新・第1話(191) 悪者
レヴォスの身体が、ふわりと宙へと浮かび上がっていく。
おぞましい黒い霧のようなものを、身体に纏いながら。
奴はゴミでも見るような視線で俺たちを見下ろし、ゆっくりと口を開いた。
「くくく……これが世界を破壊する力か。この俺が『魔王』の力を得たのだ!」
レヴォスから吐き出された声は、幾重にも声が重なる不気味な響き。
こいつがもう、すでに人間では無いと確信するのには充分すぎた。
……もしかして、こいつは初めから裏切るつもりだったのか。
俺の力が必要だと言っていたのは、全部嘘だったというのか。
俺は……騙されたのか?
「おい、レヴォス! どういうことだ!?」
「どういう事だと? エルレイン、まだ分からないのか。鈍い奴め」
レヴォスは微塵も焦る様子を見せず、ただ冷酷に笑い飛ばす。
鈍いという言葉に、俺は完全に利用されていたのだと悟った。
……これだから、貴族という生き物が大嫌いなんだ。
村が化け物に襲われた時も、奴らは見捨てるだけで何もしなかった。
養子にしてやると近づいてきた貴族には、いきなり命を奪われそうになった。
そして今回も、人々を救うためだと言われて協力したのに……このザマだ!
大切な妹のエルマに色目を使うようなクソ貴族だ。
初めから嫌な予感はしていたのに、警戒を怠った自分が心底腹立たしい。
「レヴォス様!? どうしたのですか!?」
背後からの叫び声。
レヴォスと同じような赤い髪をした少女、ルナリアと言ったか。
「ルナリアか……脅威となる聖剣が失われたのだ。ならば、俺がこの力を手に入れ『魔王』となる以外にあるまい」
「ど、どういう事ですか……? レヴォス様が魔王に? う、嘘ですよね?」
レヴォスの声には、迷いも情けも一切存在しなかった。
あのルナリアとかいう奴、まだレヴォスに裏切られたという事実を理解しきれていないらしい。
「レヴォスくん? それって、どういうことだい……?!」
「レヴォスはん、その姿って……」
ふと見れば、辺りに蠢いていた魔王の触手は綺麗に消え去っていた。
さっきまで捕らえられていた貴族の二人も、いつの間にか解放されて地面にへたり込んでいる。
「どういう事もあるまい。死ね」
レヴォスが一切の感情を交えず、俺たちへ向けて手のひらをかざした。
その指先から、灼熱の火炎が容赦なく放たれる。
「魔力よ、壁となれ!」
その声が響くと、目の前に薄青い魔法の壁が出現した。
レヴォスの火炎が激突した瞬間、強烈な衝撃波とともに両方の魔法が砕け散る。
「ふん、ミサミサか。余計な事を」
「レヴォス……これはどういうことじゃ! 貴様、自分のしたことがどういう事か分かっているのか!? それとも、魔王に取り込まれたのか……!?」
壁を作ったのは、精霊のミサミサという奴だった。
レヴォスに対して、隠しきれないほどの激しい怒りが露わになっている。
「取り込まれたのではない。俺の意思で、この力を取りこんだのだ」
「……ならば、我らの『敵』という事じゃな」
「くくく、『敵』だと? それは対等になってから口にする言葉だな。今の貴様らには、俺を殺す力も知恵も無いだろうが」
レヴォスは冷酷な笑みを浮かべ、圧倒的な強者の余裕を見せつけている。
その見下すような態度は、一切の隙も怯えも感じさせなかった。
「……悔しいが、貴様の言う通りじゃな。だが、これはどうじゃ?」
ミサミサがそう言い放つと、レヴォスの周囲に無数の青い光が浮かび上がった。
光の球はみるみるうちに増殖し、眩い輝きを放ち始める。
「我が全ての魔力じゃ! 暴走した魔力の爆発を喰らえ!」
「……ほう?」
——ズドオオオオオオオン!!!
耳をつんざく轟音と共に、レヴォスの周囲で巨大な爆発が巻き起こった。
凄まじい爆風を腕で防ぎながら、俺はハッと我に返った。
この爆発は、事前に打ち合わせていた退却の『合図』だ。
『爆発は退却の合図』なのだと。
俺は一目散に、城の出口へ向かって走り出した。
周囲のルナリアやミサミサ、貴族の二人も一斉に背を向けて駆け出す。
隣を走るルナリアは、ガタガタと肩を震わせて大粒の涙をこぼしていた。
走りながら背後を振り返ると、激しい爆炎の奥にレヴォスの姿が見える。
奴は業火に包まれながらも……笑っていやがった。
息を切らして城の外へ飛び出すと、レヴォスの仲間たち……いや、レヴォスに裏切られた奴らが待っていた。
先ほどの大爆発の音を聞きつけ、集まってきたのだろう。
「何があったのですか!? レヴォス様はどこに!?」
第2隊の隊長、あのレヴォスの執事フォルテが血相を変えて詰め寄ってきた。
冷静な執事なのだなと思ったが、今は酷く取り乱して声を荒らげている。
「とにかく退却じゃ! 一番まずい事態となった!」
ミサミサの悲痛な叫びに、フォルテたちも状況の異常さを悟ったようだ。
俺たちは戸惑うレヴォスの配下たちを急き立て、逃げるように王都から脱出を図った。
——————
レヴォスの領地グリンベルへ戻ると、街はまるで葬式のような重い空気に包まれていた。
ミサミサと貴族の二人が、広場に集まった皆へ事の顛末を重々しく説明している。
主であるレヴォスの裏切り。
俺たち全員が、奴の恐ろしい企みに利用されていたという事実。
そして実際にレヴォスから攻撃され、命を奪われそうになったこと。
それを聞いて報告を聞いた奴らが次々と顔面を蒼白に変えていく。
ガタガタと震え出す者や、その場に泣き崩れる者もいた。
ショックのあまり気絶する奴まで出る始末だ。
なんなんだよ、この状況は。
だが、今の俺がすべきことはただ一つだけだ。
レヴォスが裏切ったと聞いた瞬間、妹のエルマが泣きながら駆け出していったのだ。
俺は慌てて人混みを掻き分け、エルマの背中を追いかけた。
広場の薄暗い片隅で、エルマは膝を抱えて小さくうずくまっていた。
「……エルマ? 大丈夫か?」
「………………」
返事はなく、ただ顔を伏せている。
俺がエルマの背中にポンと手を触れると、その体はブルブルと震えていた。
いや……堪えきれない嗚咽を漏らして泣きじゃくっているのだ。
「うっ……うっ……!」
大切な妹を泣かせるなんて、レヴォスの野郎……絶対に許さねえ。
しかし、あんな冷酷なクソ貴族のために泣くエルマもエルマだ。
あんな奴のために流す涙なんて、一滴だって勿体ないはずだ。
やりきれない思いを抱えながら、エルマの背中をゆっくりとさすってやった。
妹をこうして慰めるなんて、一体いつぶりのことだろうか。
「大丈夫か……エルマ」
「う、う……何で……何でこんな事に……」
涙声で絞り出されたその言葉の意味は、よく分かる。
それは先ほど、広場にいた全員が嘆き悲しんでいるのと同じ絶望だ。
あの裏切者が立てた作戦が、まだ生きているのだろう。
憎きクソ野郎は、こんなことを言い放っていたのだ。
『魔王に操られ、我らを殺そうとしたら……その時は、操られている者を迷いなく殺せ。仲間を救おうとして、自らが死ぬ事は許さん』と。
そう、俺たちが人々を救うとしたら、あの魔王を殺さなければならないんだ。




