新・第3話(193) 代償
「なるほど。そういう事ですか」
ヒロンが、そう呟いた気がする。小さな呟きだったが、俺の耳にははっきりと届いていた。
周囲の者たちはミサミサの叫び声に集中し、誰もヒロンに気を留めていなかったので聞こえたのは俺だけだったかもしれない。
ヒロンが静かに椅子から立ち上がる。
「皆さん、よく聞いてください。皆さんは今までレヴォス様が色々としてくださった恩がある方もいらっしゃると思います。ですが、そんな事は全て忘れてください」
「「 なっ!? 」」
周囲から、驚嘆のどよめきが湧き起こった。
やはり、未だにあのレヴォスを信じている甘い奴らがいる。
ヒロンは周囲の動揺を一切無視し、さらに言葉を続ける。
「今、王都に君臨しているのは私たちを裏切った紛れもない【魔王】レヴォスです。今後、レヴォスに『様』を付ける事も、レヴォスを崇める事も禁止します」
「え……」
「うっ……うっ……」
レヴォスとの決別の宣言に、そこかしこから悲痛な嗚咽が漏れ始めた。
だが、これが正しいんだ。
なんで裏切った悪党の肩を持つ必要があるのか。
奴こそ、レヴォスこそが俺たちを騙していた悪の親玉なんだろ?
「ミサミサさんのおかげで、レヴォスの弱点は分かりました。次にどうやって【魔王】レヴォスを殺すか、それだけに集中しましょう」
ヒロンの手の震えは完全に止まっていた。その言葉が、口先だけではない事が分かった。決心したのだろう、レヴォスを倒す事に。
悪を討ち滅ぼし、人々の平和を取り戻す。これは、そんな当たり前の事なんだ。
ふと、ヒロンの視線が俺へと向けられる。
「エルレインさん。聖剣の力を解放できるエルレインさんが全ての鍵なのです。今からエルレインさんを主体とした魔王討伐軍を編成します。時間を掛けたらレヴォスから攻められる可能性があります。明日にレヴォスを殺すための進軍を開始します。皆さん、すぐに準備をお願いいたします」
ヒロンが淡々とした声で、そう告げた。
部屋には重苦しい静寂だけが残っていた。
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その日の夜の雰囲気は最悪としか言いようがなかった。
レヴォスを崇めることが禁止されたというのに、未だに事態を飲み込めていない奴らが多すぎる。
街全体が、まるで死人が歩いているかのような暗い雰囲気に沈んでいた。
だが、これこそが魔王レヴォスの魂胆なのかもしれない。
恩を売って、油断させる。
まさに貴族のやり方だ。俺は騙されないぞ。
俺がすべての鍵なのだと、ヒロンははっきりとそう言った。
聖剣の力なんてよく分からないが、レヴォスが絶対的な悪であるという事実だけは理解している。
……それに、この俺が王族の血を引いているという衝撃的な事実。
国を復興しろなどとレヴォスが唆してきたのも、間違いなく何か裏の企みがあったからだ。
不快感を感じ、俺はベッドの上にどさりと腰を下ろした。
とにかく、明日に出撃だ。
……明日に備えて体を休めようと、そう考えた矢先の事だった。
トントン、と扉を叩く音が部屋に響く。
「エルレインさん、少しよろしいですか?」
扉の向こうから聞こえたのはヒロンの声だった。
俺は不思議に思いながら立ち上がり、扉を開けた。
「ああ、これはエルレインさん。遅くにすみません」
「どうしたんです? こんな夜更けに」
「明日の事を話しておきたく思いまして。……中に入っても?」
俺は無言で頷き、ヒロンを自室へと招き入れた。
向かい合うように椅子に腰を下ろし、真っ直ぐにヒロンを見据える。
「で、どうしたんです? 明日の事って」
「はい。ミサミサさんに聖剣の欠片という情報を聞いて作戦を練っておりまして、その作戦の事を共有しようかと」
見れば、ヒロンの目元には深い疲労の影が色濃く刻まれていた。
こんな夜更けまで、ずっと作戦を練っていたのか。
「まず聖剣についてですが、その効果は周囲の生命を滅ぼすといったもののようです」
「そんなヤバそうな剣だったのかよ、アレ……」
正直、ドン引きだ。
何が聖剣だよ、名前が独り歩きしているのか?
「はい。しかし人間には効果が薄いらしいです。それで、魔王の体内に入っている欠片の発動方法についてですが……」
ヒロンが言葉を切り、真剣な眼差しで俺を見つめた。
「エルレインさんが魔王の身体に触れれば発動するらしいです。エルマさんでも可能ですが、身体能力的には近づくのすら無理かと思いますので、危険ですがエルレインさんに頼みたいのです」
……このヒロンとかいう奴。
やはり侮れない。
普通な事を言っているようだが、実のところは違う。
要するに、俺が断れば妹のエルマにやらせるという無言の脅しだ。
レヴォスの傲慢さとはまた違う、底知れぬ冷酷さを持っている。
だが、そんな事は最初から覚悟の上だった。
「分かった。俺が必ず成功させよう。だが、ひとついいか?」
可愛い妹に、こんな危険な真似など絶対にさせられない。
エルマを人質に取られたような状況と言っても過言では無いだろう。
俺の命に代えても、絶対にこの作戦を成功させなければならない。
しかし、一つだけどうしても確認しておくべき事があった。
俺が命懸けで突っ込む間、こいつらはいったい何をしてくれるというのか。
「俺がレヴォスの近づくための算段はあるのか? そもそも近づけるかすら怪しいからな。あんた達は何をしてくれるんだよ」
俺が強い口調で問い詰めると、ヒロンは悪びれる様子も見せなかった。
「もちろん、算段はありますとも!」
ヒロンが上機嫌な笑みを浮かべ、パチンと両手を合わせる。
そのための作戦を、こんな時間まで練り上げていたのだろうか。
「へえ。で、どうやってレヴォスに近づくんだよ?」
「はい! 私たちが命を掛けて、エルレインさんの盾となり血路を開きます。ですからエルレインさん、あなたは目の前で私たちが死んでも助けようとせず、あなただけは生きてレヴォスに一矢報いてほしいのです」
「………は?」
俺はあまりの衝撃に言葉を失い、ポカンと口を開けて固まってしまった。
ヒロンの顔には、冗談を言っているような軽薄さは微塵もない。
己の命を投げ打ってでもレヴォスを殺すという、狂気じみた決意がその瞳に宿っていた。
エルマを人質に取り、さらに自分たちの命すら代償にして成功させる作戦だとでも言うのか。
……狂っている。
ヒロンの底知れぬ狂気を目の当たりにし、俺は戦慄に息を呑んだ。
だがその瞬間、なぜそこまでしなければならないのかが腑に落ちた。
あの【魔王】レヴォスは、生半可な覚悟で討ち取れるような存在ではないのだ。
俺たちが行なう事が、正しいか、正しくないか、ではない。
これは世界を救うために、絶対にやらなければいけない事なんだ。




