自殺願望でもあるのか?
忘れられた森に行ったことは、正直時間の無駄でしかなかった。流石に丸一日中動いていたルーナーは、一度屋敷に戻って身支度をしてから、サンの家へ戻ることにした。
屋敷で急いで身体の汚れを流したあと、そのまま白いシャツにスラックスに着替えたルーナーは、長い髪を一つに結んだ。屋敷の庭に出た後、花壇の野菜を見る。痩せ細ってはいたけれど、まだ枯れていない。
あんなにも大切に育てていた野菜だったけれど、サンが眠ってしまってから一切価値の無いものに変わってしまった。
空を見上げると、相変わらず月だけが浮かんでいる。大きなため息と共に、ルーナーは歩き出した。
サンの家に入ると、部屋の空気は出て行った時と何も変わっていなかった。もしかしたら起きているかもしれないという、僅かな期待が霧散した。突き刺さるような無言の中、サンの部屋に行く。必要ない行為だったけれど、扉をノックした。
サンは、まだ眠っていた。太陽のような髪の毛が月の明かりに照らされて輝いていた。頬に触れる。変わらず、暖かい。
反応のないサンを見つめながら、昨日見た晴れた日の空のような瞳を思い出す。
ルーナーは、ベッドの脇にしゃがみ込んだ。
魔女の叫びが、まだ耳の奥に残っている。ジンは全てを犠牲にした。力ある者に、無関係でいる権利はない。ヴァン・ルージュが動いていれば魔女はここまで滅びなかった。
正直、どうでもよかった。
人外全体の未来も、種族の存続も、何百年も知らずに生きてきた誰かの犠牲も。ルーナーには関係のない話だった。関係があるとすれば、それはただ、目の前で眠り続けているこの一人のためだけだ。
「サン」
早く昼間の空のような、この世で一番美しい色を見せてくれ。ルーナーは両手を握りしめて、祈るように願った。
太陽が消えてから二日になろうとしていた。
手がかりはろくに見つかっていない。
ジンを探して、太陽を取り戻さないといけない。そのためには、情報が必要だ。
この世界には、人外のネットワークが広がっている。お互い干渉はせず、争いもせず、しかし最低限の協力はする。両親の死後はそう言った関係を全て捨てて、死んだように生きていた。今になって初めて、全ての関係を捨てたことを後悔する。
サンのためにできることを全てやらなくては。ルーナーは、人外種族に向けて急いで接触を試みることにした。今や物置と化していた父親の書斎の引き出しから小さな笛を取り出した。
骨で作られた笛は、黄ばんだ色をしていた。細かな彫刻が刻まれているが、それが文様なのか、それとも何かの動物の骨格の一部を模しているのか、判別がつかない。持つと、思いのほか冷たかった。
ルーナーはそれを握りしめながら、片手でペンを動かす。
ルーナー・ヴァン・ルージュが、太陽を失った世界に戻った。
そう、羊皮紙に一言書き込むと、小さな笛を小さく吹く。
次の瞬間、窓の外から小さく、コンコンと嘴を突く音が聞こえた。その音の方向に向かって歩く。
フクロウが、そこにいた。月の光を浴びて、白い羽が輝いていた。窓際で首を傾げ、ルーナーのことを待っていた。
クルクル
フクロウの、足に、羊皮紙を巻く。ルーナーはフクロウの頭を指で撫でると、小さく鳴いたあとそのまま飛び立った。
フクロウが夜空の闇へ消えていくのを、ルーナーは窓辺に佇んだまま見送っていた。
骨の笛から響く独自の波動は、かつて父親が「緊急時にだけ使え」と残した連絡手段だった。届く先がどこなのか、誰なのかさえルーナーは知らない。ただ、ヴァン・ルージュの名に反応する者が、まだこの世界に残っていることだけを祈るしかなかった。静寂が戻った部屋で、ルーナーは机にある羊皮紙を眺めた。サンが字を書けるようになってから、たまに手紙のやり取りをしていたことを思い出す。
サンからもらった手紙は、ルーナーにとっていつも宝物だった。
その時、窓の枠がカタリと揺れた。
戻ってくるには早すぎる。ルーナーが警戒を強めて視線を向けると、そこにはフクロウではなく、窓枠に腰を下ろした一人の男――黒い羽織を纏い、獣のような金色の瞳をした男がこちらを見下ろしていた。
「……本当に生き残っていたんだな、ルーナー・ヴァン・ルージュ」
ルーナーは窓枠にいる男を見たまま、反応をしない。しかし、男は気にも止めずに笑う。口元から牙がのぞいた。
「あの手紙は人外種族に対しての、脅しか?」
「脅し……?」
ルーナーは小さく首を振った。声に怒りも、興味も含まれてなかった。ただ冷たく、深い疲弊と切実さのみが含まれていた。
「そんな暇はない。僕が欲しいのは情報だけだ」
「情報?」
男は窓枠からしなやかに部屋へと飛び降りた。足音が一切しない。獣特有のしなやかな身ごなしと、荒々しい気配が部屋の空気をピリつかせる。
「太陽を奪ったジンの居場所か? ヴァン・ルージュの代わりにやってくれたことの感謝でも伝える気か?」
「感謝? 余計なことをしたやつに、なぜ僕が感謝なんてしないといけない」
ルーナーは男の言葉を遮り、男の背後に浮かんでる月の方をちらりと一瞬だけ見やった。
「太陽を取り戻さなければいけないんだ、一刻も早く……」
男はルーナーの視線を追い、意外そうな顔で片眉を上げた。そして、くっ、と喉を鳴らして笑う。
「ルーナー、お前いつから冗談を言えるようになった? 太陽を取り戻す吸血鬼なんかいるわけないだろ。自殺願望でもあるのか?」




