第73話 リナという少女
翌朝。
クローイ村へと戻った俺は、フォルテを呼び出し、テーブルの上に書類の山を広げた。
現在はグリンベルで使用しなくなった、移動式の組み立て小屋を執務室——すなわち俺の拠点としている。
テントとは名ばかりの、堅牢で立派な造りだ。
俺の目の前には昨夜、アンズが回収したゲルドスの帳簿。
その帳簿にはクローイ村をはじめ、周辺の村からの搾取記録が並んでいる。
5年分、10年分、長いものでは15年分。
丁寧に整理された字面からは、ゲルドスという男の『几帳面な悪意』が滲み出ていた。
「フォルテ。これを精査しろ。どこの村が、合算して、いくら奪われたか。まとめ上げろ」
「承知いたしました。……しかし、ずいぶんと細かく記録しておりますな」
フォルテが帳簿をめくりながら、わずかに眉を動かした。
「ふん。几帳面な小悪党ほど、証拠を丁寧に残すものだ。だが、それが奴の墓穴となる」
「……まことに。では、すぐに取り掛かります」
フォルテは書類を抱え直し、深く一礼して執務室を出て行った。
俺は椅子の背もたれに深く身を預け、天井を仰いだ。
さて、問題はここからだ。
帳簿は手に入った。
ゲルドスの私兵の配置も掴んだ。
徴税官の屋敷にいたっては、爆薬で更地にしてやった。
だが、ゲルドス本体はまだ動いていない。
むしろ、屋敷の爆発という異変に気づいて、今頃は警戒を強めているだろう。
何より、あのバルトロが『行方不明』になったのだ。
そのせいか、精鋭十人を手元に固めているようだ。
そいつらに守られているとはいえ、力技で叩き潰すことはできるが……それでは俺の目的を果たせない。
俺の目的は、ゲルドスを殺すことではない。
完膚なきまでに、社会的に抹殺することだ。
商人バルトロとは違い、ゲルドスは貴族だ。
いくら私腹を肥やしていても、俺が一方的に滅ぼせば、帝国の法が俺に向く。
そこだけは、正面からやり合うわけにはいかない。
ならば——合法的に、絶望を味合わせてやるまでだ。
ゲルドスの首を絞める手段は、帳簿だけではない。
村人の証言を揃えれば、不正搾取の訴えが成立する。
問題は、誰が訴え出るかだ。
怯えきったクローイ村の村長では、心もとない。
もう少し……後ろ盾が必要だな。
その時、ガチャリと扉が開いた。
「レヴォス様、ただいま! お土産があるんです!」
勢いよく入ってきたのは、ルナリアだ。
両手に野草の束を抱えており、葉っぱが一枚、頭にくっついている。
体中、土と蔦まみれの有様だ。
「何だ、その格好は。貴様、どこぞの山にでも捨てられてきたのか?」
「酷いです! クローイ村の子供たちと野草採りをしてきたんですよ! この子がね、薬草の場所を教えてくれて!」
ルナリアの背後から、おずおずと顔を出したのは、10歳前後の小さな少女だった。
頬にはまだ栄養失調の名残が残っている。
「ふむ。クローイ村の子供か」
「は、はい……」
少女はこちらを見て、少し怯えた様子を見せた。
まあ、初対面の無愛想な人間が睨んでいれば、怯えるのも無理はないだろう。
だからといって、にこやかに微笑むつもりは無いが。
「お前、名前は?」
「リ、リナです……」
「そうか。覚えやすい名だ」
それだけ言って、俺は視線を書類へと戻した。
するとルナリアが俺の袖をそっと引っ張った。
「レヴォス様、リナちゃんのお父さんのことなんですけど……少し宜しいでしょうか?」
「構わん。言ってみろ」
「三年前に、ゲルドスの使いに連れていかれたきり、戻ってこないそうです。税が払えなかったから、その代わりに、って」
それを聞いて、俺は書類から顔を上げた。
リナという少女が、指が白くなるほど服の裾を握りしめているのが見えた。
「……そうか。覚えておこう」
リナは何も言わなかったが、俺から視線を逸らさなかった。
その目に、怯えだけではない何かが宿っているのを、俺は見逃さなかった。
――――――
「ねえ、レヴォス様」
リナが帰った後、ルナリアが俺の机の前に立った。
「何だ。しょぼくれた顔をするな」
「リナちゃんみたいな子が、まだたくさんいるんだと思います。クローイ村だけじゃなくて」
「そうだろうな。それがゲルドスのやり方だ」
「……レヴォス様は、ゲルドスをどうするつもりなんですか?」
「決まっている。合法的に、社会的に、そして完璧に潰す」
ルナリアがパチリと目を瞬かせた。
「……社会的、って?」
「奴は貴族だ。俺が暴力で叩き潰せば、それは俺が貴族の身分を乱用した暴挙になる。だが、奴の不正の証拠を揃えて、帝国の法の上で処断すれば……ゲルドスの持つ土地も権利も、正当に収公されるのだ。奪い取るなら、二度と返せぬ形で行うのが合理的だろう?」
俺は淡々と説明し、冷たく言い切った。
「でも、それって時間がかかりますよね? その間に、クローイ村の人たちはどうなるんでしょうか……?」
「村への物資供給は続ける。護衛も置く。その間に俺が動く。……何日もかけるつもりはない」
ルナリアは少しだけ考えてから、ふわりと笑った。
「分かりました。レヴォス様、感謝します!」
「……俺に感謝してどうする。俺が動く理由は、あくまで都合が悪いからだ」
「はあい!」
返事は明らかに聞いていない。
全く、ルナリアは。
――――――
その日の夕方、俺はアンズを呼んだ。
「ゲルドスの街に、商人のふりをして潜り込める者はいるか?」
アンズは一瞬考えてから、頷いた。
「ネクタに変装させれば、行商人として通るよ。あいつ、見た目がゴツいから逆に怪しまれないんだ。馬鹿正直に見えるもんでね」
「ほう、ネクタにか。面白い。やったことがあるのか?」
「バルトロの使い走りをしていた頃にね。嫌な話だけど、腕は確かだよ」
「では、頼む。目的は二つだ。一つは、ゲルドスの配下でありながら奴のやり口に不満を持つ者を探せ。特に先日会った、内側から情報を漏らした兵士のような人間だ。もう一つ……ゲルドスが過去に徴収した『税』の中で、行方不明になっている者の消息を探れ。リナという少女の父親もそうだが、同じような者が複数いるはずだ」
「それって……奴隷として、どこかに売り飛ばされたということかい?」
「おそらくな。バルトロが消えた今、そのルートを使っていた連中は混乱しているはずだ。つついてみれば、必ず埃が出る」
アンズの目が、静かに細くなった。
「……分かった。やってみるよ」
「危険を冒す必要はない。情報だけ取れれば充分だ」
「ふふ、随分と優しいんだね。だけど、言われるまでもないよ。充分に分かってる」
アンズが席を立ちかけて、ふと足を止めた。
「……なあ、レヴォス様」
「ん? なんだ」
「さっき、ルナリアちゃんが話してくれたんだけど……その、リナって子に声をかけたんだって?」
「ああ。『覚えておく』と言っただけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「ふふ……そうかい」
アンズは小さく笑って、それ以上は何も言わずに部屋を出て行った。
――――――
夜、俺は一人で帳簿を読み込んでいた。
数字は嘘をつかない。
ゲルドスの搾取は、単なる腐敗した貴族のそれではなかった。
計算された、組織的な収奪だ。
村に食料を売りつける値段を段階的に吊り上げ、抵抗できなくなったところで人を奪う。
だが、人を奪う際には記録を残さない。
帳簿には『労役提供』という名目で処理されているが、それが何を意味するかは明白だ。
これだけの証拠が揃えば……帝国の法廷で、ゲルドスを処断することは充分に可能だろう。
だが、一つだけ気になることがある。
この規模の収奪を、ゲルドスは一人でやってのけているのか?
バルトロとの繋がりがあったとして、バルトロはもう居ない。
それでも奴が動き続けられているのは……別の後ろ盾があるからではないか。
調べておかなければならない。
ゲルドスを完膚なきまで潰すために。
それにゲルドスを潰すのは、そもそも最初の一手に過ぎない。
クローイ村の再建も、グリンベルの流通網拡大も、その上に積み上がっていくものだ。
急がず、だが確実に。
一枚ずつ、崩れないように冷静に積み上げていくしかない。
窓の外で虫が鳴いていた。
クローイ村の夜は、静かで深い。
しかし……ゲルドスに後ろ盾がいるとしたら、いったい誰だ?
ゲルドスの細かい帳簿。いや、細かすぎる程だ。
これは自分の悪事を明確に残す証拠になる。
では、なぜ証拠を残したのか。
これはそもそも証拠を残すためではなく、誰かに提出する必要があるのだとしたら?
それこそ……4大公爵家のどれかが、裏で糸を引いている可能性すらある。
バルトロはシークランス家とつるんでいた。
では、やはりゲルドスもシークランス家の従属なのだろうか。
だが、我がムーングレイ家が関わっている可能性も無視できない。
俺の父、グランディア・ムーングレイが。
俺は帳簿を静かに閉じ、窓の外の暗い夜空を見上げた。
「……まあ、面白くなってきたな」
誰に向けるでもなく、俺は不敵な笑みを浮かべて呟いた。




