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『先輩の隣が、私じゃなくても』 〜お似合いなふたりを見て、胸が痛む理由を知らなかった〜  作者: Eternity Beat


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3/5

第3話:すれ違いのラリー

週が明けても、私の胸の奥に刺さった棘は抜けるどころか、日を追うごとに深く根を張っていった。


放課後のテニスコート。

初夏の風は心地いいはずなのに、私の呼吸はどこか浅く、ラケットを握る手のひらには嫌な汗が滲んでいる。


「小日向、次のメニュー入るよー!」

「はいっ、すぐ行きます!」


私は努めて明るい声を張り上げ、先輩たちと目を合わせないように足早に駆け出す。

特に、あの一角――コートサイドのベンチ付近には、絶対に近づかないようにしていた。


そこにはいつも、一ノ瀬漣先輩と逢坂莉央奈先輩の姿がある。

大会のエントリーシートを確認し合うふたりの距離は、相変わらず誰が見ても完璧なバランスで、並び立つだけで一枚の絵画のようだった。

私のような平凡な1年生が入り込む隙間なんて、1ミリも存在しない。


(……これでいいんだ。邪魔しちゃいけないんだから)


自分に何度も言い聞かせる。

私はただの初心者の後輩。これ以上、漣先輩の親切に甘えて時間を奪うわけにはいかない。

そう心に決めて、この数日間、私は先輩からの視線を徹底的に避けていた。

声をかけられそうになればボール拾いを理由に遠ざかり、アドバイスを受けそうになれば「大丈夫です、自分でやってみます」と距離を置いた。


それが「正しい後輩の態度」だと信じ込んで。


「……はぁ」


全体の練習メニューが終わり、休憩のアナウンスが入る。

私は部室棟の裏手にある水飲み場へ向かい、蛇口をひねって冷たい水で顔を洗った。

滴る水滴をタオルで拭い、ふうと息を吐き出した瞬間――。


カツン、と背後でアスファルトを踏む乾いた足音が響いた。


「おい、歩乃果」


低く、どこか固いトーンの声。

心臓が跳ね上がり、反射的に肩がすくむ。

ゆっくりと振り返ると、部室の壁を背にして一ノ瀬先輩が立っていた。


ラケットを持たない先輩の右手は、所在なげにポロシャツのポケットに突っ込まれている。

前髪の隙間から覗く切れ長の瞳は、いつものからかい混じりの柔らかさなど微塵もなく、まっすぐに私を射抜いていた。

西日の影が深く落ち、先輩の端正な顔立ちを険しく際立たせている。


「あ、一ノ瀬先輩……お疲れ様です。あの、私、コートの整備が――」


逃げ出そうと横をすり抜けかけた私の手首を、先輩の長く硬い指先が、ぎゅっと掴んだ。


「――っ!」


肌と肌が触れ合った瞬間、パチリと静電気が走ったような衝撃が全身を駆け抜ける。

骨張った指の力は思いのほか強く、振り払うことすらできない。


「逃げるな。話がある」


至近距離から見下ろされる琥珀色の瞳。

その奥に揺れているのは、明らかな苛立ちと、それ以上に深い困惑だった。


「お前、今週ずっと俺のこと避けてるだろ。声かけても目を合わさねえし、アドバイスも聞かねえで逃げるし。……俺、お前に何か気に障ることしたか?」


低い声が、静かな部室裏の空気を震わせる。

痛いくらいにまっすぐな視線。

先輩は本気で悩んでいたのだと、その表情を見て初めて気づいた。

私が子どもじみた態度で距離を置いたせいで、先輩を傷つけていた。


(ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです)


そう言えばいい。

全部私の勘違いで、ただ勝手に気まずくなって逃げていただけだって、素直に謝ればいい。

それなのに――掴まれた手首から伝わる先輩の体温が熱すぎて、私の心の中で別の感情が爆発しそうに膨れ上がった。


(どうしてそんなに真剣な顔をするの?)

(どうして、ただの後輩の私なんかに構うの?)

(先輩の隣には、逢坂先輩っていう完璧な人がいるのに……!)


胸の奥に渦巻いていたチクチクとした痛みが、どす黒い嫉妬と惨めさに形を変えて、喉元までせり上がってくる。


「……離してください」


震える声でそう告げると、先輩の眉がピクリと跳ねた。


「理由を聞くまでは離さねえよ。俺たち、ちゃんと話せてただろ」


「話すことなんて、何もありません!」


私は掴まれていない左手で、先輩の腕を力任せに押し返した。

手首の拘束がふっと緩む。

一歩後退り、荒くなった息のまま、私は堰を切ったように言葉を吐き出してしまった。


「私みたいな初心者に構ってる時間があったら、逢坂先輩と練習してください!」


「……は? 莉央奈? なんでそこで莉央奈が出てくるんだよ」


心底わけが分からない、というように先輩の目が丸くなる。

その無垢な反応が、かえって私の心を残酷に切り裂いた。


「ふたりでミックスダブルスに出るんですよね!? 逢坂先輩と練習した方がずっと有意義だし、ふたりで並んでる方が……ずっとお似合いです!」


言いたくもない言葉が、トゲのついたナイフになって口から飛び出していく。

自分でも何を言っているのか分からない。

ただ、これ以上先輩の近くにいたら、胸が張り裂けて泣き出してしまいそうだった。


「私なんかに優しくしないでください。……邪魔になりたくないんです」


唇を噛み締め、最後は絞り出すような声になった。

先輩の琥珀色の瞳が、驚愕と、見たこともないほどのショックに揺れる。

口を開きかけた先輩の言葉を待たずに、私はくるりと踵を返した。


「歩乃果――っ!」


背中に響く呼び声を振り切るように、私は夕暮れの通路を夢中で駆け抜けた。

手首に残る先輩の指の感触が、いつまでも焼き付くように熱かった。

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