第4話 三人の眷属
三森は一日、自力での隠居生活を試した。
結果から言えば、無理だった。
保存食で腹は満たせる。しかし毎食それで済ませたいとは思わない。食器を洗えば水を床へ飛ばす。掃除を始めれば一部屋で飽きる。洗濯機は動かせたが、終わった衣服を干す作業が残っていた。
家が広いのは、領地としては利点だ。自分で管理するとなると欠点である。
「そもそも、ダンジョンマスターが雑巾を持つ必要はない」
誰も聞いていない部屋で、三森は言い切った。
前世では、すべてを一人でやっていたわけではない。命令を伝え、役割を割り当て、得意な者へ任せる。それこそ管理者の仕事である。
三森は目を閉じ、魂に残る契約を探った。返ってくる感触は遠い。それでも、消えてはいなかった。暗闇の向こうに、いくつもの細い糸を感じる。
誰から呼ぶべきかは迷わなかった。執事。料理人。家事のできる者。今の三森に要るのは、戦闘部隊より生活班である。
使っていない部屋の床へ、魔力で召喚陣を描く。前世より線が細い。完成までに、何度か息を整えた。
「契約により命ずる。我が呼びかけに応え、ここへ来たれ」
三本の糸を引く。召喚陣の光が膨らみ、部屋を白く染めた。
最初に現れたのは、背筋を伸ばした初老の男だった。続いて大柄な女と、小柄な女が床へ降り立つ。
迎える側の三森が身構えた。呼んだはずの姿と違う。
初老の男に、悪魔だった頃の異形はない。大柄な女からはオークの面影が消え、小柄な女もゴブリンには見えない。三人とも、この世界の人間に近い姿をしていた。
だが初老の男は三森を見つけると、迷わず片膝をついた。
「お迎えをお待ちしておりました、マスター」
声と所作は、間違えようがない。
「デミタス」
「はい」
やり取りを見ていた大柄な女が、目元を緩める。
「ずいぶんかわいらしくなったねえ、マスター。元気そうでよかったよ」
「ミラ。我を子供扱いするな」
「元気なら何より」
訂正する気はないらしい。
最後の小柄な女は、三森の顔をじっと見た。それから短く言う。
「ノーラでーす。てか、マスターで合ってます?」
「見れば分かるであろう」
「いや、見た目じゃマジ分かんないんで」
もっともだった。
三森は威厳を保とうと胸を張った。しかし三人の顔を順に見るうち、肩から余計な力が抜けていく。
「よく来た」
ようやく出た言葉は、それだけだった。
デミタスが静かに頭を下げる。ミラは笑い、ノーラはもう一度うなずいた。切り離されたはずの気配が、三森の周りへ戻ってくる。
再会を喜んだ後は、状況の確認である。三人の能力は残っていたが、前世より弱い。デミタスの魔力も、ミラの力も、ノーラの作業速度も以前ほどではなかった。
代わりに、人間の視界から姿を消す不可視化は全員が使えた。ノーラが試すと、その姿が目の前から消える。
「姿消しても、しゃべったらバレますし、ぶつかったら普通に当たるんで。そこ気ぃつけてくださーい」
声だけが聞こえる。それからすぐ、小柄な姿が戻った。
「外を歩く時には使えるな」
「マスター。外見を隠すことと、身元が存在することは別の問題かと」
デミタスの指摘で、三森は現代側の知識を探った。戸籍。住民票。身分証。三人には、そのどれもない。
買い物へ出るだけなら姿を隠せばいい。だが働く、契約する、口座を作る。そのあたりは難しい。不可視化は便利だが、この世界にいないことにされている穴までは埋めてくれなかった。
「当面、外との取引は我の名を使う。物資は通販で補う。三人は人目を避け、この家を拠点とせよ」
「承知いたしました」
そこで三森は、途切れた記憶について尋ねた。
「管理室の扉が開いた後、何があった」
三人の表情が曇った。答えたのはデミタスである。
「扉が開いた直後、マスターとの契約を感じ取れなくなりました。残っていたつながりをたどりましたが、管理室にも戻れず、あなたがどこへ消えたのかも分かりませんでした」
「扉の向こうにいた者は?」
「確認できておりません」
ミラとノーラも首を横へ振る。最後の記憶は、やはり扉が開いたところまで。三人も、その先を知らなかった。
「ならば、今はよい」
三森は追及を止めた。分からない過去より、目の前の生活が先である。
「役割を与える。デミタスは物資と資産、外部との連絡を管理せよ。ミラは料理と食料。ノーラは掃除、洗濯、家の修理を担当する」
「かしこまりました」
「まずは台所を見せとくれ」
「え、掃除めっちゃ途中じゃないです?」
ノーラの視線が、部屋の隅の雑巾へ向く。
「途中ではない。現状確認をしていた」
「あー、じゃ、そういうことにしときます?」
三人はそれ以上何も言わず、動き始めた。
その日の夕食には、温かな料理が並んだ。保存食と、冷蔵庫に残っていた材料からである。細かい事情を説明する必要はなかった。デミタスは必要な質問だけをする。ミラは三森の皿へ料理を足す。ノーラは食事の間にも家の不具合を見つけていた。
一人ではない食卓で、三森は久しぶりに眠気を覚えた。
翌朝、家の中は片づいていた。洗濯物は畳まれ、朝食まで用意されている。机には、デミタスがまとめた資産と物資の一覧が置かれていた。
最初の朝令を出そうと、三森は三人を前にした。
「本日の指示は――」
「すべて済んでおります」
デミタスが穏やかに答えた。




