家族のもとに還れ
氷のドラゴンは威厳に満ちていた。長い尻尾は左右に揺れ、雄大な翼は誰も近づかせないように周囲に突風を巻き起こしていた。
彼の周囲だけ、白い霧が発生している。空気中の水分が凍り始め、細かな氷の粒が舞い、月明かりを受けてキラキラと輝いていた。近づこうとすると、ルーナーの服に薄い霜が広がっていった。まつ毛や髪にも霜がつき、視界を狭める。
『近寄れば、凍る』
短く、氷の王が威嚇した。鋭い牙が見え、吐息が白い霧となり、空気を凍らせた。
ルーナーは一旦距離を取り、ジンを見据えた。水色の巨体は、近づけばルーナーを叩き飛ばすだろう。また、氷の吐息で氷漬けにされる可能性もある。次の一手を考えたとき、氷のドラゴンの胸元がひび割れていることに気づいた。水色の鱗の継ぎ目から、赤黒い何かがのぞいている。
ジンは、体勢を立て直そうとするルーナーに、距離を取る隙を与えなかった。翼を打ち、風を巻き起こして距離を詰めてくる。
お互いに、ゆっくり戦う時間は、残っていない。
ジンは後方に下がるルーナーを逃さず、大きく吐いた氷の吐息で攻撃してくる。咄嗟に血の大剣で防御するが、たちまち赤い剣は白い氷となってしまった。
「くっ……!」
持っていたら、手まで凍る。そう悟り、ルーナーはジン目掛けて、大剣を投げ捨てる。しかし、氷はドラゴンに傷一つつけなかった。
血は無限に出ない。限られた武器が、一つ無駄になった。ルーナーはもう一度自分の腕を鋭い爪で切りつける。今度はルーナーの身長より長い剣に変化した。大剣より血を多く使うため、出現させるまで、数秒時間を要した。
長剣を作りながら下降するルーナー目掛けてジンが突撃してきた。氷と雪を巻き込んで、冷気の塊がルーナーに向かってくる。ルーナーは赤い長剣の切先をジンの胸の辺り、赤黒い何かが見える場所に向けた。
冷気の塊と、赤い切っ先が、同じ一点で交わった。轟音とともに鋭い冷気がルーナーを襲う。しかし、ルーナーは引かずに長剣をジンに差し込んだ。剣を持つルーナーの手が凍る。パキパキという音がして、手首まで霜が襲いかかってきた。
ジンは止まらない。衝撃で、ルーナーの腕がしびれる。だが、切っ先は止まらない。鱗の継ぎ目に食い込み、赤黒いものの正体を、ルーナーは見た。
太陽だ。凝縮された光が、ジンの胸の内側で、脈打つように渦を巻いている。
『――ぐ、ああああッ』
ドラゴンの咆哮が、氷の大地を震わせた。切っ先から、光が漏れ出す。まばゆさに、ルーナーは思わず目を細めた。
ジンの巨体が、大きく傾ぐ。翼から力が抜け、真っ逆さまに、氷の地面へ落ちていく。
轟音とともに、雪煙が上がった。
ルーナーは、地面に降り立つ。傷ついたジンの元へ、ゆっくりと歩み寄った。
ドラゴンの姿が、光の粒となってほどけていく。その中から、人の形をしたジンが現れた。片足をついてこちらを睨んでいた。ルーナーは腕まで凍りついたまま、長剣をジンに向けた。
雪の上には、ルーナーの長剣が刺さったままだった。白い絨毯が、赤く染まる。
「太陽が空に昇れば、お前は死ぬんだぞ。間に合わない」
「……わかってるよ」
「お前が死ぬだけじゃない。このままだと人間からの迫害で、……人外は滅びる」
「そうかもしれないな」
ジンは胸から長剣を引き抜くと、それをルーナーに向かって投げ捨てた。手についた己の血を振り払って、そのまま手のひらからゆっくりと氷の剣を出現させた。
拭いきれなかった己の血が、氷の剣に赤く滴っていた。
「何一ついいことがないんだ。……シリウスがステラを選んだ時よりも! もっと無意味な行動だ!」
ジンは、氷の剣を雪に突き刺して、自分の身体を支えた。限界が近いのは、ふらつく身体からすぐにわかる。それでも譲れないものを守るために立ち上がった。
氷のような瞳には、いまだに強い光が宿っていた。
「お前がアイリスのために命をかけてるように……僕も、太陽を取り戻すためにすべてを捨てる。それだけだよ」
凍りついた腕の痛みを無視し、ルーナーは足元に投げ捨てられた長剣を静かに拾う。その瞳には、かつてジンが敬愛した父親――シリウスと同じ、揺るぎない熱が宿っていた。ジンは忘れかけていた、自分たち種族を助けた英雄の姿を思い出し、かぶりを振って消した。
「……世界を敵に回したっていい。僕に光をくれた太陽を取り戻せるなら、命なんて惜しくない。お前なら……わかるだろ、ジン」
「自分を殺す存在に命を賭ける奴なんて、……この世にお前しかいないよ」
そうかもしれない――ルーナーは思わず苦笑した。太陽は、両親を奪い、ルーナーの自由を縛ってきた、唯一の天敵だった。
でも、今ならわかるんだ。お互いの生きる世界を捨てて、ただ相手のために生きていた両親。
人外の王でありながら、種族のためではなく、愛する妻子のためだけに、すべてを賭けているジン。
みんな、理由は、一つだ。
「ジン、太陽を返してくれ。そして、お前はそろそろ……家族のもとに還れ」
ルーナーの言葉に、ジンの瞳が大きく揺れた。ジンは、ルーナーをじっと見つめたあと、雪に突き刺した剣を引き抜き、構えた。わずかに口元が笑っていた。
ルーナーも赤い長剣を構える。二人は同時に踏み込み、速度を上げてぶつかった。ルーナーの剣はジンの心臓を狙って突き刺す。
「かはっ……」
「ジン、お前……」
ジンは、氷の剣を投げ捨てていたのだ。ルーナーの背後に弧を描いて落ちる。
「ルーナー・ヴァン・ルージュ……シリウスに会ったら……伝えてやるよ。お前たちの息子も……シリウスに似て、とんでもない馬鹿だったとな」
「ジン……」
「アイリスと、カリスに……謝らないと」
ジンは目を閉じ、穏やかな表情でゆっくりと倒れ込んでいく。
白い雪原が、冬の王を包み込むように、その身体を受け止める。ジンは、光の粒となり、雪とともに混ざり合った。
その瞬間、突風が起きる。雪が舞い上がり、光の粒を運ぶ。そのまま風に流され、アイリスの氷塊の方向へと吸い込まれるように溶けて消えていった。




