第186話 駆り立てるのは野心と欲望
王を殺した女が、ただそこに佇んでいる。
だが、この女の正体が『女神』であると知る人間など、この場には一人もいるはずがなかった。
目の前の異常事態に対する激しい憤りと混乱のままに、周囲の護衛の騎士三人が、躊躇なく女神へと剣を振るう。
女はその場から一歩も動くことなく、ただ騎士たちの刃をその身へと受け入れた。
肉を裂く鈍い音が響き、肩へ、胸へ、そして頭へと容赦なく白刃が突き刺さる。
それにもかかわらず、女神の顔に浮かんだ不気味な微笑みが消えることはなかった。
刃が深く突き刺さったままの状態で、女神の薄赤い唇がゆっくりと開いた。
「さあ、立ちなさい。エル。あなたが、この世界を救うのです」
その澄んだ声が広間に響き渡った瞬間、エルレインの身体を縛り付けていた呪具がバリンと音を立てて粉々に砕け散った。
それと同時に、凄まじい衝撃波が周囲へと吹き荒れ、三人の騎士たちが一瞬で後方へと吹き飛んだ。
「あ、あんた……剣が……」
自分に突き刺さったままの白刃に怯えることもない女の姿を見て、エルレインが驚愕に目を見開く。
「さあ、立ちなさい。エル」
「エ、エル……? 人違いじゃ、俺はエルレインだけど……」
状況に戸惑いつつも、エルレインが声を上げる。
「さあ、立ちなさい。エル」
「だから、人違いじゃ……それにあんた、その怪我……」
「さあ、立ちなさい。エル」
ひたすら壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す女神。
底知れない不気味さが、この場に広がっていた。
だがその女神の周囲は、すでに大量の騎士たちによって完全に包囲されている。
騎士団長ゼグディルが、一歩前へと進み出た。
「斬撃が効かぬだと……? アンデットの類か……どうやって忍び込めたか知らんが、王殺しの罪だ。この場で殺してやろう。騎士たちよ、斬撃が効かぬなら微塵にしてやれ!」
ゼグディルの怒号に近い一斉の号令を受け、騎士たちが一斉に武器を構えて走り出す。
今この最悪の状況を正確に把握するため、俺は冷静に視線を走らせた。
女神の前に、へたりと座り込むエルレイン。
その女神を目がけて殺到する騎士たちの群れ。
公爵たちの前には騎士たちが盾のように立ちふさがっているが、俺の父グランディスや他の公爵たちの手にはすでに剣が握られ、いつでも応戦できる態勢を整えている。
一方で後方にいた貴族たちは、我先にと逃げ惑うように避難を始めているか、あるいは恐怖で腰が引けてその場から動けずにいた。
王が目の前で惨殺された以上、この場に居る者たちは何としてでも仇を取るしかないのだろう。
ここで王の仇から真っ先に逃げ出した貴族は、後々に間違いなくその社会的立場を失うことになるからだ。
しかし王が目の前で殺されているというのに、公爵たちは酷く冷静だった。
そもそも彼らは王に心からの忠誠など誓ってはいないのだから、当然の反応と言える。
だが、女神との戦闘は一瞬にして幕を閉じた。
女神の背中から、突如として放たれた無数の黒い触手が容赦なく騎士たちの胸を貫いたのだ。
次々と血を吐きながら、バタバタと地面に倒れていく騎士たち。
「さあ、立ちなさい。エル」
「ひ、ひい……!?」
目の前で繰り広げられた凄惨な惨状に、エルレインが完全に腰を抜かしている。
「なんだ、あの触手は……?」
驚愕しつつも、冷静にその性質を分析を試みる。
どうやら、あの女神を攻撃しようとする者を自動的に迎撃しているように見える。
原作の知識を持ってしても、このキャラクターが一体何者なのかが明確には分からない。
だが、予想は着く。
「下がれ! お前たち!」
騎士団長ゼグディルの怒声が響き渡った。
すると、みるみるうちにゼグディルの身体が膨れ上がり、巨大な竜へとその姿を変えていく。
雷竜ゼグディル。
本来のシナリオであれば、副団長ボレルと共に反乱軍の前へと立ちふさがるはずの強力なボスキャラクターだ。
ゼグディルの巨大な顎の隙間から、青白い雷がバチバチと激しく宿り始める。
空間を揺るがすような雷の咆哮。
いわゆる広範囲ビームを放つ、圧倒的な質量を誇る攻撃だ。
だが、このままの軌道では雷の咆哮がエルレインをも巻き込んでしまうだろう。
しかし……そんな俺の心配は、杞憂に終わった。
雷竜ゼグディルの上半身が、一瞬の内に跡形もなく掻き消えたのだ。
叫び声すら上げられぬまま、雷竜ゼグディルの巨体がズシンと重い音を立てて横たわる。
やはり、俺の推測は正しかった。
女神は、自身を攻撃しようとする存在を問答無用で抹殺しているのだ。
「「「 うわあああ!!! 」」」
あまりの圧倒的な力への恐怖から、貴族たちが我先にと悲鳴を上げて逃げ出す。
「グランディス様、お下がりください!」
その緊迫した空気の中、副団長ボレルの張り詰めた声が聞こえた。
ボレルが俺の父グランディスの前に立ち、盾のように身を構えている。
グランディスは、この地獄のような惨状を目の当たりにしてもなお、その場から逃げずに踏みとどまっていた。
他の二人の公爵も同様だ。
ここで逃げ出さずに戦果を挙げれば、崩壊した王家に代わり、次代の王となる道が開ける可能性があるという浅ましい算段なのだろう。
実につまらん、くだらない野心だな。
だが……俺にとっては好都合だ。




