第10話 女性型にせよ、直ちにだ
男の輪郭が紙の中央にできあがるまで、半日かかった。
ノーラに絵の心得はない。それでも聞いた形を、記号へ置き換えて並べることはできる。完成品ではない。絵を描ける眷属へ渡すための設計図だった。
背の高い成人男性が、丈の長い外套を着ている。手には黒木の杖。飾りの類は、三森が最小限まで削らせた。
昼食を運んできたミラが盆を置いた。身をかがめて紙を覗き込む。汁椀の湯気が、描かれた男の肩を通り過ぎていく。
「ずいぶん具体的だねえ」
「我自身だからな」
「いまのマスターとは、似てないね」
返事はしなかった。
紙の上の男は、前世で鏡を見るたびそこにいた。画面へ仮の姿を出すのなら、見知らぬ誰かになる理由はない。
「声、どうします?」
ノーラが尋ねた。三森は喉へ指を当て、短く術を唱える。
「――我はダンジョンマスターである」
低い声が畳を震わせた。ミラが盆を持ち直し、ノーラが半歩下がる。
「うわ、ガチで出た」
「言ったであろう」
次の瞬間、置いたばかりの湯呑みが倒れた。三森が反射的に上げた声は、元の高さへ戻っている。
「今の、戻ってましたよ」
「……不意を突かれただけだ」
「配信中ずっと保つんですよね? びっくりした時も?」
「できると言っておる」
ノーラは声の欄へ「要試験」と書き加えた。こぼれた茶を布巾で押さえる。
「これならば、勇者と並んでも格で劣るまい」
「あー、その前にガチめの問題あるんすよね」
別の紙が机へ出された。同じ月に活動を始めた個人勢の名前と、登録者数が並んでいる。三桁で止まったまま、更新の途絶えた行の方が明らかに多い。
「無名の新人個人勢が、この男性ガワで始めても、数字取るのガチでキツいっす」
設計図から顔を上げ、三森はその紙を横目で見た。
「姿の良し悪しで、我の価値を決めると申すか」
「決めるのは見る側っす。あーしらじゃないんで」
「我にはダンジョンの知識がある」
「この世界でウケるかは、正直分かんないっす」
「魔術もある」
「見せても、どうせ合成扱いっすよ」
「では、実力で信じさせる」
「信じてもらうまで、誰が見に来るんすか?」
言葉に詰まった。
前世なら、迷宮の入口さえ開けば侵入者の方から来た。配信は、入口を開いただけでは誰も来ない。勇者でさえ、最初は三人を相手に喋っていた。
ノーラは記事の一行を指で押さえた。
「最初の百人って、だいたい今いる人からの流れなんすよ。切り抜きを回してもらうとか、知り合いの枠に呼ばれるとか、始める前にSNSで絵をバズらせとくとか」
「では我も呼ばれればよい」
「誰にっすか」
ミラが漬物の皿を置く音だけがした。
「今のマスター、配信経験ゼロ、知名度ゼロ、一緒に活動する男仲間もゼロっす。男性ガワでいくなら、先に売り作んないとガチで無理です」
「時間をかければよい」
「それでもいいなら、まあ止めないっす」
ノーラは設計図を押しやらなかった。指先で紙の縁を揃え、三森の側へ向け直す。
「前世の姿が最優先なら、こっちでやり方考えますよ」
反対されると思っていた三森は、わずかに調子を崩した。
「でも目的、勇者様に会うことでしたよね?」
「それがどうした」
「そのガワで近づいたら、無名の男Vが人気の女Vに絡みに行く形になるっすよ」
三森の手が止まった。
「異性コラボ扱い。はい、詰みです」
箸を持ったままのミラが、二人を見比べている。
「仕事ではないか」
「本人同士が仕事のつもりでも、周りはそう見ないことあるんで。人気の女性VTuberに、無名の男性個人勢が『会いたい』って来たら、そりゃ警戒されますよ」
「我に不埒な意図はない」
「いや、会う前の相手にそんなの分かるわけなくないです?」
正論だった。勇者本人が気にせずとも、活動を支える者がいて、見ている者もいる。私領へ踏み込むつもりはなくとも、入口で不審者と見なされれば話はそこで終わる。
ノーラが別の記録を開いた。人気の女性配信者が、男性配信者と組んだ回である。企画への感想より、二人の距離を測ろうとする書き込みの方が長く続いていた。
「これ、両方ベテランでこれっすからね」
三森は最後まで読まなかった。紙の上の男は、前世の自分としてこれ以上ない姿である。同時に、勇者へ続く道の入口を自分から狭める姿でもあった。
「女性型にせよ。直ちにだ」
決断まで、三秒もかからなかった。
「切り替え、早っ」
「外交上の障害を排除しただけだ」
「え、前世の姿が一番大事だったんじゃないんすか」
「保管せよ。前世の我まで捨てる必要はない」
設計図はノーラの手から引き取られた。折れないよう、机の端へ置かれる。三森は湯呑みをその上へ載せかけ、思い直して別の場所へ移した。
「じゃ、かわいい女の子でいきます?」
「ならん」
「え、でも女性型っすよね?」
「女性であることと、過度に愛らしいことは別だ。威厳ある迷宮主にせよ」
新しい紙の上で、注文が次々に増えていった。露出は少なく、動きやすいものにすること。戦士ではなく、領主に見えること。
黒一色では画面で沈む。深い緑と古びた金を使うこと。角の生えた魔王ではないこと。迷宮を設計し管理する者だと、一目で分かる装いであること。
「腕は出してよろしい。図面を引くのに袖が邪魔になる」
「え、そこは実務なんですね」
「造成中に袖が引っかかれば、天井の高さを間違える」
ミラが横から茶碗を差し出しながら口を挟んだ。
「じゃあ、裾も短くしておやりよ。転ぶよ」
「転ばぬ」
「転ぶ人はみんなそう言うんだよ」
ノーラは黙って、丈を短くする印を紙へ入れた。それから外套の腰へ、道具を提げるための輪を書き足す。
「方向性、迷宮を設計する側の領主服でいきましょ。図面持って歩いてても変じゃないやつ」
「よかろう」
「かわいさは?」
「不要だ」
「いや、かわいさは入れますよ」
「不要だと言っておる」
「数字、取りたいんすよね?」
三森は黙った。それから紙の上へ、威厳十割と大きく書き込む。
「親しみやすさを少し入れるだけなら許す。威厳を損なわぬ範囲でな」
「りょーかいでーす」
ノーラは逆らわなかった。三森が男性案を片づけている隙に、紙の端へ小さく書き足す。
――見た目は、かわいさ七。威厳三。
態度の方は本人が勝手に出す。ノーラの中では、それで決まりだった。
「我から威厳が溢れれば、結果として十を超えるな」
「そっすね〜」
返事が早すぎた。
襖の隙間からデミタスが顔を出した。空の急須を提げたまま、机の上の二枚の紙を順に見ている。
「本日中に決まりましたか」
「決まった。我は女性の迷宮主として画面へ出る」
「では、男のお姿の方はいかがなさいます」
「保管だ。二度言わせるな」
「承知いたしました。額へ入れてお飾りいたしますか」
「……そこまでは申しておらぬ」
方向は決まった。それでも絵を描く者も、モデルを動かす者もいない。配信用の機材を選ぶ知識も足りなかった。
ミラが空いた皿を下げていく。机には紙が二枚だけ残った。三森は湯呑みを脇へ寄せ、匿名掲示板を開く。
「この世界の識者へ、必要な戦力を問う」
「投稿する前に、言葉だけ配信用に直しましょ」
「戦力以外に何と呼ぶのだ」




