番外編 恋愛初心者ケルナー男爵の奮闘(二)
ゲオルクはアルブレヒトを応接室に招き入れた。
「お久しぶりです、ベルクマン男爵。お変わりありませんか?」
「あ? あ、ああ。こちらは大過なくクラリッサの謹慎も終えることができたし、健康そのものだ。ケルナー男爵の方も壮健なようでなによりだ」
「半年間連絡もせず、申し訳ありませんでした」
そう言ってアルブレヒトは頭を下げた。
実際、婚約の継続について話をして以来、アルブレヒトはベルクマン男爵家に来ることはなかった。
ヴァレーヌ侯爵家からの連絡などを手紙を通じて伝えたときも、返信はなかった。
「いや、それはクラリッサのことを考えていただいた行動だと思っている。気にしないでいただきたい」
「恐れ入ります」
「それで、今日はどのような?」
「いえ、今後どうなるかは別として、現時点で私はクラリッサ嬢の婚約者ですから、謹慎が明けた以上様子を見に来るのも義務かと思いまして」
「……なるほど」
いつもはっきりとした物言いをするアルブレヒトにしては珍しく、言葉が要らぬ寄り道をしている。
「ええと、それでですね」
「はい」
「その、ベルクマン男爵の許可がいただければ、なんですが」
「ふむ」
「クラリッサ嬢とのですね、面会をさせていただければと考えているのですが」
ゲオルクは驚いた。
もちろん要求自体に拒否しなければいけないような要素はない。
アルブレヒトはベルクマン男爵家にとって恩人であり、娘の婚約者であり、ゲオルクにとっては義理の息子になるかもしれない男だ。信頼もできる。
だが、なにも謹慎明け初日に連絡もなしにやって来て、まずゲオルクに許可を求めずとも良い気がしてならない。
だがそんな不器用さが、ゲオルクには面白く感じられた。
そんな思いが、ここのところ他人行儀になっていた口調を砕けさせる。
「もちろんいいとも。クラリッサを呼んでくるから、少し待っていてくれ」
「ありがとうございます」
ゲオルクは笑って応接室から出て行った。
しばらく待つと、応接室の扉がノックされた。
室内にはアルブレヒトしかいない。
ここはベルクマン男爵家の屋敷なのだから、ノックなしでも咎められることはないのだろう。
そう考えると、なんだかノックが遠慮がちなものに聞こえた。
アルブレヒトが返事をすると、扉が開かれ、クラリッサが入って来た。アルブレヒトは立ち上がる。
クラリッサは薄い青色のドレスを着ていた。初めての顔合わせのときも、薄い青色のドレスだったような気がする。同じものなのかどうかまでは、アルブレヒトには判断できなかった。
クラリッサは扉を閉めた。
ゲオルクは来ないらしい。扉を閉めた部屋で二人きりになれるのは、婚約者の特権だ。
アルブレヒトは、まだ自分はクラリッサの婚約者なのだと認められている、と感じた。
クラリッサはゆっくりと歩みを進めて、アルブレヒトの向かい側に立つと、深々と頭を下げた。
半年ぶりに見るクラリッサはやはり美しく、それだけではなく、所作までもが美しかった。
「アルブレヒト様、私の軽率な行為でご不快な思いをさせ、大変なご迷惑をおかけいたしました。お詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」
「頭を上げてください、クラリッサ嬢。謝罪を受け取ります。失敗があり、反省があれば、それは人生の実になるのだと私の母がよく言っておりました。今回の件がクラリッサ嬢の実になるよう願っています」
クラリッサは頭を上げて、尚も続けた。
「あの場でアルブレヒト様に助けていただいたこと、帰りの馬車の中でかけていただいた言葉、すべて覚えております。本当にありがとうございました」
「そうでしたか。いえ、そちらは婚約者として当然の義務を果たしただけです。どうぞお気になさらずに」
そうして二人はどちらからともなくソファに座った。
「半年の間、一度も連絡をせずに申し訳ありませんでした。冷たい男だと思われたかもしれませんが、謹慎中のクラリッサ嬢に婚約者が頻繁に接触していては、ヴァレーヌ侯爵家も納得しないかもしれないと考えたのです」
「はい、分かっております。むしろお気を遣ってくださり、ありがとうございました」
アルブレヒトはクラリッサに会うにあたって、話題を色々と考えてはいたのだ。
しかし実際に半年ぶりのクラリッサに会うと、考えていたことの大部分が吹き飛んでしまっていた。
「謹慎中は、どのように過ごされたのですか?」
「主に座学をやっておりました」
「ほう、どのような?」
「色々学びましたが、一番力を入れたのは商業の勉強でしょうか。各地の特産品の歴史や特徴であったり、商会運営に必要な事務であったりです」
「そうですか。それはベルクマン男爵もお喜びになったでしょう」
「え?」
「お父君はクラリッサ嬢が商業の勉強をなさって、お喜びになりませんでしたか?」
「あ、はい、喜んでくれました。家でできる範囲ではありますが、事務書類の手伝いも多少はさせてもらえました」
「そうですか、半年でそこまで。素晴らしいですね」
その後もアルブレヒトは何とか話題を思い出しながら、クラリッサと話をした。
クラリッサの声も半年前と変わらず、美しく聞き取りやすい。
見る限り、やつれた様子もなく、話す言葉もはっきりとしていた。
半年間の謹慎が心身に悪影響を及ぼしていないことに、アルブレヒトは安心した。
ただ、半年ぶりの会話だ。ややぎこちない。
まるで初顔合わせのときに戻ってしまったようだ、とアルブレヒトは思った。
「ええと、それでですね、クラリッサ嬢」
「はい」
「クラリッサ嬢は、観劇は、その。お好きですか?」
クラリッサは少し考える。
「それほど頻繁に多くの劇を観たわけではないのですが、好きな方だと思います」
「そうですか」
「アルブレヒト様は、観劇がお好きなのですか?」
クラリッサの言葉に、アルブレヒトはソファから身を乗り出した。
「実はそうなのです。休みの日は、もっぱら劇場で観劇や音楽鑑賞を楽しんでいました」
「そうなのですか」
「クラリッサ嬢はどのような劇がお好きでしたか?」
「そうですね、やはりその、恋愛ものが一番好みに合いました」
「いいですね、恋愛ものは本当に素晴らしい。若い役者が主役を演じることも多い題目ですから、台詞の解釈が大きくわかれるところがまた面白い」
「アルブレヒト様も、恋愛ものを好まれるのですか?」
「私自身は、群像劇ですとか推理ものですとか、歴史ものが好きなのですが、母が好きなのですよ」
「そうなのですか」
「同じ脚本を別の役者が演じるのを観るのも好きなのです。人によっては、この役はこの役者以外は認めない、という方もおられるのですが、私はそうは思いません。台詞ひとつ、間の取り方ひとつとっても役者によって解釈が異なる。この異なる解釈が同じ脚本からまったく別の魅力を生むのですよ」
いきなり早口に、饒舌になったアルブレヒトにクラリッサは少し目を見張る。
「歌劇も素晴らしい。やはりオーケストラの生演奏と、歌の臨場感は普通の劇では味わえない魅力があります。その中で人間の愛憎であったり、悲劇であったりを表現するのです。クラリッサ嬢は歌劇の方は?」
「あいにく、歌劇はまだ観たことがございません」
「そうですか……」
いきなり意気消沈するアルブレヒトにクラリッサは戸惑いながら、恐る恐る言う。
「あの、よろしければ、私に歌劇のことも教えていただけますか?」
「よろしいのですか!?」
「はい、ぜひ」
「でしたら、その、ちょうど歌劇を上演している劇団があるのです。クラリッサ嬢さえよろしければ、お誘いしても、よろしいですか?」
「もちろん、喜んで。ぜひ、歌劇の良さを教えていただきたいです」
クラリッサの返事を聞くや、アルブレヒトは立ち上がった。
「そうですか! それでしたら、チケットを確保してまたご連絡差し上げますので、よろしくお願いします」
「はい、お待ちしております」
アルブレヒトは駆け出すような勢いで帰っていった。
◇
「クラリッサ様、ケルナー男爵からお手紙が届いていますよ」
クラリッサはテレーゼから渡された手紙を受け取り、封を開けて中身を確認した。
そこには几帳面さを感じさせる文字で、観劇の日時と迎えに行く時間が簡潔に記されていた。
ただ、以前の夜会の誘いであればそこまでで終わっていたところに、一行だけ。
当日を楽しみにしております。
と記されている。
そこに、年上の婚約者の不器用な気遣いを感じるクラリッサだった。
いま、クラリッサは謹慎中に届いた友人たちからの手紙に返事を書いていた。
それらには、テレーゼが一度、クラリッサは現在体調不良で臥せっているため返事が書けない。回復次第連絡する、といった返書を送っていた。
ほとんどの相手から、その返書に対してさらにお見舞いの手紙が来ていたのだ。
体調が回復し、元気になったことを伝える返事を、一通ずつ書いている。
さらに、クラリッサ自身は一度も会ったことのない、アルブレヒトの商売相手からの見舞いの手紙も何通も来ていた。
文面には純粋な心配が記されており、クラリッサとしては心苦しくなるが、それも自業自得というものだった。
そしてそのほとんどには、アルブレヒトが婚約者の体調不良で意気消沈していることが記されていたのだ。
クラリッサはアルブレヒトの消沈は、心配ではなく自分の裏切りによるものだろうと考えていた。
アルブレヒトが夜会でクラリッサのことを自慢げに話していたこと。その婚約者が臥せってしまい、本当に落ち込んでいること。そして、また元気になった二人と夜会で会えるのを楽しみにしていること。
そんな文章は、きっと病で臥せっていることになっているクラリッサを元気づけるためのものだったのだろう。
それでも、クラリッサはそれらの手紙に元気づけられた。
それと同時に、どうしようもない後悔にも襲われた。
振り返れば、大切にされていたのだ。尊重もされていたし、信頼もされていた。
それなのに勝手な勘違いでそれらを踏みにじり、裏切った。
最低だった。
本来であれば、エドガーよりもヴァレーヌ侯爵令嬢よりも、アルブレヒトにこそクラリッサを罵る権利があったのだ。
けれど、アルブレヒトはその権利を行使しなかった。
通じ合っていると思った男は罵り、守ってくれると思っていた男には嘲笑われ、初めて会った令嬢には軽蔑と敵意を向けられたあの場で。
ただひとり、クラリッサの横に立ったのがアルブレヒトだった。
謹慎中のクラリッサは、あまりにも大きな後悔を抱えていた。
夜ベッドに横になると、罪悪感で押しつぶされそうになり眠れなかった。
そんな夜を何日も過ごした。
それでも、自分で消化していくしかなかった。
もしアルブレヒトが会いに来たり、手紙が来ていたりしたら、きっとそれに縋っていただろうと思う。
謹慎が終わるころには、クラリッサは考えるようになっていた。
自分は、アルブレヒトの妻として相応しくはない、と。
次の縁談があるかはわからない。不安だ。
だとしても、このままアルブレヒトに甘えていいはずがないと思ったのだ。
アルブレヒトであれば、自分以外の良縁が幾らでもあるはずだ。
ゲオルクもテレーゼも、婚約についてはクラリッサに何も言ってこなかった。
アルブレヒトは、クラリッサに婚約に関して選択肢を示してくれていた。
きっと、返事を待っている。
決心がつかないまま、半年も待たせてしまった。
そんな風に考えていた、謹慎明けの初日。
半年間音沙汰がなかったアルブレヒトが現れ、観劇に誘ってくれたのだった。
クラリッサの中に、甘えていてはいけないという意識と、甘えてもいいのだろうかという意識が混ざり合っている。
ふと、アルブレヒトが語った、彼の母の言葉を思い出す。
失敗があり、反省があれば、それは人生の実になる。
半年前に最低の裏切りをした女だ。
その自分が、人生の実を共に育てたいと思うなど、あまりにも身勝手で恥知らずな気持ちではないのか。
ただでさえ、自分の心に正直に従った結果が、あの馬鹿げた行動である。
クラリッサは、自分の心に正直に従って良いのか、わからなくなっていた。
悩みながらも、観劇当日はやって来た。
アルブレヒトは約束通りの時間ぴったりにベルクマン男爵家に来た。
夜会に行くときよりは軽い服装だ。
クラリッサも、夜会に行くときのようなドレスではなく、通常の外出用の装いを身につけている。
アルブレヒトにエスコートされて、馬車に乗り込んだ。
「今日の歌劇は、どんなものなのですか?」
尋ねたクラリッサに、アルブレヒトは笑顔で色々と教えてくれた。
どうやらアルブレヒトは相当に芝居と音楽が好きらしい。
そんなことも、クラリッサは知らなかった。
劇の話になると、まったく話が尽きることがなかった。
あの劇団は毎回違った趣向で面白いだとか、あの劇団は毎回同じテーマを色んな脚本で作っているだとか。
クラリッサの知らない世界だった。
「その、あまり興味がない話で退屈ではありませんか?」
そう言われたが。
「そんなことはありませんよ。アルブレヒト様の説明は面白いです。ぜひ、もっと色々聞かせてください」
本心だった。
アルブレヒトは柔らかく微笑むと、さらに色々と教えてくれた。
物語については観てのお楽しみということだったが、今回の悪役を演じる役者は劇団の看板役者のひとりで、普段は格好いい主人公級の役を演じることが多いそうだ。
その彼が悪役を演じるということで、アルブレヒトは非常に楽しみにしているらしい。
そんなことを話していると、馬車はすぐに劇場に到着した。
案内されたのは、舞台が良く見える二階のテラス型桟敷席だった。
そこでも開演を待ちながら話す。
普段はひとりで観劇することが多く、そのときは一般席で観ることが多いらしい。
「なんとなく、こういった席の方が良い席だと思っていましたが」
「ええ、基本的にはそうです。値段もこちらの方が高く設定されています。しかし、あまり隣や前後の客に邪魔されず集中して観ることができる、という部分によるところも大きい。劇そのものを観る場合には必ずしも最良とは言えないのです。私などは気に入った劇で公演日程に余裕があれば席を変えて二度観たりもします」
「そうなんですか」
「その、クラリッサ嬢がお気に召したら」
「はい」
「……いえ、まずは今日の劇に集中しましょう」
そうして歌劇が始まった。
全四幕構成で、主人公の少女と、幼なじみの青年の恋を描いたものだった。
第一幕、主人公の少女には幼いころから共に育ち、思いを通わせ合っていた青年がいた。きっと将来は結婚しようと約束し、絆を育んでいく。あらすじとしてはそんなものだ。
思いを通じ合わせるところなどが歌で表現されていて、クラリッサは驚いた。
第二幕、きっと叶えられると思っていた二人の約束にひびが入る。少女の可憐さに目を付けた悪い貴族が、自分の妻にしようと両親を脅したのだ。悪い貴族は少女より十歳以上年上で、しかもすでに妻までいる。第二夫人にしようというのだ。少女はもちろん拒否するが、悪い貴族の権力によって両親が苦しめられる姿を見て苦悩するのだ。
クラリッサは途中からどうしてこんなに愛し合っている二人の邪魔をするのかと、悪役に本気で腹を立てた。
幕間に休憩時間があり、アルブレヒトとそのことを話すと、アルブレヒトも同じように腹を立てたらしい。
しかし、アルブレヒトは、それは役者が本当に素晴らしいからだと言った。
あそこまで観客に憎まれる演技はなかなかできない。だからこそ、主役二人に観客は感情移入できるのだと説明されて、クラリッサは思わず納得した。
第三幕、ついに権力に抗しきれなくなった両親は、少女を貴族に売ってしまう。泣きながら謝る両親に、少女は文句を言えない。諦めが心を支配するところなどは圧巻だった。オーケストラの演奏と、悲しみの歌が劇場に響き、クラリッサは気づけば落涙していた。
しかしそれすらまだ悲しみの入り口だった。少女は青年に別れを告げる。青年は納得しない。共に逃げようと言うのだ。だが少女はその手を取れなかった。どうしても両親を見捨てられないのだ。涙ながらに別れを選ぶ二人。
クラリッサは完全に舞台に見入っていた。ふと、手に何かが触れる。アルブレヒトが差し出したハンカチだった。
クラリッサはそれを受け取り、涙をぬぐった。
第四幕、少女と貴族の結婚式。誓いの言葉。生涯相手を愛する、それを少女はどうしても口にできない。
苛立った貴族は、少女に手をあげてしまう。オーケストラが一斉に音をだし、空気が震える。クラリッサは一瞬自分が殴られたかのように身体を跳ねさせた。
そのとき、青年が結婚式に乱入してくる。少女を返せ、と貴族に立ち向かっていく。
しかし貴族はこのことを予想していた。雇われた荒くれ者たちも乱入してきて、青年と殴り合いが始まるのだ。
殴られ、傷ついていく青年の姿に、ついに少女の心が折れる。貴族への愛を叫び、乱暴を止めさせようとしたそのとき、教皇が突然その場に現れる。
神聖なる教会を汚した悪役貴族に、破門を言い渡すのだ。劇中設定として、破門されては生きていけないくらいの大変なことらしい。それで、貴族は少女を諦めるからとどうにか破門を回避しようとする。
しかも少女と青年の愛に感動した教皇が、その場を二人の結婚式にしてしまうのだ。貴族も、破門が回避できるならとそれを承諾。
二人は幸せな結婚をして、めでたしめでたし、という内容だった。
「最後はずいぶん駆け足でしたね」
歌劇が終わると、アルブレヒトはそう言った。
「そうですね、私もそう思いました。でも、三幕まではすごく良かったです。私、二人が別れてしまうシーンは泣いてしまいました」
「ええ、私も三幕までの完成度の高さには感心しました」
「では四幕は?」
「正直なところ、いまいちでした」
「私もです」
そう言って、二人で笑った。
「やはり少し展開が強引でしたね。思い切って悲恋に振り切ってしまっても面白いものになったかもしれません」
「そうですか? 私はやっぱり二人には幸せになってほしかったです」
「強引さをなくして、それでいて二人が幸せな結末。なかなか難しい注文ですね」
「二人で駆け落ちしてしまっては、両親が不幸になってしまいますしね」
「そこが、難しいところです」
言いながら、アルブレヒトが立ち上がった。
「もしよろしければ、食事でもしながら感想を語りませんか」
「はい」
クラリッサも立ち上がり、エスコートのために差し出された腕を取った。
クラリッサの迷いが、ひとつ消えた気がした。
この日アルブレヒトは、次に休む予定の日を伝え、次の観劇の約束を取り付けてから、クラリッサをベルクマン男爵家に送り届けた。
◇
クラリッサの謹慎が明けてから三か月が経った。
その間、アルブレヒトは頻繁にクラリッサを誘い、観劇と音楽鑑賞に出かけていた。
夜会については、一度だけアルブレヒトの商談が短く済む予定のときに二人で出席した。
商談を終えたアルブレヒトはすぐにクラリッサのもとに戻って来て、二人でダンスを踊った。
考えてみると、アルブレヒトがクラリッサとダンスを踊るのはそのときが初めてだった。
アルブレヒトのダンスは、どうにか踊れる、という程度の実力で、クラリッサにリードしてもらうような状態だった。
それでもクラリッサはなんだか楽しそうに見えたので、アルブレヒトは最近商会のダンスが踊れる従業員に頼んでダンスを習っている。
ある日、ゲオルクがアルブレヒトを訪ねてきた。
これは商談が目的である。
特に問題なく商談を終えたところで、アルブレヒトが切り出した。
「ところで、ベルクマン男爵、少々よろしいでしょうか」
「うん? そんなに改まって。クラリッサと何かあったのかい?」
「いえ、なにかあった、という訳ではないのですが」
アルブレヒトは言いづらそうにしている。
「つまり、あれです」
「あれとは」
「私と、クラリッサ嬢の婚約についてです」
「婚約……」
「そうです。クラリッサ嬢は私との婚約について、何か仰っていませんでしたか?」
「なにか」
「ですから、私との婚約を、継続するのか、解消するのか、そのことについてクラリッサ嬢はどうお考えかということをですね……」
ゲオルクは一瞬呆然として、しかしすぐに気を取り直して聞き返す。
「二人で話したのではなかったのかね?」
「いえ、話しておりません。私から聞くと、その、強制しているようではありませんか」
「しかし、クラリッサの謹慎明け初日に会いに来ていたよね?」
「行きました」
「その後観劇に誘った」
「誘いました」
「何度も一緒に観劇や音楽鑑賞に行っていると把握しているんだが」
「それは、まあ何度か行きましたが」
「婚約については、話をしていない?」
「していません」
さすがのゲオルクも、恩人ではあるが未来の義理の息子になるかもしれない男に対して、何とも言えないような表情を向ける。
「そうか……いや、私と妻はてっきり二人でもう話し合ったのだろうと思っていたんだ」
「そうですか」
「そういうことなら、私からクラリッサに確認をしてアルブレヒト卿に連絡を入れよう」
「ええ、くれぐれもクラリッサ嬢に強制することなく、彼女の意思を優先してあげてください」
ゲオルクは何とも言えない表情をさらにゆがめた。
ゲオルクが帰っていくと、その日のうちに早馬で返事が来た。
アルブレヒトは届いた手紙の封を震える手で開けて、中身を取り出す。
そこにはゲオルクの字で、クラリッサはアルブレヒト卿が望んでいるのならば婚約を継続したいと思っているようだ、と書いてあった。
ゲオルクに言われて、アルブレヒトとの婚約について継続の意思を示した翌日の朝。
「お嬢様! ケルナー男爵がお見えです!」
自室にいたクラリッサを使用人が呼びにきた。
昨日の、今日である。約束はない。
婚約についての話だろうと思いながら、クラリッサは立ち上がった。
結局、何度もアルブレヒトと過ごすたびに、迷いは消えていった。
未来を考えたとき、この人と自分の未来を作っていきたいと思ったのだ。
その心に従って良いのだろうかという迷いはまだあったが、前日にゲオルクに聞かれたときには、迷うことはなかった。
応接室ではなく、玄関広間で待っているというアルブレヒトのもとに歩みを進める。
アルブレヒトは夜会にでも出席するかのような正装で、薔薇の花束を持って立っていた。
「お待たせいたしました、アルブレヒト様」
クラリッサが声をかけると、アルブレヒトは弾かれたように視線をあげた。
「昨日、ベルクマン男爵からの知らせを受け取りました」
「はい」
「クラリッサ嬢は、私が望めば婚約を継続してもよい、とお考えだそうですね」
そう言われると、少し違う気がする。
クラリッサが言ったのは、アルブレヒト様が望んでくださるのなら私は婚約を継続したいです、だ。
ゲオルクの伝え方が悪かったのか、アルブレヒトの受け取り方が悪かったのか。
しかしいまはそこを確かめる必要はない気がする。
「……はい」
「私は、クラリッサ嬢を妻に望んでいます。私はあなたより十六歳も年上だし、あなたにとって面白みのない男かもしれません。しかし、あなたとの未来を共有したいと考えています。私の妻になっていただけますか」
そう言って、花束を差し出してきた。
クラリッサは迷わなかった。
花束に手を伸ばし、受け取る。
「ありがとうございます、アルブレヒト様。私こそ、大きな失敗をしでかすような女ですが、ぜひあなたの妻にしてくださいませ」
アルブレヒトはクラリッサの返事を聞くと、安心したように息を吐いた。
「ところで、クラリッサ嬢」
「はい」
「指輪は、私が選ぶよりもクラリッサ嬢のお好みのものを選んだ方が好ましいと思ったので、まだ準備しておりません。今度、一緒に見に行きましょう」
クラリッサは輝くような笑顔で返事をした。
「はい!」
こうしてアルブレヒト・ド・ケルナーは、十六歳年下の婚約者と結婚することを決めた。




