第13話 迷宮ミモリ、起動
新しいパソコンが届いてから五日目。画面の中に、一人の少女が立っていた。
灰色がかった黒髪が胸元まで伸び、毛先だけが深い苔色へ変わっている。右目は古い金、左目は深い緑。象牙色のシャツに、濃灰色のベストを重ねている。短いマントと大きな鍵。
露出は少なく、剣も鎧もない。戦士ではない。古い城の鍵と図面を預かる領主に見える。ただし三森が注文した、威厳ある成人男性には似ていなかった。
「……誰だ、これは」
「マスターっす」
「違う」
「ふぅん。合ってるけど」
シルカは机へ頬杖をついたまま、画面を見ている。
「我は、かわいさを少しだけ許したはずだ」
「はい。少しってことで通してまーす」
「七割がか」
「見た目の話なんで。威厳はマスターが自力で足すんすよね?」
自分で言ったことだった。三森は画面へ顔を近づけた。短いマントの裏に、迷宮の平面図を思わせる線が入っている。まだ一部しか描かれておらず、動きもしない。
腰の鍵は木製である。頭上の門型の冠は、髪飾りほどの大きさだった。完成形ではない。それでも前世の意匠は、随所に残っている。
「外套の格は足りぬが、迷宮主には見える」
「んー。じゃあ、問題なくない?」
シルカが修正画面を閉じた。
「まだ我の評価は終わっておらぬ」
「だってぇ、もう採用でいいじゃん」
聞く気は、最初からなかった。ノーラが真新しい紙を広げ、活動名の欄を指す。前日から考えていた名が、中央へ大きく書き込まれた。
「万魔迷宮統括大公ミモリア・グラン・アビス」
誰も反応しなかった。三森は今度、区切りを明確にして読み上げる。
「万魔迷宮統括大公、ミモリア・グラン・アビスだ」
「長すぎ。ガチで誰も覚えないっす」
「ロゴ入んない。ダサくなるから、なし」
『識別子として冗長だ。入力ミス、表記揺れ、省略形の乱立が予測される。検索性も最悪である』
三方向から却下された。
「真名とは、容易に覚えられぬからこそ価値がある」
「配信者名は覚えて検索してもらうもんなんで。真逆っす」
ノーラが紙の余白へ、短い名前を書き足す。
迷宮ミモリ。
「これでよくないです? 何する人か秒で分かるし、ミモリは呼びやすいし」
「んー、これならロゴ入るし」
『文字列長は許容範囲。同一名称も現時点では検出されない。運用可能だ』
「我が大公位はどこへ消えた」
「自己紹介で好きなだけ言えばよくないです?」
紙の上には二つの名が並んでいる。一方には威厳がある。もう一方は、確かに一度で読めた。
「迷宮ミモリは略称とする。正式な真名は、万魔迷宮統括大公ミモリア・グラン・アビスだ」
「はいはい。活動名、迷宮ミモリで登録しまーす」
「略称だと言っておる」
ノーラはもう入力を終えていた。三森はカメラの前へ座らされた。周りをラプラスもどきが飛び回り、観測位置を調整していく。
『顔を正面。視線は中央。通常状態を基準値として取得する。三秒静止しろ』
「我へ命令するな」
『基準姿勢の取得中に動くな。再計算が増える』
黙って正面を向くと、画面の少女が目を開いた。首を傾ければ、少女も傾く。右手を上げれば、マントの端を揺らして同じ手が上がった。
「遅れがない」
『当然だ。観測点を顔だけで四十二、上半身に百八設定した。既存のカメラ入力は補助にすぎない』
「盛りすぎじゃない? 処理落ちしたらマジで削りますからね」
『必要な精度だ!』
自分が動けば少女も動く。声を出せば、同じ口が開いた。
前世の男でもない。鏡に映る十八歳の女でもない。それでも、動き始める直前の癖まで自分と同じだった。
「これが、我として勇者の前へ出るのか」
言い終わる前に、左右の瞳の迷宮模様が回り出した。一周、二周と速度を上げ、金と緑の光が渦になる。
「目が暴走しておるぞ!」
『異常ではない。勇者という単語へ、瞳孔、頬部温度、呼吸、声の高さが同時反応した。感情入力が設定値を突破しただけだ』
「推しの名前一個で目ぐるんぐるんじゃん。ウケる」
「ふぅ〜ん。おもしろ」
シルカが顔を上げずに言った。ノーラは笑いながら、回転速度へ上限をかける。起動条件は、いま計測した値の三倍と決まった。
「三倍って、どんだけ動揺した時よ」
『再現性のある閾値だ。問題ない』
「止めよ。今すぐ止めよ」
誰も手を動かさなかった。瞳の回転だけが、設定どおりの速さへ落ち着いていく。
「開門せよ、領民ども。我が迷宮へようこそ。迷宮ミモリである!」
画面の少女が胸を張り、短いマントが広がる。
「初手で領民どもは強いけど、まあキャラ立ってるし、ありっすね」
「最初の挨拶はいいんじゃない? 残す」
『音量、口形、姿勢追跡、すべて正常』
「我が領民となることを許そう。登録の印を刻むがよい!」
「いや、上からすぎ。普通に登録お願いすればよくないです?」
「マスター。登録は、視聴者の方々へお願いするものでございます」
機材の支出記録を確認していたデミタスまで口を挟んだ。
「領民となる栄誉を与えるのだぞ」
「お願いする側、マスターっすよ」
「我はダンジョンマスターだ」
「そこ、関係なくないです?」
三森は言い直した。領民となる機会を与えよう。登録した者には入領を認める。
「全部、上からなんすよね」
「ふぅん。才能あるじゃん。悪い方に」
シルカが眠そうに評価した。登録の頼み方だけは未完成である。それでも名前と姿と声、通常配信の動作は揃った。画面の中の迷宮ミモリが、こちらと同じ形で胸を張っている。
『通常配信系統、起動可能。ついでに領民獲得用の外部入口も実装済みだ』
「何だ、それは」
ラプラスもどきが、新しい画面を開いた。
『公式ホームページである』
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