人間になる選択さえさせてあげられなかったから
ルーナーにとって、両親は自分の世界の全てだった。王都に遠くもなく近くもない屋敷には、たまに人が訪れるだけで、生まれてからほとんど両親以外と関わることがなかったからだ。
自分が人間ではないと気付いたのも、十六歳になる手前だったほどだ。
ルーナーの成人式はステラが盛大に用意すると、嬉しそうに言っていた。吸血鬼の成人は百の歳に行われるが、人間だった母親は人間の成人式をルーナーにもしたがったからだ。その時、初めて自分は、吸血鬼という種族について知った。
母親であるステラは、元人間だった頃の生活を忘れたくないようだった。だから、吸血鬼の血を欲しがる貴族や親戚に対して、毎回おもてなしをしていた。自ら手料理を振る舞い、一緒にお茶をして、人見知りの激しいルーナーを会わせたりもしていた。
父親であるシリウスは、ステラにもルーナーにも優しかったけれど、ステラの客の前には一切顔を出さなかった。時折、ステラが人間に血を分け与えることに苦言を呈して、言い合いになっている現場も目撃した。
喧嘩の後は、必ずステラは泣いていたし、ステラの泣き顔に弱かったシリウスは困り果てて結局折れていた。ルーナーにとって両親は、愛し合う普通の夫婦だったし、二人に愛されていた自分は幸せな息子だと思っていた。
シリウスに会いにくる人も多かった。ほとんど夜に来て、シリウスにだけ会って帰る奴らだったから、まともにシリウスの知り合いと会ったことはなかった。
何より、ステラはシリウスの知り合いとルーナーが知り合いになるのを恐れていた。だから、ルーナーがシリウスの知り合いと会うのは、ジンが初めてだった。
「こいつが、シリウスの、息子?」
言葉に嫌悪感を含ませると、こういう声になるんだと、その時ルーナーは初めて知った。悪意というのは目に見えるものなのだと、氷のような水色の瞳を見て、嫌な気持ちになったことだけは今でも覚えている。
「そうだ、俺の大事な息子だ」
「吸血鬼の力はある訳?」
「あるに決まってる。俺とステラの子供だからな」
ふん、鼻で笑うジンの声を隣で聞いていたステラは、ルーナーの左手を強く握った。緊張しているのが伝わって、ルーナーはステラを見た。自分より頭一つ小さい小柄な人だったけれど、緊張を含んだ赤い瞳は、息子を守るために必死で相手を見据えていた。
「ジン、ステラとルーナーにそんな態度をするなら、もうここには来ないでくれ」
「……わかったよ。悪かった」
ステラはそれでもジンを警戒していたようだった。ジンも言葉とは裏腹に、一度もこちらを見ようとしなかった。ルーナーより一歩前にでたステラの、金色の長い髪が揺れる。シリウスは二人の様子を見てため息を吐くと、ステラに優しく笑う。
「ステラ、ルーナーと二階に行っててくれ。あとで行くから、そのあと三人でお茶をしよう」
「……ええ。ルーナーの成人のお祝いについて、いろいろ決めましょうね」
穏やかに笑うシリウスは、ルーナーによく似た彫刻のように美しい人だった。わかったよ、そう幸せそうに笑い、ステラとルーナーを応接室から送り出す。
そんなシリウスの態度を見て、あからさまにジンの機嫌が悪くなる。部屋から出る時には、冷気で肌寒くなっていたほどだった。不安が募り、ルーナーは部屋から出るまで横目でシリウスを見た。シリウスの表情は、見たことがないほど冷たく、不穏な空気が漂っていた。
「一体何の用なんだ」
「王国が魔女狩りを始めてる。火炙りにされた仲間が後をたたない――」
バタンと、重厚な扉が閉まった。
「母さん、僕は、人間ではなかったの?」
二階の中心は、一階の踊り場から吹き抜けになっており、そこに大きな皮張りのソファとテーブル、家族の肖像画、ステラの好きな薔薇の花がそこらじゅうに飾られていた。ステラは外から帰ってくるシリウスを、いつもここでお茶を飲みながら待っており、夜に家族でお茶をするときは大きな窓から月を眺めて雑談するのが日課だった。
いつもの定位置に座って、ルーナーの好きなダージリンを入れてくれているステラを見ながら、先ほどのジンとの会話について母親に聞いた。
ステラの笑顔が固まる。ルーナーは構わず、続けて質問をした。
「母さんは人間ではないの?」
「ルーナー……」
「父さんは吸血鬼なんだね。だから僕たちは血を飲んでるのか」
ステラが泣きそうな顔になっているのを見ても、ルーナーは湧き出てくる疑問を解消するのを優先させた。
「母さんのお客様はみんな血を欲しがっていたから、人間も血を飲むものだと思ってたけど、違ったんだ」
「ルーナー、ごめんなさいね」
「なんで、謝るの?」
「ルーナーには、人間になる選択さえさせてあげられなかったから」
そのときは、あまりに狭い世界で生きてきたルーナーは、ステラの言葉の意味があまり理解できなかった。
どの種族で生きるのか、この世界はそれによってどれだけ景色が変わっていくのか、ステラほどそれを実感している存在はないのに。




