不可能だ。設計を無視してイレギュラーなものを押し込んだら・・・全身サイボーグなら重量配分が崩れてバランサーの許容量を超えてしまう。
それでは明らかに怪しい歩き方しかできないため、結果として警備員の目を引くと言う、テロリスト側にとってもっとも都合の悪い事態を招きかねない。また、重量配分の狂った義手・義足に振り回されて、その義肢保持者は高確率でその晩は腰痛や関節痛に苛まれることになるだろう(その点は自爆テロ犯なら心配するべきデメリットじゃないかも)。
実は、強制自粛の処置はテロ対策の一環の『一時的な処置』として導入された経緯がある。そしてそれから早10年もの間一時的な処置が継続されている。そして、この無茶なセキュリティー対策の解除の兆しは全くない。何故ならまったく議論されていないからだ。
議論を差し止めている主な勢力は各種宗教団体・・・特に聖職者協会だそうだ。何時の頃からか古今東西の彼らは宗教の枠を超えてサイボーグを敵視することにかけては団結している。
宗教・宗派・分派を乗り越えて団結を実現した彼ら曰く
ー神から与えられた肉体を機械で代用するのは神への冒涜である。
ー神からの愛を受けるに相応しい器とは生身の肉体以外にありえない。
だそうだ。
そして彼らの聖なる主張はさらに続く。
ー神は人形を愛さない。
ーサイボーグはもっとも神を愚弄する偶像崇拝に他ならない。
と個人的な談話なら究極のヘイトスピーチを躊躇わない。
一方、先進国共通の合理性が求められる法律的概念では『サイボーグであっても生身の人間と基本的人権に一切差が生じてはならない』と宣言されている。これは良くも悪くも人権大国と言われる母国・合衆国が主導して国際連合などの国際組織で揃って採択された第二人権宣言だ。
だが、彼らの配慮はサイボーグ化治療を受けた民間人に及ぶことはない。彼らが危惧しているのは万の単位で存在する傷痍軍人とその家族達の人権だけだった。だから、政治と宗教は互いに妥協して適当な落としどころを見つけた。
政治の縄張りは公人。宗教の縄張りは一般人。つまり宗教は公務で傷を負ってサイボーグ化された者の宗教的な罪は問わない。代わりに一般人のサイボーグ化は教義の敵としてヒステリックに叩いても政治家は見て見ぬふりをする。
政治は今のところはそれで良しと納得した。国策の犠牲となった傷痍軍人達の立場を確保し、生身の兵士達には「戦場で重篤な戦傷を負ってもサイボーグとして社会復帰できるからお国のために存分に戦って来い!」と説ければ十分と判断したのだ。
最後に、義手義足擬体を取り扱い特定産業界もその暗黙の合意を支持した。この手打ちで十分な利益が確保できたと判断したからだ。あまりに利益を追求して突き過ぎると藪から蛇を出しかねないと言う見事な政治的判断を下した様だ。
先に古今東西の聖職者達はサイボーグを敵視して団結していると書いた。しかしながら、ゴシップネタによれば宗教的指導者の中にも体内部位に限ってはサイボーグ化治療を受けたと疑われている元患者達が多数存在している。
時々、聞いたことのないようなジャーナリスト・グループや弁護士団体が「○○○○Belief」とか覚えやすい名称を付けた秘密文書を入手したと宣言している。その中に「○○○○諸島の○○○○病院でサイボーグ化治療を受けた患者リストの中に○○○○枢機卿」の名前を見つけた!」や「○○○○議員」、さらに「評論家の○○○○氏」などが含まれている、と言う。
基本的に出所が「bona fide holders」であり、最後まで明らかにされないのがお約束だ。ほとんどの情報が本業で食いっぱぐれた人達による売名行為のフェイクだろうが、中には信憑性が高いとされるBeliefもある。
しかし、それに対する説明責任を果たした権力者は皆無だ。何故なら、そういうissueは「プライベート」という強大無比な城壁で守られていて、指導力や影響力が喪失しない限りは無視できる。どれほど怪しくても最後まで表だって追求されることはない。
実際、埋葬シーンだけが親族以外に公開されない権力者の葬式も増えてきた。それならば生前から不都合な事実を公開してしまえばと思うのだが、それは素人の浅はかさだと・・・さっき機内で読み終えたゴシップ誌が教えてくれた。
サイボーグ化治療を受けるということは、今では特に宗教界ではその人物が長い年月をかけて築いてきたキャリアのすべてを失いかねない致命的なスキャンダルなのだそうだ。まあ、そうだろう。サイボーグ化された人物が「サイボーグはもっとも神を愚弄する偶像崇拝に他ならない」などと信者を指導するのは具合が悪い。
本質はサイボーグ化がどうこうという宗教的な話ではなく、立身出世を渇望する野心的な聖職者が自分より有力なライバルを蹴落とすための手段=政治的な武器としてアンチ・サイボーグ的な見識が普及し始めた。最初はあくまでそれを神に対する不祥事として利用していだだけだった。
しかし、その後にヒステリックな論争が起こって手段と目的がひっくり返ってしまったと分析されているらしい(確かに状況証拠に依れば限りなく黒と推測できる)。
この件での真実を特定する資格があるのは、そんな複雑な裏事情に絡め取られた人生の完遂を迫られている坊主達だけに違いない。しがないサイボーグの一人である私は、そんなことよりも先に死後に入る墓を探す方を優先するべきだろう。つまり、一度こじれてしまった論争は世紀を超えても収まらないことは歴史的事実の繰り返しで証明されているからだ。
蛇足になるが、国際会議など不特定多数の人々が多数集まるイベントへ参加は禁止されていないが、サイボーグである場合義手・義足など機械化パーツ仕様の事前申請が望ましいそうだ。どうやらお断りではないが歓迎もされていないらしい。




