第142話 アンラッキーの行方
執務室の机に積み上がった書類の山が、ようやく平地になってきた。
それを見計らったように、トントンと遠慮がちなノックの音が部屋に響く。
「入れ」
俺の声に応じるように、ガチャリと扉が開いた。
入ってきたのはアンズだ。
何か言いづらいことがあるのか、眉を八の字に下げ、困惑した様子で指先をいじっている。
「レヴォス様。……今、ちょっといいかい?」
俺は椅子に深く背を預け、アンズを正面から見据えた。
「どうした、アンズ。何か問題でも起きたか?」
「あ、いや。新しく来たルーシィちゃんのことなんだけどさ……」
アンズは溜息を吐き、重い足取りで俺の机の前まで歩み寄ってきた。
その顔には、管理職特有の『手に負えない部下を持った時』のような疲労感が滲み出ている。
「……あいつがどうかしたか?」
「どうかした、っていうか……あの子、毎日何をしてると思う?」
俺は答えず、先を促した。
アンズが肩を落とし、呆れ果てたという風に首を振る。
「朝は昼近くまで寝てる。起きたと思ったら厨房に現れて、余った飯を食べてる。午後はふらふらして、夕方になったら屋台の前でぼーっとしてる。夜もどこかから飯を調達してのんびり食べてる。……毎日これ」
原作の『エル戦』におけるルーシィのキャラクター性を考えれば、それは至極当然の行動だ。
救いようのないギャンブル中毒で、その日暮らしの自堕落な女。
だが、勤勉な者が多いこのグリンベルの領地において、その振る舞いは異端以外の何物でもない。
「まあ、ここに来てまだ日も浅いし、ゆっくりさせてあげるのも大事だとは思うんだけどさ。さすがに、周りの目もあるし、ちょっとなあって思って」
アンズは困り果てながら苦笑いを浮かべていた。
アンズの責任感の強さが、働かない居候を放置しておくことを許さないのだろう。
なるほど。
俺は書類を机の端に置いた。
「分かった。俺が連れてきた以上、俺の責任だ。俺から直接ルーシィに話をしよう」
「悪いね、なんだか。レヴォス様は忙しいのに」
「気にするな。他にも目に付くことがあれば、遠慮なく報告しろ」
それから俺は席を立ち、上着を羽織った。
市場の外れ。
人通りの少ない道で、目的の女を見つけた。
ルーシィは日当たりのいい石壁に背を預け、目を細めて空を眺めている。
平和そのものといった表情で、手にした干し菓子をボリボリと、いかにも旨そうに食べていた。
「おい、ルーシィ」
「うわあああっ!?」
俺が背後から声をかけた瞬間、ルーシィが派手に飛び上がった。
その拍子に干し菓子が宙を舞い、地面に落ちる。
「れ、レヴォスさん……! び、びっくりしたぁ……!」
ルーシィは胸を激しく上下させ、瞳を潤ませながら俺を恨みがましく見上げた。
「何をしていたんだ?」
「え、えと……日向ぼっこ、です……ほら、今日は天気がいいから……」
「……昼間からか」
「は、はい……」
俺の視線に耐えきれなくなったのか、ルーシィは気まずそうに視線を泳がせ、足元の土を爪先でいじり始めた。
その姿は、まるでいたずらが見つかった子供のようだ。
ルーシィは地面に落ちた干し菓子を拾い上げ、一瞬考えてから、もう一度口に入れていた。
……こいつのメンタルは、ある意味で強靭だ。
「ルーシィ。お前、ここに来てから何日になるか分かるか?」
「えーと……5日、くらいですかね」
「その間、何か仕事をしたか?」
沈黙が流れる。
ルーシィは言葉に詰まり、喉をゴクリと鳴らした。
「ご、ご飯を出すお手伝い的な事を、ちょっとだけしたりしなかったり……」
「違う。俺が聞いているのは、自分の価値を示す『仕事』のことだ」
「ええっと……」
ルーシィはそれから無言になり俯いてしまった。
言い訳をしようにも、材料が何一つないことを自覚しているのだろう。
申し訳なさそうに身を縮こまらせている。
「何もしていない、ということだな」
「うぐっ……!」
ルーシィが、図星を突かれた顔で口をつぐんだ。
それでも言い訳はしていない。
こいつなりに、罪悪感はあるらしい。
「あの……私、戦うのは絶対に無理だし、畑仕事も体力がなくてすぐ倒れちゃうし、難しい計算とかも全然わかんなくて……何かやろうと思っても、何をやっていいか、さっぱりわかんなくて……」
ルーシィは干し菓子を見つめながら、消え入りそうな声で呟いた。
悔しさと情けなさが混ざり合った、弱々しい独白だ。
まあ、そうだろうな。
ルーシィは戦士でもなければ、魔術師でもない。
特筆すべき技術もなければ、統治の才もない。
職人でも、農家でも、商人でもない。
だが、俺はこいつの能力を知っている。
「ルーシィ、一つ聞く。賭け事で飯が食えると思うか?」
「え? ……当たり前じゃないですか。私、今までずっとギャンブルで生きてきましたし」
「負けてたくせに、よく言うな」
「うっ……それはそうですけど! でも、負け続けるのにもコツがいるんですよ!? どこで負けて、どこで粘るかって、ちゃんと考えてますからね!?」
ルーシィは顔を真っ赤に熱くさせ、凄い勢いで食い下がってきた。
なかなか強烈な自己弁護だが、あながち的外れでもない。
自らの生き方を否定されたくないという、意地とプライドも垣間見える。
だが、その必死さこそが必要なものだ。
「ルーシィ。明日から仕事をしろ。仕事は用意してあるからな」
「え!? な、なんの仕事ですか……!?」
「市場の監視だ」
ルーシィがきょとんとして、ポカンと口を開けた。
「か、監視……? 私が?」
「市場にはイカサマをする行商人が、ごく稀に紛れ込む。秤の操作、偽の品物の摩り替え、大きく見せかけた量り売り。ああいった手口は、ギャンブルのイカサマと構造が同じだ」
俺の言葉を聞いた瞬間、ルーシィの目の色が変わった。
それまで自信なげに泳いでいた瞳に、鋭い光が宿る。
「……あー、なるほど。カモを騙す時の手口と、全く一緒ですね。あいつら、だいたい同じような空気を出しますから」
「そうだ。お前には、そういった不正を見抜く目があるだろ? 市場を一日一回、ただ買い物をするふりをして歩き回れ。怪しい奴を見つけたら、アンズに報告しろ。それだけでいい」
「……それだけで、いいんですか?」
「それだけだ。余計なことは一切するな」
ルーシィはしばらく沈黙し、自分の手を見つめた。
それから、不安を振り払うように強く拳を握りしめると、震える声で問いかけてきた。
「……あの、ひとつ聞いていいですか?」
「何だ?」
「私みたいな、戦えないし畑仕事もできないし、ギャンブルだけで生きてきた人間が……そんな、ちゃんとした仕事を任されてもいいんですかね……?」
ルーシィが不安で押し潰されそうな様子で、俺の顔色を伺っている。
自分のような人間が、誰かの役に立てるという確信が持てないのだろう。
俺はそんなルーシィを一瞥し、鼻で笑った。
「当然だ。お前が5日間ただ飯を食っていた分くらいは、働いて返せと言っているだけだ」
「う、うぐっ……」
「返せるか?」
「か、返します……」
ルーシィは顔を歪ませながらも、力強く頷いた。
俺はそれを見て、踵を返した。
「明日の朝、アンズを訪ねろ。市場の地図と、よく使われるイカサマの手口の一覧を持っているからな」
「あ、明日からですか!?」
ルーシィが慌てて立ち上がり、バタバタと手を振り回しながら叫んだ。
「当たり前だ。準備なんて必要ないだろうが。ただの市場の監視だぞ?」
「わ、私に本当に出来るのかな……」
不安に駆られたルーシィが、自分の腕を抱きしめている。
俺は少しだけ足を止め振り返り、肩越しにルーシィを見た。
「徐々に慣れろ。明日いきなり成果を出す必要はない。まずは市場を歩き、お前が『そこに居る』ということを商人たちに示せれば十分だ。それくらいなら、出来るだろう?」
「そ、それくらいなら、なんとか……」
それでもまだ、ルーシィの表情は晴れない。
ルーシィの足元は、見えない不安でぐらついているようだった。
「不安なら、猫のニャスパルを抱いて歩け。あいつも暇を持て余しているだろうからな。たぶん、あいつもお前を助けてくれるはずだ」
「ニャスパルが、ですか……?」
ルーシィは不思議そうに首を傾げた。
俺が言いたいのは、ニャスパルが何かをするということではない。
ただ、自分の不安を共有してくれる存在がそばにいるだけで、人間は案外強くなれるものだ。
それから数日。
市場での不正摘発件数は、劇的に増加した。
と言っても、ルーシィが見つけているわけではない。
ルーシィが抱いている猫のニャスパルが怪しい商人を見つけ、威嚇して追い詰めていたのだ。
だがいつしか市場では『猫を抱いた死神』という、ルーシィには不似合いな通り名が囁かれ始めることとなった。




