第85話 それでよかったんか
グリンベルへと戻り、学園の『仮面舞踏会』への参加をアリアに相談すると、アリアは嬉しそうに微笑んだ。
「あら! すごく楽しそうですね!」
アリア。
俺の母であり、今は呪具の反動によって俺よりも年下に見える外見となっている。
だが、その立ち振る舞いには、王族として長年培われた品格がにじみ出ていた。
どれだけ外見が変わろうとも、それだけは変わらないらしい。
「その『仮面舞踏会』の種目は大丈夫そうか?」
「ええ。貴族社会とは長い間、離れていましたが問題ありません」
アリアはあっさりとそう言った。その言葉に迷いも不安も見えない。
長年のブランクを微塵も感じさせない、静かな自信だ。
「そうか。ではフォルテよ。アリアに服や、必要なものを整えよ」
「はっ、承知いたしました」
執事のフォルテが恭しく頭を下げる。
そして翌日から、準備が始まった。
フォルテが王都の仕立て屋へ問い合わせ、アリアの寸法を測る段取りを整えていた。
仕立て屋に行き、アリアはいくつかの生地を前にして、迷うことなく一枚を指差す。
「これに致します」
深みのある夜色の生地。
金の刺繍が入り、光の当たり方によって複雑な色の揺らぎを見せる上質なものだ。
フォルテが「素晴らしき御眼識でございます」と感嘆するのを、アリアは「ありがとう」と軽く微笑んでいた。
仮面についても、アリアが自ら選んだ。
白地に細やかな銀細工が施された、上品なものだった。
「レヴォス様のものと揃えましょうか?」
アリアがそう言い、俺の仮面は黒地に金の細工が入ったものになった。
白と黒。並べると確かに揃いに見える。
……しかし、揃えてどうするつもりなんだ、この人は。
一方、寮の自室でも騒ぎが起きていた。
エルマのパートナーが、どうしても見つからなかったのだ。
何せ、エルマには貴族の知人などいない。
学園の同級生に頼もうにも、生徒同士では組めない。
候補を片っ端から考えたが、結論として賢者クロエをパートナーに付けることにした。
同性でも構わないという条件が、ここで生きた。
だが問題は、ダンスだ。
エルマのダンスの経験は、ゼロだった。
それを知ったのは、クロエとの練習でエルマの手を取った瞬間、エルマの足がクロエのつま先を踏み抜いた時だ。
「いたっ! もう少し足元を……!」
「す、すみません! なんか体が言うことを聞かなくて!」
クロエが顔をしかめ、エルマの顔が青くなっている。
結果として、エルマの練習には俺も、フォルテも、ヒロンも、総がかりで関わることになった。
フォルテが手本を見せ、ヒロンが掛け声をかけ、クロエが細かい動きを口頭で説明し、俺も横でエルマに指摘し続けた。
「おい、エルマ。足が死んでいる。もっと重心を意識しろ」
「うえええん! こんなにたくさんの人に見られながら練習するの、恥ずかしいですよぉ!」
だがエルマはそう言いながらも、必死に繰り返す。
なんとか二時間後には、形になり始めていたので一同は少し安堵していた。
だが……さらに新たな問題が起きた。
その練習をずっと覗いていた俺の妹、ルナリアだ。
今回の仮面舞踏会には関係のない存在。参加しないのだから、当然だ。
だが、こいつは練習が始まってからずっと、部屋の入口の陰からじっと覗いていた。
俺がエルマに踊りを指摘し指南するたびに口をへの字に結び、羨ましそうに目を細め、やがてあからさまにふてくされた顔になっていた。
「……おい、ルナリア」
俺が声をかけると、ルナリアがぴくっと肩を揺らした。
「な、なんですか、レヴォス様。私は別に、何も……」
「来い」
「……え?」
俺はルナリアの前に立ち、片手を差し出した。
ルナリアはその手をしばらく見つめ、それからゆっくりと顔を上げた。
「……私にも、教えてくれるんですか?!」
「面倒だが、仕方がない。そんな顔をしたまま突っ立っていられると、こちらが落ち着かん」
「……っ!」
ルナリアの頬が、パアっと明るくなった。
そのまま、俺はルナリアに基本的なステップを教え始めた。
ルナリアは最初こそ緊張で体が固まっていたが、飲み込みは悪くない。
「すごい! 私より全然上手!」
エルマがそう叫ぶ。
面倒だとは思った。
だが、ルナリアが俺の手を取ってステップを踏むたびに、その顔が少しずつほぐれていくのを見ていると、まあ悪くない時間だとも思う。
それが表に出ないよう、俺は終始無表情を保ち続けたが。
――――――――
そして、仮面舞踏会の当日。
会場は、学園の大広間だ。
規模こそ大きくはない。だが、集まった面々の本気度が違った。
特典狙いではなく、ここで1位を取ることそのものがステータスになる。
それを分かっている者たちが、精一杯の装いで集まっていた。
俺も髪を整え、黒の正装に身を包んだ。
そして、金細工の仮面を着ける。
アリアは……完璧だった。
夜色のドレスが、アリアの白い肌と赤い髪を際立たせている。
白の仮面をつけた姿は、目を見張るほど整っていた。
「レヴォス様、準備はよろしいですか?」
「ああ」
俺は頷き、アリアに手を差し伸べた。
「さあ、アリア。行こうか」
「ええ、参りましょう」
アリアが俺の手を取る。
その手は、迷いなく、自然な動作で俺の手に重なった。
会場の扉をくぐった瞬間、空気が変わったのが分かる。
「おお……あれはムーングレイ家のレヴォス様では……?」
「レヴォス様、仮面をつけていても素敵……!」
「あのパートナーの方は……一体、誰だ? なんて美しい!」
どよめきが、さざ波のように広がっていく。
アリアに視線が一斉に集まる。
だが、アリアは動じていない。
ざわめきなど聞こえていないかのように、静かに、しかし確かな存在感を持って、俺の隣を歩いている。
さも言われ慣れているというような、堂々とした風格だ。
当然だろう。
この人は長年、王族として人の視線を受け続けてきたのだから。
そして、社交の時間が始まった。
アリアの立ち振る舞いは、見ていて気持ちがいいほど完璧だった。
近づいてきた他の生徒に向け、アリアは穏やかな笑みを向ける。
言葉は少ないが、その一言一言に重みがある。
相手の話をきちんと聞き、適切な言葉を返す。
決して馴れ馴れしくなく、しかし冷たくもない。
隣の人間が自然と背筋を伸ばしてしまうような、品格がそこにあった。
「……あの方、一体どこのお方なのだろう……?」
近くで誰かがそう囁いている。
当然、俺は何も答えない。
アリアも、聞こえていないふりをして静かに微笑んでいる。
そして、ダンスの時間が来て音楽が流れ始める。
俺はアリアに向き直り、手を差し出した。
アリアが俺の手を取る。
踊り始めた瞬間、俺は理解した。
アリアのダンスは、次元が違う。
俺が手を動かすより先に、アリアの身体が自然についてくる。
呼吸が合っているというより、アリアが俺の動きを完全に読んでいる。
こちらが何をしようとしているのか、先んじて分かっているような滑らかさだ。
……さすがだな。
俺が内心でそう思った時、アリアが俺の耳元でそっと言った。
「レヴォス様、もう少し激しくいきましょうか?」
「……ほう。俺は構わん」
アリアとのダンスに周囲では、いつの間にか俺たちを中心に人が輪を作り始めていた。
他のペアが端に寄り、こちらを見ている。誰も口を開かない。
音楽だけが、広間に響いていた。
審査の結果が出たのは、全ての種目が終わった後。
1位は当然、俺レヴォス・ムーングレイだった。
発表の瞬間、会場から拍手が起きる。
ふん、当然の結果だ。
これで授業免除の特典は、確かに手に入れた。
だが……
「あれがレヴォス様の婚約者か。さすが公爵家だ!」
「あんなに美しい婚約者、なんてうらやましい!」
周囲がそう口々に言っているのが、耳に入ってくる。
……いや、違う。
違うぞ。何を勘違いしているんだ、お前たちは。
俺はふと、横のアリアを見た。
アリアは、いつの間にか俺の腕にそっと手を添えている。
「……何をしているんだ?」
「あら? こういう余裕を持った仕草が重要なんですよ。最後まで気を抜かないのが、社交というものですから」
アリアはそう言って、にこっと微笑む。
……そうなのか?
俺はそれ以上、アリアに何も言わなかった。
アリアのおかげで、1位を取れた。俺の目的は果たしたのだ。
だが、なぜだろうか……?
会場を後にする間も、なぜだか胸の奥にわずかなモヤモヤが残っていた。
婚約者、という言葉。
どういうわけか、頭の端にこびりついて離れなかった。




