第33話 決断
九層をクリアした翌日から、プレイヤーたちの俺への監視の目が一層鋭くなっていた。彼らは、俺がいつ十層に挑むのか気になって仕方ないのだろう。
だが、俺とアリサの中で一つだけ固く決めていることがある。
それは――ボス部屋には挑まないということ。
その理由は二つ。
一つは、【魔法剣士の証】や【騎士の証】を手に入れることで、他のプレイヤーたちのヘイトを一身に集めるリスクを避けたいということ。
そしてもう一つは、あのボス部屋の難易度がまったく読めないからだ。
GMがニンジンをぶら下げてやる、と言っていたからな。そんな挑発に、簡単に乗るほど俺は単純じゃない。見え透いた罠に自ら飛び込むお人よしではないのだ。
それは【白銀騎士団】も同じで、彼らも十層のボス部屋に挑む気配を見せない。
ちなみに、俺たちが十層には挑戦しないということは、【白銀騎士団】をはじめとする近しい者たちにはあらかじめ伝えてある。余計な混乱を避けるためだ。
そして迎えた百十六日目――ついに初めて十層に挑戦するパーティが現れた。
その名は【大車輪】。ピンズーをリーダーとする二十人の大所帯パーティが、満を持してその扉を開いた。
【大車輪】は九層のボスを難なく撃破する実力を持つパーティだ。
構成こそ【騎士】不在で守りは薄めだが、全員が二次職であり、どちらかというと攻撃に特化した精鋭揃いだった。
その彼らが挑むとなれば、期待せずにはいられない。プレイヤーたちが固唾を飲んで見守る中、吉報を待つ時間は数十分――しかし、その瞬間は残酷だった。
無情にも扉は、次の生贄を求めるかのように再び開かれる。
――全滅。
十層のボス部屋を前に、様々な議論が交わされる中、俺はアリサと共に九層へと戻った。
もちろん、人気の少ない常闇の迷宮の中に彼女を連れ込み、二人でやることはただ一つ――レベル上げだ。
「これで決まりだな。俺たちは絶対にボス部屋には入らない。情報が揃ってからアタックだ」
俺の提案に、アリサが静かに頷く。
「ええ……もしかしたら、【騎士】の存在が鍵になるのかもしれないわね。少なくとも、防御が今のシルバさんくらいになるまではやめておきましょう」
彼女の意見に、俺も深く同意する。
それに十層のボスに挑むなら、今以上に装備を整える必要があるのは間違いない。だが、現状、俺たちはまだ【旅人の服】を装備していた。それには理由があった。
――重量の問題だ。
今持ち帰れる【壊れかけの光る〇〇シリーズ】を少しでも多く迷宮から回収するためには、防具を軽量化する必要があったのだ。
おかげで、既に手持ちの資金は1,000,000Gを超え、さらに増え続けている。それでも金は多いほど良い。装備やアイテムの購入――備えに越したことはない。
それに、レベルアップを重ねれば、いつかは十層のボスに勝てるはずだ。
……そう思いながら、迷宮に潜り続けていた。
いや、正確には――迷宮に逃げ込んでいたのだろう。
――そして迎えた百十九日目の夕方。
いつものようにヌコに【壊れかけの光る〇〇シリーズ】を売り払い、マイホームへ戻ろうとしていたその時、中央広場の転移門付近で誰かを待っている男が目に入った。
軽く会釈して転移しようとした瞬間、その男が俺たちに声をかける。
「ユウト、アリサ。少し話せないか?」
男――シルバは俺たちを待っていたようだ。
「……ああ、構わない」
促されるままに連れていかれたのは、雰囲気のいいBarのような店だった。
リアルでも、この世界でもこんな洒落た場所に来たことはなく、内心緊張してしまう。だが、アリサの前でそんな様子を見せるわけにはいかない。
肩肘を張って平静を装うが、案の定アリサにはお見通しだったらしく、くすっと笑われてしまった――まぁ、引きこもりの俺が見栄を張ったところで、今さらか。
全員が一口グラスを傾け、場の空気が落ち着くと、シルバが唐突に身元を明かした。
「俺の名は白井銀次。株式会社ホワシルの代表だ」
「っ!?」
驚きに息を呑み、思わずアリサと顔を見合わせる。この様子からすると、アリサもホワシルについて知っているらしい。
もちろん俺も知っている。
ホワシル――それは、俺が配信を載せているライブストリーミングプラットフォームを運営している会社の親会社だ。
「そ、そんなことをどうして急に言うんですか?」
思わず声が上ずる。シルバの言葉がすべて冗談だとは思えなかった。以前【白銀騎士団】の連中が彼を「社長」と呼んでいたことから、彼が実際に会社のトップであり、彼らがその社員である可能性は高い。
五分五分――そんな確率の話でも、自然と敬語が漏れてしまう。
「今さら敬語なんて使わなくていい。お前たち二人の目的を聞かせてくれないか?」
静かな口調だが、その問いには重みがあった。
「……帰ることです」
アリサがぽつりと呟き、俺も同意するように頷く。このゲームに入った目的はアリサに会うことだった。それはすでに叶えられている。ならば次の目標は、二人で無事に帰ること。それ以外に何がある?
「シルバも同じだろ?」
俺の問いに、彼はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと首を振った。
「俺は……お前たちとは違う」
一呼吸おいて、彼は力強く言葉を続ける。
「一刻も早く帰る。それが俺の目的だ」
その言葉には確固たる信念が感じられた。
「俺には帰らなきゃならない理由がある。会社のこともそうだが、一番は家族だ。家族を安心させてやりたい。それだけだ。でも、お前たちは違う。今、この瞬間を楽しんでいるように見える」
言葉が胸に刺さる。
「六層でお前たちが二人で戦っている姿を見て思ったんだ。楽しそうだった。幸せそうだった。違うか?」
――図星だった。
俺はアリサと一緒に戦い、暮らすこの時間に喜びを感じていた。彼女を日本に連れて帰るべきだと分かっていながら、安全を理由に一瞬でも長くこの世界に留まりたいとすら思っていたのだ。
だが、俺には一つだけ言えることがある。
「でも……一刻も早く帰還を目指すにしても、俺たちはまだ十層に潜るつもりはない」
冷静に告げる。
理由は単純だ。十層のボスは未知数で危険すぎる。そして、それ以上に……ヘイトを集めたくない。
しかし、シルバはさらに現実を突きつけてくる。
「お前たち……現実世界の俺たちの体がどうなっていると思う?」
その問いに言葉を失った。
それは俺も考えないようにしてきた問題だ。もし戻った時、長い眠りの代償として後遺症が残る可能性もある――その恐怖から目を背け、この迷宮に逃げてきた部分もあった。
だが、それを認めたところで変わるものはない。無理をして死ぬのは避けなければならないのだから。
俺たちが押し黙ったまま考え込んでいると、シルバが突然立ち上がった。そして次の瞬間――彼はその場で膝をつき、地面に頭を擦りつけた。
「すまない……! 俺はどうしても早くクリアしたいんだ! 力を貸してくれ! 協力してくれれば【求道者の書】を渡す!」
その行動に、俺もアリサも息を呑んだ。迷宮での生存を最優先にしてきた俺たちとは異なり、彼は強く背負い込んでいる。その切実さが、地面に押し付けられた額から痛いほど伝わってきた。
【求道者の書】は魅力だが、明日ボス部屋に潜るとなれば、その価値を十分に生かせるとは限らない。
それに、欲や情にほだされてはならない。何より優先するのはアリサの命。そして、俺自身の命も安売りするつもりはない。
ただ、気になったことがあった。俺はシルバに問いかける。
「もしクリアした場合、【騎士の証】や【魔法剣士の書】は誰の手に渡るんだ?」
俺の問いに、シルバの表情が一瞬明るくなったが、次の瞬間には曇り、歯切れの悪い声で答えた。
「……【騎士の証】を入手したら、一番可能性がありそうな魔法使いに渡すつもりだ。このアイテムはとんでもないポテンシャルを持っている。魔法使いが【騎士】を習得すれば、三次職として飛躍的に強くなるはずだ。その者に未来を託したい……【魔法剣士の書】に関しても同じだ」
その言葉に、改めてシルバの本気度を感じた。同時に確信する。この男は賞金や名声には一切興味がない。彼が求めているのは、純粋に迷宮の突破とその先の未来なのだ。
俺は冷静にもう一つ質問を投げかける。
「最後に――シルバ、お前のステータスを俺に送ってくれ。すべてはそれ次第だ」
シルバは迷いなく頷いた。その目には、かすかながらも希望の光が宿っているように見えた。
ほどなくして、彼のステータス情報が俺の手元に送られてくる。
【名 前】シルバ
【ジョブ】騎士(12/16)
【状 態】良好
【L V】25
【H P】546/546
【M P】180/180
【筋 力】181(+25)
【敏 捷】122
【魔 力】95
【器 用】186
【防 御】226(+70)
【魔 防】206(+50)
【適 性】槍術E(2/10)・馬術E(2/10)
【重 量】170/181
【装 備】鉄の槍
【装 備】鉄の鎧
【装 備】鉄の大盾
【アクティブスキル】
・《二連突き》・《疾風突き》
【パッシブスキル】
・《HP自動回復》
・《馬心伝心》
最近、シルバ以外の【騎士】のステータスを確認する機会が何度かあったが、シルバの数値は圧倒的に突出していた。
特に俺たちが最も懸念している防御力に関しては、他の【騎士】たちよりも高い。これは大きなアドバンテージだ。
「パーティメンバーの【土魔導士】は、《ストーンプロテス》を当然習得しているよな?」
俺の問いに、シルバは頷いた。まるでそれが当たり前だと言わんばかりに。
《ストーンプロテス》――土魔法Eで習得可能なスキルで、30秒間防御力を10%向上させる補助魔法だ。この魔法を使えば、シルバの防御力は一時的とはいえ300を超えることになる。
彼の防御性能に並ぶ【騎士】が現れるとしても、最低でも十日――あるいは二十日は必要だろう。そして、たとえその者が現れたとしても、シルバほど信頼できる相手でないことは目に見えている。
ふと隣を見ると、アリサが俺の手をぎゅっと握りしめていた。その瞳には迷いはなく、彼女なりの覚悟が宿っている。
「……分かった。明日、一緒にチャレンジしよう。いや、させてくれ」
こうして、最初で最後の【白銀騎士団】との共闘が決まった――




