第96話 そこな冒険者
「わぁっ!? 大丈夫ですか、レヴォス様!?」
俺が盛大に噴き出したジュースに驚き、ルナリアが椅子から飛び上がった。
「ゴホッ! ……あ、ああ。大丈夫だ。何の問題も無い」
「ほ、ほんとですか!? いきなり飲み物を噴き出すなんて……!?」
慌てるルナリアをなだめ、俺たちは再び食事を続けた。
テーブルにはシチューに串焼き、パンとサラダ、そして卵料理が並んでいる。
ルナリアは先ほどからこれらをガツガツと、一生懸命に食べていた。
薄汚れた酒場の食事も、ルナリアにとっては極上の馳走らしい。
そして俺は、アリアをギロリと見た。
だが、俺の失態の原因を作った張本人は、どこ吹く風といった様子でシチューを食べている。
何も気にしていない様子だ。
俺は周囲に聞こえないよう、アリアの耳元へ静かに顔を寄せた。
「……おい。先ほどのような、あらぬ誤解を招くような発言は二度とやめろ。まったく……」
釘を刺すと、アリアもまた耳打ちを返してくる。
「……あなたが小さい頃、何もしてあげられなかったでしょう? ルナリアちゃんは私とずっと一緒にいたけれど……あなたとは離ればなれだった。その不公平を、少しでも埋められないかなって思って……」
……そんな事を考えていたのか。
だが、今さら母として甘やかされるなど、全身が痒くなるような気恥ずかしさを覚える。
そもそも、その不公平を埋める手段が『それ』なのか?
しかも、その幼い子供の姿で言うか?
……という疑問は、今はやめておこう。
アリアは母なりに、俺に気を遣っていることだけは確かだろう。
「……無用な心配だ。そんなことより食え。冷めれば味が落ちるぞ」
「ふふ、そうですね。いただきますっ!」
アリアが上品な所作でシチューを口に運ぶのを見届け、俺もようやく食事を再開した。
しかし、人生とは奇妙なものだ。
まさか隣国の、冒険者が騒ぎ立てる酒場で、生き別れた母と妹と旅行をし、食卓を囲むことになるとは。
「……あれ? レヴォス様、何を笑っているんですか?」
串焼きを頬張っていたルナリアが、リスのように頬を膨らませて俺の顔を覗き込んできた。
「何でもない。それより、量は足りているか? 足りなければ追加を頼め。遠慮は不要だ」
「はいっ! ありがとうございます!」
満面の笑みで再び肉に食らいつくルナリアを横目に、俺は酒場を見渡す。
ここに来た目的は、情報収集だ。
すると、酒の入ったジョッキを片手に恰幅の良い中年男がこちらへ近づいてきた。
「おう、坊主! お前の奢り、景気良く頂いてるぜ!」
男は日焼けした肌に、肩まで伸びた髪をバンダナで無造作に巻いている。
――当たりだ。
この男、間違いなく船乗りだろう。
太陽から逃げ場のない船上での日光に焼かれ、作業中に髪をロープや滑車に巻き込まれぬようバンダナを巻く。
その姿が、海の男であることを証明していた。
「ああ、遠慮なく飲んでくれ。それより、あんたは船乗りだろう? 少し聞きたいことがある」
「ん? お察しの通り、俺ぁこの港の船乗りよ。奢ってもらった礼だ、何でも聞いてくれ!」
男は上機嫌に酒を煽り、豪快にゴクゴクと喉を鳴らす。
「この街は漁業が盛んだと聞いていた。だが、街を歩いても新鮮な魚料理屋が見当たらんのはなぜだ?」
酒場に来るまでの道中、俺は立ち並ぶ屋台や料理屋を観察していた。
どの店も看板には魚の絵があるものの、『提供不可』という無情な注意書きが添えられている。
干物や塩漬けの類はわずかにあるが、港町特有の獲れたての海鮮を楽しめる場所がどこにもない。
本来、漁業が盛んな街では、魚は安価で流通しているはずだというのに。
「ああ。……確か昨日だったか。この国の王が死んじまってな。その煽りで、誰も漁に出られねえのさ。まったく、迷惑な話だよ」
王の死。そして漁の禁止。
想定外の事態に、俺は眉をひそめた。
「どういう意味だ? たとえ王が死のうと、漁へ出るのを止める理由にはならんだろう」
「それがよぉ、この国の漁船はすべて国が管理してる『所有物』なんだ。勝手に船を出すのは重罪よ。しかも王が死んだせいで、跡目争いだかなんだかで、今は自称『王』が二人もいるって状況だ。どっちに許可を取ればいいかも分からねえ。政争が落ち着くまでは、俺たち船乗りはただの穀潰しよ。ったく、やってられねえぜ!」
男は吐き捨てるように言い、空になったジョッキをテーブルに叩きつけた。
「……そうか。あんたも災難だな。漁業の商談ついでに新鮮な魚料理を期待していたが、とんだ無駄足になったようだ」
「まあ、運が悪かったと諦めるこったな。坊主、他にも何か困ったことがありゃ声をかけな! 見ての通り、暇だけは売るほどあるからよ!」
ガハハと笑いながら去っていく男。
しかし、ザオツリに来た時期が悪かったらしいな……
では、混乱に乗じて漁業の交易ルートだけでも構築しておくべきか。
明日は地元の有力な商人にでも接触してみよう。
だが……やはり、面倒というものは連鎖してやってくるらしい。
食後に酒場を後にした、その直後だった。
「ふう~、たくさん食べましたぁ!」
ルナリアが幸せそうな笑みをこぼし、丸くなった腹を満足げにポンポンと叩いている。
「本当に美味しかったね。楽しい夜になって良かったです」
アリアが微笑みながら同意した、その瞬間。
「あの! そこな冒険者様! お待ちを!」
夜を切り裂く、鋭い声が響いた。
振り返れば、そこには深いフード付きのローブを着た人影が二つ。
長身と、それとは対照的に背の低い影。
声をかけてきたのは、その背の低い方だった。
子供だろう。
身長はせいぜい140センチくらいだろうか。
その子供が、焦燥に駆られたような声で再び叫ぶ。
「名うての冒険者さんかとお見受けします! あの大男たちを拳一つで倒す実力。どうか、私の依頼を受けて頂けないでしょうか!?」
――明らかに怪しい。
酒場で俺たちの様子を見ていたのは知っていた。その後に、尾行するようについてきた事も。
だが姿も明かさず、報酬も内容も告げぬまま依頼を受けるような愚か者は、この世界にはいない。
「……悪いが、先を急いでいる。見ず知らずの者の相手をしている暇は無い」
「あ、お待ちください! ……あなたの話していた『漁業』について、力になれるかもしれません!」
その言葉に、俺の足が止まる。
背後の長身の男が、狼狽えた様子で子供を制止しようとした。
「フェリス様!? そのような事を勝手に言ってしまってはなりません!」
「構わんのだ、ロイド! 今、これほどの力を持った稀有な者を逃しては、我らにはもう後が無いのだぞ!」
様付け。そして後が無い、か。
どうやら、厄介な事柄に首を突っ込まれたらしい。
背の低い影が、決意を込めた仕草で自らのフードを勢いよく取った。
現れたのは、肩まで届く薄青色の髪。
月光に照らされたその横顔は凛として美しく、しかし俺よりも数段幼い子供のものだった。
「私はこの国の王フェリス・ザオツリと申します。依頼の内容だけでも、聞いて頂けないでしょうか? ……どうか、お願いいたしますっ!」
王と名乗った子供は、逃げ場を失った動物のような、鬼気迫る表情で俺を真っ直ぐに見据えていた。
その必死な瞳に、俺は抗いがたい面倒事の予感を覚え、わずかに眉間に皺を寄せた。




