朝焼けは、あなたの瞳の色
その日、太陽が昇った。一週間ぶりに太陽が昇ると、人々はまるでいつもの朝のように、一斉に目を覚ました。
そして、誰よりも早く起きたのは、サンだった。サンは誰かに身体を揺すられて起きた。温かいものが頬に触れ、額を撫でた。まるで頭を撫でられているかのようだった。
その温もりはサンが目覚めるまで、柔らかく全身を包んでくれた。
サンは、抗えない眠気とずっと戦っていた。だって、今日は成人の日だ。早く起きて、母親からルーナーと一緒に住む許可をもらわないといけない。ルーナーへのプレゼントも、今日受け取りに行く予定だった。
本当に強い眠気だったけれど、何度も起きようと頑張っていた。だから、優しく起こしてくれるこの温もりのおかげで、早く目覚められた。
「ルーナー……?」
(何この声……!)
重い瞼を開けて室内を見ようとして、強い光に目を閉じる。光が目に刺さって痛い。身体を起こそうとしたけれど、全身が痛んでやめた。代わりに、ゆっくりと手だけを動かしてみた。
手は動く。頭がひどく痛い。喉もカラカラだ。サンは目を閉じたまま、そっと喉元に手をやった。
喉元には、何かがある。
(ルーナーがくれた、太陽の石だ)
サンは無意識に、それを握りしめた。その瞬間、太陽の石が熱くなる。その熱が喉元から全身に行き渡り、サンの身体を包んだ。喉の奥に、一気に水分が入ってきたみたい。サンはびっくりして、むせた。
「ゴホッ! ゲホッ!」
サンは飛び起きた。先ほどまで鉛のように重かったのに、今は羽根のように軽い。痛みも一切なくなった。
「何これ、どういうこと?」
しゃがれた声も元の声に戻っている。サンはもう一度、首にかけていた太陽の石を、手のひらに載せて見つめた。
昨日まで赤く輝いていた石は、今は光を失ったルビーになっていた。ルーナーの瞳のような、深い朝焼けの色ではない。サンは嫌な予感がして、急いで部屋から出た。
廊下に出た瞬間、サンは足を止めた。
突き当たりの窓が、赤く燃えていたからだ。
朝焼けだった。昇ったばかりの太陽が、雲の縁を、屋根の連なりを、窓硝子を、一面の赤に染め上げている。サンは吸い寄せられるように窓辺に近づいた。
深くて、柔らかくて、どこまでも美しい太陽の色。ルーナーの瞳の色だ。
(綺麗……)
そう思ったのに、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
お父さんが死んだ朝も、こんな空だった。三人で泣いて、泣き疲れて、それでも夜は明けて、この色を見た。あの日、この色がサンたち家族を引き止めてくれた。
初めてルーナーに会った日も、サンはこの色に助けられた。
いつだって、この色はサンを救ってくれた。それなのに、どうして今は、見ているだけで泣きそうになるんだろう。
手のひらの石を見下ろす。光を失ったルビーは、空の赤と比べると、まるで抜け殻みたいだった。石の中にあった色が、全部あの空に溶けていってしまったみたいに。
(……ばかみたい。石の色が、空に行くわけないじゃない)
サンは首を振って、窓から目を逸らした。今は、それよりも確かめなきゃいけないことがある。
「お母さん」
母親の部屋の扉を、そっと開ける。母親はベッドの中で、静かに目を閉じていた。
静かすぎる。サンは息を止めて、ベッドに駆け寄った。胸元の毛布が、かすかに上下している。生きている。それだけで、膝から力が抜けそうになった。
「お母さん、お母さん」
肩を揺すると、母の瞼がゆっくりと持ち上がった。
「……サン?」
その声は、さっきのサンと同じように、ひどくしゃがれていた。頬はこけて、唇はひび割れている。いつも笑ってサンの髪を撫でてくれる人とは、まるで別人だった。
「待ってて。今、お水持ってくるから」
サンは台所へ走った。
台所は、しんとしていた。やっと晴れたからか、昨日よりは暖かい。昨日の夜は夏なのに肌寒くて、暖炉に火を入れた。朝の早い母も、起きたら真っ先に火を入れるはずだ。それなのに、灰は白く固まり、火の気は少しも残っていない。棚の蝋燭は根元まで燃え尽きて、溶けた蝋が皿の上で固まっていた。
テーブルの上に、布をかけた籠が置いてある。今日のお祝いのために、母親が焼いてくれていたパンだ。サンの好きな、木苺のジャムを練り込んだパン。布をめくると、その表面には、白と緑のカビがびっしりと生えていた。
サンは、布を持ったまま動けなくなった。
窓辺のハーブの鉢植えは、どれも茶色く萎れて首を垂れている。水差しの牛乳は、つんと酸っぱい匂いがした。
テーブルの縁を指でなぞると、薄く白い筋が残った。埃だ。
(昨日じゃ、ない)
たった一晩で、パンにカビは生えない。ハーブは枯れない。埃は積もらない。
サンが眠っている間に、何日も、何日も過ぎていたのだ。
水瓶から水を汲む手が震えた。水面に映る自分の顔が、揺れて歪む。部屋に戻り、背中を支えてコップを口元に当てると、母親は少しずつ、ゆっくりと水を飲んだ。
「……ありがとう、サン。変ね。なんだか、ずっと長い夢を見ていたみたい」
母も、分かっていないのだ。サンは何も言えずに、ただ母の手を握った。その時、窓の外で犬が吠えた。一匹じゃない。あちこちから、何匹もの犬が、何かに怯えるように吠え立てている。
サンは、胸元の石をもう一度握りしめた。熱は、もう戻ってこなかった。
「お母さん、少しだけ寝てて。すぐ戻るから」
「サン……?」
母の声を背中に聞きながら、サンは家を飛び出した。
行き先は、決まっている。
あの朝焼けの色をした瞳の人がいる、丘の上の家だ。
ルーナーの家までは、歩いて三十分ほどかかる。はやる気持ちを抑えられず、サンは走った。
街は、まだ半分眠っているようだった。
戸口に座り込んだまま、ぼんやりと空を見上げている老人がいた。窓から顔を出した女の人は、自分の手のひらを不思議そうに見つめている。誰もが、何が起きたのか分からないという顔をしていた。
道の端では、痩せた犬が倒れた籠に鼻を突っ込み、腐った野菜を漁っていた。サンが駆け抜けると、犬はびくりと顔を上げ、低く唸った。あばら骨が浮き出るほど痩せたその身体に、サンは思わず目を逸らした。あちこちで吠えていたのは、こういう犬たちだったのだ。飼い主が眠っている間、誰にも餌をもらえなかったのだろう。
街を抜けて丘への道に入ると、景色が変わった。
太陽は空を明るく照らしていた。並び立つ木の枝を、緑の葉を、地面に落ちる雨上がりの雫を輝かせていた。久しぶりの晴れ間だ。空は青く、雲一つない。太陽の光はサンに降り注ぎ、暖かな陽射しをくれた。
風がサンの身体を通り抜ける。鳥が嬉しそうに、ピィーっと鳴いた。それでもサンは止まらなかった。
あの日無断で入ったルーナーの家の門扉。乱れる息を整えて、サンはゆっくりと押し開けた。




