No075 アイリの野望、激動編 「近江侵攻作戦」 アイリついに動く。 8歳10月~11月
10月末。早いところでは収穫も終わった。
アイリは、各地にいる募兵状況と訓練状況を確認する。
既に、全支配領地でアイリが予定していた兵数は揃っている。
更にまだ募兵や仕官は続いている。
指揮官の訓練状況もいい。
早い時期に指揮官候補に選んだ3人は指揮官技能が発生している。
ケンシン、マサユキ、マサノブだ。
近江では膠着状態から戦いが鎮静化している。
お互いの陣の距離も離れ、関ケ原西の戦場は不干渉地帯になった。
最新の情報から
周辺各地ではやはり収穫期が終わったら、募兵が行われるようだ。
アイリは、ここへきて少し計画の変更を検討している。
近江侵攻は決定事項である。
検討しているのは、侵攻時期の変更だ。
年が明けてから・・。以前はそう言って準備していた。
ここへきて、軍の状況確認をしているのは
それぞれに、時期を変更する可能性があると告げたからだ。
早ければ11月末頃、遅くても12月早々には侵攻を開始する。
これがアイリの検討事項になっている。
同時に、戦略面の計画も発表された。
「関が原の南から近江方面南部へ侵攻します。」
これは地の利を生かしたいためでもある。
この情報は軍指揮官しか知らされない。
遠いシズオカとしては、11月に入ると兵の移動になる。
ヤイズは慌ただしくなった。
「アイリは移動も訓練。」そう告げる。
カンスケはそれにこたえるべく最終段階に入っている。
関ケ原に距離が近いギフ領では既に準備が終わっている。
まだ余剰人員がいるくらいだ。
あまり兵を早い段階で動かすと察知される可能性があるため
アイリの指示を待つ状態になっている。
ミエでも最終段階に入った。
こちらも余剰人員がいるほど集まっている。
2領とも訓練は順調だ。
遅れているシズオカはアイチ領に来て再編成をする予定にしている。
アイチの兵訓練度が高いので指揮官を入れ替えるのだ。
伊豆は落ち着いており、アタミは防衛中心に開発がすすんだ。
関東の南は全く動きが無い。
甲斐も動きが止まり、たぶん皆どこの領主も時期を待っている。
アイリの言う近江南部への侵攻は4郡一気に攻め取ってしまおうという物だ。
連戦が続くのは否めない。
その為、後詰の軍として新たに指揮官補にした2名も任務に付ける。
当初マサノブに任せるつもりだった軍をこの新人2名で運用する。
マタベエとシゲツグ。アイリは2人も改名した。
後藤又兵衛と直江兼続の類似存在だ。
二人の所持スキルと技能ならアイリの留守を任せられるだろうとの見解からだ。
11月に入ると
攻撃軍の軍指揮官と軍編成が発表される。
第1軍、ハンベエ。第2軍、カンベエ。第3軍、ノブツナ
竹中半兵衛、黒田官兵衛、真田信綱だ。
これが先軍、兵9千
第4軍、カネツグ。第5軍、マサツグ。第6軍、カンスケ
叔父の風間兼嗣、父の風間正嗣、山本勘助になる。
これが中軍、兵9千
第7軍、ケンシン。第8軍、マサユキ。第9軍、マサノブ、
上杉謙信、真田昌幸、本多正信だ。
これが後軍、兵9千
なにやら、すごい名前が並んでいる。
先軍と中軍1万8千は、南4領の畠山家攻略。
後軍9千は、関ケ原西の戦場で北の京極家と対峙。
10軍は、本軍3千5百。
アイリの本軍は、遊軍として後軍後方に位置し、北と南の両方に対応する。
攻撃軍の発表が終わると、後詰の軍として防衛軍の発表になる。
後詰の防衛軍は、中隊の集合体として大隊規模の参軍になる。
このため各地の防衛兵の中隊長から優秀なものを人選した。
大隊は5つの中隊から構成される。後詰は輜重隊でもある。
第1軍、カツイエ、トシイエ、ノブミツ、カズマス、ヨシナリ
柴田勝家、前田利家、織田信光、滝川一益、森可成
織田軍家臣団 兵、千5百 攻撃軍の先軍の後詰となる。
第2軍、タダカツ、ヤスマサ、ナオマサ、モトタダ、タダヨ
本多忠勝、榊原康政、井伊直政、鳥居元忠、大久保忠世
徳川家家臣団 兵、千5百 攻撃軍の中軍の後詰となる。
第3軍、ツネオキ、ヒデマサ、モリツナ、ノブマサ、ナリマサ
池田恒興、堀秀政、渡辺守綱、奥平信昌 、佐々成政
織田、徳川混成家臣団 兵、千5百 攻撃軍の後軍の後詰となる。
第4軍、ナガヒデ、タダツグ
丹羽長秀、酒井忠次
織田・徳川の家老級家臣 兵、6百 遊軍である本軍の後詰となる。
何とアイリは、2正面作戦を計画していた。
総勢3万6百の大規模侵攻戦だ。
そして、もしもの保険的な攻撃軍が後詰遊軍として
ギフには、千5百の軍、指揮官補のユキタカ。
アイチには、3千の軍、指揮官補のマタベエと、シゲツグ。
4千5百が、配置されることになった。
これは現状アイリが戦闘に準備出来る最大数である。
11月中旬
侵攻軍は関ケ原に集まる。
11月下旬
「全軍、すみやかに侵攻戦線開始!」
アイリの指示が出ることになる。
先軍、中軍が関ケ原西から近江南部へ移動。
後軍、本軍は関ケ原西から近江北部へ移動。
11月末
決戦の時が始まる。




