第5話 スローライフ、暇すぎる
朝の膳には、湯気の立つ汁と焼いた魚が並んでいた。廊下の軋みは消えている。机の上には、昨夜までなかった資産の一覧。
三森が起きるより先に、家は今日の形へ整えられていた。
「本日の指示だが」
「食料の在庫はミラが数えております。壊れたところは、ノーラが小さいものから直しております。周辺は夜明け前に一周いたしました。近づいてくる人も、魔力の反応もございません」
「……我が言い終える前に答えるな」
「失礼いたしました。以後は最後までお聞きしてから、同じ内容を申し上げます」
直す気配はなかった。
台所では、ミラが冷蔵庫の扉を開けたままにしていた。見慣れない小瓶の蓋を、順に開けていく。指へ落として舐め、うなずいたり、首をひねったりしている。
膝の横には帳面が広げてあった。味の名と、代わりに使えそうな品の名が並んでいる。
「警戒はしなかったのか」
「毒なら舐めれば分かるよ。それに説明書を読んだ。火加減を勝手に保つ台に、時間で止まる箱。いい台所だねえ」
三森より順応が早い。
ミラは帳面をめくり、赤い印のついた行をこちらへ向けた。前世で使っていた香草と根菜の名だ。代わりが見つからないまま残っている。
「箱の中の食い物はよくできてるよ。ただ、この辺りはどう混ぜても、うちの味にならないんだ」
「買えばよかろう」
「売ってないから困ってるんだよ。裏の空き地、あれを畑にしてもいいかい」
「土を掘るのか」
「掘るのはノーラに頼むさ。あたしは種を選ぶ」
「許す。開墾は主の管轄だ」
「じゃあ決まりだね」
ミラは行の頭へ丸を書き、蓋の開いた小瓶を並べ直した。
三森の許可が要る仕事は、この家でそれ一つだった。
廊下ではノーラが、床を這っていた配線を壁際へまとめていた。緩んだ取っ手は直り、鳴っていた扉も静かになっている。家電の説明書には付箋が貼られ、危険な操作だけ短く書き出してあった。
「マスター、これガチで触んないでくださいね」
「なぜ我だけ名指しなのだ」
「昨日、ボタン全部押したじゃないですか。マジで」
反論できなかった。
居間ではデミタスが、通販の履歴と通帳の出入りを一枚へ並べていた。生活費、予備費、娯楽費。項目は分けられ、補充の要る品には順位まで付いている。
「この世界は、帳簿が自ら計算するのか」
「便利ではございますが、購入のたび資産が減る点は前世と同じです」
「それは便利になっておらぬ」
「経済とは、そのようなものかと」
昼を過ぎる頃には、家の管理が一通り回り始めた。三森は温かい部屋で本を読み、眠くなって横になった。起きると昼食が用意されている。
食後に庭先を眺めても、来るのは風と鳥の声だけだ。何も起きないのを確かめているうちに、また眠くなった。
次に目を覚ましても、まだ日は高い。
「一日が長すぎる」
台所へ行き、夕食の支度をするミラへ声をかけた。
「我にも手伝えることはあるか」
「味見を頼むよ」
小皿を空にすると、ミラは満足して鍋へ戻った。ほかに渡されるものはない。
廊下でノーラへ配線を押さえる役を申し出た。固定はとうに済んでいた。
デミタスから回ってきた判断は、今日の支払いを一件承認することだけ。画面を一度押して、終わった。
前世では、放置できない問題が毎日のように起きた。侵入者。資源不足。罠の故障。何も起きない日を何度望んだか分からない。
食事はうまく、家は静かで、敵も来ない。望んだとおりの日である。
その結果、三森は日に三度、誰かの仕事を邪魔しに行くしかなくなった。
翌日、三人が居間へ集められた。机の上へ紙が広げられる。家の巡回経路。交代時刻。異常の分類。報告手順。どれも細かく書き込まれていた。
「今後はこの表に従い、三交代で領内を警戒する」
デミタスが表を最後まで目で追い、顔を上げた。
「マスター。この家へ侵入を試みた者は、現在まで一人もおりません」
「いないからといって、明日も来ないとは限らぬ」
「ミラを深夜警戒へ入れますと、朝食の支度と重なります」
「それは困る」
ノーラが表を受け取り、不要な項目へ次々と線を引いた。三交代は、朝と夜の戸締まり確認になった。七段階あった警報も、異常ありと異常なしの二つへ減る。
「はい、できた〜」
「我の作った表が、ほとんど残っておらぬではないか」
「必要なとこだけ残してるんで、これでよくないです?」
紙の下半分は真っ黒だった。
数日後の午後。三森は机へ頬杖をつき、画面を眺めていた。静かな暮らしが嫌なわけではない。追い出されたいとも、危ない場所へ行きたいとも思わない。
それでも、昼寝を二度しても日が暮れなかった。
画面の片隅には、以前に保存した候補が残っている。ゲーム実況。ライブ配信。VTuber。動画制作。どれも一度も開いていない。
「絵の姿で話す者、だったか」
マウスの矢印を、「VTuber」の文字へ合わせる。
盆を持ったミラが、後ろで足を止めた。
「面白そうかい」
「調査だ」
「じゃ、夕飯までに済ませとくれ」
三森は返事をせず、指へ力を入れた。




