血を捧げる王女
シリウスがステラを探しに行った後、入れ違うように新たな来客があった。人外種族たちの言い争いを聞いて、自分が知らないところで大きな事件が起きている衝撃から座り込んでいたルーナーは、億劫そうに立ち上がる。
ゆっくり階段を降りていく間にも、急かすように扉を叩く音は響いていた。
ルーナーは、訪ねてきた人の顔が確認できる程度に扉を開けると、外の様子を確認する。
「失礼、あなたはシリウス・ヴァン・ルージュ卿でお間違いないですか?」
「……父に何か?」
「息子? 君も吸血鬼か?」
胸元にペンのモチーフの紋章を向けたその男は、訝しげなルーナーに一礼すると、研究所からきたと言った。
研究所は、王家直属の研究員たちが、人間が人外の力を手に入れる方法を広く研究している機関だという。今回、ステラの母親、つまりルーナーの祖母の命を助けるために、総出になって動いている、そう説明してきた。
「それで? 母は今どこに?」
「王女殿下は、王室のために、その身を研究に捧げています」
「――なんて?」
「いま、王女殿下は研究所にいるのです」
その男はさも当たり前かのように、異様なことを言った。なぜ母親が、王女であるはずの存在が実験台のような扱いを受けているかわからずに、ルーナーは黙り込んだ。心臓の音が強くなり、相手に聞こえないように胸を押さえる。
研究員は、時間が惜しいとでもいうように、腕を組んで指でトントンと、自分の腕を叩いていた。
「王女殿下は、危篤であるスピカ第三側妃殿下のために、吸血鬼の血を捧げています。しかし、量が足りないのです」
「血を、捧げ? 何を言っているんだ」
「国王陛下のご命令です。他の吸血鬼も連れてこないと、第四王女殿下の血が足りなくなる」
ルーナーは、無機質な瞳をしている研究員を見て、つっかえて出てこない言葉を、無理やり声に出す。喉が詰まっているようだった。
「国王? は、母の父親では? なぜ、娘の血をそんなに、なんで」
「王女殿下は、吸血鬼になったので、人間ではないでしょう。すでに、国王陛下のご息女ではございません」
「なにを、言って」
「しかし、王女殿下は、自らの意思で第三側妃殿下のためにその身を研究に捧げています。問題ないのでは?」
早く王宮に来てくれ、そうしないと母親の血が抜かれ続けるという男の言葉に、ルーナーは黙ってついていくしかなかった。
王宮に向かう馬車には、ルーナーしか乗せられなかった。もう一台の馬車に研究員と、おそらく護衛の騎士が一緒に乗っていた。馬車に乗ると外側から鍵をかけられた。
ガチャ
なぜ鍵をかけるのか、違和感しかなかった。しかしルーナーは抵抗しなかった。
いざとなれば人間の馬車くらい壊して出られる。それよりルーナーは母親の安否だけが心配だった。いくら吸血鬼とはいえ、血を抜かれ続ければ死ぬだろう。膝の上に乗せた手を握りしめて、窓の外を眺める。石畳を車輪が走る音を聞きながら、父親に残した書き置きを思い出す。
母さんが研究所にいる。迎えにいく。
それだけで、父親に伝わったのか、父親はいつ帰ってくるのか、そればかり考えていた。
王宮に着いたようだ。何度か門を通ったあと、ようやく止まった馬車の中で、自分の膝をずっと見つめていたルーナーは顔を上げる。外から話し声が聞こえた。
おそらくこちらに聞こえないように、抑えた声で話していたが、吸血鬼の聴覚では問題なく拾うことができた。
「まったく、国王陛下の不老不死計画だなんて、馬鹿げたことに付き合わされるとは。そんなことしないで、化け物はみんな殺してしまえばいいものを」
「そうだ。吸血鬼に心臓を握りつぶされた隣の国王みたいになりたくないなら、王女殿下を使ってでも吸血鬼を滅ぼすべきだ」
外を見ると、騎士が二人、愚痴をこぼしていた。そこに研究員が近づいてくる。
「君たち、早く吸血鬼を離れの研究棟に入れてくれ。人外生物がもたらす能力を手に入れるためには、王女殿下だけでは足りないんだ」
「わかりましたよ。まったく、今まで捨て置いたスピカ第三側妃をいきなり使って何をすると思ったら……」
離れの研究棟に母さんがいる? 不老不死? なら、母親は騙されたということか。このまま拘束されたら母親を救出できない。かといって、壊して出れば騒ぎになる。ルーナーは、父親に昔遊びで教わった方法で脱出することにした。
ルーナーは大きく息を吸う。そのまま目を閉じて、息を吐いた。視界がどんどん低くなり、ルーナーの目に映る場所の窓が大きくなっていく。
鍵を開けた騎士たちは、乱暴に扉を開けた。
「お、おい! 吸血鬼がいないぞ!」
馬車を覗き込んで騒ぎ出す騎士たちを尻目に、ネズミになったルーナーはそのまま彼らの足元を抜けていった。
離れの研究棟と言っていた。ネズミの低い視界のまま走り出したルーナーは、研究棟を探すよりも先に、ペンの紋章をつけた男たちを見つけた。彼らは騒がしく、離れの棟らしき建物へ走っていく。
おそらくあそこが、母親のいる研究棟のはずだ。人間に踏み潰されないように端を走りながら、研究員たちの後をついていった。
研究棟は白い建物だった。よほど焦っているのか、扉を開けっぱなしにしている。素早く扉の隙間から入り、階段を駆け上がった。人の出入りが多い二階の右奥、そこに何かあるはずだ。
「王女殿下はまだ眠られたままですか? もう一人の吸血鬼が逃げました! こちらにくる可能性がある!」
「逃げた? どういう管理をしているんだ!」
「とにかく奥の部屋に鍵をかけて、見張りをつけろ!」
二階の右奥の部屋に入り、棚の影から様子を窺うと、研究員たちは騒がしくルーナーの逃亡の話をしていた。話の流れからこの部屋の奥にある部屋に、母親がいるらしい。物陰から走って奥の部屋に入る。その瞬間扉が閉まり、鍵がかけられた。ルーナーは間一髪で部屋の中に入ることに成功する。
部屋の中は窓一つなかった。部屋中に漂っているのは、鉄の匂いだった。辺りを見渡してみると、壁際にベッドが置いてあった。
薄暗い室内には蝋燭の火だけが灯り、ベッドに寝かされている人を照らしていた。
その人は、手足を金属の枷で固定され、逃げられないようにして、腕に複数の管をつながれていた。ベッドの横のテーブルには大きなガラスの器が置かれ、管から流れ落ちる血液を受け止めていた。
血がガラスの器に落ちる、ポタポタと規則正しい音が、部屋に響いていた。
そこにいたのは、母親だった。母は眠っていた。顔は青白く、呼吸が浅かった。
ルーナーは急いで息を吸い、吐いた。息を吐くと共に視界が高くなり、元の姿に戻る。
「母さん!」
駆け寄ると、より母親の様子がわかった。息が遅い。テーブルの上にある血の量からして、人が生きているのが不思議なほど取られている。
ルーナーは急いで、母親の腕に繋がれている管を外す。
腕の傷はすぐに塞がる。しかし、母親は目覚めなかった。ルーナーはテーブルの上のガラスの器を手に取り、急いで母親の口に流し込む。血の匂いに、母親は本能的にそれを飲み出した。
ゆっくりと飲んでいる様子に、ルーナーはやっと息を吐く。
顔色が少しずつ戻ってくる。しばらくして母親の瞳が開き、赤い色がルーナーを映し出した。
「ルーナー? なんでここに? お母様は大丈夫なのかしら」
小さな声で彼女は話し出した。目は虚ろで、ルーナーを見ているようで見ていなかった。
「母さん、なんでこんなことを。血を抜かれて気絶していたんだぞ」
声を潜めて呼びかけるが、反応が薄い。まだ血が足りていないようだ。ルーナーは自分の指を、長く出した爪で切ると母親の口に寄せた。
彼女は意識が朦朧としたまま、ルーナーの血を飲み続ける。その間に彼女の両手両足を拘束する金属の枷を、もう片方の手の爪で切った。
ガチャンと金属音が、大きく響く。
その瞬間、外の部屋で警備をしていた騎士がこちらに近づいてくる足音がした。
「何か音がしたぞ」
「王女殿下が起きたのかもしれない。研究員を呼んでくる」
まずい、人が入ってくる。ルーナーはいまだに意識が朦朧としている母親を抱き抱えると、扉の死角に移動した。
「物音がした? 王女殿下は拘束されてます。確認しないと!」
バタバタと忙しない足音の後、鍵を開ける音が響く。扉が開いて、研究員と警護の騎士たちが入ってきた。
「王女殿下がいないぞ! 逃げられた!」
研究員が叫び、部屋の中に入ってきた。続けて警護の騎士が二人一緒に入ってくる。ルーナーは足を振り上げると、まずは後から来た騎士二人を一緒に蹴り飛ばす。背後からの攻撃に、二人の騎士は壁に吹き飛ばされ、動かなくなった。
「ひっ! な、なんだお前は!」
そのままの勢いでルーナーは足元に置いてあった倒れた椅子を蹴り上げて、研究員に当てる。鈍い音と共に研究員は意識を失った。ルーナーは三人の生死を確認することなく、急いで奥の部屋から出ていった。外の部屋には、もう誰もいなかった。




