好き放題してる傲慢なドラゴンめ
氷の大地の奥に進むと、朽ちた祭壇の跡や、崩れた石柱だけが、氷に埋もれたまま残っていた。誰も訪れなくなって、どれほど経つのだろう。
何かの争いがあった痕跡だ。おそらく、数年ほど前のものだろう。
ルーナーは、そこで足を止めた。足元の氷に、亀裂が走っている。人や獣が作れる傷ではない。もっと大きな、もっと重い何かが、ここを通った跡だ。
その亀裂が続く方向へ目を向けると、遠くに、一際目を引く氷柱の群れが見えた。
ルーナーは迷わず、月の光を反射するその神聖な場所に、足を進めた。
近くに寄ると、氷の柱が侵入者を拒むように隙間なく立ち並んでいた。まるで墓標のようだと、ルーナーは思った。
氷のドラゴンは死ぬと、その身体ごと氷に還るという。かつて空を裂き、この世の頂点に君臨していた種族の、成れの果てということだ。
音もなく氷壁の上に飛び乗ったルーナーは、下を見下ろす。辺り一面、深い雪しかない光景が広がっていた。ただ、目を凝らすと、遠くに巨大な氷の塊が見えた。氷の中には、遠目でもわかるほど大きな、おそらく水色のドラゴンが丸くなって眠っているのがわかった。
「あれは……」
氷壁から軽やかに飛び降りる。雪の潰れる音をさせて、ルーナーは円形にドラゴンを包み込んでいるクリスタルのような氷の塊に向かって歩き出す。
一歩、二歩、三歩。
近づくにつれ、今までとは空間が変わったかのような異様な気配が感じられた。しかし、構わずに歩き続ける。視界に入るドラゴンは、近づくにつれ大きく見えた。あと数メートルで目の前に着く。その見上げるほど大きなドラゴンは、氷の塊の中で、身動き一つ取らない。
ルーナーは、ゆっくりと手を伸ばして、動きを止めた。
「アイリスに触るな」
背後から、氷のナイフを突きつけられたからだ。
「――ジン」
「年上を呼び捨てにするなよ、ガキ」
その男、ジンは迷うことなくルーナーの喉元にナイフを突き立てようとする。ルーナーは咄嗟に爪を伸ばし、ナイフを弾いて砕いた。
「いきなり殺そうとしてくる奴を敬う気持ちはないんだ」
「勝手に人の縄張りに入ってくるなんて、親からどんな教育されてるんだよ」
ジンは間髪入れずに、ルーナーの足元へ蹴りを入れる。ルーナーはその前に跳躍し、ジンから数メートル離れた。
目の前にいるジンは人型になっていた。銀色の短髪に、氷のように薄い水色の瞳が、殺意を込めてルーナーを見ている。
ルーナーは、ジンを見て、ふっと笑う。
「人型になるほど弱ってて、よくそんな口が聞けるな」
「ルーナー・ヴァン・ルージュ。ここは人外の王の縄張りだ。消えろ」
「好んできたわけじゃない。こんな場所。一人で勝手に王を名乗って、好き放題してる傲慢なドラゴンめ」
ジンが舌打ちする。手のひらを広げ大気から氷の礫を集めると、そのままルーナーに投げる。しかしルーナーは軽く手を払うことで氷の礫を消す。ジンの攻撃はルーナーの黒くて長い髪を、少しだけ揺れさせただけだった。
「勝手に名乗る? 違うね、名乗るしかなかっただけだ。シリウスの尻拭いをするためにね」
「それで、……なんで太陽を消すんだ」
「ああ、引きこもりのヴァン・ルージュが、感謝でもしにきたの? それなら二度と顔を見せないでくれるとありがたい」
ジンは一切攻撃が効かないのが分かっていながら、会話の合間に氷の礫を投げ続けた。意味のない行為でさえ、せずにはいられないらしい。ルーナーは、氷の礫を避けながらゆっくり背後のドラゴンを見る。
それだけで、背後から強い殺気を感じた。
「太陽を消した理由は?」
ルーナーは皮膚が痛くなるような、ジンからの殺気を無視して再度質問した。次の瞬間には、ジンが大きく地面を蹴り上げてこちらに向かってくる気配を感じる。
ルーナーは軽やかに飛び立ち、ジンからの攻撃を避けて、氷の塊のドラゴン――アイリスの近くに飛び降りた。
「彼女に近づくな! ルーナー!」
「太陽を返してくれたら、何もしないよ」
「俺の妻に触ったら、その手を切り落とす」
ジンはルーナーの前に回り込み、アイリスを庇うように立ち塞がった。一歩でも動けば殺すとでも言わんばかりに、手のひらから鋭利な氷の剣を作り出している。
ルーナーとジンの間には、剣の間合い程度しかない。
雪が降っている。
ジンの髪に一つの雪の結晶が落ちようとして、その手前で溶けて消えた。
「ジン、お前、まさか」
ルーナーは、降り出した雪が、決してジンに降り積もらない様子を見て、ゆっくり足元を見る。ジンの周りにあったはずの雪は、全て溶けていた。
「太陽を、食べた……?」




