第78話 代金
パン屋の前で、タヌキ族の少女の後ろ姿が人混みに消えていくのをじっと見送りながら、俺は静かに考え込んでいた。
あの少女は、タヌルル。
ゲーム本編『エルヴァンディア戦記』において、俺、レヴォス・ムーングレイによって故郷を焼き払われ、一族や親の仇として俺を追い続ける復讐鬼になるキャラだ。
さきほどタヌルルが代金の代わりに出した石、手鏡、ぬいぐるみ——あの三つは、タヌルルが召喚魔法の触媒として用いるアイテム。
しかし、タヌルルが着ていたドレス。
あれはいったい何だ?
ゲームの中のタヌルルは、冒険者だ。
なのに、今目の前にいたタヌルルは、ドレスを身に纏っていた。
だが、貴族の子ではない。
立ち振る舞いが違うからだ。
俺の知っている設定と、あまりに違いすぎる。
……調べる必要があるな。
――――――
翌朝、俺はアンズを呼びつけた。
「昨日、王都のパン屋の前で会ったタヌキ族の少女だ。年は八つか九つ。品の良いドレスを着ていた。調べろ。名前、素性、家族のことまで全部だ」
「へぇ、随分とそのお嬢ちゃんが気になるんだねぇ」
アンズがニヤニヤしながら、目を細める。
「余計なことを言うな。さっさと行け」
アンズは「はいはい」と肩をすくめ、軽い足取りで出て行った。
獣人のコミュニティというのは、思いのほか狭い。
人間社会の陰に息を潜めて暮らしてきた分、同族の間での繋がりは濃く、噂が回るのも早いからだ。
案の定、昼前にはもうアンズが戻ってきた。
「あの子の名はタヌルル。父親は商人で、王都に仕入れに来てたんだって。住まいは王都から少し離れた村で、雑貨屋を営んでいるらしいよ。大富豪じゃないけど、地元じゃ顔の広い一家でね。あの子も、お父さんもお母さんも、村のみんなにすごく愛されてるってさ」
俺は黙って、その情報を頭の中に収めた。
ゲームのタヌルルとは、根本から違う。住んでいる世界が違いすぎる。
ゲームの中のタヌルルは、憎しみだけを支えにして生きていた。
……ならば、俺がすべきことは一つだな。
俺は椅子から立ち上がり、フォルテに目を合わす。
「馬車を出せ。そのタヌルルがいる村へ向かうぞ」
馬車は王都を出て、のどかな街道を進んだ。
御者台にフォルテ、車内には俺とアンズとネクタを乗せている。
獣人の村へ行くなら、同じ獣人がいた方が警戒されないからだ。
しばらく走ると、道の両脇に青々とした田んぼが見えてきた。
稲穂が風に揺れ、農夫たちが汗を流して働いている。
空が広く、驚くほど平和な村だ。
しかし、ムーングレイ家の紋章を掲げた馬車が村道に入ってきた途端、農夫たちの顔色が変わった。
村人たちは「貴族が来たぞ!」と口々に発し、村の入り口にはあっという間に人だかりができた。
怖がりながらも村人は興味津々な顔で、馬車をじっと見つめている。
馬車が止まり、フォルテが静かに扉を開けると、俺は外へ降り立った。
その瞬間。
「あ! パン屋のお兄ちゃん!!」
人混みから、元気よく飛び出してきた少女。
タヌルルだ。
昨日とは違うドレスを着ているが、全く同じ目の輝きをしている。
丸っこい耳をぴょこぴょこ動かしながら、俺の目の前まで走ってきた。
「どうして来てくれたの!? すっごい、びっくりした!」
タヌルルが目をぱちくりとさせているその後ろから、息を切らせた大人が男女が駆け寄ってきた。
タヌキ族特有の丸い耳と、ふわふわとした尾。
タヌルルと同じ顔の造りをした男女——タヌルルの両親だろう。
母親がタヌルルの肩を掴んで制止させ、その顔は蒼白になっている。
「も、申し訳ございません! この子が御迷惑を……!」
「構わん。気にするな。昨日、この子にパンの代金は後日もらうと言ってあったからな」
タヌルルの父親と母親が顔を見合わせて、オドオドし始める。
するとタヌルルが、無邪気に割り込んできた。
「うん! チョコのパン、すっごく美味しかった!」
「パンの件、本当に申し訳ございません! お代も払わずに……!」
父親がうろたえた様子で何度も謝り続けるのを遮るように、俺は「フォルテ」とだけ言った。
フォルテが馬車から綺麗な箱を取り出して、蓋をパカリと開ける。
中には、昨日タヌルルが食べたのと同じ、チョコがたっぷりかかったパンがたくさん入っている。
「あっ! チョコのパン!」
タヌルルの目が、丸皿のように大きくなってキラキラと輝かせた。
母親の口が、ぽかんと開く。
「このパンが気に入ったんだろう。どれ、好きなだけ食べろ」
タヌルルの両親は、呆然として顔を見合わせた。
わざわざ公爵家がこの村に来た理由が、パンを届けるためだけだと気づいて、魂が抜けたような顔をしている。
「あ、そうだ!」
タヌルルが何かを思い出したように声を上げて、腰のポーチをガサゴソとあさり始めた。
そして、小さな両手で俺に差し出した。
それは、一輪の野花だった。
小さな黄色い花。
道端に咲いているような、何の変哲もない花だ。
「これ、パンのお代金です!」
父親が「タヌルル、それは……」と言いかけて止まった。
母親は、俺が怒り出すんじゃないかとヒヤヒヤした顔でこちらを見ている。
俺はその花を、黙って受け取った。
「……確かに受け取った。代金としては等価だな」
俺がそう言うと、タヌルルはパアッと顔を輝かせて、今日一番の笑顔を見せた。
その笑顔につられたように、見物していた周りの村人たちからも「よかった……」と安心したような声が聞こえる。
そのまま、両親に恐縮されながら、俺たちはタヌルルの家へと招かれた。
小さいが、清潔で温かみのある家だ。
居間の隅には、タヌルルのものと思われる石ころや貝殻が、大事そうに並べて飾られていた。
昨日パン屋で差し出していた石ころも、手鏡も、ぬいぐるみも、ちゃんとその中にある。
母親が淹れてくれた茶は、地元の花を使ったという香りのよいものだった。
アンズとネクタは、もう村人たちと仲良くなって笑い合っている。
フォルテだけが俺の横で、ビシッとした姿勢で控えていた。
そしてタヌルルは俺の前に座って、丸い目で俺をじっと見つめている。
やがてタヌルルが、不思議そうに口を開いた。
「ねえ、お兄ちゃん。なんでわざわざ来てくれたの?」
「こ、こら! タヌルル! 公爵様とお呼びしなさい!」
「よい。子どもの話すことだ。気にするな」
俺は慌てる両親を制してティーカップを置き、少し間をおいてから答えた。
「代金を受け取ると言っただろう。それだけだ」
タヌルルはしばらく「代金かぁ……」と小さな声で繰り返し、にへらと笑った。
ゲームの中で、憎悪の中に立っていた少女など、どこにもいない。
ただの、幸せそうな親子の姿がそこにあった。
俺はそれを、何も言わずにただ眺めていた。
帰り際、俺は家の外でタヌルルの両親に向き直る。
「もし困ったことがあれば、グリンベルに来い。俺の領地だ。何があっても、俺が何とかしてやる」
両親は驚いて顔を見合わせ、それから何度も何度も頭を下げていた。
タヌルルが玄関からぴょこんと顔を出して、こちらを見ている。
「ねえ、お兄ちゃん! またパン、食べに行ってもいい?」
「ああ。待っているぞ」
タヌルルが嬉しそうに、大きく手を振った。
俺は一度だけ、片手を上げてそれに応えた。
馬車に乗り、村を後にする。
田んぼ道を過ぎ、街道に戻るまでの間、車窓から見える景色はずっとのどかなままだった。
「フォルテ、タヌルルの親と商売を始めろ。グリンベルと、この村の間で流通を組み、あちらの雑貨をうちの流通網に乗せろ。それから――目立たないように、この村に護衛を配置しておけ」
「承知いたしました」
御者台のフォルテが後ろ姿のまま、静かに一礼した。
ゲームの通りに事が進めば、俺が滅ぼす村。
タヌルルの両親は、俺の手によって失われる。
だが、今の俺にその意思はない。
だが、いつか戦火に飲み込まれる可能性はある。
軍師ヒロン・イロンダルの国オレスフォートのように、脅威が迫る事があれば俺が介入するだろう。
しかし、今この村は平和そのものだ。
それに、あの親子は笑って過ごしている。
俺が見たのは、親に大切にされている子どもの姿だ。
ゲームの時点では失われていたはずの——故郷も、一族も、家族も、その全てが、タヌルルにはまだある。
ならば、無暗にあの家族を戦火に入れるべきではない。
仲間に引き入れるより先に、守る。
それが今、俺に出来ることだ。
馬車の中、俺はタヌルルに貰った黄色い花を指先でそっと回した。
石ころに価値を見出し、花一輪をパンの対価として差し出す。
貨幣の概念は致命的に欠けているが、タヌルルは直感で『価値の交換』の本質を理解している。
それが召喚の根幹。召喚士としての素養は、間違いなく本物だ。
俺は花を懐にしまい、窓の外に視線を向けた。
街道の向こうに、王都の輪郭がゆっくりと見えてきていた。




