僕を唯一救う存在
ジンはルーナーを睨みながら、飛び上がった。音もなく氷の柱に飛び移る。愛する妻の眠る場所に、傷一つ付けたくないのだろう。
ルーナーは、ジンの動きに合わせて氷壁に足をかけて、ジンのところまで跳躍した。ジンはルーナーから視線を逸らさないまま、氷柱の少ない場所へ誘うように移動していく。
軽やかな身のこなしで、風に乗るように駆けていた。しかし、ドラゴンには変化しない。
太陽をその身に抑え込んでいるのだ。身体の内側から焼かれているはずだ。熱さに弱い氷のドラゴンが、それでも太陽を抑え込んでいる。ジンの通ったところから、雪が溶け始めていた。限界は近いはず。
「追いかけっこする時間はないんだ、ジン」
「俺もお前と追いかけっこする時間はないぞ」
ジンは氷柱も氷壁もない、氷の大地の中心で立ち止まった。相変わらず氷の剣をルーナーに向けている。
「俺から太陽を奪うなら、俺を殺すしかない。ただ、俺が死ねば、この身から太陽が解き放たれて、日が昇る」
「……なら、殺すしかない、な」
ジンは月を見上げた後、ルーナーを見た。口を歪める。
「太陽はすぐ昇る。……ここから、太陽の光が入らない場所に行くまで、お前の身体は持たないよ」
ルーナーは、辺りを見渡した。ジンは開けた氷の大地を使って、吸血鬼を脅しにかかっているらしい。
「……だから?」
「お前は死ぬために戦うつもりか?」
「違うね、太陽のために戦うんだ!」
ルーナーは雪を蹴って踏み込んだ。爪先が氷の地面を砕き、雪煙ごとジンの足元をさらう。
ジンは剣の腹で受け止めた。衝撃に、顔色ひとつ変えない。
ルーナーは一歩、退こうとした。その瞬間、視界の端で、銀色が閃いた。頬に熱い線が走り、遅れて、血の匂いが立つ。
血が一滴、雪を赤く染めた。
「そこまでして! 死んでまで、太陽を元に戻す、意味がないだろ!」
銀色の髪を風に乗せて、ジンが走る。人型とはいえ、ドラゴンだ。身のこなしが素早い。勢いのまま飛び上がり、頭上からルーナーに切りかかった。降り続ける雪ごと、氷のドラゴンは舞う。だが、ルーナーは半歩だけ動いて、避けた。
「意味があるから、やっている!」
「両親を焼き殺した太陽を! 元に戻して! 自分も焼き死ぬために、か! 自殺なら他の方法にしてくれ」
ジンの斬撃が夜の空に雪を飛び散らせた。ルーナーは回転したままジンに蹴りを入れるが、ドラゴンは滑るように避ける。足元の氷が、主人を助けるように滑り、ジンをルーナーから遠ざけた。
「違うね! 僕の! 太陽は」
だが、ルーナーは、ジンが遠ざかるのも構わず、片手を大きく振り上げた。振り下ろした手が作り出す突風に、ジンは体勢を崩す。小さく息を吸うと、ルーナーは背に黒い翼を羽ばたかせた。飛び上がり、一気に距離を詰め、爪でドラゴンの腕を切り裂いた。ドラゴンの血が雪を赤く染めて散る。
片手で傷を押さえて睨んでくるジンを、ルーナーは静かに着地しながら見据える。
「太陽は、僕を唯一救う存在だ」
太陽がなくなり、目を覚まさないサン。眠り続けたままなら、数か月も持たないだろう。サンが眠ったままいなくなる世界に、ルーナーの救いはない。
無意識にスラックスのポケットを触る。早く太陽を取り戻さなければ。覚悟を決めたルーナーは、爪で自らの腕を切り裂いた。
「ちっ! 気でも狂ったか」
ジンは、切られた腕を押さえたまま悪態をついた。深く息を吸う。その周囲に、大きな氷の塊が、パキパキと音を立てて集まってくる。
吸血鬼の血は、他者を治すが、鋭利な武器にもなる。ルーナーは父の言葉を思い出しながら、自らの血を大剣に変えた。
ジンの周囲に、彼を守るかのように、氷柱が四方八方に出現する。柱の隙間から間隔をあけずに礫が飛んでくるが、それはルーナーの体に傷一つ付けない。
まるで重さを感じないように赤い大剣を振り回し、ルーナーは氷柱を切り倒した。氷と雪が風とともに白く視界を汚す。
咄嗟に顔を逸らし、舞い散る雪を手で払う。居るはずの場所に、ジンがいない。
翼を動かし、空に舞う。月の光が雪に反射して、ルーナーの目を奪った。ジンが、いない。左右を見るが、辺り一面、雪景色しか広がっていなかった。ルーナーは、ドラゴンを探すためにより高く飛び上がった。
吐き出す白い息が霧散する。
ゴオオ
気配を探っていたルーナーの背後から、突風とともに吹雪が現れた。強大な気配が突然出現する。
身体ごと後ろを見る。数メートル先には、巨大な翼をはためかせた水色のドラゴン、人外の王がいた。




