第95話 ジュース
母アリアと妹ルナリアに、俺が港町ハアルに来た目的を説明していた。
「この街の漁業の実態を調べ、グリンベルとの間に安定した貿易ルートを築くためだ。お前たちは、何も考えずに付いてきたのか?」
「あ、なるほど! 貿易ですか。えへへ、フォルテさんは、そこまでは教えてくれてなくって!」
フォルテ……?
ああ、この二人がついてくるのに協力をしたのはフォルテか。
まったく、あいつめ。
「……とにかく、さっさと出るぞ」
宿を出てしばらく歩くと、店員が言っていた酒場の前に着いた。
中を覗かなくとも分かる。
立ち上る喧騒と、染み付いた酒の匂い。
ここは、腕に覚えのある荒くれ者の冒険者たちが夜な夜な集う、まさに無法地帯の入り口だ。
看板には、酒場と冒険者ギルドを兼ねていることを示す紋章が掲げられている。
情報を探るには最適だが、アリアとルナリアを連れて入る場所ではないな……
「仕方が無い。他の店へ行くぞ」
だが、その時。
アリアが俺の袖をクイとひっぱり、上目遣いで覗き込んできた。
「大丈夫ですよ。せっかくだから、ここにしましょう!」
わくわくを抑えきれないアリアの顔。
横ではルナリアも尻尾でも振らんばかりの勢いで同意している。
……好奇心旺盛なのも考えものだな。
俺は重い溜息を吐き出すと、腰に差していた一振りの剣を鞘ごと引き抜いた。
「……ルナリア、これを持っておけ」
「これは……レヴォス様の!?」
俺は二振り持っている剣のうちの一本、聖剣クラウトソラスをルナリアに手渡した。
「万が一の時だけ使え。だが、滅多なことで抜くことは許さんぞ」
気軽に使われては困る。
何せ、今のルナリアは普通の冒険者が束になっても敵わないほど強いのだ。
「ありがとうございます! お借りいたします!」
ルナリアが帯刀するのを確かめると、酒場へと入った。
ドッと押し寄せる熱気と騒音。
笑い声、歌声、そして酔っ払い同士の罵り合い。
混沌としたその空間に、俺たちは悠然と踏み込んだ。
俺たちは空いている一番奥のテーブルへと腰を下ろした。
すると、すぐにウェイトレスがやってくる。
「あら、随分と可愛らしいお客さんだねぇ。食事かい?」
「ああ。この店で一番美味いものを三人分頼む。それと、喉が渇いている。飲み物もだ」
「んふふ、分かったよ。酒は流石に出せないから、とびきりのジュースを持ってきてあげるね」
ウェイトレスが奥へと戻っていくのを眺めていると……案の定、さっそくだ。
酒に酔い、顔を真っ赤にした三人の大男たちが、下卑た笑みを浮かべながらヨロヨロとこちらへ近づいてくるのが見えた。
「ん~? なんだぁ、ここはガキの遊び場じゃねぇぞ? ……おっ! そっちの嬢ちゃんたち、すげぇ別嬪じゃねぇか! どれ、俺様が大人の『遊び』ってのを教えてやるよ!」
先頭に立つ脂ぎった男が、アリアの髪に触れようと汚い手を伸ばした。
やれやれ、どこにでもいるな。
自分の力量も測れずに他人の領域へ土足で踏み込む愚か者は……
横を見ると、アリアはともかく、ルナリアの顔から表情が消えている。
ルナリアの手は、すでに聖剣クラウトソラスの柄へと伸び、殺気を漏らし始めていた。
ここでルナリアに抜かせては、死体の山が築かれる。
それは流石に目立ちすぎるな……
俺は冒険者の男をチラリと一瞥し、冷徹な声で宣告した。
「失せろ。……二度と言わんぞ」
「あぁん!? なんでぇ、ガキが女二人も連れやがって! 俺たちが女の相手をしてるやるから、てめぇはママのおっぱいでも吸ってな!」
そのセリフを、俺の母親の前で言うな。
……と言いたいところだが、それは言えん。
俺はゆっくりと立ち上がった。
メリッ!!
――ガッシャーーン!!!
鈍い衝撃音が響いた。
『メリッ!!』というのは、俺の拳が冒険者の顔面に深々とめり込んだ音だ。
そして、冒険者が吹き飛び『ガッシャーーン!!!』とテーブルやらを吹き飛ばしながら、扉を突き破って酒場の外に消えていった。
「二度と言わん、と言ったはずだ」
俺はそう言って、再び何事もなかったかのように席に座った。
「て、てめぇ! いきなり何しやがる!」
「クソガキ、ぶっ殺してやる!!」
残された二人の冒険者が、逆上して武器を抜いた。
メリッ!!
――ガッシャーーン!!!
メリッ!!
――ガッシャーーン!!!
再び、酒場に破壊音が二回響き渡る。
先ほどの男と同様、残りの二人のゴミも外へと叩き出した。
静寂が訪れる。
さっきまでの喧騒が嘘のように消え失せ、客たちは動きを止め、目を見開いて俺を凝視していた。
「ちょ、ちょっと、あんたたち!?」
先ほどのウェイトレスが、血相を変えて駆け寄ってきた。
「すまんな、少し騒がしたようだ」
「いや、それより、あんたたちに怪我は無いのかい!? あんな大男相手に……」
ウェイトレスは吹き飛んだ男たちよりも、俺たちの無事を本気で心配しているようだった。
確かに、見た目はただの十五歳程度の子供だ。心配されるのも無理はない。
「俺たちは見ての通り問題ない。それより、これを」
俺は懐から金貨を一枚取り出し、親指でピン!と高く弾いた。
金貨がウェイトレスの手の平に吸い込まれるように落ちる。
「こ、これ……金貨じゃないか!? こんなの受け取れないよ!」
「修理代だ。吹き飛ばした分はそれで補填しろ。残りは、今ここで飲んでいる連中への迷惑代だ。全員に酒を振る舞ってくれ」
俺の声が、静まり返った酒場に朗々と響き渡った。
その瞬間……
「おおお! 分かってるじゃねぇか、坊主!」
「最高だぜ! ありがてぇ!」
「よっしゃあ! お前ら、この太っ腹な坊主に乾杯だ!」
手の平を返したように、客たちが歓喜の声を上げて拳を突き出す。
ふん、金だけでこれほど容易く手懐けられるとはな。安上がりな連中だ。
上機嫌になる客たちをよそに、俺たちは運ばれてきた料理を手を付け始める。
だが、添えられた飲み物を一口含んだ瞬間、俺は目を見開いてしまった。
酒ではない。この土地特有の果実を絞ったジュースだろうか。
柑橘系の爽やかな甘みと、目が覚めるような酸味が絶妙なバランスで混ざり合っている。
……驚いたな。これは、なかなかの代物だ。
これなら、どれくらいでも飲める。
俺はあまりの美味さに、珍しく夢中になってジュースを喉に流し込んでいた。
ゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいると、不意に正面に座るアリアと目が合った。
アリアが首をかしげながら真剣な目で、ぼそっと言った。
「……吸う?」
「…………ブッッッ!!!」
俺は口に含んでいた至高のジュースを、勢いよく吹き出した。




