13 おはようから、おやすみまで
離宮の朝は、いつも通り静かだった。
それでもルチアーノは、目を覚ました瞬間に小さな引っかかりを覚えた。
「殿下。おはようございます」
寝台の横から聞こえる声は、よく通る。
はっきりしていて、少しだけ弾んでいる。
「……おはよう」
返事をしてから、考える。
(……今日は、声が元気だ)
ロゼッタが専属侍女になってから、数日は経っている。
慣れてきたはずの朝だった。なのに、今日はどこか調子が違う。
「起き上がる前にお声がけしますね。右側に椅子があります。床は平らで、昨夜から杖の配置は変わっていません」
説明が長い。しかも、一つ一つが丁寧で、抜けがない。
「……そこまで言わなくても、把握している」
「はい。ただ……念のためです」
言葉の選び方に、いつもより力が入っている。
手を差し出され、指先が触れる。距離は適切だが、今日は触れる回数が多い。
(……世話を焼きすぎだ)
椅子に腰を下ろすと、ロゼッタはすぐに一歩引いた。
「では、着替えの準備をしますね。今日は動きやすい服を選びました。布が擦れにくくて、柔らかいものです」
「……随分、細かいな」
「その方が、安心かと思って」
袖を整える手が、止まらない。襟元、肩、裾。確認が、いつもより多い。
(……力が入りすぎている)
朝食の時間になった。
席に案内され、料理の位置を説明される。だが、皿の数が多い。
「……これは」
「朝食です」
そう言ってから、付け足す。
「手前がスープで、奥に温かいパンがあります。卵料理とサラダはパンの右側に。果物は刻んであります」
「……多くないか」
「もし食べきれなければ、残しても大丈夫です」
一拍置いて、続ける。
「後で、私が食べますから」
さらりと言われ、言葉に詰まる。
(……そういう問題じゃない)
だが、強く言う理由も見つからず、結局食べられる分だけ口に運んだ。
食後に歩行訓練が始まる。
「いつも通り、回廊を一周しますね」
「……ああ」
歩き出してすぐ、気づく。
今日は、触れられる回数が多い。
声かけはいつも通りだが、袖口を留め直され、肩の糸くずを取られ、靴紐まで結び直された。
「靴紐は自分で結べるのだが」
「解けると危ないので……念のためです」
(……過保護だ)
昼前、執務机に戻ると、別の引っかかりがあった。
机の端に、紙の束が置かれている。
一枚や二枚ではない。昨日と今朝の分が、まとめて積まれている。
「……これは」
「殿下が触って読む、あの文字の練習用です」
あっさりした返答だった。
「殿下が読めるようになったのが嬉しくて。少し、練習してみました」
「……一人で、これだけ打ったのか」
「はい」
その量を、改めて触って確かめる。
(……時間を使いすぎている)
昼食も同じだった。朝よりは控えめだが、それでも多い。
「美味しいんだが、本当に食べきれない」
「大丈夫です。後で、私が食べますから」
同じ言葉を、同じ調子で言われる。
午後に入っても、ロゼッタは座ろうとしなかった。
立ったまま説明し、動線を確認し、声をかけ続ける。
「……少し、休んだらどうだ」
「問題ありません」
一度目。
夕方が近づく頃、声が少し掠れていることに気づいた。
「喉を使いすぎていないか」
「大丈夫です」
二度目。
そして、風呂の時間になった。
入浴は、最初からルチアーノ一人で入ることを決めている。
手すりの位置も動線も、すでに把握している。
それなのに、ロゼッタが口を開いた。
「そろそろお風呂の時間ですが……今日は、入浴もお手伝いしましょうか?」
一瞬、ルチアーノの思考が止まった。
「……」
返事が出てこない。
ロゼッタが、はっとしたように息を呑む。
「……あ、いえ。今のは忘れてください。いつも通りで大丈夫です」
慌てて引く。その様子が、はっきり伝わる。
「……いつも通り、一人で入る」
「……承知いたしました」
声が、少し下がった。
「必要でしたら、外におりますので、お声がけください」
「……頼む」
背を向けたとき、気配が小さく沈んだ。
(……やりすぎだ)
浴室の中で、水音を聞きながら考える。
(張り切りすぎている)
理由は、わかっていた。
ロゼッタは、専属侍女として、完璧であろうとしている。
夜になり、寝台に横たわる。
「では、本日はここまでで失礼いたします」
「……ああ」
「おやすみなさい、殿下」
「……おやすみ」
扉が閉まり、気配が遠ざかる。
一人になって、ようやく息をついた。
(朝から夜までだ)
声も、手も、気遣いも。
今日に限っては、少し多すぎた。
(……どこかで、止めなければならない)
そう思ったことに、自分で驚く。
おはようから、おやすみまで。
専属侍女としての一日は、丁寧で、甘くて、少しだけ力が入りすぎていた。
その理由を、ロゼッタ自身は、まだ理解していない。




