第8話 同じ土俵へ
言ってしまった言葉は戻らない。三森は画面を閉じようとして、続けて同じ場所を押した。動画は消えない。三度目でようやく止まる。暗くなった面に、自分の顔が薄く映った。
「いまのは忘れよ」
「かしこまりました」
デミタスは、忘れた者の顔をしていなかった。
廊下へ出てから戻り、止まった画面をもう一度見る。また部屋を出ようとして、今度は扉の前で足が止まった。
「会うには、どうすればよい」
「まず、どのような意味でお会いになりたいのでしょう」
「意味?」
「画面越しに言葉を交わしたいのか。直接お姿を拝見したいのか。個人的に親しくなりたいのか」
腕を組んだまま、三森は答えを探した。勇者が失敗をどう受け止めているのか聞きたい。仲間を責めずにいられる理由も知りたい。
あの配信を見ていた。できれば本人へ直接伝えたかった。住んでいる場所や本名まで知りたいわけではない。
「公の場で言葉を交わせればよい」
「でしたら、配信で出していない連絡先を探す必要はございませんな」
「そもそも探しておらぬ」
「それがよろしいかと」
念を押された気がして、三森は眉を寄せた。
デミタスとともに、勇者の公開情報を調べる。配信の予定。催しへの出演。仕事用の問い合わせ窓口。見る者へ開かれた入口は、いくつかあった。
「この催しへ行けばよいのではないか」
示したのは、勇者が画面越しに出演するVTuberの催しだった。会場の名前だけでは遠さが分からない。三森は席を立ち、玄関まで歩いた。
三和土には、郵便受けまで行くための突っかけが一足ある。その奥に、越してきた時のまま札のついた靴が並んでいた。踵の形も知らない。
引き戸を細く開けると、冷えた風が入ってきた。道に人はいない。塀の外まで五歩。そこから停留所までは、たぶん十分もかからない。
戸を閉め、三森は時刻表を出させた。
「停留所からは一日六本。駅まで四十分、そこから乗り換えが三度で、会場の最寄りまでおよそ三時間半でございます」
「往復で七時間か」
「開場は昼、終演は夜でございます」
デミタスが最終の便を指した。終演の二十分前に、この家へ戻れる最後の車が出ていく。
「終わる前に抜ければよい」
「勇者様のお名前は、最後に並んでおりますな」
「……宿を取る」
「見知らぬ町で一晩を過ごし、翌朝また三度乗り継いで戻ることになります」
数を数えるのはやめた。
もう一度、玄関へ戻る。札のついた靴を三和土へ下ろし、足を入れてみた。合わないところはどこにもない。立ち上がっても踵は浮かなかった。
三森は靴を脱ぎ、元の位置へ戻す。札は取らなかった。
「城塞都市への潜入より手順が多いな」
「あちらは夜陰に紛れて壁を越えれば済みました。こちらは、大勢と同じ列へ並ぶ必要がございます」
「並ぶのが最も難しい」
その一言を、三森は訂正しないままにした。
「それに、参加できましても、大きな画面で勇者様を見るイベントです。一対一でお話しできるとは限りません」
「却下だ」
判断は早かった。次に見つけたのは、視聴者からの便りを受け付ける窓口である。
これなら家から送れる。
「会っておらぬではないか」
「お気持ちを伝えるという目的には適います」
「我は感想文を送りたいのではない」
求めているのは、一方的に言葉を届けることではない。勇者の話を聞き、自分も答える。同じ場で会話をしたかった。
画面には、勇者が別のVTuberと話しているコラボ動画が並んでいた。互いの配信を見た感想を話し、ゲームで競い、終われば次の企画を約束する。
視聴者でも友人でもない。VTuber同士の会話だった。
「これだ」
三森は身を乗り出し、並んだ窓のうち一つを指した。
「この場へ我も入ればよい」
「では、マスターもVTuberになられてはいかがでしょう」
デミタスの返事はあっさりしていた。
「……何?」
「勇者様と同じく、画面の姿で人々へ語りかけるのです。VTuberとして相応の実績を得れば、共に企画を行う機会も生まれましょう」
「我も、あの姿で画面へ入れと?」
「まずは、同じ活動の仕組みを知るところからでございますな」
勇者の初配信から現在までが、順に浮かんだ。ただ名乗れば会えるわけではない。
三人の前で話し始め、失敗を残し、何年もかけて人の集まる場所を作った。その隣へ、昨日まで何もしていなかった者が立てるはずもない。
「我にも、あれと同じ年月を費やせと申すか」
「同じ年月になるかは分かりません。しかし、何者でもないまま面会を求めるよりは、ずっと自然かと」
「何者でもない」
「この世界における、VTuberとしてのお話でございます」
危うく処罰を命じるところだった。
ミラとノーラが居間へ呼ばれ、デミタスが提案を説明する。
「VTuberになって、何をするんだい?」
ミラは不思議そうに首をかしげ、盆を膝へ下ろした。
「勇者と会う」
「いや、それ目的の話じゃないです? VTuberとして何やるか、まだゼロなんですけど」
ノーラが即座に、目的と中身は別だと切り分けた。
勇者たちの動画では、画面へ姿を出すだけで枠が終わることはない。ゲーム。雑談。企画。質問への返答。人へ見せる中身が、必ず用意されていた。
「我が迷宮の管理法を教える」
「てか、こっちに迷宮ないですよ」
「罠の効果的な配置を」
「それ、使い道が普通に怖いんですけど」
「侵入者の撃退法」
「いや、もっとダメなやつじゃないです?」
三つ続けて却下され、三森は黙った。
ミラは、田舎での暮らしや料理を見せればよいと言う。ノーラが挙げたのは、現代のゲームを前世のダンジョンマスターが評価する企画だった。それなら話せるかもしれない。デミタスは、最初から一つに決めず、短い試験を重ねるよう勧める。
全員が、三森がVTuberになる前提で話していた。
「待て。まだ我は、やるとは言っておらぬ」
「おやりにならないので?」
問われて、三森は勇者のチャンネルを見た。画面の向こうへ通じる入口は、すでに見つかっている。
他人の領域へ押しかける必要はない。自分の側にも、人を迎えられる場所を作ればいい。
「よかろう」
椅子へ座り直し、机の縁へ両手を置く。
「我もVTuberとなる。いずれ勇者を我が領域へ招き、正式な外交を行うのだ」
「コラボと申します」
「同じ意味だ」
ノーラが、VTuber活動に必要なものを書き出した。配信用のパソコン。マイク。カメラ。照明。通信環境。そして、どのような姿で画面へ出るかを決めなければならないという。
三森は、それを身なりの話だと受け取った。
鏡の前に立つ。見慣れたはずの、まだ馴染みきらない十八歳の女の顔が映った。髪は寝起きのまま伸び、部屋着には皺が寄っている。
前世の男の顔とは違う。それでも、声も身体も、いま使えるのはこれしかない。
指で髪を梳き、左右へ分けてみる。背筋を伸ばすと、鏡の中の印象が少し変わった。
「素材は悪くない」
「え、それ自分で言っちゃうんです? メンタル強っ」
後ろからノーラの声がした。
「事実を確認しただけだ。磨けば出られる」




