第33話 計算上は攻略可能です
「可能と申したな」
身を乗り出したせいで、右下の小窓から三森の額がはみ出した。ゲーム画面は、三度の探索失敗を表示したまま止まっている。そこへラプラスの計算窓が重なっていった。
〈言い切ったぞ〉
〈条件付きの顔してる〉
〈目玉に顔はない〉
「述べよ。我が領民へ、勝ち筋を示してやる」
『最低参加人数、三百八十四人』
「……三百八十四」
画面の隅で、ノーラが小さく口笛を吹いた。
『盾役九十六、攻撃役百九十二、補助役六十四、観測・離脱役三十二。全員が同一配信中に第一層の守護区画へ到達し、一人あたり平均一万八千円相当の装備を備えること。戦闘中は所有者一人につき毎分十五件以上の有効コメントと、途切れないハート入力を維持すること。想定戦闘時間、二十二分。加えてゴリ子側の所有者が、その二十二分間に一切の反応を送らないこと。以上を満たせば推定勝率は五十・八パーセントとなる』
〈待って〉
〈最後の条件がいちばん無理〉
〈今の同時接続、四十八体までだよな〉
三森は指を折って数え、二本目の途中でやめた。
「ラプラス。現在の上限は何体だ」
『四十八体だ』
「三百八十四人が、どこから入るのだ!」
『接続処理を八倍へ拡張すれば条件を満たせる』
「満たしてから可能と言え!」
机を叩く音が、ゲーム配信の画面いっぱいに響いた。探索失敗の文字は、まだ消えていない。
ノーラが電卓を開いた。
「一万八千円が三百八十四人だから……六百九十一万二千円。うわ、エグ」
〈七百万円の初見殺し〉
〈手数料は?〉
〈またDPまで手数料の波が来るぞ〉
「その額を領民へ要求するつもりはない!」
『要求していない。勝率五十パーセントを超える条件を算出しただけだ』
「半数は七百万を投じても負けるのであろうが!」
『五十・八パーセントは過半数だ』
ラプラスの単眼が、まばたきの代わりに一度だけ縮む。
「数字の言い換えで良心を得ようとするな! ……ならば、現在の四十八体だけで挑めばどうなる」
『ゴリ子の所有者が一切反応を送らず、全員が推奨装備を持った場合の推定勝率は、〇・〇〇三パーセントだ』
「それを先に表示せよ!」
『質問は攻略可能性の有無だった。確率の高さではない』
「詭弁だけは現代へ完璧に適応しおって……!」
計算窓の隅に、細かな前提がぶら下がっていた。参加者は事前に決めた入場順を守ること。盾役が倒れたら三秒以内に後続が穴を埋めること。コメントの重複も回線の遅れも起きないこと。
最後の一行はこうだ。ゴリ子が現在位置から離れず、ときおり最適でない相手を殴ってくれること。
〈ゴリ子側が手加減する前提じゃん〉
〈本人ほぼ毎回コメントしてるぞ〉
〈ゴリ子:がんばって〉
その一件が、モンスター側のゴリ子へ経験として加算された。推定勝率の表示が、五十・八から四十九・九へ落ちる。
〈今ので過半数割った〉
〈応援されるほど遠のくボス〉
『再計算する。前提を更新――戦闘中の反応は耐久と攻撃の双方へ乗るため、必要人数を先に固定して逆算するべきだ。いや、戦闘時間を延ばして反応量で上回る方が早い。待て、延ばせば向こうの反応も増える。両辺へ同じ変数が出るぞ。これは収束し――』
「落ち着け」
『……検証手順を三通り用意する』
「一つでよい」
シルカが無言で構図を差し替えた。数字で埋まった計算窓が右へ寄り、三森の姿が大きくなる。
「なぜ計算窓を端へ寄せる」
「数字だけの画面、みんな帰る」
ノーラは笑いをこらえながら、配信管理画面の要望欄を開いた。
「難しすぎるのと、守る側が強すぎるって話で八十三件。『弱くして』が三十一、『ゴリ子を通らない道が欲しい』が二十二、『同じくらいの強さと当てて』が十七、『数字と勝ち方を見せて』が十三。ちゃんと意見バラけてんじゃん。みんなが弱くしろって言ってるわけじゃないっすね」
「そうか」
「勇者様のチャンネルでも無理ゲー枠は人気っすよ。ただあれ、たまに誰かが勝つから続いてるんす」
「推しと我が迷宮を同列に語るな。……いや、続けよ」
三森は届いた文章を上から読んでいった。ゴリ子以外の罠とモンスターは楽しかった。作戦と職業を相談する時間まで含めて面白い。
書き出しはどれも似ている。そこから先も似ていた。第一層で必ずゴリ子と戦うなら、その奥の階層を一生見られない。
勝てないことより、次に試せる手が残っていないことが苦しい。弱くしないなら、迂回路か段階的な目標が欲しい。
〈帰還希望:倒せないこと自体より、毎回そこで終わるのがきついです〉
その表示名なら覚えている。逃走を選び、最後は石弾の罠で倒れた偵察役だ。最初に要望を送信した者でもあった。
「帰還希望。そなたはゴリ子を弱くしたいのか」
〈帰還希望:できれば一度は勝ちたい。でも記録を消してほしいわけじゃないです〉
〈帰還希望:別の道でも、途中までの記録保存でも、次に試せるものがあればいい〉
「欲張りな侵入者め」
〈帰還希望:すみません〉
「謝るでない。要望を尋ねたのは我だ」
〈これ書いたの攻略スレの人かな〉
〈ゴリ子以外は楽しかった、は大事〉
〈倒せなくても遊べる場所をくれってことか〉
三森は反論しようとして、言葉の行き先を見失った。
前世なら、これは完璧な勝利だった。侵入者が第一層で全滅する。攻略の糸口もつかめない。やがて誰も門をくぐらなくなる。
都市の者が迷宮を避けて遠回りを始めれば、迷宮主の仕事は完成だ。静まり返った通路が成果だった。三森はその静けさを長く誇っていた。
その完成形が、今は困る。二度と来ない侵入者は、二度と来ない視聴者だ。
三日かけて掘った専用区画がある。通路の継ぎ目へ仕込んだ槍もある。全員が第一層で沈むかぎり、どれも誰の画面にも映らない。
前世では、静まるほど強い迷宮だった。ここでは静まるほど数字が減る。
「ラプラス。ゴリ子の能力へ上限を設けることはできるか」
『可能だ』
即答だった。
『初期能力を同階層の平均値へ正規化する。累積功績による補正を無効化する。体格、攻撃力、耐久、AI熟練度を第一層の基準内へ収めればよい』
ゴリ子の現在値の横へ、正規化後の予測値が並ぶ。画面からはみ出していた棒が、ほかのモンスターと同じ長さまで縮んだ。
〈普通の初期モンスターになった〉
〈これなら倒せる〉
〈でも積み上げ全部消えるの?〉
『能力へ反映しないだけで、活動記録そのものは保存される』
「働いた功績を帳簿にだけ残し、得た力は没収するということか」
『ゲームバランスの調整として一般的な処理だ』
「でもさ、それゴリ子がズルしたわけじゃないっしょ」
ノーラが、笑わずに言った。
「上限つけなかったの、ラプラスじゃん。ミモリ様もそのままオッケーしたし。運営の設定ミスを、いちばん参加してた人の弱体化だけで直すの、普通に印象悪いっすよ」
『当時、上限を設定する根拠がなかった』
「今は壊れたって分かったじゃん」
『壊れてはいない。有効な入力を正しく反映している』
「その正しさで誰も先に進めないから会議してんの」
ノーラの言葉は痛かった。成長式を作ったのはラプラスだ。だが領民の活動が力へ変わるのを喜び、上限を確かめなかったのは自分である。
ゴリ子は、用意された仕組みの中で配信を見続けただけだった。
「これはゲームではなく、我が迷宮だ」
〈この前は視聴者にはゲームって言われてたぞ〉
「分かっておる!」
頭を抱えた三森の手元へ、ミラが湯気の立つ茶を置いていった。
「悩むときは、あったかいもんを飲みな」
「今は茶の話をしておらぬ」
「してないから言ったんだよ」
「……ほかの方法は」
『戦闘時だけ能力を縮小する。参加人数に応じて耐久を変動させる。第一層から除外する。累積式そのものを全領民分再計算する。いずれも実装可能だ』
「どれを選んでも、ゴリ子だけは今までと同じように戦えぬのだな」
『攻略可能性を上げるならば、現在の戦力を維持することはできない』
ゴリ子の活動記録を開く。領民番号は一番。人の少なかった配信への参加が並ぶ。寝落ち配信を最後まで見ていた滞在時間がある。
その下に、コメントとハートと防衛の勝利が続いた。収益化より前から積み上がった行が、画面を何ページも埋めている。
〈ゴリ子:どれでもいいよー〉
本人から届いたのは、それだけだった。三森は、かえって困った。
「守った者を弱くするのは、調整ではなく処罰ではないか」
誰へ尋ねるでもなく漏れた言葉に、ラプラスもノーラもすぐには答えなかった。
---
迷宮運営記録
- 配信回:第58回(後半)
- 次回配信:2026年6月2日(火)20:00
- チャンネル登録者:1,600人(+18人)




