特殊間話2b 守護神の休日
カウンターのスマートフォンが短く鳴った。泡のついた手が止まる。迷宮ミモリ公式Poppiの通知が、告知文の頭だけを映している。
――一万人記念・公開大改装。六月十六日二十時開始。攻略対象は領民投票で決定。
笹塚梨沙は指をタオルで拭い、冷蔵庫の扉へ目を移した。上の段のマグネットで、長女の学校のプリントが留めてある。
――星空観察会。六月十六日十九時から二十一時、小学校校庭。四年生と保護者、雨天中止。
同じ夜だった。
テーブルへ手帳を広げる。十六日の午後に入っていた打ち合わせは、午前へ変更できる。準備書面の締切は来週だ。
予定を動かしていくと、動かせないものが二つ残った。
タブレットで公式HPを開く。領民ページのどこにも、次の配信へ来るかを答える欄はない。休むと伝える場所もない。
配信中にログインしていれば参加者になる。していなければ何も起きない。それだけの造りだ。
メッセージ欄まで下りて、指が止まった。
「十六日はうかがえません」と打ち、送信へ触れる前に一字ずつ消していく。
欠席という考えが最初からない場所へ、欠席の連絡だけが届く。
あの子は、来なかった者を数えるだろうか。
画面の上に、守護神の戦績が並んでいる。防衛参加は第一回配信から続いていた。同時接続が十二人だった夜も、主が寝落ちしたまま朝まで流れた回もある。これまで一度も休んでいない。
数字の列を上へ送り、また下へ戻す。
任命配信の祭壇の映像へ触れる手前で、タブレットを伏せた。
廊下から足音がした。風呂上がりの長女が、髪を拭きながら台所を覗く。
「懐中電灯、赤くしないとだめなんだって」
「セロファン、明日買ってくる」
「輪ゴムでとめるって書いてあるよ」
差し出されたしおりの持ち物欄に、鉛筆の丸がいくつかついていた。
「お母さん、十六日って配信の日じゃない?」
「アーカイブがあるから」
「ゴリ子さん、出るかなあ」
麦茶のコップを渡す手が、一拍遅れた。
「雨だと中止だから、そしたら家で見られるね」
「そうね」
長女はコップを両手で持ったまま、星座早見盤の使いかたの話へ移っている。
台所に立つ母親と、第一層で冒険者を沈めるゴリラ。同じ人間だとは思ってもいない。
しおりの持ち物へ、梨沙は上から順に指を当てていった。水筒、防寒の上着、名札、赤いセロファン。
集合は十八時四十分。解散は二十一時半。翌朝は普通に学校がある。
次女の相手は力也が引き受けることになっていた。
開始から一時間だけ入る手も、考えないではなかった。守護区画へ立って最初の波を沈め、頃合いを見て抜ける。
手帳の余白へ時刻を並べてみると、着替えと移動と片付けの間に、その一時間は入らない。
端末を校庭へ持っていく案は、書き終える前に線を引いて消した。暗がりで画面を光らせる母親の隣で、望遠鏡の順番を待たせることになる。
二十時に校庭にいれば、二十時に迷宮にはいない。
家族が寝静まってから、梨沙はゴリ子のウィンドウを開いた。任命祝いで新しくなった籠手が、待機画面の中で鈍く光っている。
装備の更新履歴。守護区画の見取り図。ジュニアたちの配置。どこにも手を入れる必要はなかった。
いつもならここでログインして、朝まで沈めている。
アーカイブの通知だけは切らずに残し、ウィンドウ右上の×へマウスを運ぶ。
押しても、ログアウトの確認は出ない。次はいつ来るのかと尋ねる表示も出ない。
残ったのは書きかけの準備書面と、代理人欄に入った自分の名前だった。
六月十六日の朝。
梨沙は懐中電灯の口へ赤いセロファンをかぶせ、輪ゴムを二重に巻いた。
「わたしのは」
椅子によじ登ってきた次女へ、行くのはお姉ちゃんだけだと三度説明する。五本目の輪ゴムを腕へ通してやると、ようやく引き下がった。
スマートフォンが短く鳴った。
今夜二十時開始、という予約の通知だけが出る。それきり何も訊いてこない。
梨沙は通知を消し、セロファンをもう一枚切った。




