十七歳のクラリッサ
クラリッサ・ド・ベルクマンは十七歳になっていた。
実母アマーリエが死んで五年以上、テレーゼが継母となって四年近くが経過している。
それだけの期間をテレーゼと過ごし、クラリッサにも理解できたことが幾つかあった。
どうやらテレーゼという継母は、非常に世間の評判が良い人間だ、ということである。
お茶会に出席すれば所作を褒められ、さすがはテレーゼ様の教育だ、と感心された。
会話の中でも、言葉遣いや教養を褒められることが多い。
自分が褒められるのは悪い気分ではなかったが、必ずテレーゼの教育も一緒に褒められることは面白くなかった。
クラリッサにとってテレーゼは、味方ではない。
冷たい人間であることに変わりはなかったのだ。
ある日、父ゲオルクが食事の席でクラリッサに話を切り出してきた。
「クラリッサ、お前ももうすぐ十八歳だ。そろそろ婚約を整えようと思っているんだが」
スープをすくっていたスプーンを静かに皿に置き、視線を父に向ける。
「婚約、ですか」
クラリッサも男爵家の令嬢だ。友人たちの中には、もっと早くから婚約が調っている者も少なくはない。
驚きはそれほどなかった。
「もうお相手は決まっているのですか?」
「うん、テレーゼとも相談したのだがね、クラリッサには年上の落ち着いた男性が合うんじゃないかと思うんだ」
「年上……ですか」
「それで、仕事で付き合いのあるケルナー男爵はどうかと思ってね。クラリッサとは少し年が離れているが、商売で成功しているし、資産家で信頼できる人柄だ。安心してクラリッサを嫁がせられる相手だと思う。どうだろう?」
クラリッサは首を傾げる。
ケルナー男爵。
聞いたことはあった。商売で成功した貴族として、ベルクマン男爵家と並べて語られることが多い家だ。
ただその当主とは面識がなく、どのような人物かまでは知らなかった。
「年上と仰いましたけど、お幾つの方なんですか?」
その質問にゲオルクはちょっと言葉を詰まらせて、隣に座るテレーゼと視線をかわす。
「三十三歳だ」
「三十三歳!?」
クラリッサは思わず声を荒げてしまった。
「私より十六歳も年上ですよ!? 私よりも、お父様たちの方が年齢が近いではありませんか。年上の方が私に合うと考えられたにしても、他に候補はおられなかったのですか?」
クラリッサの言葉に答えたのはテレーゼだった。
「ケルナー男爵アルブレヒト様はとても良い方ですよ、クラリッサ様。商売で成功しているのに、悪い噂もありませんし、女性関係でもめたという話も聞きません。私はお会いしたことがありますが、理性的で落ち着いた方です」
テレーゼは、なおも不満そうな表情のクラリッサに言葉を続ける。
「お会いしてみて、話してみてはいかがです? それでやはり嫌だと思われれば、断っても構いません。そうですよね、旦那様」
「うん。こちらから持ち込んだ縁談だが、ケルナー男爵であれば断っても大きな問題にはなるまい。どうだ、クラリッサ。とにかく一度会ってみては」
こちらから持ち込んだ縁談だったことは、クラリッサに小さな不満を抱かせた。
二人は最初から十六歳も年上の男との縁談を調えようとしていたのか、と思った。
断っても良いと口では言っているが、どこまで本気だろうか。
どうせ嫌だと言っても、聞き入れてはくれないのではないか。
どちらにしても、この場では自分に選択権はないように感じた。
「わかりました。一度、お会いしてみましょう」
クラリッサの返答に、ゲオルクとテレーゼは安心したように微笑んだ。
会ってみたら、意外と悪くはなかった。
それが、クラリッサのアルブレヒトに対する印象だった。
クラリッサの所作を適度に褒めてくれたし、会話も弾んだとまではいかずとも退屈はしなかった。
それに、所作を褒める際、テレーゼの教育と結びつけなかったこともクラリッサには嬉しかった。
夜会に誘う言葉をもらったときには、後のことを考えず思わず承諾の返事をしてしまったほどだ。
だが、相手が三十三歳で、自分とは十六歳も離れていることはやはり気にかかる。
話の内容も同年代の友人たちとは違う。
落ち着いた人だと聞いていたが、クラリッサはなんだか冷淡な気もした。
この人と夫婦になる未来は、正直なところまったく想像できなかった。
「それでどうだろう、クラリッサ」
顔合わせ後、ゲオルクがクラリッサに尋ねる。
そんなにすぐに決められない、とクラリッサは思った。
夫婦になればこれから先ずっと一緒に暮らすのだ。
会って、すぐに判断できるはずがない。
けれど、ゲオルクもテレーゼも、この縁談が本当に良いものだと考えていることはクラリッサにもわかった。
だとしたら、自分が嫌だと言ったとしても、誰も聞いてくれないのではないか。
どうせこの家に自分の味方はいないのだから。
内心で思いながらも、テレーゼに聞いてみる。
「テレーゼさんは、どう思われますか」
「ケルナー男爵とクラリッサ様のご縁についてですか?」
「はい」
「良縁だと思います。今日のケルナー男爵の態度を見る限り、クラリッサ様との相性も悪くないと感じました。クラリッサ様がお嫌でなければ、お受けしても良いのではないですか?」
「そうですか」
アルブレヒトと結婚したいか、と問われたらそうではなかった。
けれど、彼と結婚するのは嫌か、と問われたらそれもまた否だった。
どうせ拒否できない、という言い訳のような重りが、クラリッサの決断の天秤を傾けた。
クラリッサはゲオルクに視線を向けると、言った。
「では、お願いします」
「そうか! わかった。クラリッサが良いなら、すぐにでも婚約を整えよう」
ゲオルクは嬉しそうに婚約期間や結婚式の会場までどうしようかなどと言い始め、テレーゼに気が早すぎるとたしなめられていた。
クラリッサはそれを見て。
まるで自分以外の人の結婚準備をしているようだ、と思った。
◇
正式に婚約が交わされてからの数か月、ベルクマン男爵家の屋敷は仕立てられるドレスや、揃えられる調度品で華やいでいた。
クラリッサは何度かケルナー男爵家の屋敷を訪れ、家具や装飾を徐々に自分の好みに合わせていた。
アルブレヒトは驚くほど何も押し付けず、屋敷に関してはクラリッサの好きなように采配してよいと言ってくれた。
もしかしたらベルクマン男爵家の屋敷よりも、ケルナー男爵家の屋敷の方を好きになれるかもしれない、とクラリッサは最近思うようになっていた。
自分以外の人の結婚準備をしているような感覚はなくなってはいなかったが、自分好みに整えられて変わっていく屋敷を見ると、自分の結婚準備だという気持ちも芽生えていたのだ。
そんな折、アルブレヒトに誘われ、彼のエスコートで高位貴族の集う夜会へ出席することになった。
仕事上の付き合いでケルナー男爵家に招待状が届いたそうだ。
ベルクマン男爵家にも届いていたのだろうが、ゲオルクが伴うのはテレーゼだった。
クラリッサが高位貴族の集まる夜会に出席するのは初めてのことである。
「大丈夫でしょうか」
「クラリッサ嬢なら大丈夫ですよ。いつも通りのマナーを心掛けていれば問題ありません」
アルブレヒトは十六歳も年下の婚約者を非常に丁寧に扱った。
クラリッサの名を呼ぶ際にも必ず敬称をつけた。もしかしたら結婚後はクラリッサ夫人とでも呼ぶのかもしれない。
「クラリッサ嬢。私は仕事の挨拶と商談がいくつかありますので、少し席を外しますね。せっかくの夜会です、同年代のご友人たちと自由にお楽しみになってください」
きらびやかな大広間に入ると、アルブレヒトは落ち着いた声でそう耳打ちした。
「ええ、ありがとうございます。お気をつけて、アルブレヒト様」
クラリッサは笑みを浮かべ、彼を送り出した。
しばらく夜会を眺めていると、見知った友人たちを何人か見つけた。
歓談し、音楽に合わせてダンスを踊る。
テレーゼに教えられたマナーと洗練された所作は、どこへ行っても称賛された。
「テレーゼ様の教育は素晴らしい」と言われても以前ほどには気にならない。それよりも「若く美しい婚約者を得てケルナー男爵も幸せだな」といった称賛はクラリッサの自信になった。
アルブレヒトは、最初の印象通りどちらかといえばやはり冷淡だった。
クラリッサという婚約者を得て、嬉しそうには見えないのだ。
だからこそ、他人にそう言われると嬉しくなった。
やはり、自分のような若い婚約者を得たのだ。三十三歳のアルブレヒトは感謝すべきなのだ、と思う。
高位貴族が多く集う不慣れな夜会であっても、クラリッサは見劣りしていなかったのである。
「失礼、あまりに美しく踊られるものだから、つい声をかけてしまいました」
振り返ると、そこには若い男が立っていた。
ハルデン伯爵家の長男で、エドガーと名乗った。
アルブレヒトのような落ち着いた態度とは違う、同年代特有の軽やかさがあった。
彼は屈託のない笑みを浮かべ、クラリッサを真っ直ぐに見つめていた。
「ベルクマン男爵令嬢……クラリッサ様とおっしゃるのですね。あなたのような方を、どうして今まで知らなかったのだろう」
その言葉と視線からは、家柄や所作を値踏みするようなものがまったく感じられなかった。
ただ、目の前にいる自分だけに向けられた関心と熱がある。クラリッサはそう思った。
「もしよろしければ、次の一曲を僕にいただけませんか? もっとあなたのことを知りたいのです」
差し出された手と、自分だけを強くとらえる眼差し。
「もちろん、喜んで」
クラリッサは胸の高鳴りを自覚しながら、その手を取った。




