それが
この日は、ベルクマン男爵令嬢クラリッサの結婚式が行われる日だった。
結婚の相手は、ケルナー男爵アルブレヒトである。
あの日から、一年半が経ち、クラリッサは十九歳になっていた。
半年の謹慎と、その後の一年間を経て迎えた結婚式の日は、雲一つない快晴に恵まれた。
男爵家同士とはいえ、どちらも資産家である二家の結婚式には、多くの来賓が集まり、祝福の知らせも届いている。
結婚式は教会で行われ、披露宴は別の会場で行われる予定だ。
披露宴会場では、ベルクマン男爵家とケルナー男爵家の使用人たちが忙しそうに準備を進めている。
「マリー様」
「はい。何かありましたか?」
「お祝いの花が届いているのですが、予定になかったものが幾つかありまして。爵位の高い家からのものでしたので、どの場所に置くべきでしょうか?」
結婚式や披露宴に花の贈り物はつきものだ。
男爵家や子爵家の結婚式では、特に高位貴族から贈られた花は、その家の実力を示すものとして重宝されていた。
つまり、我が家は高位貴族から祝われるほどの力を持っているのですよ、という訳だ。
それだけに、花を粗雑に扱う訳にはいかない。
想定される家から送られてくる花には、事前にしっかりと置き場所や並べる順番などが決められていた。
同格の家からのものであれば、予定になければ予備で確保していた場所に置いて問題がないだろうが、高位貴族からのものともなればそうはいかない。
「そうですか、どちらの家からのものです?」
「ええと、アルノー伯爵家、ハルデン伯爵家、あとヴァレーヌ侯爵家からですね」
「……」
マリーは思わず絶句した。
予定に入っているはずがない。
「送られてきたものは、花、ですか?」
「え? ええ、花です。見事な花でしたよ」
「そうですか」
マリーは少し考えて。
「さすがに、私たちでは判断できませんね。アルブレヒト様に判断を仰ぎましょう」
「わかりました」
控室で準備をしているアルブレヒトのもとに、若い使用人が駆けて行った。
マリーは届いたという花を見に行く。
なるほど、確かに普通の花だった。
いや、豪華さで言えば特にヴァレーヌ侯爵家からのものは群を抜いている。
確認した限りでは、結婚祝いに相応しくないような花も見当たらない。
つまり、本当に結婚祝いの花を贈ってきたのだろう。
マリーは少し笑って、準備に戻った。
婚礼衣装を身にまとい、髪型と化粧を整えたクラリッサが待機している部屋に、ノックの音が響いた。
返事をすると、ドアが開かれ、テレーゼとゲオルクが入って来た。
ゲオルクはクラリッサを見ると目を細めて、言った。
「綺麗だよ、クラリッサ」
「ありがとうございます、お父様」
テレーゼは手紙の束を持っていた。
「クラリッサ様、こちら、お祝いの手紙ですよ」
遠方に住んでいたり、都合が悪かったりして、結婚式に来ることのできない知人も多い。
そういった友人たちからは、こうして手紙が届く。
クラリッサは宛名を確認しながら、友人たちの顔を思い浮かべ、微笑んだ。
ありがたい、と思う。
結局、ヴァレーヌ侯爵家からの指示により、クラリッサの謹慎の理由は伏せられた。
だから友人たちは、クラリッサは謎の体調不良で半年ほど臥せっていたと思っている。
友人たちに本当のことを言えない心苦しさはあったが、それでも結婚式に出席してくれる者だけではなく、こうして手紙で祝ってくれる者までいる。
嬉しいことだとクラリッサは思った。
手紙を確認していくと、見たことのない封蝋が押された手紙を見つけた。
首を傾げながら署名を確認すると、そこにはヴァレーヌ侯爵令嬢の名前がある。
クラリッサは一瞬硬直する。
その顔は、いまでもはっきりと思い浮かべることができる。
クラリッサを汚らわしい女と罵り、軽蔑の視線を投げつけてきた顔を。
慎重に封蝋を剥がし、中身を取り出した。
二つ折りにしてある紙を開いてみると、そこには一行だけ。
ご結婚おめでとうございます。
とだけ書いてあった。
紙を隅から隅まで見て、裏返してみてもそれ以外は何も書かれていなかった。
クラリッサは思わず笑ってしまった。
彼女はなんのつもりで、どんな気持ちで、送る必要などないはずのこの一行を書き、封をして送ったのだろうか。
クラリッサにはわからなかった。
クラリッサが手紙を読むのを、テレーゼは黙って見守っていた。
手紙を確認し終えたクラリッサの視線がテレーゼに向く。
テレーゼの瞳が揺れていた。
もう泣きそうではないか、とクラリッサは思った。
初めてテレーゼの涙を見たあの日以来、クラリッサのテレーゼに対する印象は大きく変わった。
冷たい女性だと、長い間思っていたのだ。
けれど、テレーゼは普通に泣くし、普通に笑う。
羊肉よりも鶏肉の方が好きで、鶏肉が食事に出たときはなんだか嬉しそうにしている。
結婚式の作法に関する授業のときは相変わらず厳しかったけど、クラリッサはもうそれを冷たいとは感じなかった。
「……わがままを言っても、いいですか」
クラリッサの言葉が自分に向けられたものだとは思わなかったのだろう。
テレーゼはゲオルクを見た。
「違います、テレーゼさんにです」
テレーゼは一瞬目を見張ると、二度頷いた。
「え、ええ、もちろんです。私にできることであれば」
「はい。えっと……」
クラリッサは少し視線を迷わせる。
最終的にテレーゼを真っ直ぐに見つめて。
「私のことは、クラリッサと呼んでください」
テレーゼの目が大きく開かれる。
「でも、クララは駄目です」
この言葉には、ゲオルクが反応した。
世界でただ一人、クラリッサをクララと呼んでいた存在を思い出す。
けれどクラリッサは柔らかく微笑んで続けた。
「もう、小さな子供ではないからです。駄目ですか、お母様」
テレーゼは両手で顔を覆った。
そして、クラリッサ、クラリッサと何度も呼ぶ。けれど、両手は顔を隠したままだ。
クラリッサはゆっくりとテレーゼに近づき、両手でその身体を抱きしめた。
思っていたよりも、ずっと小さく、そして、温かかった。
ゲオルクはそんな二人を、ただ黙って涙を流しながら見ている。
控室にノックの音が響き、アルブレヒトが入って来た。
テレーゼを抱きしめるクラリッサを見ると、扉を閉めて、何も言わずに待った。
しばらくして、クラリッサが手をほどき、アルブレヒトに向き直る。
「よくお似合いですよ、クラリッサ嬢」
何の飾りもない、洗練もされていない褒め言葉だった。
けれど、クラリッサはそれが嬉しい。
なにせ、この十六歳年上の婚約者は女性の扱いに慣れていないのだ。
華麗な褒め言葉を期待する方が間違っている。
「ありがとうございます」
「ああ、いや。今日私たちは結婚するのですから、今日からはクラリッサ夫人ですね」
クラリッサは思わず少しだけ吹き出してしまった。
「クラリッサ夫人、ですか?」
「ええ、ご不満ですか?」
「いえ、いまは嫌ではありません」
「そうですか」
「もし他の呼び方で呼んでほしくなったら、言います」
「ええ、そうしてください」
クラリッサは軽く振り返る。
ゲオルクは妻の肩を抱いて、泣いている。
幼いころからクラリッサを見守ってくれていた父だ。
テレーゼはまだ泣いている。
厳しくも優しい、冷たいところもあるけど温かい母だ。
そうして自分の隣に立つ男を見る。
クラリッサが謹慎していた半年の間、アルブレヒトは一度も会いに来なかった。
手紙も、一通もなかった。
けれど、謹慎が明けてからの一年間は、二人で何度も話をした。
十六歳年上で、仕事ができる。弁も立つ。色んな人からの信頼も厚い、立派な男だ。
そして、女性の扱いは上手くない。
今日からクラリッサの夫になる。
それが、クラリッサの世界だ。
これにて、クラリッサとその家族、十六歳年上の婚約者の物語は完結です。
お読み下さり、ありがとうございました。
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