第12話 ラプラスもどき
『観測、演算、術式操作! その要件なら我が最適解だ!』
契約記録に浮かんだ目玉は、自信だけなら成体を超えていた。
「名は」
『識別名より先に種族仕様を確認しろ。我は高位観測悪魔、ラプラス種だ!』
三森は記録へ顔を近づけた。ラプラス種なら知っている。広大な領域を一度に観測する悪魔である。侵入者の位置、罠の状態、魔力の流れを記録する。
成体は複数階層の変化を同時に捉え、少し先の行動まで予測した。この個体も、前世では最深部付近の監視網へ組み込んでいた。ただし、見たものを片端から抱え込むばかりで、必要な記録を順番どおりに取り出せない。契約台帳には、観測継続、整理不能、と残っている。
しかし、記録面の個体は小さい。大きな目玉に、短い翼と尾がついているだけだ。角も演算環も育ちきっていない。記憶にあるラプラス種と比べれば、部品が半分ほど足りなかった。
「似てはいるな」
『外見だけで互換品判定するな! 本物のラプラス種だ!』
「召喚して確かめる」
契約印へ魔力を通す。光が収まると、拳二つ分ほどの目玉悪魔が机の上へ落ちた。飛び上がろうとして紙へ翼を引っかけ、契約記録を床へ散らす。
『着地計算がずれたのは、この世界の重力係数が未取得だっただけだ!』
「いや、前世と変わんないっす」
ノーラが紙を拾いながら答えた。
最初の試験は部屋の観測である。幼体は机も椅子も窓も、四人の位置も正確に答えた。三森が背後で指を二本立てても、即座に言い当てる。ノーラが物陰へ転がした小さな留め具も見失わない。
「観測は使える」
『当然だ。その程度は基礎機能である!』
次に、ノーラがパソコンへ四つの動画を並べた。
動く人物。流れる文字。色の変化。音の回数。それらを同時に記録する試験である。
『右上は三歩。左下の文字は十二、いや十三。音は七――待て、左上の入力を増やすな!』
一分も経たず、目玉が左右へ忙しく揺れ始めた。
『入力設計が悪い! 時系列を同期しろ! 同一座標に別データを重ねるな!』
「ラプラス種なら自分で整理する」
『我は幼体だ! 未拡張の処理容量を成体の基準性能と比較するな!』
三森は腕を組んだ。
「やはり、ラプラスもどきではないか」
『違う! 誤判定だ!』
「本物に似ているが、処理能力が足りぬ。ゆえにもどきだ」
『幼体と偽物は分類階層が違う! その命名は仕様違反だ!』
抗議は正しく聞こえたが、呼び方は変わらなかった。
試験そのものは不合格ではない。四つは無理でも、試験用のモデル一つなら十分に追える。
三森が顔を傾ける。幼体は位置と角度、まぶたの動きまで細かく読み上げた。カメラより観測点が多い。横を向いても見失わない。
やがて、その目は三森ではなくパソコンへ向いた。
『待て。この端末、観測データを外部保存できるのか?』
「できますよ〜。てか、履歴ここです」
「ただ、今から取る記録なら、っすけど。ラプっちの中に昔から入ってるやつは、先に外へ出せる形にしないと保存できないっすよ」
『ならば、出力形式から定義する』
『ログから過去状態を時系列のまま再現できる?』
「順番つきの記録があれば、前の状態まで戻せますよ。余裕っす」
『演算手順そのものを記述して、自動実行までできるのか?』
「プログラムっていうの組むらしいっすよ」
ラプラスもどきが画面へ張りついた。種族の力だけで一度に処理したから、情報が混ざった。現代の機械は違う。処理を小さな手順へ分け、名をつけて順に実行する。
『人間は演算器官を外付けしたのか。しかも記録領域と再実行機能つきで……』
声から抗議が消えていた。
「使いこなせるか」
『使いこなす、ではない。仕様を把握して最適化する。学習資源を寄越せ』
「では、我の助手として学べ」
ラプラスもどきは画面から離れ、胸を張ろうとした。目玉に胸はない。翼が反っただけだった。
『妥当なアサインだ。まず開発環境と全権限を要求する』
「試用期間だ」
『試用? 聞いていない。契約条件の後出しは重大なプロトコル違反だぞ!』
絵を任せられる眷属は、契約記録の三行目にいた。召喚に応じて現れたのは、細身の人間の女である。前世に八本あった腕は、二本になっていた。それでも迷宮の紋章や壁画、魔物の意匠を任せた職人に変わりはない。
アラクネのシルカは挨拶もしなかった。机の紙を一枚取り、白い裏面を上にして置く。
「我が新たな姿について説明する。まず威厳は十割――」
「露出少なめ、迷宮を管理する領主っぽい感じで。見た目は、かわいさ七の威厳三でーす」
「んー、ノーラのでよくない?」
低い声は、眠気を引きずるように最後だけ伸びた。問いかけの形なのに、手はもうノーラの案で輪郭を引き始めている。
「待て。なぜノーラの言葉だけで決める」
「聞こえてる。ダサいから入れないけど」
その間にも、シルカの手は止まらなかった。輪郭が三つ引かれ、そのうち二つが線で消される。残った一つへ、髪と外套が足されていく。
三森が語った金の飾りは、半分も描かれなかった。
「装飾が足りぬ」
「小さくしたら潰れるじゃん」
「何がだ」
シルカは絵を親指の爪ほどまで縮め、机の端へ置いた。それから椅子ごと下がり、部屋の反対側から目を細める。
「そこから見ればぁ?」
三森も同じ位置まで下がった。縮んだ絵の中では、金の線が互いに絡んで一つの塊になっている。遠くで形が残るのは、輪郭と外套の切れ込み、それに腰の鍵だけだった。
「金は一色」
「前世の紋章は七色を使い分けていたぞ」
「近くで見るならね。配信じゃ見えないし」
シルカは元の位置へ戻り、消した線を引き直す。三森の抗議へは返事をしない。ノーラへ表情の数と、衣装の分け方を尋ねた。
「画面の端で我を見る者が、そんなに多いのか」
「多いんじゃない?」
やりとりの途中で、その手が一度だけ止まった。
「マントの裏、あたしに任せてよくない?」
「何に使う」
「あんたの迷宮の図面。入れたい」
三森は返事に詰まった。頼んでいない。仕様表にも載っていない。それでも、前世の一層目に引いた線を描ける者は、この家に二人しかいなかった。
「……我が階層図でよいのか」
「マントの裏なんて、動いた時しか見えないし。好きにしていいでしょ」
シルカは筆を持ち替え、作画の順番を書き出し始めた。ガワ制作は、最初から二人で進むことになる。
ノーラはそのほかに、掲示板の情報整理と機材の導入、作業全体の進行を担う。ラプラスもどきの担当は、三森の動きの観測とモデルの制御。それに、配信ソフトの学習だった。
購入はデミタスが引き受けた。条件を満たす候補が三台並ぶ。三森には、色と大きさの違いしか分からなかった。
「最も優れたものにせよ」
『当然だ! 演算資源は正義である。上限まで積め!』
デミタスは一番高い候補の価格を指した。その横へ、同じ額で暮らせる月数を並べていく。
次に画面とマイク、カメラと保存装置の一覧が開く。合計だけが増えていった。
「勇者へ会う道は、金貨を敷き詰めて造るものなのか」
「入口の設備費でございます」
最上位を選ぶ案は退けられた。配信と制作に足りる性能まで、順に下げられていく。
演算資源の削減だと抗議が上がった。試用期間の助手に決定権はない。
「……後戻りはできぬな」
「注文の取り消し時間はございます」
「そういう意味ではない」
その横で、ラプラスもどきは入門者向けのプログラミング解説を開いていた。
『変数。条件分岐。反復処理。なるほど、演算へ名を与え、失敗した位置を特定するのか』
四つの画面で目を回した幼体が、次のページを急かしている。
ノーラは黙って、学習開始時刻を記録した。




