第201話 誰が為に
気がつくと、俺はかつてカジノで栄えた湖に浮かぶ都市ガンディーノにいた。
冷たい石の感触が背中を伝う。
ゆっくりと身体を起こすと、視界に入ってきたのは静かに佇む女神像だった。
エルレインが聖剣の力を発動し、命を落としたはずだったが。
なぜ、ここにいるのだろうか?
この忌まわしき女神像の前に。
疑問は、簡単な推測によってあっさりと理解できた。
原作ゲームである『エルヴァンディア戦記』において、この女神像はプレイヤーの復活拠点、つまりセーブポイントの役割を果たしていた。
以前この都市を訪れた際、俺は女神像へ手を触れて祈りを捧げている。
あの時のオカルトじみた願掛けがシステムに認識され、死に戻りの場所としてここが選ばれたというわけだ。
現状に納得した瞬間、ドクンと胸の奥が大きく脈打った。
俺の脳裏に、急速に『他者の記憶と感情』が怒涛のように流れ込んでくる。
執事のフォルテ、軍師のヒロン、そしてグリンベルで共に過ごした大切な仲間たち。
彼らの生々しい想いや記憶が、まるで俺自身の体験であるかのように心を強く揺さぶった。
心当たりは一つしかない。あの黒い繭だ。
黒い繭に吸収された者たちの中で、魂の繋がりが生じて一部の記憶を共有してしまったに違いない。
仲間たちの考えていた事も、その想いも。
フォルテやヒロンたちの記憶は、俺が全てを裏切り女神と同化した後でさえ、彼らはただの一度も忠誠心を失っていなかったのだ。
『レヴォス様が、理由もなくあのような暴挙に出るはずがない。ならば我々は、あの方の残した言葉に従うまでだ』という恐ろしいほどの忠誠心。
特にヒロンの洞察力には、舌を巻くしかない。
俺がわざと残した僅かなヒントを完璧に読み解いていた。
聖剣が失われた絶望的な状況下で、どうすれば無敵の魔王を討ち取れるのか。
彼らは決して希望を捨てることなく、手を取り合い、一丸となって俺の撃破作戦を練り上げていた。
そして見事、俺の体内に残された『聖剣の欠片』という唯一の弱点を見つけ出し、打ち倒してみせたのだ。
軍師ヒロン……本当に、底知れない男だ。
彼らが最後まで俺を信じ抜いてくれた事実が、泣きたくなるほどに嬉しかった。
だが、同時に俺の『恐れていた事』も起きてしまった。
俺の考えていた事も、思いも。
彼らに俺の記憶がバレてしまったのだ。
俺が異世界からの転生者である事実。
この世界がゲームであり、未来のシナリオを知っていたこと。
アイリスやキリノ、ルナリアたちを死の運命から救うため、自らラスボスを引き受けたこと。
ラスボスとして意識を完全に乗っ取られる前に、魔王の力を利用し復活に転用できる『生命の力』を集めていた事も。
そして何より——不器用な俺が、仲間たちの一人一人を心の底から大切に思い、大好きだという気恥ずかしい本音まで。
全てが、すっかり筒抜けになっていたのだ。
「うわあああ……っ!」
両手で顔を覆い、思わずその場にしゃがみ込む。
だが、この記憶は非常に薄い。
夢か幻かと言われれば、そう納得してしまいそうな程度の不確かな映像。
(どうか、ただの気のせいだと思って忘れてくれ……!)
心の底から、そう祈らずにはいられない。
自分の隠していた内面が丸裸にされ、おまけに相手の深い心情まで知ってしまった。
これでは、気まず過ぎてどんな顔をして皆に会えばいいのか分からない。
「こんな状態じゃ、グリンベルには戻りにくいな……」
膝を抱えたまま、力なく呟く。
幸いなことに、このガンディーノの施設内には備蓄された食料が残されており、当面の生活に困ることはない。
俺はそんな感情を持ったまま、数日間ウジウジと過ごしていた。
早く皆の顔が見たい。無事を確認したい。
そんな強い思いがあるのに、いざ会う場面を想像すると恥ずかしさが勝って足がすくむ。
悩むばかりで、前に進めない情けない日々が続いた。
変化が訪れたのは、そんなある日。
都市の上層階から、ぼんやりと外の景色を眺めていた時のことだ。
遠くの岸辺に、見覚えのある列車の影が止まっているのを発見した。
「えっ!? あの列車は……グリンベルのだよな……?」
突然の来客に、心臓が止まりそうなほど驚いた。
まさか、誰か来たのか。
慌てて柱の陰に隠れ、そっと目を凝らして様子をうかがう。
そこにいたのはグリンベルの仲間ではなく、見知らぬ若い騎士だった。
彼はガンディーノの姿を見て驚いたような素振りを見せた後、すぐに踵を返して去っていった。
よかった、グリンベルのみんなじゃなくて……
と思ったが、すぐに考え直した。
よくない。全くよくない。
あの騎士の報告で、俺がここに潜伏している可能性がグリンベル側に伝わるかもしれない。
そうなれば、みんなが総出で押し寄せてくるのは時間の問題だ。
じゃあ今のうちに、どこか別の場所へ逃げるか?
すぐ近くの魔族たちが住む未開の地である魔王領に行けば、俺の所在がバレる事はないだろう。
だが、逃げ出す計画を立てようとした途端、足元に重い鉛を引きずっているような感覚に襲われた。
……本当に、それでいいのか。と。
彼らと顔を合わせず、一生逃げ隠れて生きるつもりなのか。
自問自答しても、心は迷子のように揺れ動くばかりで答えを出せない。
しかし、その迷いを強制的に終わらせる出来事が起きた。
なんと同じ日に、再び対岸に列車が到着したのだ。
今度こそ、間違いなかった。
高鳴る鼓動を抑え、俺はすぐに建物から出た。
架けられた橋の向こう側に、懐かしい面々がずらりと並んでいる。
その姿を見た瞬間、迷いも、気まずさも、全て吹き飛んでしまった。
温かく愛おしい感情が止めどなく溢れ出してくる。
ああ……俺はやっぱり、みんなに会いたかったんだ。
「「「 レヴォス様ー! 」」」
愛してやまない仲間たちの声が聞こえた。懐かしい声だ。
彼らは息を乱し、転びそうになりながら一目散にこちらへ駆け寄ってくる。
やがて、俺の目の前で皆がピタリと足を止めた。
そこから先は、皆が沈黙していた。
俺も、仲間たちも、じっと互いの顔を見つめ合うだけで言葉が出てこない。
いったい何から話せばいいのか。怒られるのか、泣かれるのか。
お互いに感情が飽和しすぎて、声の出し方を忘れてしまったかのようだった。
すると、一人の少女が一歩前へと進み出る。
「あの……レヴォス様?」
おずおずと控えめに俺を見上げるのは、メイドのコレットだった。
不安げに揺れる瞳も、控えめな仕草も、いつも通り可愛らしい。
「……なんだ、コレット」
俺は努めて穏やかな声を意識し、優しく問い返した。
だが、次の瞬間。
バシンッ!
突然の、頬に走る痛みと衝撃。
なんと、あの気弱なコレットの渾身の力による俺へ平手打ち。
「全部、ヒロンさんに聞きましたよ! なんで、どうしてあんな危ない事をしたんですかっ!」
涙で顔をくしゃくしゃにしながら、コレットが声を荒らげる。
コレットに怒鳴りつけられたことなど、これまで一度もなかった。
驚きで瞬きを繰り返す俺の脳裏に、ふと一つの光景が蘇る。
それは共有された、ヒロンやフォルテたちの記憶。
俺が魔王として立ち塞がり、苦渋の決断の末にグリンベルの皆が『魔王レヴォス討伐』を掲げた時のこと。
その事を知ったコレットが、あまりのショックから感情を閉ざし、言葉すら発せなくなってしまっていたのだ。
出陣の前、俺は彼女に約束したはずだった。
『必ず戻る。それまでグリンベルを頼んだぞ』と。
真実を知らされていないコレットにとって、あの言葉はただの嘘になり、俺は討たれて死ぬだけの運命に見えたことだろう。
どれほどの絶望と悲しみを、その小さな背中に負わせてしまったのか。
コレットに、本当に悪い事をした。
……いや、傷つけたのはコレットだけじゃない。
時間が無かったとはいえ、皆にとんでもない心労を掛けてしまった。
真っ赤に腫らした目で、それでも力強く俺を睨みつけているコレットを見る。
「ごめん、コレット。だけど、ちゃんとこうやってコレットの元に戻ってきただろ?」
その言葉を聞いた途端、コレットの瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。
「うわああぁぁんっ、レヴォス様ぁっ!」
子どものように声を上げて泣きじゃくりながら、コレットが俺の胸へと力強く飛び込んできた。
俺はその細い身体を優しく受け止め、その背中をゆっくりと撫でた。
視線を上げると、周囲を囲む仲間たちの顔が目に入った。
誰もが皆、泣き出しそうな、それでいてこの上なく幸せそうな笑顔を浮かべて俺を見守ってくれている。
胸の奥がつかえるような感情を覚えながら、俺は深く息を吸い込んだ。
「みんな……本当によくやってくれた。心から感謝する」
抑えきれない愛情を込めて、そう呼びかける。
その一言が、彼らを繋ぎ止めていた最後のストッパーを外したらしい。
「「「「「 レヴォス様ぁっ!! 」」」」」
歓声と共に、仲間たちが一斉に雪崩れ込んできた。
凄まじい勢いと重みに耐えきれず、俺は背中から地面へと派手に押し倒される。
上に重なった皆が、大声で笑い、そして声を上げて泣いていた。
押し潰されそうになりながらも、少しも苦しくなんてない。
俺もまた、彼らと一緒に涙を流して笑い合っていた。




