いつか、太陽の下で(完結)
つい昨日来たはずのルーナーの家は、ずっと閉ざされたままだったような重い空気が漂っていた。カーテンは閉め切られ、薄暗い室内はしんと静まりかえっている。
この時間ならルーナーは、寝ているはずだ。首にかけていた、銀色の懐中時計を手に取った。
「えっ……?」
朝になったばかりのはず。なのに時計は三時を指していた。もう昼の三時? そんなはずはない。サンは懐中時計が壊れたのか確認するために二回振った。もう一度、時計を見る。秒針が、動いていなかった。
サンは焦る気持ちのまま、踊り場からルーナーの寝室に向かう。階段を上る。手すりに掴まって、埃を被っていることに気づいた。今までは、ルーナーはちゃんとこまめに掃除をしていたのに。
階段を上って、右手奥がルーナーの部屋だ。大きなベッドで、いつも布団を顔まで被って寝ている。サンはノックもせずに扉を開けた。
「ルーナー!」
開け放った扉の先には、誰もいなかった。
(こんなに陽が出ているのに、どこにいるの?)
サンは二階の部屋を全て見て回った。執務室、二階の物置、図書室、客室。どこにもいなかった。
(出かけてる? 太陽が出てたら危ないのに!)
駆け足で階段を下りる。キッチンでご飯を作っているのかもしれない。奥にあるキッチンの扉を開けた。
しんと静まりかえったキッチンは、ずっと使われていないかのように、全てのものが片付けられていた。
(なんで? 食堂にいるの?)
隣にある食堂に足早に向かう。バン! と、音を立てて扉を開けた。食堂のテーブルには、サンの成人のお祝いをしたときの蝋燭が、並んだままになっていた。
サンは泣きたくなった。ルーナーがいない。昨日のはずだ。昨日、成人するサンにたくさんの幸せをくれたルーナーがどこにもいない。
ふらつきそうになる脚に力を入れる。気合いを入れるために、両手で自分の頬を叩いた。ルーナーの家は広い。もしかしたらサンを驚かせるために、かくれんぼをしているのかもしれない。
サンは、得意のかくれんぼでルーナーを見つけるため、まずは二人がいつも過ごしていた応接間に向かった。
応接間は、玄関から入って踊り場の左手すぐにある。大きな扉のドアノブを回すと、そっと中をのぞいた。
まず目に入ったのが、壁に飾られていたサンの作品たち。拙い子供の絵に、押し花に、ソファにはパッチワークで作った膝掛けが置かれている。
森で拾ったどんぐりや松ぼっくりで作ったリース、珍しく大きな布が手に入ったので母親と作ったウサギの人形。片耳が小さくなってしまったので、あげるのをやめようとしたらルーナーがもらってくれた。
赤いビーズの目を縫った、ルーナーに似た黒い人形は、十四歳の時のサンの誕生日から応接間の片隅の椅子の上にいる。
サンはゆっくりとウサギの前にしゃがみ込んだ。
「あなたのご主人様はどこにいるのよ」
だめだ。涙が出る。急いで上を向いた。そのまま、壁に飾られている、ルーナーの肖像画に気づく。少し幼い頃の、ルーナーの絵だった。
緊張したように口を結んで、真剣な眼差しでこちらを見ている。肩までの長さの黒髪に、赤い朝焼けみたいな瞳。サンがずっと欲しがっていた、ルーナーの絵だった。
「ここに、飾ってて、くれたんだ」
サンは吸い寄せられるように、その絵を見た。飾られていた場所は、部屋の中心の、サンのいつも座っている場所から一番よく見えるところにあった。
そのままサンはいつもの場所に腰掛ける。ソファがサンの体重分だけ深く沈んだ。
ルーナーの絵をじっと見た。少しの間だったけれど、長いような気もした。ふと、目の前のテーブルに、白い封筒が置いてあることに気づく。サンは手を伸ばして封筒を取った。
ルーナーの字だ。彼の字で、「サンへ」と書かれていた。サンは封筒を開けて、数枚の便箋を手に取る。
「サンへ。きみに直接言えないから手紙を書いたよ。……ルーナー、手紙書いてくれたんだ」
サンは笑う。そして、一度肖像画のルーナーを見つめて、手紙を読み出した。
『サンへ。
きみに直接言えないから手紙を書いたよ。
まずは成人おめでとう。サンの成人をお祝いできて、僕は本当に嬉しいよ。
サン、きみが初めてうちに来た日、正直僕はきみのことがとても怖かった。
理解できない存在がこんなに怖いなんて、初めて知って衝撃を受けたんだ。笑えるよね、きみは吸血鬼が怖かったと言ったけれど、僕のことは一度も怖がらなかったのに。
きみが初めて僕を抱きしめてくれた日のことは、今でも忘れられない。
両親が僕を抱きしめてくれたのは、実は数百年も前だったから。人から与えられる温もりが、こんなにも心を温かくするなんて忘れていた。
だからかな、無邪気にきみが僕の手を握ってくれるたびに、僕は自分も人間になったみたいな気持ちになれた。
僕が人とご飯を食べられないことを、僕以上に気に留めてくれたきみは、鶏を差し入れしてくれて、鶏の血を鍋で煮てスープにしてくれた。たぶんさ、僕が初めて煮た血を飲んだ吸血鬼だと思う。きみが隣でチキンスープを飲んでくれたおかげで、誰かと食べる食事のおいしさを初めて知れたんだ。
人間なんて嫌いだった。狭量で、自分の理解の範疇外のものをすぐ迫害する。何もしてなくても攻撃してくる。
僕は、いつも敵ばかりの世界で生きていたと思い込んでた。でもね、サン。きみのおかげで、僕の世界は広がったんだ。
僕は太陽の下を歩けない。でも、きみの髪の色が太陽の色だって知っていたから、それだけでよかった。僕は昼間の空の下を歩けない。でも、きみの瞳の色が、昼間の空の色だって知ってたから、それだけでよかった。
僕は世界を自由に歩けない。でもね、サン。きみが、笑ってくれるだけで、僕は世界で一番自由になれた。
きみのためなら、なんだってできると、そう思えた。
きみが笑って、太陽の下、自由に駆け回る姿を見ることが、僕にとっての唯一の夢だったんだ。
だから太陽を取り戻してくるよ。サンに会えなくなってしまっても、僕は太陽を取り戻すんだ。
成人おめでとう。僕からきみへ贈るプレゼントは、太陽だよ。誰よりも太陽の似合う、愛しい僕の友達。
きみとした約束をまもるために、次は僕からきみに会いに行くよ。
きみをしばらくの間ひとりにしてしまうことが心残りだけど、その間、太陽がきみを照らし続けてくれるから。だから、大丈夫。きみほど太陽に愛されている子はいないからね。
僕が会いに行くまで、幸せになって待っててほしい。
いつか、一緒に太陽の下、自由に駆け回れることを祈って。
ルーナー
追伸
この屋敷は、僕の両親から受け継いだ大切なものだ。僕から大切なきみに全て譲る。』
ルーナーは、太陽をサンに贈ると言った。
(吸血鬼が、太陽を取り戻す?)
サンは立ち上がった。そのまま応接間のカーテンを勢いよく開ける。
真っ青な雲ひとつない空。金色に変わった太陽が世界を照らしている。
「ルーナー? どういうこと?」
サンは手紙を持ったまま部屋を飛び出した。家の中は全て探した。でも、また探した。寝室に、図書室に、執務室に客室。キッチンに食堂、初めて入った浴室や、洗濯室。隠れられそうなところは全て、必死にルーナーの名前を呼んで探した。最後は叫んでいたと思う。どこにも、ルーナーがいない。
涙が頬を伝う。乱暴に腕で涙を拭って、サンは走って庭に出た。意味を理解したくなくて、庭の木陰や、物置小屋も全て見た。
どこにも、ルーナーが、いない。
「なんで! なんで、なんで、いないのっ!」
空を見上げると、そこには太陽がある。でも太陽がいない。サンにとっての太陽が見つからない。
サンはもう一度、応接間に行った。手にはルーナーからの手紙が握りしめられていた。涙が止まらない。腕で拭っても溢れ出てくる。なんで、どうして。サンはずっとそればかり考えていた。
昨日まではいた。ルーナーが、サンと約束してくれた。なんで直接成人おめでとうと言ってくれないの。
駆け込むように応接間の、ルーナーの絵の前にいく。どうして、ルーナーがいないの。絵に向かって、叫ぼうとして、止まった。
肖像画の縁のところに、ちょうど、懐中時計があった。月と太陽の模様が刻まれた、サンがもらったのと同じ懐中時計。涙を流しながら、サンはゆっくりそれを手に取った。
懐中時計の蓋を開ける。そこには「ステラからシリウスへ」と刻まれていた。知らない名前だった。でも、きっとルーナーのお父さんとお母さんだ。
時計の針は、三時で止まっていた。サンの時計と、同じ時刻だった。
「う、あぁぁ……」
サンは、理解した。ルーナーの家族の時計と、サンの時計が、同じ時刻で止まっている。ルーナーの時計もきっと、この時刻で止まったのだ。この時間に、ルーナーは、もう――。
脚から力が抜ける。崩れるように座り込んだ。自分の首から下げていた懐中時計の蓋を開ける。そこには「ルーナーからサンへ」と書かれていた。
「たまたま、家にあったから、って言ってたじゃない」
嘘つき。ちゃんと文字を刻んでくれてたんだ。気づかないように、懐中時計の蓋の裏に。
「ふ、うぅぅ、あぁぁ! ルーナー、どうして!」
ずっと一緒にいるはずだったのに。なんで太陽を取り戻して、太陽がなくなってしまうの。サンはこれからどうすればいいかわからなくて泣いた。涙が止まらなかった。
「あなたがいなければ、何も意味がないのに! なんで!」
サンの泣き声は、屋敷の中、ずっと響き渡っていた。
王国の首都から少し離れた丘の上。そこには古びた屋敷がずっと昔からある。街の人々は、太陽がなくなった事実に気づき、そこに住む吸血鬼のせいだと噂した。太陽がなくなったのは吸血鬼の仕業だから、様子を窺いに行ってみようと、こっそり屋敷の周りを彷徨く人間が増えたのだ。
「ちょっと! 何しにきたの!」
「うあ! ご、ごめんなさい!」
門扉から中を覗こうとしていた子供たちを、長い金髪の女性が追い払う。雲ひとつない青空のような瞳をした、美しい女性だった。金髪の女性、サンは逃げていく二人の少年を腕を組みながら睨みつける。
最近サンは、ルーナーの屋敷に来る、そんな薄情な人間を追い払う事で忙しかった。
「まったく、誰のおかげで太陽が戻ったと思ってるの……」
足元に置いた大きな荷物を抱えて、サンは門扉を開けた。ふう、と、ため息がでる。暑くてかいた汗を腕で拭った。
あれから三日、サンは毎日泣いた。ルーナーがいない現実を、受け止められなかったからだ。母も兄もサンの様子を見てくれた。二人とも身体が弱っていたのに、それでもサンを支えてくれた。
そして四日目に、王国は太陽が数日間この世から消えたことを突き止めた。そして、それが人外生物の仕業である、そう公表したのだ。それにより、街にある有名な吸血鬼の屋敷が好奇と憎しみの目に晒されてしまった。
そこからはサンが大忙しだった。ルーナーがいつか帰ってくるために、そんな奴らを放っておくわけにはいかない。人が寄りつかないように、動物の骨を集めて門扉の周りに置き、高かったけれど、赤い絵の具を撒いて脅した。
二か月もそれを続ければ人は近寄らなくなった。人間は吸血鬼が怖いらしい。
「バカみたい。ルーナーが世界を救ったのに」
いま、世界は太陽が急に戻った反動で異常気象が続いている。ずっと肌寒かったのが嘘のように、この二か月は真夏の暑さが続いている。おかげでルーナーの家の庭のうるさい虫は今日も騒がしい。
門扉を開けて、玄関に続く道を歩く。玄関までの道に、サンは二か月でひまわりをたくさん植えた。太陽を見上げて咲く、自分みたいな花だからだ。ひまわりは、今日も満開に咲いていた。
サンは黄色い花をみて、笑った。そのまま玄関の扉を開ける。うるさい虫は、その間もずっと騒がしかった。サンはそのおかげで、静かなルーナーの家に入るのも怖くなかった。
今日は、成人の日に渡すはずだった、ルーナーへのプレゼントが完成した日だ。仕事を休んで叔父からプレゼントを受け取ったサンは、嬉しくなってそのままこの場所に直行した。
「ルーナー、やっとわたしたちが一緒にいれるよ」
サンはルーナーの肖像画の隣に、叔父から受け取った絵を飾った。それは、雲ひとつない青空の下、サンとルーナーが並んで笑っている絵だった。
一緒の時間を過ごせないと知ってから、サンはこの絵を絶対にここに飾ると決めた。永遠に二人が一緒にいられるように。絵の中なら太陽の下だって一緒にいられるから。
「ルーナー、待ってるね。また一緒にいられるの、ずっと待ってるからね」
サンは、二人の絵を見上げながら、満面の笑みを浮かべた。庭からはうるさい虫が、今日も鳴いている。
サンはもう、寂しくなかった。




