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天の魚、地の翼。  作者: すにた
第一章「起」
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2036年3月13日、全日空NH9便・座席番号B3F 〜その2

 腹立たしいと言えば・・・第二小脳なんかに不満をぶつけている場合ではなかった(足の小指を椅子の角にぶつけて凄い痛みでのたうち回った後に、自分の足に対して悲劇の責任問題を追求するのと同じくらいに不毛な気がしてきたし)。あのサンフランシスコ国際空港の入国審査官、絶対に許さない。何時の日かしかるべき方法で合法的に報復してやる。この恨み晴らさぬでおくべきかっ!


 私はたった16時間前に生まれ育った、懐かしき母国である合衆国の国籍を失った。そればかりか半永久的に入国を禁止された身でもあったのだ(自分が生まれた国に行くのにESTAを申請しなくてはならなくなるなんて、なんたる不幸!)。そして全日空NH9便が着陸すると同時に、日本政府に政治的理由による亡命者として滞在許可を申請しなくてはならないのだ。


 搭乗前に相談した担当弁護士によれば「日本サイドでの亡命に関する根回しは、私がNH9便に搭乗している間にすべて終わっているはず」だそうだ。しかし、もし着陸後に日本で滞在許可が出ないと即時に「路頭に迷う」ことになる。そうすれば一般的な対処としては日本からの強制送還(退去)となるのだが・・・果たしてそれが大問題だ。強制送還とは原状回復が基本である。


 今回の日本への入国は認められるだろう。しかし、長期滞在許可が降りなかった場合、滞在期限が迫ってくれば国外退去を要求されるだろう。その場合、どこへ退去すればい良いのだろうか? 今回は空路の旅の出発地が日本のイバラギだったため、問答無用で復路便への搭乗を強制された。それはある意味幸運だった。国際便利用の原則に基づく原状回復の法則によって、身柄の送り先だけは保証されていた。しかし、次に日本から出て行けと言われると本当に行き場がない。


 この問題の本質は、突き詰めれば私がサンフランシスコから合衆国を退去させられた時に、それまで住んでいた合衆国市民権と一緒に、長年所持していたパスポートまでを返納させられたことにある。つまり、自分が何者であるかを示せる有効な身分証明書を一つも保持していないっ! という絶望的な状況にあるのだ。このままでは何処の国もビザの申請すら受け付けてくれないだろう。


 細かい事情は後で述べるが、今の私は無国籍者であり、文字通りの難民と言って差し支えないと思う。いや、辞書の訳文の参考例として私を掲載しても誰もがそれを納得して受け入れる最適な例である筈だ。別にアウトローでもアナーキストでもないに拘わらず!


 しかし、正しい難民とは「自称」ではなれない。今の私には高めのステータスなのだ。まずは何処かの国の入国管理局に「難民に該当する」と認定されなければならない。もし、日本で認定してもらえれば、国内への「安定的に在留」が認められ、日本への「永住許可要件の一部緩和」され、さらに「難民旅行証明書」が交付して貰える。


 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)による難民の定義や理想は実に美しい。しかし、それは有名無実な保証に過ぎない。「難民の地位に関する条約(1951年)」を遵守している国なんて、普通自動車の運転免許の国際性を保証する「ジュネーブ条約」を遵守している国より少ない(合衆国も日本も、他国の免許証の自国書類への書き換えは認めてません!※)。というか、準先進国以上で探してみるとゼロなんじゃないだろうか。


 そう言った事情で、今の私の立場は完全な宙ぶらりんな状態にある。「難民旅行証明書」が交付されていない限り、最初に受け入れた国には日本の次の『原状回復の出発点』になってしまうリスクが伴うからだ。


 今回、日本が私を短期的にでも受け入れてしまうと、次の受け入れ先が決まるまで、とどのつまり日本は私に不法滞在されてしまうことは分かっているはずだ。


 存在そのものが不法と直結、または背中合わせ。日本にとって厄介な人間であるに違いない。私は本当に門前払いされたとしても、その法務的な決定に対して最大の悲惨を被るべき私ですら共感してしまい兼ねないほどに。


 それでもなお、「今は迷惑上等!」と突撃する以外に道がないんだけど。すみません。


 こういう複雑な前例を私は知らない(当然、私をバックアップしてくれている合衆国の弁護士も知らなかった)。参考になるのは、往年の名画「ターミナル」くらいだ。最悪のケースとしては、トム・ハンクスが演じた男の様に空港の制限エリア内に長期滞在することになってしまう(弁護士から合衆国を追い出される寸前に、参考資料として著作権切れの動画を戴きました。ありがたく、搭乗機内で観賞させていただきました)。


 もし、そうなったら頭の中身以外はすべてが機械になってしまった、私の身体のメインテナンスはどうしたら良いのだろう? トム・ハンクスは生身だったから長期戦で事態解決をなしえた(具体的に何もしないでただ、状況が自分にとって有利に傾くのを待ち続けただけで苦境を打破できたみたい)。


 しかし、私は違う。機械の身体を維持する消耗品のサプライや調整作業無しでは生きていけない。気長にやっていたら、何とか残して貰えた数少ない生体部位も早々に枯れてしまうだろう。脳や脊髄のシリコン化ってありなのかしら? いえ、それが可能だとしても、施術後に人権の保持は認めて貰えるのかしら?


 ああ、頭が痛い。


 事の始まりはタイのバンコク。どうしてそこにいたのかもさっぱり覚えていないんだけれど。


 後で聞いた話に依ればエカマイなんとかいう商業施設で起こった大災害に巻き込まれて、瀕死の重傷を負ってしまったのだと言う。倒壊した施設の瓦礫の山の中から発見された時は、既に肉体のかなりの部分が損壊・壊死していて、普通ならそのまま感染症で間違いなく死亡していたみたい。


 しかし、幸運にも意識不明のまま私は、外国人やタイの富裕層御用達の大病院クルテンテープ病院に収容してもらえたんだって。


 その病院は経営一族の趣味や趣向もあって、やたらに最先端技術を取り入れた医療サービスの提供が特徴と言う不思議な病院だった。おかげで母国のマイナーな州都の病院では期待もできないほどに高度な治療を惜しみなく施してくれた(支払いはどうせ医療保険会社か加害施設側から回収できると見込んで20世紀末期以来の伝統とされている外国人料金=5割増し金額の請求書の発行が期待できたおかげだろう)。


 そんな不幸中の幸いのおかげで三途の川を渡らずに済んだ。しかしそれは命が保たれただけのことで、まともな治療ではこれ以上の回復は見込めないというのが病院専属の西洋人医師チームの共通の見解だった(タイの富裕層は技術の善し悪しでなく、西洋人、具体的には英国籍の白人の医師による治療を好む)。


 肉体のかなりの部分を損壊してしまっていた。当然すべての感覚器官が機能不全だったので、外界とのコミュニケーションはまったく不能な五重苦状態というのは笑えない。もしその状態で意識が回復していたとしたら、誰にも理解できないほどに巨大なトラウマに生涯を通じて悩まされることになっただろう(ずっと寝ていたのは正解だったと今でも思う)。


 彼らの中の幾人かが、全身をチューブで繋がれて生理食塩水のタンクの中を漂う私に同情を寄せてくれた。ちょうどその頃、日本から招聘されていた、自分達にとっては全く専門外な分野のエキスパートであれば、「まともでない治療」をもっとも効率的に施せるとも承知していた。


 彼らはちょうどその頃、日本からとある特定分野の世界的な権威が同病院に招かれていることを知っていた。その特定分野とは「サイバネティクス」、代替器官を用いた医学治療であった。その専門家の名は「アサマ」と言い、明らかに年齢不詳的に若い第一印象で業界でも良く知られていた(インターネットのSNS上の話題だが、彼の肉体はすべて代替有機器官の試作品へと置き換えられているという都市伝説があるくらいだ)。


 ともかく私の担当医達にとって重要なのは、その「アサマ」という医師は某国の某VIPのサイボーグ化手術を行う予備検診を目的として短期間ではあったがバンコクに滞在中であるという事実だった。


 彼らは誰にも気付かれることなく極秘裏に「アサマ」に接触し、彼と私の家族を全くの偶然を装って対面させてくれた。そして、それから極短期間の中に「まともでない最先端先進治療=サイバネティクス処置」を私に施す合意と準備を完了してくれた(さすがに肉塊となり果てた娘の姿を目の前にしては、地域の教会では最も見習うべき敬虔なカソード教徒の一組の夫婦と見なされていた両親であっても、悪魔の(ささや)きを退けることはできなかったのだろう)。


 とにかく両親は、知恵の実だか、林檎の実をしっかりと(かじ)ってくれた(そう言えば、医療機関のシンボルってサタンの使いとも言われる「蛇」だったよね)。


 それからはずっと彼の世話になりっぱなしだ。だから尊称なしの呼び捨てにするのも心苦しいので、今後は「アサマ先生」と呼ぶことにする。


 アサマ先生の滞在目的はどこかのVIPの施術だった。生体部位がメインとなる部分的なサイボーグ化手術であれば、タイ国内にも充分に対応できる施設が整っていた。しかし、内臓や骨格に至る広範囲なダメージを負っている私の場合はそうはいかなかった。


 具体的には、生態部位を機械化で補うというよりも、完全機械のアンドロイドのボディから電子頭脳を取り除いて、空いた部分に「私の核」である脳や脊髄などを移植する・・・と言った方がより的確な「作業」になるはずだった。


 つまりは、バイオハザードにも対応したL4並の完全隔離施設、さらに分子単位の精密処置を行うサポート機具や治具はさすがに最先端主義を謳うクルンテープ病院にとっても高すぎるハードルだった。だからアサマ先生による研究の本拠地である日本の福島に私の身体をを移送するという前提で交渉は行われた。


 それは人間が機械へと変わる処置なのか。それとも身体のほとんどが機械に変わっても人間である事実は揺らがないのか。人類は「私が受ける処置」が哲学的にどういう意味を持っているのかという問に対して、未だに結論を出せていなかった。だから、便宜的な意味合いではあったが今のところは「全身サイボーグ化処置」と呼ぶことにしている、そうだ。


 先進国に限らず、軍の特殊部隊が必要に応じて全身サイボーグとなる例は珍しくなかった。事実、合衆国は対外有償軍事援助(FMS)で戦闘用サイボーグの輸出も行っている。発展途上国ではロシア製や人民共和国製のそれらも確認されていると聞く。


 しかし民間レベルでは逆の現象が起こっていた。国家の発展の度合いが進めば進むほど全身に限らず部位などの限定的なサイボーグ化であっても規制が厳しくなる傾向が強くなるのだ。


 サイボーグ技術に対する規制派(普及反対派)は必ず「宗教的禁忌に触れること」または「治安上の懸念材料になる」のどちらかの主張を武器として、サイボーグ化処置の全面禁止を求めて声高に叫ぶ。国際的世論のとしては反対勢力主流と言って間違いなかった。


 逆に先進国に対して常に挑戦的な態度を取る「ならず者国家」と称される社会では、人権へったくれもなかったので、政府や軍部の都合によって無制限というか無軌道なサイボーグ化処置が試されていた。


 また、一部最貧国や法律フリー国家では金さえ払えばどんなサイボーグ化処置でも完全放任状態で受けるられる。なお、後者は過去にタックスフリー、またはタックスヘブンで知られた太平洋などの小国家であるのがお約束だった。


 しかしながら、それらの国では設備は最新でも処置を担当する医師達の技術レベルや倫理観が低いことが問題とされている。


 実際、先進国以外で治療を受けると、数え切れないほどの医療トラブルが次々と報告されている。資格や経験のない者達による治療というより作業に携わることが多いことから、回復の余地のない後遺症を伴うサイボーグ処置の失敗など日常茶飯事と噂されている。


 さすがにそれは過ぎた言い様かも知れないが、避けるべき冒険ではないことを身をもって証明するモチベーションに溢れた勇者(ヴォランティーアー)が世界にありふれていないのも事実だ。


 さらにまずいことに多額の借金返済に失敗にした人たちが債権者に突然に拉致されて、生体組織を某国製の低品質なサイボーグ臓器に入れ替えられた後に開放されるという都市伝説がワールドワイドでまことしやかに語られていた。当然、奪われた生体組織の送り先はそういう困った国の、特権階級専用の治療機関であるとされている(事実、そういう噂のある国では、生身でありながらどう見ても年齢が加齢せずに、むしろ逆行しているとしか思えない外観を持つ指導者もいる)。


 ともかく、サイボーグ化を語るには人類社会の暗部に由来するネガティブな側面も重要な構成要素であったし、これからも有り続けるだろう。興味本位でサイボーグ化処置を受けようかどうか迷っている人たちはこのあたりをしっかりと理解しておくべきだろう(できれば永遠に先送りにした方が良いよ)。


 だが、何事にも例外というものはある。それが日本だ。全身サイボーグ化処置を合法的に受ける「権利」が最高裁判所の判決文で正式に認められていた先進国の中では唯一の国家だった(法的には性的不一致者が優先的に受けられる、後天的転換治療の延長として捉えられている)。また、政府と官僚と企業と医学界が一丸となってサイボーグ化技術の向上の後押しをするなど、世界の中でもかなり特異なポジションにあった。


 この件に関して西洋の人権団体や神秘集団による激しい抗議(不法な実力行使も含む)も続いていたが、日本政府与党と官僚達は意図的に捉え所の無い障壁を形成することで受け流している。具体的にはのらりくらりと抗議活動のデモンストレーションを受け流し、最終的に目立たない形で妨害活動の無力化に徹してしていた。


 さらにこの件では国民に対して十分なコンセンサスが取られていたことから、あまりに目に余る妨害が行われた際は政治家も治安組織も熾烈な報復をもって強行に対応することができた。反対系市民グループの大半は本気で殴り返してくる相手に対して挑発を繰り返す愚は犯さないくらいには賢い(ビジネス的にもよろしくない)。そう言った過激派の伝統はここでも遺憾なく発揮された。


 おかげで日本のサイバネティクス活動は世界でもまれに見る独自路線をとり続け、決して振り返ることなく我が道を爆走することが出来ていた(どうやら長年にわたる捕鯨関係による抗議活動を通じて収集してきたアンチ・テロリズムのノウハウが活かされているらしい)。


 そういうわけで、最先端レベルの置き換え治療とまともな機械化部位のメインテナンスが欲しければ、特に全身サイボーグ化するなら日本の医療施設以外の選択の余地はなかった。


 私の身体の日本への移送は怒濤の勢いで実行された。合意から数時間後にはヘリコプターでウタパオ国際空港まで搬送されていた。そして何と誘導路に駐機していたプライベートジェット機に横付けされ、キャビン内へと積みかえられた。


 機内には医療用貯水槽が予め設置されることが解っていたかのごとく、設置ハーネスや電源プラグが用意されていた(たった数時間で実装できるものではない。絶対に!)。


 そのプライベートジェット機は例のVIPの所有機。もちろん、機械化治療の分野の権威として知られるアサマ先生による直接の診察を求めてアジア西部の某国からバンコクまでお忍びで出向いてきていた、件の彼のことだ。


 そこでアサマ先生は「日本で自分が直接に責任を持って執刀するからゴニョゴニョ・・」と(ささや)いて日本行きのチャーター便を仕立てたそうだ。だから表向きは善意の第三者のヴォランティーアー、ヒッチハイクで日本まで来てしまったのだ。


 ただし、この件についてその後にアサマ先生が言及することはなかった。ただ笑いながら「さあね」と応えるに徹していた。そうとうヤバイことをしていたのではないかと勘ぐってしまう。うん、この件はうやむやにしておこう。


 最初はどうしてタイの正面玄関であるスワンナプーム国際空港から出国しなかったんだろうかと不思議だった。だが今なら分かる。きっと合衆国政府の監視がゆるいことを理由に、わざとタイの軍港でもあるウタパオ国際空港を選んだのだろう(合衆国がこの事実に気付けば、国民保護の観点から、自国民が本人の同意なしで他国へ移送されること人権侵害と見なして、横やりを入れて来ることは確実だ)。


 まさに法律的なグレイゾーンを大胆に跨いで! 私は第二の故郷となる日本への初上陸を果たした。そして、そこで感染症や乾燥を防ぎ、水分や栄養の出し入れをサポートするために漬けられていたマイクロマシン入りの生理用食塩水のカプセルからやっと開放された。そして、アサマ先生との初対面も果たした(それまでは極低反射処理された強化プラスチックに遮られての対面に限定されていた)。


 その時の私はきっと見るからにグロテスクな肉塊だったに違いない。先生には慣れたものだったかも知れないけれど、私としてはそんなあられもない姿を見られてしまったのが恥ずかしい。もうお嫁に行けないレベルに。


 ともかく私の機械化再生治療はアサマ先生の触診から始まった。


 私の場合、内蔵系も損傷が激し過ぎた。どうデータを計測しても、どう楽観的に見積もっても「機能不全」という数値しか出なかった。肺の組織が熱で潰れてしまっていたので、時間を掛けてマイクロマシンで誘導しながら大量のiPS細胞などを使って肺を再生させない限り、脳の活動を支える十分な酸素量を供給できないと結論づけられた。そして肺の再生を待っていては私の脳がダメになってしまう。事故など事前準備無しで脳機能をシャットダウンした場合、精神への影響を考慮すると人工昏睡時間(の期限)はどうしても短く設定されてしまうのだ。


 これでは心肺系(カディオバスキュラー)を丸ごと代替え器官へ、つまり心肺機能を人工物へ総入れ替えする以外に選択の余地がない。つまりそれはバンコクで医師群が下した判断とまったく同じで、全身サイボーグ化治療が不可避ということを確認したということだった(医療の世界では他院から送られてきたカルテは尊重はするが信用はしないので、緊急を要さない限り二度手間になっても診断は独自に下すものなんだとか)。


 アサマ先生を中心とする医療チームが細部を詰めてさらに検討した結果、脳や脊髄だけを摘出して機械化ボディに埋め込むという全身サイボーグ化治療を行うしかないという事実が確認された。


 残念ながら日本へ来れば全身サイボーグ化治療を回避できる可能性、しいては人間らしく復活する一途の望みがあったと言うわけでない。この点は誤解したくないし、して欲しくもない。


 その後に施されたサイボーグ化治療の作業は、最初から最後まで何の問題も起こらずに計画した通りに完了した。だがそれにも拘わらず、サイボーグとなった後の私はどう言うわけかなかなか目を覚まさなかった。


 術後に行われた通常の覚醒シークエンスではびくともせず、まるで目覚めを頑固に拒否しているかの様に眠り続けていたそうだ。それに焦った日本側の医師群はバンコクでの負傷時に想定していなかったほど重度に脳が損傷していたのではないかと検討し始めた。だが、モニターリングされている脳波からは機能不全に陥っているどころか、健常者の様にレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返しているとしか思えない結果が出ていた。


 そこでアサマ先生は私に搭載されたばかりの真新しい人工心肺臓器に、刺激系のホルモン剤と強心剤(カンフル)代わりに酸素をたっぷり含んだヘモグロビンを大量に脳に規定量の二倍を三割増しのペースでぶち込む様に命令したそうだ。


 先生は神に祈りながら外部コマンドを送ったと言う。何故かと尋ねると、

「あれで目覚めてくれなければ、その後に精神が身体から乖離する非同期現象(通称、身体と心の不一致)を引き起こす一因となりかねないトラウマを引き起こす「強制覚醒機能」の使用を余儀なくさせられたからだよ」

と答えてくれた。どうやら完全サイボーグ化後の最初の目覚めは精神学的見地からは、サイボーグのその後に人生を左右するほどに重要なものらしい。


 なお、アサマ先生の危惧を余所に、その時の私は規定量に達する前に穏やかに目覚めたそうだ。


 当然だが目覚めた私は自分の身体が一新されたことを知る余地もない。だからかも知れないが、目覚めてからしばらくはまったく違和感がなかった。今までのように目も見えたし、耳も聞こえた。それからシーツのシワの様子も肌で感じていた。


 しかし、そういうケースは極稀な、奇跡に分類されるべき事象なのだそうだ。一般的な例では、完全サイボーグ化後の最初の目覚めの直後、感覚器官からの経験したことのないフィードバックに襲われた患者は多かれ少なかれパニックに陥る。特に、本人の同意無く処置を受けた者はほぼ確実に経験したことのないほどに強烈な違和感に襲われるそうだ。


 それは生体センサーと機械センサーの誤差に起因すると推測されている。おそらく機械センサーは数値的な誤差が検出できないくらいに生体センサー偽装されていながら、どういうわけか生体脳は異物に繋がれたと関知して、その拒否反応として精神が強烈なストレスに襲われるのだろう。


 脳と精神が機械センサーから送られて来た環境情報と折り合いを付けて、生体センサーと同様にスペック通りに処理できるようになるまで個人差はあるが最低でも2〜3日ほど掛かるという。


 20世紀後半に、両目の前にプリズム状に組まれた特殊な鏡の機具を設置することで左右の視界を入れ替えて違和感を味わうという実験が行われた。献体者は実験開始直後こそおかしな視界に酔ったり、目をつぶらないとまっすぐあるけない歩行障害に襲われたと言う。だが開始から2〜3日が経過すると、不思議なことに徐々に違和感が薄らいで最後はすべての障害を克服してしまったそうだ。


 人間の感覚とは時間さえかければ、どんな非常識でも常識化できる柔軟性が備わっていることの証明なんだろう。


 擬体や義手・義足の操縦も、基本的な動作についてはほとんどの問題は時間が解決してくれる。つまり、「習うより慣れろ」なのだ。失敗を恐れず大胆に挑戦を続けていればだいたいのことは何とかなる。


 どんなにおかしな感覚センサーや義肢に接続されても、人間の脳は最終的などうにかして帳尻を合わせてしまう。不思議なものである。そしてたくましいものでもある。


 私の場合は後から考えればおかしいが、目覚めたときに初めて目を開けてもまぶしいとは思わなかった。人間であったなら久々の光であればロドプシンが強烈に分解されるため、光源から目を逸らしながらまぶたを閉じたり、薄目をしていたはずだ。しかし、私は目も閉じずにベッドの周りで自分を取り囲む家族の顔をじっと見ていた。そして像はとてもクリアーだった。


 まぶしさが感じられなかったのはオートで減光機能が働いたからだろう。


 家族の顔の次に見えたのはベッドに横たわる私を囲む家族達の身体の隙間にあった窓とカーテンだ。首を動かさず、視線だけカーテンに向けると風が作り出すひだの隙間から・・・青い空がチラリチラリと見え隠れしていた。


 何故かその光景に感動を覚えた。とても美しいと思ったのだ。


 サイボーグ化処置の後は誰であっても例外なくリハビリを受けないと日常生活に必要な基本的な動作もままならないと聞いた。そして擬体や義手・義足の操縦する前に、まずは機械化された感覚器官から送られてくる情報をきちんと理解できる様にならなければいけないそうだ。


 どういうわけか私の場合は感知した物体の明暗や色彩を正確に把握できただけでなく、広角レンズの電子補正による視界を最初に起動した時から違和感なく認知できた。私の例はアサミ先生も他人の参考にはならないと言う。機械による偽装された感覚フィードバックは先にも述べたとおり、どういうわけか必ず脳と精神に見破られる。しかし、私の脳はどうやら、ログを見る限り偽装と見破りながら受け入れていた「らしい」とされている。


 人間の目は瞳を秒間何回か動かすラピッドアイ・ムーブメントで狭い視界の情報を複数取り入れて脳で再構成して広い視野を実現しているそうだ。しかし、今の私の目は小刻みに動くことなく停止したまま広角レンズを使用して片目あたり約120度の視野角を実現しているそうなのだ。


 目を動かさなければ偽装信号で機械化された目であっても視界情報は理論的には脳と精神をだませる筈らしい。しかし実際の所はほぼ100%の確率で原因不明の不具合が発生することから、脳が新しい目に慣れるまである程度の時間的猶予を与える必要がある。


 原因不明の不具合とはいくつかのパターンがあり、(1)視覚認識が断続的になる。(2)視線と視覚の不一致。(3)ピント、色覚、ハイライト部と暗部の同時認識などが狂う。などが一般的だ。それとアイボールセンサーや接続に異常はないのに(4)脳が像を外部情報として認識できない。という深刻な症例あるそうだ。(4)だと解決にかなり長い時間が掛かってしまうらしい。


 アサマ先生は後日、別の患者の覚醒作業をする機会があったので、私の視神経と機械化眼球の接続イニシーションのログをエミュレートして効果の程を確認してみたと言う。結果は、私のケースはかなり特殊だったらしく現時点で再現性はゼロだったそうだ。残念。


 おかげで私の経験は単なる特殊な事例に一つとして医療サーバーの隅に記録されるに留まり、その後の機械化治療の進歩を招いたブレイクスルーの礎になるなんてことはなかった。なお、互いの類似性はないとは言え再現性ゼロの特殊例というのは時々起こるそうだ。


 サイボーグ化治療の実用化はすでに達成されている。今ではこの技術なしでは社会が成立しないほどに広く受け入れられている。しかし、一般化しながらもまだ因果関係が完全に解明されていない治療もたくさんあるので、時々オカルトめいた事象が観測されるのは当然なのだろうだ。


 我々はまだまだ得体の知れない、というかあまりにも奥の深い学術分野の入口に立っているに過ぎないということ思い知らされる。しかし、それはこれがフロンティーアーに属す世界で、今後の発展の余地は無限大ということでもある。おかげで、今後はしばらくは手探りで進んで行くしかないのも仕方ないだろう。


 なお、目や耳など知覚センサーの使いこなしでは類い希な才能を発揮した私だったが、機械化部位の操作系に関してはとても平凡なスケジュールでリハビリをこなしていった。それは赤ちゃんが自力で立ち上がり、言葉を喋り始めるまでなどの成長史がオーバーラップする試行錯誤の連続だった。


 例えば、目覚めてすぐに家族の制止を振り切ってベッドから起き上がろうとすると、どういうわけか身体のすべての関節がガクガクする。動きがとても不自然なのだ。ちょっと力を入れただけで飛び上がってしまったり、踏ん張ろうとすると関節のロックがすこっと抜けてよろけてしまったりする。


 リハビリ初期では機械の身体を意図に沿って正確に、そしてスムーズに動かすことは精神的に負担の大きな作業だった。んー、違うな。ミスを多発する複雑な動作の練習を長時間繰り返すと精神でなく、その源である脳が疲れるのだ。


 リハビリ中に見舞いに来てくれた先生に、思い通りに動かない機械の身体に対して苦情を訴えると「キミは前の生身を何年かけて思い通りに動かせる様になっていたんだい?」と尋ねられて愕然とした。


 なるほど。それはそうだ。16年間の人生をまるごと生身の取り扱い方法の習得に費やしたこからこそ、精神を集中させることなくどんな作業でも簡単にこなせていたことに気付かされた。


 例えば、5歳の頃の私が習得していた拙い技能では、16歳の私の様に16歳の身体を制御できない。だから、もし今の機械の身体を16年前に獲得していたのなら、生身と同じくらい上手に扱えていたのかも知れないのだ(あくまでも比喩的な意味で。人間が人工的に作った身体よりも、長い進化の歴史を通じて獲得した生身の方が脳にとって馴染み易いに決まっている)。


 思い出すのは生身の身体だった頃、そう・・・子どもの頃に五本の指をそれぞれの方向に独自に動かす努力をするとスジが痙ったり、出来た後も集中力や根気がかなり無駄遣いされてしまうらしく、そう何度も繰り返すことはできなかった。例えば午前中にやったとする11時頃にはぷっつんと集中の糸が切れてしまって、夕方のおやつを食べる頃まで何をやってもどうしても投げやりな作業になる。脳が疲れるとは、そういう精神的な疲労感とまったく同一の疲れなのだ。だから、生身も機械の身体も脳にとっては実のところあまり変わりはないのかも知れない。


 しかし、脳が疲れる作業を連日繰り返すと不思議なことに日に日に僅かずつだけれど疲労感が薄れて行く。そしてある日気が付くと最初はとても疲れた動作が気楽に、それでいてスムーズに実行できる様になっていることに気付くのだ。リハビリは万事がその繰り返した。機械化された感覚器官や義肢(=機械の四肢)がどれほど不出来であっても、脳は最終的にはそれらを新しい道具として確実に使いこなせる様になる柔軟性を備えていることの証明に違いない。


 実は病院でのリハビリが終わった後でも「脳が疲れる」トレーニングは終わらない。むしろ終わりなんかないのだ。何か新しい動作をしようと試みる度に訓練を一から始める必要があるのだ。専門家同伴で行われるリハビリ治療とはむしろ、退院後にトレーニングを独力で出来るようにするための学習というのが本質的な意味だったりする。


 しかし、多くの患者さん達は忙しい毎日を送らなくてはいけないので、プライベートな時間のすべてをトレーニングに割く余裕があるはずもない(仕事だったり、家事だったり、学校生活だったり人それぞれに忙しいのだ)。そこで採用されたのは今ではデフォルトでインストールされている第二小脳である。AI型の学習コンピューターが脳の精神と機械の身体の間を取り持ってくれるという世紀の大発明だ。自動モードを選択していれば義肢を扱うのに慣れない人であっても、第二小脳が精神に変わって身体を操縦してくれる。具体的には、食事やトイレ、さらに炊事洗濯までサポートしてくれるのだ。


 本人がしなければいけないことは、自分に代わって第二小脳が義肢や擬体をきちんと操縦しているから監視するだけだ。具体的には誤解なく目的(命令)に沿って作業をしているか。それから作業そのものが安全に代行されているか、だ。もちろん、何か齟齬が生じた場合は第二小脳の操縦に対して、急ブレーキを掛けることもできる。


 中には第二小脳に作業を任せきりにして監視義務を放棄してTVを見たり、電話やメッセージのやり取りに没頭する人もいると聞く。しかし、第二小脳の代行操縦はすべての責任が持ち主にあるので、それはあまり賢い振る舞いとは言えない。誤作動というものは特にファームウェアを更新した直後に限らず、いや、かなり頻繁に起こるものだからだ。


 以上の第二小脳のコンシェルツ代行機能によって、客観的にはほとんどの患者は退院直後から施術前と同等の生活を取り戻せる。これは子育て中の患者にはとても重要なことで、家族の負担を最低限に抑えられると治療への楽天的な展望を持たせてくれる。


 もっとも主観的にはかなりの不自由があり、しかもそれが他人には注意深く観察してもなかなか悟れないためちょっとした葛藤を引き起こしているとか。例えば、治療前はとても不器用だったはずのお母さんが誰よりも器用に小刀を使用したフルーツカービングが出来るようになってしまったり、とか。


 なお、私たちサイボーグにとって食事やトイレはさほど重要ではない。しかし治療後に治療前の生活習慣から乖離すると生活する上での時間配分に差を生じてしまい、それが違和感として積み重なりゆくゆくは大きなストレス障害に発展する傾向がある。だから、必要以上の頻度で摂取や排出の欲求を発するように、擬体の側で生理信号を発信するようにデフォルト設定されている。

※筆者の個人的な経験によれば、日本の場合は、免許センターで学科試験が免除されるだけで、実技試験は厳しく審査されます。また、大型自動車の免許は普通自動車免許に、大型自動二輪の免許は普通自動二輪(中型)免許の書き換えにしか挑戦できません。合衆国の場合は学科試験が免除すらありません。なお、タイでは学科試験と実技試験が免除されますが、適正チェックが要求されます。すでに挑戦からかなりの年月が経過しているので、現在は遵守状況が変更されている可能性もあります。詳しくは関係機関へお問い合わせください。

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