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新・第6話(196) 決戦3/3:民無き王


 

 エルヴァンディア城。

 見上げれば、禍々しい黒い巨大な繭が上空に浮かんでいた。


 俺たちは今、その城の正門前に立っている。

 立ち塞がる影は、たった一つ。


 ……レヴォスだ。


 奴は、俺たちが来るのを待ちわびていたかのように、城門の前に悠然と佇んでいた。

 俺たち全員が武器を構え、息を呑んでいた。


 あと少しだ。

 ここでレヴォスに触れさえすれば、奴を殺せる。

 そうすれば、これ以上の犠牲を出すことなく、この世界を救えるのだ。

 

 もう、誰も死なせずに済む……!


 祈るような気持ちで剣を握り直した俺たちに、レヴォスがゆっくりと口を開く。


「随分と少なくなったものだな」


 その冷酷な一言を聞いた瞬間、俺の頭の中で何かがブチッと千切れた。

 煮えたぎるような怒りが、腹の底から一気に込み上げてくる。


「レヴォス! なぜそんな事が平然と言えるんだ!? あいつらはお前の仲間じゃなかったのか!? 本当は、お前が誰よりも守るべき相手だったんじゃないのかよ!?」


 血を吐くような思いで叫ぶ。

 だが、無表情だったレヴォスの顔に、わずかな変化が起きる。


 奴は嘲笑(あざわら)うように、ゆっくりと口角を吊り上げたのだ。


「仲間だと? ……笑わせる。愛おしいか、その脆い絆が。守りたいか、その儚い未来を。すべては摩耗し、錆びつき、やがて塵に帰すだけ。——その(ことわり)を、今すぐ終わらせてやろう」

「レヴォス! ふざけるなあああああ!!!」

「エルレインさん、動かないでください! 罠です!」

 

 激昂して我を忘れ地面を蹴ろうとした俺の肩を、ヒロンの手が強く引き止めた。

 罠だって……?


 はっとして前を向くと、いつの間にかレヴォスの手前に、一人の男が立ち塞がっていた。

 俺たち全員がとっさに身構える。


 ……誰だ、こいつは。

 どこかで見た記憶があるのに、どうしても思い出せない。

 だが、凄く嫌な奴という事だけは覚えている。

 

 得体の知れない不安に駆られる中、その男が静かに口を開く。

 

「仕留め損なった『エル』の一族よ……ここで、貴様の命を絶たせてもらおうではないか」


 その声色と『エル』という言葉で、俺の記憶がはっきりと結びついた。

 間違いない。


 こいつはあの式典の最中、俺を殺そうとしたエルヴァンディア帝国の王、オードリックだ。


 だが、おかしい。

 俺が見た時のオードリック王は、白髪の爺さんだったはずだ。

 

 今の目の前にいる男は、青年のような若々しさを保っている。

 まさか、レヴォスの力で若返らせて蘇生させたというのか……?


「先ほどの言葉から推測するに……あれはオードリック王のようですね。皆さん、どうかご注意を! オードリック王の若い頃は、比類なき無双の強さだったと聞いております! 決して油断なさら——」


 ヒロンが仲間に向け、必死に警告の号令を飛ばす。

 だが、その言葉が最後まで響くことはなかった。

 

 視界がブレたかと思った次の瞬間、俺の目の前にオードリックの姿があったのだ。

 銀色の軌跡が閃き、オードリックの剣がヒロンの身体を無慈悲に振り抜いていく。


「え……?」

 

 深く切り裂かれたヒロンの胸から、おびただしい量の鮮血が空高く舞い上がった。

 

「……口数が多いな、貴様」


 オードリックは、血塗られた剣を手にただ虫でも殺したかのように冷たく呟く。


 前衛に立つ仲間たちを完全に置き去りにし、後衛にいた俺とヒロンの前に一瞬で現れたのだ。

 全く反応できなかった。

 

 その直後、オードリックの背後からルナリアが高く跳躍した。

 怒りに満ちた裂帛の気合いと共に、オードリックの頭上から剣を振り下ろす。


 だがルナリアの刃は空を切り、虚しく石畳を叩き割っただけだった。


「なっ、消えた!?」


 ルナリアが驚愕の声を上げる。

 たった今、俺の目の前にいたはずのオードリックは、すでにレヴォスの前……元の位置へと戻っていたのだ。


「皆さん、エルレインさんを護りましょう!」


 倒れたヒロンに代わり、クロエが悲痛な声を張り上げて号令を飛ばした。

 すぐさま、俺を中心に仲間たちが円陣を組まれる。


 だが……周囲を見渡した俺の心に、冷ややかな絶望が忍び寄った。

 レヴォスの嘲笑通り、俺たちの数が圧倒的に少ないのだ。


 残っているのはルナリア、アイリス、キリノ、クロエ、セレス、ポエテ、そしてミサミサだけ。

 あんなにも大勢と一緒に、この決戦へ挑んだはずなのに。


 どうしてこんなことに……

 

 ……くそ。


 くそくそくそくそくそくそっ!!!


 悔しさとやり場のない怒りで、俺はギリッと奥歯を強く食いしばり両手で握りしめた剣の柄がミシミシと軋む。

 

 目の前のオードリックを倒し、奥にいるレヴォスを討つ。

 ただそれだけで、この悲劇はすべて終わるはずなんだ!


「エルレインさん、どうかお気持ちを抑えてください」


 憎悪に駆られて飛び出しそうになる俺を、横から静かな声が諫める。

 視線を向けると、司祭のポエテが俺を見つめていた。

 

「怒りに飲まれ、我を忘れてはなりません。どのような状況にあろうとも、決して冷静さを失わず行動を」


 それはいかにも司祭らしい、穏やかで正しい言葉だった。

 頭では理解できる。

 だが、仲間が目の前で血を流して倒れているこの凄惨な状況で、一体どうやって冷静になれというのか。


「オードリック王、いったいどうやって瞬時に移動したんや!? 全然見えへんかったで?!」

「たぶんだけど、あれは単純な移動じゃないね……まるで、空間ごと自らの身体を射出するように飛ばした感じというか……」

「身体を飛ばすやて? そら、どういう意味や……?」


 円陣を組みながら、キリノとアイリスが必死にオードリックの不可解な動きを分析している。

 その会話を耳にしても、俺には『身体を飛ばす』という理屈が全く理解できなかった。

 正体不明の攻撃なんて、どう対処すればいいんだよ……?


 対するオードリックは元の位置に戻ったまま、ピタリと動きを止めている。

 獲物を品定めするように、こちらの様子をじっくりと探っているようだった。

 やがて、オードリックが静かに口を開く。

 

「そこの娘は、まさか聖女か? 未だ裏切り者である『宗教省』の生き残りが這いつくばっているとはな」


 その言葉が、俺の耳に届き終わったかどうかの刹那だった。

 すでにオードリックは、剣を振り抜き終わっていたのだ。

 セレスの、すぐ目の前で。

 

 あまりの異常な速さに、俺の眼にはまるで見えない。

 だが、鮮血を散らしてセレスの前に倒れ込んだのは、セレスではなく司祭のポエテだった。


 オードリックの『聖女』という言葉にいち早く反応したポエテが、咄嗟にセレスを庇って前に立ち塞がっていたのだ。

 ……まさか、すぐに自分を身代わりにしていたというのか?


「ポエテえええええええええ!!!」


 糸が切れた操り人形のように、力なく崩れ落ちていくポエテ。

 直後、セレスの悲痛な絶叫が響いた。


 俺は咄嗟にオードリックへ斬りかかろうと足を踏み出したが、気付けばオードリックはすでに元の位置へと戻っていた。


「セレ……ス……前、を……向きな……さ……」

「ポエテ! ポエテ! 今治すから! ダメ! お願いだから目を閉じないで!」

 

 血だまりの中で、ポエテにすがりつくセレスの慟哭。

 しかし、ポエテの小さく震えていた身体は唐突に止まり、二度と言葉を発することはなかった。


「……みんな、今の動きで分かったか?」

「ああ」


 泣き崩れるセレスを背に、残された全員が憎悪の視線をオードリックへと集中させる。

 俺も同じだ。

 悲しんでいる暇などない。なんとしてでも、この化け物を倒さなければ全滅する。


 アイリスの助言通り、恐るべきタネの全貌が何となく理解できた。

 オードリックは、見えない速度で自身の身体を一直線に飛ばして対象を斬り裂く。

 そして攻撃後には、必ず元の位置へと戻るのだ。

 さらに身体を飛ばせるのは、障害物のない直線上のみ。


 最初の一撃で俺を直接狙わなかったのも、俺の正面に前衛の仲間が立ちはだかっていたからだ。

 だが、あの瞬間、ヒロンとオードリックを結ぶ直線上には誰もいなかった。

 オードリックはほんのわずかな死角の隙間を縫って、ヒロンの命を狙ったという事だろう。


 理屈は分かった。

 だが、目で追うことすら不可能な神速の斬撃を、一体どうやって防げばいいというのか。


「皆さん、私の後ろに一直線に並んでください!」


 焦燥に駆られる中、魔法使いのクロエが指示を飛ばした。

 前衛を張れる戦士でもない、魔法使いのクロエがなぜ自ら先頭に立つのだろうか?

 

 だが、クロエの真剣な横顔を見て、何か起死回生の策があるのだと信じた。

 俺たちは全員、クロエの背後に隠れるように真っ直ぐ一列に整列する。


 この陣形なら、直線上の動きしかできないオードリックが狙える標的は、先頭に立つクロエただ一人となる。


「ミサミサさん! 私たちの前に水球を出してください!」

「わ、わかった!」


 クロエの指示に応え、ミサミサが詠唱を開始する。

 ると、オードリックと俺たちの間の中間地点に、巨大な水の塊がふわりと浮かび上がった。


「炎よ! 激しく燃え上がれ!」


 間髪入れず、クロエが詠唱を完了させる。

 クロエの放った灼熱の火炎弾が、浮かぶ水球へと激突した。

 

 ジュワァァァッ!という激しい爆発が起こり、辺り一面が視界を遮るほどの濃密な白霧に包み込まれた。


「小賢しい真似を」


 ふと、オードリックの声が聞こえた。

 遠くの位置からではない。

 すぐ目と鼻の先、俺たちの至近距離からだ。


 ドサッ、と。

 俺のすぐ横で、何か重たい物が地面に崩れ落ちる嫌な音が響いた。

 真っ白な霧の中で目を凝らし、その音の主を探す。

 

 見えたのは、血の海に沈む姿。

 ……クロエが、オードリックの刃に深く斬り裂かれ、すでに息絶えていたのだ。


「おい、なんだよこれ! この霧、どうにかできないのか!?」

 

 混乱に陥った俺は、周囲が見えない事で怒鳴り声を上げてしまった。

 自ら目隠しをするような、この霧。

 クロエは一体、なぜこんな危険な真似をしたんだ!?


 絶望に呑まれそうになった、次の瞬間。

 今度は前方、オードリックが元いた遠くの場所から、ズンッというさらに重く鈍い地響きのような音が轟いた。


「なんだ!? 今度は前で何が起きてるんだよ!?」

「……風よ、霧を吹き払え」


 ミサミサの声と共に強風が巻き起こり、視界を覆っていた霧が晴れていく。

 

 オードリックが立っていたはずの位置。

 そこには、剣を振り抜いた姿勢のまま荒い息を吐くルナリアが立っていた。

 そしてルナリアの足元には、首を刎ね飛ばされたオードリックの死体が、力なく転がっている。


「なんだこれ……? いったい、何が起きたんだよ……!?」


 混乱する頭で状況を整理し、俺は悟った。


 オードリックは対象を斬った後、必ず『元の位置』へと戻るの分かっていた。

 クロエはあえて濃霧を発生させ、自らを囮にしてオードリックに斬らせたのだ。

 オードリックが霧の中でクロエを斬り、定位置へ戻る。


 ……その一瞬の隙を突くために。

 

 こちらの姿を完全に隠す霧の中を、ルナリアはただひたすらに、オードリックが最初から立っていた『見えない座標』へ向けて全速力で走り込み、剣を振り下ろしたのだ。

 いくら霧で視界が塞がれていようと、敵が戻る位置さえ確定していれば、待ち伏せて斬ることはできる。


 確かにその命がけの策は見事に成功し、オードリックを討ち倒すことができた。


 だけど……だけど……!

 こんな……こんなやり方で勝ったって!

 仲間を殺して勝つ方法なんて、絶対に間違ってる!!


 やり場のない悲しみと憤りが混ざり合い、涙がボロボロとこぼれ落ちていた。

 嗚咽を漏らす俺の横で、セレスが静かに立ち上がった。

 

「参りましょう。すべての元凶が待つ、エルヴァンディア城へ」


 その声は、先ほどまでポエテの骸を抱いて泣き叫んでいた者とは到底思えないほど、酷く冷たく、透き通るような冷静さを保っていた。

 

 だが、俺は気付いてしまった。

 セレスの口元から、一筋の赤い血がツーッと流れ落ちていることに。


 セレスは決して悲しみを忘れたわけではない。

 心が壊れてしまうほどの哀しみを押し殺し、己の唇を噛み破るほど強く歯を食いしばって、無理やり前に進もうとしているのだ。


 その覚悟を前にして、俺がいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

 手の甲で乱暴に涙を拭い去り、俺は再び剣を強く握り直した。

 

 これ以上の犠牲は出さない。

 必ず俺が、レヴォスを倒してみせる。


 俺たちは血だまりに沈むヒロン、ポエテ、クロエの亡骸に背を向け、不気味にそびえ立つエルヴァンディア城へと足を踏み入れていった。


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