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追放された盲目の第一王子に仕える子爵令嬢ですが、手を引かず一歩先を示していたら、甘く執着されて求婚されました  作者: チャーコ
本編

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19/98

19 ロゼッタのリボン

 回廊を進んでいる途中、床の反響がわずかに変わった。

 硬い石の感触とは違うものが、靴底の下で逃げるように滑る。続いて、繊維が擦れる感触が足裏に残り、ルチアーノは反射的に足を止めていた。


「……待て」


 理由を考える前に、身体が動いていた。


「殿下?」


 半歩前にあった気配が揺れる。


「何か……落ちていたか」


 一瞬の間のあと、ロゼッタが小さく声を上げた。


「……あ」


 屈み込む気配と、床を探る控えめな音。


「すみません。髪留めのリボンを、落としていたみたいです」


 その言葉で、状況がはっきりした。

 薄い布は、見えていなければ踏むまで気づけない。


「……踏んだか」


 事実をそのまま口にすると、返事が少し遅れた。


「……はい。ほつれてしまいました」


 責める調子ではない。ただ状態を伝えているだけだ。

 それが、なぜか胸に残る。


(……私が、駄目にした)


 取り返しのつかないことではない。

 それでも、先ほどまで彼女が身につけていたものを、自分が踏んだという感覚が、足裏から離れなかった。


「……すまない」


 短く告げる。


「大丈夫です、殿下」


 声はすぐに、いつもの明るさへ戻る。


「元々、使い込んでいましたし。新しいものを用意します」


 その軽さが、逆に引っかかった。

 代わりはある、という理屈では足りない。


「……少し待て」


 ルチアーノは立ち止まったまま言う。

 迷いはなかった。


「代わりを、用意する」


 ロゼッタが息を呑む気配がする。


「殿下、それは――」


 衣の内側、胸元に結ばれていたタイへ指を伸ばし、布の感触を確かめながら慎重に外した。見えていた頃から身につけていた、青地に金の刺繍のタイ。自分の色だということを、今もはっきり覚えている。


「これを、代わりに」


 位置を言葉で示し、差し出す。それ以上の理由は言わなかった。ロゼッタはすぐには受け取らず、距離が微かに揺れる。


「……私には、もったいないものです」

「私が駄目にした。だから、代わりだ」


 理由は、それで十分だった。


 少し遅れて、手が伸びる。

 指先が触れ、布の感触を確かめる。


「……ありがとうございます」


 声が、いつもより少し近い。

 その距離が、妙に強く印象に残った。


 ◇ ◇ ◇


 数日後、執務机の上に布が置かれる気配がした。


「殿下、少し手を加えました」


 差し出されたのは、あのリボンタイだった。

 布地は同じだが、縁の一角に、指先に引っかかる小さな凹凸がある。


 指でなぞり、すぐに理解した。


「……あの文字か」

「はい。糸で、一針ずつ刺繍しました」


 ロゼッタは、少しだけ言葉を足す。


「布が薄いので、裏に芯を当てています。触れたとき、わかるように」


 小さな点の並びは、触れれば読める。


rosetta(ロゼッタ)


 最初に覚えた読み。自分が、真っ先に覚えた名前だった。


「殿下からいただいたものですから。私のものだと、わかるようにしました」


 所有を主張する言葉はない。

 それでも、そこには確かに、彼女の意思が縫い留められている。


(……贈ったものに、二人だけの印を)


 代替ではない。これは、彼女が選び、考え、時間をかけて仕上げたものだ。


 ルチアーノは、リボンを握り直した。

 自分の色の中に、彼女の名前がある。触れれば、迷わずわかる。

 その事実が、胸の奥で静かに重みを持つ。


(……これは、まずい)


 理由を言葉にする前に、結論だけが先に浮かぶ。

 行動が、思考を追い越しかけている。


 ルチアーノは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


(……落ち着け)


 まだ、名を与える段階ではない。だが、もう元には戻れない。

 その境目に、今、自分は立っている。

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