第77話 パンの値段
あれからゲルドスは去った。
ゲルドスの支配から解放された村々には活気が戻り、囚われていた人々も自分たちの家へと無事に帰還した。
だが、解放して終わりではない。
俺の目的は、ゲルドスが支配していたこの街や村を、我が領土として完全に占領することにあるのだ。
本来、領主が不在となった土地には国が新たな貴族を任命して統治させるものだ。
力でねじ伏せたからといって、そのまま領地を奪えるほどこの世界の法は甘くない。
ここは、力こそが全ての戦国時代ではないのだ。
俺は今、主を失って静まり返ったゲルドスの屋敷にいた。
「フォルテ、この屋敷の中にある金になりそうなものはすべて換金しろ。埃一つ残さず、徹底的にな」
「承知いたしました。……しかし、よろしいのでしょうか? 次代の領主様の財産となるべき品も含まれておりますが……」
執事のフォルテが、心配そうに懸念を示す。
「ああ、問題ない。そんな心配は無用だ」
「はっ。ならば速やかに手配いたします」
フォルテが恭しく一礼した、その時だった。
屋敷の廊下に、静寂を切り裂くようなドタドタという無作法な足音が響き渡る。
その音は迷うことなく、俺のいる部屋へと一直線に近づいてきた。
バターン! という音と共に扉が開かれた。
「レヴォス様! このヒロン! レヴォス様のお呼び出しを受け、風の如く参上いたしました!」
軍師ヒロン・イロンダル。
学園の寮で俺の妹ルナリアや主人公エルマの教育をさせつつ、商人バルトロの遺産処理をさせていた。
さらにヒロンに命じていたのは、バルトロが所有していた『店舗の改装』。
汚らわしい商人の色が消え、新たな支配者の色に染まったことを民衆の目に焼き付けるには、外装から変えるのが最も効率的だからだ。
「よく来たな、ヒロン。貴様には新しい仕事を与えてやる。休んでいる暇などないぞ」
「何なりとお申し付けください! この身、レヴォス様のために粉骨砕身する覚悟です!」
ヒロンは自分の胸をドンと力任せに叩き、鼻息を荒くして身を乗り出してきた。
「この屋敷の財産はフォルテが換金する。ヒロン、貴様はその資金の半分を使い、周囲の六つの村と街の生活を速やかに安定させろ。それから、採掘場の利権がある。それを活用し、食い詰めている民に仕事を斡旋してやれ」
「承知いたしました! ただちに!」
返事をするや否や、ヒロンは嵐のように部屋を飛び出していった。
その後ろ姿を冷ややかに見送りつつ、隣で不安げな表情を浮かべるフォルテに視線を向ける。
「フォルテ、新領主の許可なく勝手をしているとでも言いたげだな。だが、ここの新しい領主は問題無い」
「な、なるほど……その新しく赴任される領主様とは、お知り合いなのですか?」
「知り合いも何も、この土地の新しい主は俺だ」
「……レヴォス様が、ですか?」
フォルテが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で目を丸くしている。
「ああ。バルトロが失脚した余波で、癒着していた各地の貴族どもが次々と芋づる式に失脚している。今は統治者が不足し、国も混乱の極致にあるのだ。おまけに俺のグリンベル領とは隣接している。それに――」
「それに……?」
「ゲルドスの悪事を国へ通報した際、俺が責任を持ってこの領地を接収し、統治を行う旨も既に伝えてある。そして換金した資金の半分は国に献上する。何よりも、ムーングレイ家の騎士団が不正を正したのだ。父グランディアも、その功績を横取りこそすれ、異議を唱えることはあるまい。しかも、この土地は痩せている。欲しがる物好きは俺くらいなものだ。」
「な、なるほど……レヴォス様の深謀遠慮、恐れ入りました。このフォルテの不明、どうかお許しください」
フォルテは深く腰を折り、自らの浅慮を恥じるように頭を下げた。
(いやいや、フォルテさんの完璧すぎる事務処理能力の方がよっぽど恐ろしいよ。あなたがいなきゃ、この強引な計画だって何割かは頓挫してたんだし……)
「よい。では、換金の件は任せたぞ。俺は一度王都へ戻る。貴様も用が済み次第、合流しろ」
「はっ。万事、滞りなく済ませておきます」
それから、俺はひとり王都の寮に戻った。
――――――――
「ああー!? レヴォス様!? お帰りなさい!」
寮の自室の扉を開けた途端、鼓膜を震わせるような元気すぎる声が響いた。
『エル戦』の主人公であるエルマだ。
「久しいな。少しはルナリア同様、マシな剣が振れるようになったのか?」
「うっ……」
エルマは先ほどまでの勢いをどこへやら、さささっと後退りして視線を泳がせた。
相変わらず剣の才能は無いらしい。
だが、ヒロンや賢者クロエに仕込まれている座学に関しては、驚くほどの吸収力を見せているという。
エルマは『知』、その兄エルレインは『体』。
どうやら、この世界の主人公としての特性は、兄妹で二分されているらしい。
「レヴォス様、おかえりなさいませ。お疲れではありませんか?」
そこへ控えめながらも心のこもった声で挨拶をしてきたのは、メイドのコレットだった。
「ふむ。コレット、ちょうどいい。今から出かけるぞ」
「えっ……わ、私とですか?」
「ああ、そうだ。すぐに支度をしろ」
俺はぶっきらぼうに告げ、身支度を促した。
だが……
実際に出かけた時には予定外の顔ぶれが並んでいた。
メイドのコレット。
主人公、エルマ。
それと賢者クロエ。
寮に戻っていた、俺の妹のルナリアだ。
結局、コレットだけ連れて行こうとすれば「ずるい!」という大合唱になり、困惑するコレットを放っておけず全員を引き連れる羽目になったのだ。
俺の目的地は、王都に店を構えた、ヒロン改装済みの店舗だ。
「あれ? もうお店、開店しているんですね。凄く綺麗……」
ルナリアが感心したように、真新しい看板を見上げて呟く。
「そうだ。グリンベルに居た獣人に仕事を斡旋し、希望したものを店員としている」
店の軒先からは、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。
手軽に買ってその場で食べられる、パンの屋台形式だ。
店番をしていた獣人の店員が俺の姿に気づき、顔を輝かせて深くお辞儀をしてきた。
俺は傲慢に片手を上げてそれに応える。
店員は、救い主に向けたような、眩しげな笑みを返してきた。
すると、そこへ一人の客がやってきた。
耳の形からしてタヌキ族だろうか。
十歳前後……いや、もっと幼く見える。
だが、その身なりは平民のそれではない。
質の良いドレスを身に纏い、上品な雰囲気を漂わせている。
少女は陳列されたパンをじっと見つめ、チョコレートをたっぷりまぶした甘そうなパンを指差した。
「これを、ひとつくださる?」
「ありがとうございます! 銅貨1枚になります!」
「なるほど。分かりました」
少女は肩にかけた小さなポーチを、小さな手でゴソゴソとかき回す。
「では、これをどうぞ」
少女が差し出した手のひらには、何の変哲もない、ただの川原に落ちていそうな石ころが乗っていた。
店員は戸惑い、助けを求めるように周囲を見回す。
「えっと、あの……お嬢様? お代は銅貨じゃないとですね……」
「……なるほど。そうでしたのね」
少女は納得したように頷くと、再びポーチをゴソゴソと探り始めた。
「では、こちらをどうぞ」
次に差し出されたのは、小さな手鏡だった。
店員の困惑はさらに深まり、顔が引き攣っている。
「いえあの……ですから、銅貨じゃないと……」
「……なるほど。さすがにこれでは難しいのですね」
少女は小さく首を傾げ、三度ポーチの中に手を入れた。
「これは私の一番の宝物なのですが……背に腹はかえられませんわ」
そう言って少女が差し出したのは、年季の入った古ぼけたぬいぐるみだった。
「…………」
店員はもはや「どうすればいいんだ」と絶望的な表情で俺を仰ぎ見た。
俺は黙って店の中へ歩を進めると、少女が欲しがっていたチョコパンを無造作に掴み取った。
そして、呆然としている少女の目の前に、それを突き出す。
「その石も手鏡もぬいぐるみも、大事なものなのだろう? それは必要無い。代金は後日、貰う。だから今は、このパンを持っていけ」
少女の瞳が、パアッと明るく輝いた。
「ありがとう!」
少女はパンを大事そうに受け取ると、上品な仕草で一口かじり、満足げに去っていった。
「申し訳ありません、レヴォス様。私の対応が至らぬばかりに……」
店員が申し訳なさそうに肩を落として謝罪してくる。
「よい。気にするな」
俺はそれだけ言い、少女の背中を見送った。
あの少女の、子どもゆえの論理。
『この石は綺麗だから、パンと同じくらい価値があるはず』
『このぬいぐるみは、自分の一番の大事なものだから、パンよりも価値が高いはず』
そんな主観的な価値観での交渉。
連れてきたコレットたちは、「レヴォス様ったら、本当は優しいんだから……」と言いたげな、温かい視線を俺に投げつけてきている。
だが、俺は別に施しを与えたわけでは無い。
あのタヌキ族の少女を、俺は知っているからだ。
あの少女は、本来の『エル戦』で、主人公の強力な仲間となる存在。
ゲーム本編よりも幼く、何よりドレスを着ていたため一瞬確信が持てなかったが。
あの石、手鏡、ぬいぐるみ。
少女が差し出した『宝物』が、何よりの証拠だ。
あの少女の名は――『召喚士』タヌルル。
シナリオ通りなら、俺、レヴォス・ムーングレイによって故郷を焼き払われ、一族の仇として俺の命を狙い続けることになる復讐鬼。
あの石やぬいぐるみを触媒として、異界から凶悪な化け物を召喚し、俺を八つ裂きにしようとする少女。
さて、パン一つの貸しだ。
その『代金』を後日、貰いに行く事としよう。




