2036年3月13日、全日空NH9便・座席番号B3F 〜その4
ここで話はだいぶ前の部分数まで一気に戻る。
料理者自身が擬体保持者であると仮定する。
擬体が体内に実装する摂取・消化器官は、生身のそれらと比べると実に原始的な機能しか持ち合わせていない。だから、生身用の伝統的な食事の摂取・消化には対応できていない。
また、五感センサーに属する味覚も生体の舌と比べれば、輪を掛けて原始的な感度としか言いようがない。
これらの条件を踏まえれば、料理者が調理した食事を実際に楽しむことができるのは、決して本人ではなく、当事者以外の親しい人々であることは間違いない。
食べたいのに食べられない。無理して食べてもすべて、味は分からないし、飲み込んだ料理はお腹を素通りして外部へと廃棄されてしまう。
この悲しい前提は擬体を使った調理作業支援アプリの開発・進歩を絶望的なものとしている。有料でも無料でも、個人がアプリを製作する動機の中で最多数は、自分がそれを利用してユーザーになりたいから、だそうだ。
だったら、自分で食べられない料理を作るアプリの製作に、自分の有限なリソースの大部分を割こうと考える人が今までほとんど現れなかったのも無理はない。
この悲劇は生身・擬体の人が共有できる社会問題である。何故なら、生身の人でも容易に想像できる事柄だし、もし自分がその立場になったら・・・と考えられる身近な事件でもあるからだ。
だって、料理好きな人が擬体化されて舌の感覚を失った場合、技術的に未熟な味覚センサーで味付けを確認する度に、自分が失った物を再確認させられてしまう。それは不愉快だし、鬱になりそうなくらいツライだろう。生身を失ったことをその度に再確信して、さらに深く傷付いてしまうかも知れないし・・・。
誰もが参入しなかった擬体・義手用調理支援アプリというジャンルは、大儲けできるほどの巨大市場ではなかったにしろ、確実に一定数の需要が見込めるいわゆる隙間市場だった。後から分かったことだけれど。で、私なりの挑戦で作成した調理支援アプリはそのニッチなニーズにドはまりした。
擬体メーカーのアプリ・ストアで公開すると、すぐに料理作業用の援護ソフトウェアとして評判になり、世界中の義手保持者達がこぞってダウンロードしてくれた。
とても小さな分野での話だけど、そうやって私は少しだけだけど、やっと人様の役に立つという身に余る名誉を授かった。
もっとも、全身サイボーグ界にとっては「奇特な人がいたものだ」的な話題となっただけで終わった。残念ながらアプリの出来に関する評価の盛んなやり取りなどは見掛けなかった。どうやら、擬体保持者よりも、義手保持者のソサエティーでの方が評価が高かったようだ。
先にも言ったが、調味料による微妙な味付けをするには、擬体が搭載しているセンサーの知覚感知レベルはまだまだ不十分だ。調味料の第一次投入作業後に味見をして、その結果をフィードバックして第二次投入作業を行うと言った、生身では当たり前の基礎的判断・調整がまだ出来ない。
家族の胃袋を掴まなければいけない最上位調理者として最も大切な、
「最期に足りない塩などを一つまみ」
と言う、それぞれの「家庭の味」を整えると言う、最も肝心な作業が行えないのだ。
これは、身体を機械化した母親や恋人達の自尊心を激しく傷付ける、それまで出来た事を諦めざる得ないディスアビリティーだった。
だから、擬体による本格料理を行うのは、今より鋭敏な感覚器官を搭載する次世代擬体に託された永遠の課題のままである事実は変え様がなかった。
こうも言えるかな。私の挑戦は有意義ではあったけれど、根本的な解決を試みるにはまだ時期尚早だったと。
全身サイボーグ化された母親などが家族のために料理を行う場合は、従来の通りソフトウェアのファイルに登録されたレシピ通り(気温や湿度の差による補正機能は付いている)に各関節に内蔵されている感圧センサーで測定された調味料を正確に加えるのがベストとされている。この分野はまだまだ発展途上で、サイボーグに搭載される味覚センサーと判定ソフトウェアのさらなる統合的進歩が待たれるわけだ。
しかし、人生は都合の良いことばかりが連続するわけではない。私は治療を終えて合衆国に帰国してからは禄でもないことの連続で、しかも運気は今このときまで回復されていない。
私がサンフランシスコ国際空港のターミナルビルに一歩足を踏み入れた瞬間、けたたましいサイレンが辺りにこだました。
「え? 私?」などと戸惑っていると完全武装した空港警備隊がどこからともなくあふれ出てきて、私を完全に取り囲んだ。さっき通過したばかりの旅客機機とターミナルを結ぶ通路にシャッターが落ちて来て、さらに駐機場を見せてくれたいた巨大な硝子状のパネルの方は防弾と覚しき装甲シャッターが高速で超高速でガラガラと滑り落ちてきた。
気が付くと他の乗客から完全に隔離されていた。前にも後ろにも怖そうな人達しかいなかった。
「荷物を床において、両手を挙げて、足を大きく開いて、口を大きく開けろ!」
装甲シャッターと装甲盾で私を完全に取り囲んでから、空港警備隊の誰から人物に怒鳴られた。誰なのかは盾の向こうからだったから分からない。
そんなことより、左手の子指一本でも私を強引にネジ伏せられそうなほどに屈強な男達が寄って集ってあらん限りの銃口を向けている。一体何が起こっているのだろう?
自分の目に前で現実に起こっているとは信じられなかった。しかし、視界の半分を「服従推奨!」の文字が点滅している。おそらくこのまま私がパニックに陥ったら第二小脳が擬体の制御を私から取り上げて、強制的に服従表明作業を実行する段階に到達していることに気付いた。
とにかく服従だ。荷物はすでに手から滑り落ちていたので(第二小脳もこちらは重要ではないと判断して落下防止機能を強制実行しなかった模様)、とりあえず黙って両手を挙げた。
「足を開いて、口を大きく開けろ!」
口と足へも指示されていたことに気が付いて、言われたままに口を開けた。その瞬間、第二小脳が空港ターミナルの壁に備え付けられた対テロ用装備とされる『アンチ・マテリアル・ライフル』とかいう対人用ではない怖い武器の射線が、大きく開いた口を経由して私の脳核を軸線上に捉えたと教えてくれた(第二小脳はついでにそれが対戦車ライフルから進化した由緒正しき軍用兵器で、撃たれたら今度こそ絶対に生き返れないというトリビアル・シングも教えてくれた)。
これを生命の危険に相当する判断して第二小脳はバックグラウンドでなく表面で起動し、私に脅威に対する絶対服従を勧め続けた。いや、そんなことは私にだって一目で分かる。ここで逆らう様な心の余裕はまったくない。
だが音波や放射線などを用いた数回のスキャンが終了すると同時に、まず私の脳核がアンチ・マテリアル・ライフルの銃口の三次元の直線上から解放された。そして、こう告げられた。
「違法サイボーグに告ぐ。議会決議19389条に基づき、合衆国は2026年以降、合衆国対テロ禁止法によって未認可サイボーグの入国を認めていない。貴女は直ちに身体検査を受ける義務がある。拒否するなら我々は武力で貴女を無力化する用意がある。貴女は身体検査を許諾するか?」
どうやら、違法サイボーグと言うのは私の事らしい。いや、サイボーグではあるが・・・違法なんて南米の麻薬組織の用心棒(この場合強化+強化骨格サイボーグ)や中東のテロリスト支援国家の戦闘員(この場合武器管制システムとの同調+装甲サイボーグ)と同じ扱いをされるとはショックだ。
私の擬体は二階から落下しただけで破損するほど、生身に近い脆さが売りの超軽量型なのだから(普通の少女とほとんど変わらない全身重量50kg(乾燥重量)を実現! 実測値で間違い無く世界最軽量なんだぞ)。
いくら何でもテロリスト扱いは「目が覚めたら全身サイボーグになっていた」なんて現実以上に認めがたい。誤解を解くべく、
「私は合衆国市民です。社会保障番号は・・・」と言いかけたら凄まじく高圧的な口調で、
「身体検査を許諾するか? 否や?」とその先の言葉を封じられてしまった。
何で怒鳴られたのか分からないが、とにかく服従姿勢を示そうと首でウンウンと頷いて見せた。
すると空港警備隊が私に向けて構えていたライフルの銃口を一斉に降ろしてくれた。どうやら助かったらしい。そう思うと何だか身体から力が抜けてしまって、私はそのままそこにへたり込んだ。立ち上がるように即されたが、膝が笑ってしまってどうやっても立てない。
第二小脳に身体の制御を依託しようとモタモタしてると、見かねた空港警備隊の誰か二人が私を両脇で支えて検査場へと連行してしまった。普通なら自分で歩いて空港警備隊に誘導されるのだろうが、両脇を抱えられた私を目撃した人たちはもれなく・・・私が暴れた末に拘束されて、強制連行されている危険人物であると誤解したんじゃないかと心配だ。
検査場で音波で全身スキャンしただけで、私が全身サイボーグであることが判明した。その後は擬体接続端子を介した専用ソフトウェアによる構造解析が行われた。義手や義足は合衆国にも輸入されていて、一般的に出回っているモデルなので問題はなかった。
しかし、脳と脊髄以外が完全に機械化されていることが問題となった。どうやら合衆国政府の許可無く全身サイボーグ化治療を受けたことが問題らしい(後で知ったところによると許可申請しても100%却下されるようである)。
タイでの負傷による激しい身体の損傷の経緯や、日本でのサイボーグ化治療の経緯などが擬体の公開用IDチップ(緊急搬送された先の医師が擬体の仕様を把握するため普及した電子名刺の様なもの)にしっかりと書き込まれていたので検査官は「可哀想に」と顔をしかめた。だが、あくまで検査権限しか与えられていない彼は業務規定に従って、私の公式個人情報を電子データ化して入国審査官や地元警察へ送った。
その後、空港警備隊員が監視下に置かれていた私の元に、入国管理官がやって来た。そして、珍しく電子パッドでなく、急いでプリントアウトしたらしい紙の書類を見ながら、どこかの判事らしい人が判断したらしい決定事項を伝えてくれた。
その内容を掻い摘まんで説明すると・・・
ーーー無認可の全身サイボーグの合衆国への入国は国籍保持者であっても不許可。
ーーー連邦法違反で擬体没収後に終身刑(つまり永久収監)で起訴される場合がある。
だそうだ。
即座にネガティブな判断を送り返して来るとは、私はそれほどに招かれざる客という訳か。そこで私は合衆国国籍所有者の権利を行使して、弁護士さんへ連絡する許可を求めた。空港警備隊員はあっさりとそれを認めて、検査室の壁に掛かっていた電話機を利用する許可をくれた(9.11以降、合衆国ではすべての空港のエアサイド(制限エリア内)では携帯電話が使用できないように妨害電波が発信されているので)。
弁護士さんの連絡先は解らなかったので、空港到着口で待機していた両親に電話を掛けた。すると、すぐに弁護士さんを送ってくれた。しかし、その彼もすぐに駆けつけて頑張って交渉してくれのだが、『国家の安全保障上の障害となることを理由に裁判所命令による国籍の即時剥奪』という事態は覆らなかった。
これ以上長引かせると『身体の不法改造の罪で擬体没収後に終身刑(つまり永久収監)』という最悪のケースが実行されると最終通告を受けるに至り、仕方なく『強制送還』という温情的処置にすがることにした。
色々なドキュメントにサインさせられた後で、自称出入国管理官は思い出したかのように私からパスポートを没収した。
「あ〜・・・・っ」
絶句するしかなかった。これで私の立場は、21世紀初頭に大ニュースとなった「難民」の皆さんよりも宙ぶらりんな状態に陥った。ゴムボートで地中海を渡った数え切れない彼らは、少なくとも母国の市民権は保障された上での渡航冒険だったはずだ。一方、私は市民権皆無の状態での冒険に挑まなくてはいけない。これで陽気でいろというのが無茶と言うものだ。
呆然としていると全日空の制服を着た合衆国女性がオーバーアクションで、気の毒に思っていると示しながら日本行きの便のボーディング・パスを渡してくれた。少し落ち着いてから文面を見てみると、そのパスは乗って来た機の折り返し便となる全日空NH9便のものだった。
それから、誰もが私のこと忘れてしまったかの様に静かな時が過ぎていった。そこは制限エリアではあったが、イミグレーションの入国審査通過前なので合衆国というわけでなく、それでいて出国審査後のエアサイドというわけでないの。
合衆国側へ進めば今度こそ問答無用で射撃さるかも知れない。かと行って、出国審査無しでエアサイドへ向かっても結果は同じかも知れない。それを確認できそうな人は視界では見当たらない。どうするべきか自分で考えていみる。ダメだ。何も思い付かない。
さてどうしたものか、と立ち尽くしていた。するとさっき世話になったばかりの弁護士さんが、私の視界へと息を切らせて走り込んできた。良かった。気が狂う直前のギリギリのタイミングで間に合ってくれたようだ。
彼はわざとらしく上着から財布を取り出して、小銭まで取り出して、持ち金のすべてを私に無理矢理握らせた。私はボロボロの札の間に一枚のメモリカードが挟まっていることに気付いていた。それについて確認しようとすると、彼は視線だけで「してはいけない!」と伝えてきた。
目は口ほどにものを言う、確かにその通りだと思った。私は渡された札束をメモリーカードを落とさないように意図的に汚くお団子状につぶして、上着の内ポケットに押し込んだ。
それを見て、弁護士さんはやるべき事はすべて果たした、と視線で語った。しかし、ここで別れてしまっては彼が何をしにここまで入って来たのかと勘ぐられてしまう。彼は今のところ判明している私の現状を説明をすると言って、視覚の外に居た空港警備員から無線機を借りて何かを話し始めた(誰も居ないと思っていたら、見えないところでしっかりと監視されていたんだ。テロリスト予備軍的な危険人物と認定されているんだから、当然か)。
何をどう交渉したのか不明だが、弁護士さんは私を出国審査なしでスター・アライアンス専用のエグゼクティブ・ラウンジへ案内してくれた。全日空側がかなり私に同情的で、ファーストクラス用のプライベートエリアを用意してくれたそうだ。おかげで、私はボーディングまで穏やかに過ごせるパーソナルスペースを占有させてもらえた。ありがたい。
なお、後で知ったのだが合衆国では出国審査という制度ないとか。だから、私はあの場で放置されたのは意地悪ではなく、気が向いたらさっさとエアサイドまで自分で移動してくれ、という話だったそうだ。
で、ラウンジに移動すると弁護士さんの説明が始まった。
私の罪状は、合衆国の連邦法に違反する擬体でありながら申請することなく密入国しようとしたことだそうだ。もちろん、それが理由で入国も許可されなかった。
弁護士さんも交渉したが、相手が極めて強硬で、『身体の不法改造の罪で擬体没収後に終身刑(つまり永久収監)』という最悪のケースまでちらつかされてしまっては一時撤退するしかない。とにかく、決裁されてしまうと二度覆すことはできなくなるので、ここは相手の言い分に従って戦略的撤退するしかないと言う。
密かに渡されたメモリーカードの中には「治療を受けた日本の病院と元担当医師が身元引き受け表明してくれた」「日本へ到着するまで政治的な難民としての受け入れ申請の根回しは日本の病院の方で即時実行してくれる」ために必要な合衆国市民だったことを証明するすべての個人情報が詰まっていると言う。「これがあれば日本側での司法処理はすんなりと進むだろう」と言って説明を完了した。
それを知って少しだけ安心した。日本が受け入れてくれると言うなら、私にはまだ帰れる場所が残されているらしい。
そして、それ以上長く滞在する様だと共謀罪を疑われて、私に出国後にも続く一連の亡命手続きが滞りかねないとその場を去って行った。彼が座っていた席には偶然、非接触式のメモリーカードリーダーが忘れ置かれていた。
見た目の印象とは違って、本当に芸の細かい人だ。クスっと小さな笑いを漏らしてしまった。さっき出会ったばかりの弁護士さんだと言うのに、もう10年もお世話になっていたかのような親近感を抱いてしまった。
話し相手もいなかったので、第二小脳にメモリーカードリーダーを介してデータを閲覧したいとリクエストした。するともっとも有効範囲が狭い皮膚接触通信のみアクティベートしてくれた。どうやら、たくさんの誰かが無線通信で私に枝を付けようとしているらしい。なんだか、痴漢に様子を探られているかの様な嫌悪感が持ち上がってくる。
私は非接触充電ポートにカードリーダーに押し当てて、データを擬体内のサンドボックス記憶領域にコピーした。それからウイルススキャンして閲覧を開始した。なんとなく、本能的に目を閉じてしまったので近くから見ている者がいたなら、眠ってしまったと誤解したかも知れない。
第一階層に急いで放り込んだらしい、個人データなど多数のファイルが見える。どうやら、一度解錠すると証明機能が失われるらしい。だから、中身まで確認することはできなかった。問題なく閲覧できそうなファイルは・・・と探しているとデフォルト設定の名称未設定ホルダーがあった。
第二階層に入ってみると、几帳面そうな彼が作ったとは思えないほどに、見るからに未整理なテキストファイルが納められていた。主な意内容は合衆国におけるサイボーグにおける権利制限などの記述や裁判の判例などだった。
入国失敗前と違って、飛行機に搭乗して日本に向かっている途中の私が、別人の様に突然にサイボーグ関係の世界的な取り扱いについてかなり詳しくなっているのは、すべて彼が渡してくれたファイルのおかげだったりする。旅客機の客室での着席直後から、弁護士さんが集めてくれた膨大な未整理ファイルをずっと研究していたのだ(着席してから一切身体を動かさない乗客を客室乗務員はどう思ったことだろう? 怪しすぎるよね)。
兎も角、それを読んで分かったことは「もう取り返しが付かないらしい」ということだった。自由世界と盲目的に信じてきた西洋社会というのは、実はサイボーグにとってはとても生き辛い場所だったのである。
少し落ち着いて状況が飲み込めてから、北米大陸では差別対象とされているサイボーグになってしまった自分は、今や母国が正しいと言い張る宗教原理主義で真っ黒に塗りつぶされた価値観や文化と私という存在の共存はきっぱりと諦めるしかないとも悟ることができた(今後、仮に裁判で合衆国国籍の復帰を勝ち取ったとしても、とても住み心地の良い環境は期待できそうにもないと言う意味でも)。
もちろん、西洋であっても治療目的に身体をサイボーグ化した市民は溢れている。しかし、合衆国の場合は身体の人工物への置き換えには制限があり、裁判所の許可無しで行える上限は全身の49%(体積比)だとのことだ。
通例では機械化率が全身の49%以下の場合・・・
サイボーグ化治療は義手・義足と言った義肢や内臓に限る。また、義手・義足は生身の末端神経というアナログ方式をメインに作動制御させる仕様に限り、機械式伝達のデジタル方式はあくまでサブとしてのみ採用できる。
ーーー脳の改造はいかなる理由があっても許されない。違反した場合は重犯罪として裁かれる。この場合は即時収監または国籍剥奪の上国外追放に処される。ーーー
となっている様だ。だが、そんなへりくつは表向きの話に過ぎない。
裏側の話ではこうだ。全身サイボーグは合衆国社会でもありふれているが、実はそれらはすべて軍人、傷痍軍人、元傷痍軍人またはそれに準ずる経歴の持ち主に限られている。
逆に民間レベルで私のような全身サイボーグ化治療の許可例は事実上ゼロだ。しかしそれは為政者には不都合な事実らしく、興味を持った人間以外には気付きづらいように情報管理されている。
過去に超党派の勢力が何度かそれを打破しようと試みたそうだが、その度に保守層(の宗教原理主義勢力)による強力なロビー活動が徹底されて法案化が頓挫して来たとのことだ。なお、法案反対派の活動を支えている豊富な資金源については「神のみぞ知る秘密」という話だ。
また、生身の肉体に固定されていない義肢や義足では人力を超えるパワーの発揮が容易なことから、防犯上の理由から胴体の外骨格的なサイボーグ化は合衆国領土内では民間レベルでは許可されないそうだ(義肢を取り付ける接続ユニットがない寝たきり状態のサイボーグであれば胴体の外骨格化なども許可される)。
銃器による犯罪が巷に満ちあふれている合衆国で、私のような小柄なサイボーグが平和を維持するために排除すべき存在として法的に処理されることは承伏しがたい。
だが、役人の考えでは全身サイボーグとは一律に、スーパーマンやアイアンマンの様な子供向けヒーロー並のスーパーパワーを持ち、それを反社会的活動に使用する可能性の高い危険分子であるに違いない。もしかしたら「サイバー・フォービア」という新しい現代用語が辞書に載るような時代が到来したのかも知れない。
全身サイボーグ化の許可に関しても、先に書いたように例外は常に存在する。傷痍軍人だけが享受できる特権になりつつある。それは戦場で負傷し、身体を失うことで国家へのもっとも厚い忠誠を示した者達だけが、スーパーパワーを反社会的活動に使用しないという前提の政策なんじゃないだろうか。
彼らは全身サイボーグ化後に軍を退役して、傭兵企業に再就職することもできる。その傭兵企業は大抵、米軍の下請けとして活動している団体だ。
サイボーグ兵となった彼らは新たな戦場では身体を消耗品として扱って、高給を稼ぐことができる。一般兵と違って四肢など欠損被害を考慮せず戦場に立てるのだから、もう怖い物なしだ。よほどのダメージを受けない限り、何度でも即座に戦場に復活できるという無茶ぶりだ。
母国に「テロリスト予備軍扱い」される今の今までサイボーグの軍事分野への応用など興味を持ったこともなかった。しかし、それを詳細に理解した後だと、世界には知らなくても良い事柄というのは多々あると思い知らされた。
私の場合、全身サイボーグ化なしでは意識を取り戻すことも難しかったと聞いている。だから、サイボーグと言うだけで「テロリスト予備軍」というレッテル貼りは勘弁願いたい。
おそらく、アサマ先生が合衆国大使館に申請せずに私の全身サイボーグ化治療を即断・即決で敢行したのは、申請と同時に国民の身体の保護という形で私の身柄が確保されてしまうことを恐れたからではないだろうか(当然、確保された後は本国への強制搬送しかありえない)。
もしあの段階で日本を去っていたなら、私は合衆国の医療用タンクに放り込まれた後で寿命が尽きるまで植物状態で放置されるしかなかったろう(臓器も相当にダメージを負っていたので、臓器移植ドナーとなるために実質死亡判定される幸運を授かる事も無い)。
そこらへんの事情をすべて考慮した上で、アサマ先生は限りなく真っ黒なグレーゾーンを邁進してくれた。正直かなりヤバイ橋を渡ったはずだし、合衆国が常にアップデートし続けている悪徳医師として非友好外国人リストに加えられてしまった可能性もある。
その場合、合衆国入国の大きな妨げとなる。私と同様に入国拒否されるか、ESTAで申請後に合衆国便へ搭乗しようとした段階で拒否されてしまうかも知れない(まさか、わざと入国させてから『合衆国市民権保持者への虐待の罪』で逮捕なんてことはないと思うけど。だって私もう合衆国市民権保持者じゃないらしいし)。
自分の医師としてのキャリアを棒に振って私を助けてくれたかと思うと、どうやって恩に報いれば良いか分からない。実際、先生が危ない橋を渡ってくれなければ、本当にどうしようもない結末に甘んじるしか無かったのだ。
民間で信頼性の高い全身サイボーグ化治療が受けられる先進国は今のところ日本だけだ。だから、合衆国に一度帰国した後でサイボーグ化治療を目的とした日本への渡航を申請しても絶対に却下されたことも疑いようがない。
その場合、中南米から北米に潜り込んで来る技術や設備がかなり怪しい闇医者に全身サイボーグ化治療を依頼する羽目になる。その場合、治療が上手く行っても後から感染症や脳と機械部位を結合するA/D変換が調整不可能なカタチでズレてしまう可能性が高い。
そういう事情で、合衆国の闇治療でサイボーグ化された多く患者の大半は短命である。また、短い人生の末期はかなり悲惨な状態に陥るというのが常識だ。
特に、ホルモン分泌系を含む機械部位の誤作動を繰り返したり、予め最適化設定されてある補正数値の入力を間違えたりして・・・もれなく精神を病んでしまう。
また、駆動制御系が痛むと、義肢などの機械部位が暴走して危険だ。だから、折角の義肢を利用する時以外は機械化身体内操作ネットワークから切り離したり、より安全を重視すれば電源を落としておく必要が生じる。
つまり、だるま状態でベッドに固定されて仮想現実の中で死を迎えることになる。そんな自分の姿はあまり想像したくないなあ。
アサマ先生はきっと私に母国でそういう緩慢な死を受け入れるか、新天地の日本でサイボーグとして新しい人生を受け入れるか、そういう究極の選択をする機会を与えたかったのだろう。どちらを選択しても失うものが大きいが、どちらかを必ず選択する必要がある土壇場まで追い詰められてしまっても、最後は運命に委ねずに自分で決めろと。
人生の二者択一をこの年齢で済ましてしまうのは怖い。けれど仕方がない。誰かが自分の人生に責任を持つ必要があるというなら、それは当然自分自身に他ならないからだ。
カルフォルニア国際空港に到着した途端に銃を構えた空港警備隊に取り囲まれたのはさすがに参った。あれは危なかった。一つ対応を間違えていたら銃殺される可能性もあったのだ。対サイボーグ・テロ法恐るべし。
ああいうのはドラマや映画の中で見るだけで、自分には一生縁がないと思っていたのに。
そんなわけで私は家族と引き離されてそうそうに一人で合衆国を離れることとなったわけだ。
やれやれ。
気が付くと全日空NH9便は茨城国際空港へ着陸していた。ターミナル2の52番ゲートへ到着すると第二小脳が教えてくれた。どうやら、私の好みを学習してぼぅーっとすることを許すだけでなく、情報を提供するタイミングまで配慮できるようになってくれたらしい。1年も一緒にいるわけだから、今後もうちょっと我慢すれば素晴らしいコンシェルジュへとレベルアップしてくれるに違いない。
シートベルトサインが消えて、私はビジネスシートに座っていたと言うのにファーストシートより先にゲートへと案内された。肩身の狭い思いでアイルを歩いていると、ファーストシートに座る老婦人やビジネスマン達が暖かい目で私を見守っている背中越しに感じられた。そうか、みんな、キャビン・アテンダント達と同様に私の事情を承知しているんだ。
私のシートが予告もなくエコノミーからビジネスへアップグレードされていたのも、そういう事情だったのだろう。立ち上がって周りの乗客に一礼をする。彼らは拍手で応えてくれた。
搭乗口の前には機長が待っていた。多分、この人がさっきのものすごく静かなターンを決めてくれたんだろうな。しかし、駐機直後にコックピットにいないって事は、雑務を全て副長に押し付けたんだろうな。
しかし、どうして機長が態態ここに出て来てるんだろう? と疑問を持つと、それと同時に急いで仕立てたらしい不揃いな書類一式を手渡された。
「宜しければ、入国審査の際にはこれらの書類も添えてご提出ください」
え? どういう事? なんの書類何だろう?
それらの書類は、実は、機長名を筆頭にした全日空NH9便全クルー、そしてファースト・ビジネスクラスの乗客全員による連名の身元保証書だった。しかし、中身を確認しなかったし、したとしても全て日本語で書かれていたので、この時に私には内容は半分も理解出来なかったろう。
そう言う訳でそれがどれほどに貴重で役立つ代物であるか、さっぱり解っていなかった。しかし、私は常識人である。だから、良く分からない物でも縁もゆかりのない人から贈られた親切心をありがたく思って、ぎごちなく頭を下げながら両手で受け取った。
この時の私はまだ知る由も無かったが、この体験は希有な幸運としての、最たる物だった。実際、この書類と言うより、機内と言う空間を共に共有した縁がもたらした運命の変遷は、私のその後の人生を支える"知恵の七つ柱"となった。私は、ここで出会った人達に、陰に日向に、知って知らずに、繰り返し救われる事となったのだから。
正直、自分を追い出した母国の仕打ちと、一時的とは言え難民化した自分の受け入れを表明してくれた東洋の島国における"もてなし"の差を見せつけられると、もうため息しか出てこない。
何と言うか、見知らぬ人達が与えくれた暖かい思い遣りが、不意にぎゅんぎゅんと胸を締め付けて一瞬気を緩めるとほろりと涙がこぼれてしまった(自分の擬体にこんな機能があるとはこのときまで知らなかった。だいたいこの痛い胸はすでに機械化されているんだよっ!)。
こうして私は日本を出国して現地時間でも2日も経たないうちに日本へ帰って来た。この国が私の本当の故郷となり、残りの人生の大半を過ごすことを望むようになることは・・・この時の私は知る術もなかった。
次回から本編が始まります。




