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第72話 気のせい



「な……!? そ、そんなことできるか! こ、これはゲルドス様の大切な……!」


「村から根こそぎ搾り取った不当な搾取の記録だろう。そんなものがゲルドスにとって大切なのは百も承知だ。だからこそ、俺が回収してやる」


 男は酸素を求める魚のように口をパクパクとさせた。

 反論の余地など、どこにもないことを悟ったのだろう。


「聞こえなかったか? 今すぐ書類を並べろ。お前に残された選択肢は、俺に従うか、今ここで肉塊になるか。二つに一つだ」


 俺が静かにそう告げた瞬間、男はわかりやすく両膝をついた。


「わ、分かった……分かりました!! ぜ、全部出します! 出しますから、どうか……どうか命だけは……!」


「安心しろ。書類さえ手に入れば、お前の命など興味はない」


 アンズが呆れたように俺の隣に立ち、書類の山を一瞥した。


「……ずいぶんと律儀に記録していたんだね。性格の悪さが帳簿に出てるよ」


 帳簿は年代別、村名別に丁寧に仕分けされていた。

 クローイ村だけではない。周辺の村々から、長年にわたって搾り取ってきた記録が、そこには整然と並んでいた。

 

 アンズが一冊を手に取り、中身をめくる。

 その瞬間、アンズの瞳に抑えきれない怒りの炎が宿った。


「……ひどいもんだね。タネル村なんか、五年分でこんなに……!」


「後で精査しろ。今は全部まとめて持ち出す」


 俺はアンズに布袋を渡し、書類を片端から回収させた。

 男は床に膝をついたまま、がたがたと震えている。


「貴様に一つ聞く」


 俺は膝をついた男を見下ろし、冷たく問いかけた。


「ゲルドスが持つ私兵の数と、配置を全て答えろ」


「そ、それは……!」


「吐けば、貴様には何もしない。答えなければ……そうだな、昼間のように、その頭に、もう一本線を追加することになるが」


 俺が静かにナイフを出すと、男は叫び声を飲み込んで一息に捲し立てた。


「屋敷の私兵は三十人! うち精鋭は十人で、残りは寄せ集めです! 夜は外の見張りが八人で、精鋭の十人はゲルドス様の寝室周辺に常駐しています! ほ、本当です! 信じてください!」


 恐怖に顔を歪ませ、涙を流しながら縋り付く男。

 その醜態を、俺は冷ややかに見下ろした。


 なるほど、寝首を掻かれるのを恐れて精鋭を手元に置いているわけか。

 分かりやすい臆病な奴だな。


「よし。貴様には慈悲をかけてやろう」


 俺は身を屈め、男の顔に視線を合わせた。


「明日から徴税官を辞めろ。もし再びその職に就けば、お前が証拠書類をすべて俺に売り渡したとゲルドスに報告してやる。……明日からは、その手で泥を啜りながら畑でも耕して生きるんだな」


 男の顔から、完全に血の気が引いた。


「……ぜ、絶対にやりません! 明日から畑を耕します! 約束します!」


「ふむ、賢明な判断だ。……この屋敷には火をつける。使用人を連れて、さっさと失せろ。この屋敷にはあるものには、手を出すなよ」


 男は、こくこくと何度も頷いた。

 

 それを見て俺は立ち上がり、書類の詰まった布袋を受け取った。

 隣のアンズは、呆れと、そして少しばかりの熱を帯びた視線で俺を見つめている。


「行くぞ」


「あいよ……」


 徴税官の館から火の手が上がる中、俺たちは闇の中へと退散した。

 


 帰り道、来た時と同じ裏路地を東門へ向かって歩く。


 アンズは回収した書類の重さを確かめるように袋を持ち直しながら、静かに歩いていた。

 その横顔が、どこか遠くを見ている。


「どうした、アンズ」


「あのさ……タネル村ってのは、私の親戚が住んでいた村なんだ」


 唐突な告白だった。俺は足を止めず、静かに先を促す。


「でも、もう滅んだんだ。食料が底をついてね。かなり死んじまったんだけど、生き残りはバルトロのところへ流れてきて……みんな、枷を嵌められた」


「……そうか」


「だから……この帳簿は私が持っていたいんだけど、いいかな? 証拠として使うのはもちろんだけど。みんなの記録が残っている唯一のものなんだ」


「ああ、構わん。お前に預ける」


 アンズはそれ以上何も言わなかった。俺も言葉を重ねることはしない。

 夜風に揺れるアンズの尾が、どこか清々しく見えた。


 しばらく歩いた後、アンズが何かを思い出したように笑みをこぼした。


「……ねえ、あんた」


「なんだ」


「さっき、あの徴税官が命乞いをした時さ。一瞬だけ、口の端が上がってたよ。あんた、ああいう無様な姿を見るのが、本当は大好きなんじゃないのかい?」


「……気のせいだろう。俺はやるべきことをやっているだけだ」


「そうかい? まあ、そういうことにしておいてあげるよ」


 俺は答えず、ただ前を向いて歩いた。

 夜の石畳に、二人分の足音が静かに重なっていく。


 さて、準備は整った。

 書類は手に入り、敵の配置も把握した。

 

 あとは、ゲルドスの足元を根こそぎ崩すだけだ。

 できるだけ無残に、絶望の中でその罪を自覚させてやろう。


「さて、そろそろ頃合いだな」


「頃合い? 頃合いって、なんだい?」


 俺は魔力を集中させ、先ほど立ち去った徴税官の屋敷の座標へ意識を飛ばす。


 ――ズドンッ!!


 夜の静寂を切り裂き、腹に響くような爆発音が遅れて届いた。


「な、なんだい!? 今のは!?」

 

「さあな。少しばかり、掃除を念入りにしただけだ」


 さきほどの屋敷に、設置しておいたのだ。

 クロエの作った魔導爆薬を。


 屋敷に火をつけたので、使用人が避難していたのは確認した。

 だが、徴税官は避難もせずに火の中で、屋敷内の金やら宝石やらを回収してまわっていた。

 屋敷の中の物に手を出すなと言ったのに、欲とはこわいものだ。


「なぁ……また、口の端が上がってるよ」


「ふん。気のせいだと言っているだろう」


 俺は冷たい風を頬に感じながら、赤く染まった夜の空を見上げて鼻で笑った。

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