第140話 美声の主
「みなさーん! グリンベルが見えてきましたよー!」
ルナリアの弾んだ声が、街道に響き渡る。
期待に胸を膨らませるように、ルナリアは大きく手を振って跳ね回った。
「おおっ! あれが!」
「ついに、着いたんだ……!」
鬼たちもルナリアの勢いに誘われ、感嘆の声を漏らす。
魔王領から100人近い鬼族を率いて、ようやく俺の領地グリンベルへと辿り着いたのだ。
道中はまさに大移動だった。
鬼が馬車を引く『鬼車』には、歩行の困難な老人や子どもたちが揺られている。
クロエやルーシィといった体力の乏しい面々は、馬に騎乗させていた。
他は全員が徒歩。無論、俺もその例外ではない。
「づ、づがれたぞぉ~……足が棒のようだぁ……」
長い枝を杖代わりに突き、ジクナが絞り出すような声を漏らす。
魔族のくせに、こいつは驚くほど体力が無い。
だが暇を持て余して騒がれるよりは、これくらい疲弊していた方が扱いやすくてちょうどいい。
「ほらほら! ジクナちゃん、もう到着だよ! 頑張って!」
「ちょっ! 手を引っ張らないでくれぇ~!」
帰還の喜びに突き動かされるように、ルナリアがジクナの手を掴んで猛ダッシュを開始する。
披露に顔を歪めるジクナが、強引な加速に付き合わされて彼方へと消えていった。
「レヴォス様。何事もなく、無事に到着できて何よりです」
「何ごともなく、か……」
執事フォルテの言葉に、俺は複雑な溜息を吐き出す。
確かに事故などは無かったが、俺の精神は別の意味で磨り減っていた。
道中、最悪な『厄災』が芽吹いてしまったのだ。
発端は、旅の夕食時。
鬼たちが親睦を深めるべく太鼓を叩き、伝統の歌を披露した際、ジクナに歌を勧めてしまったのが悲劇の始まりだった。
ジクナは最初こそ「私は歌が下手だからなぁ……」と謙遜していたが、鬼たちの熱烈な勧めに根負けしたフリをして口を開いた。
それはもう、凄まじいものだった。
俺は、前世を通じても「ぼええぇぇぇ~……!」と歌う人物を初めて見た。
鼓膜を破壊し、空間そのものを震わせる壊滅的な歌声。
もはや才能だ。冗談抜きに死にそうになった。
さらに最悪なことに、ルナリアが「ジクナちゃん、上手~!」と目を輝かせてキャッキャと手を叩いてしまった。
褒められたジクナが「そ、そうかぁ~!? なら、もう一曲いくぞぉ!」と、それからというもの、ジクナの独唱がずっと披露され続けたのだ。
なぜルナリアが平気な顔をしているのかは、未だに解明できない。
俺ですら意識が遠のくほどの衝撃だというのに、ルナリアのデバフ耐性はどうなっているのだ。
「レヴォス様~!」
グリンベルの入り口から、懐かしい声が届く。
凄まじい勢いで土煙を上げ、俺の元へと爆走してくる影――聖女セレスだ。
「おかえりなさいませー! これ、見てください!」
駆け寄るなり、セレスは手に持っていた大きな作物を突き出してきた。
今しがた収穫したのだろう、泥のついた立派な根菜だ。
「よく育っているな。セレス、お前の努力の賜物だ」
「へへへ! ありがとうございます! 今夜、みなさんで食べましょうね! ……って、そちらの方々は?」
鼻を高くするセレスが、俺の背後に控える鬼たちの集団に気づいて目を丸くする。
見慣れぬセレスの登場に、屈強な鬼たちが借りてきた猫のようにおずおずと身を縮めていた。
「新たなグリンベルの住人だ。セレス、歓迎の準備をするように領民たちに伝えてくれ」
「なるほどー! 大歓迎ですね! 分かりました、すぐに伝えてきます!」
セレスは再び凄まじい速度で、グリンベルへと戻っていく。
俺は一度立ち止まり、不安げな鬼たちに振り返った。
「そう萎縮するな。ここには、お前たちの種族を差別するような手合いは一人もいない。今まで通り、普通に過ごせばいいだけだ」
鬼たちは俺の言葉を半信半疑で受け止めているようだが、これ以上言葉を尽くすのは野暮というものだ。
実際に住めば、ここがどんな場所かは身を以て理解するだろう。
「「「「 レヴォスさまー! おかえりなさいませ! 」」」」
街に足を踏み入れた瞬間、凄まじい歓声が俺を包み込む。
頭上から色鮮やかな花びらが舞い散り、住民たちが我先にと集まってくる。
ただ帰還しただけだというのに、この騒ぎようだ。
案の定、圧倒された鬼族がさらにビビり倒していた。
「フォルテ、鬼族の受け入れを徹底しろ。不安を取り除いてやれ」
「はっ、承知いたしました。万事お任せを」
フォルテに任せておけば問題は起きまい。
ひとまずの休憩を挟み、陽が傾き始める頃だった。
広場では、新たな住民を歓迎するための宴の準備が着々と進められていた。
美味い飯でも食えば、鬼たちも少しは緊張が解けるだろう。
……などと呑気な事を抱いていた自分を、ぶん殴ってやりたい。
事態は最悪のタイミングで動き出した。
宴が最高潮に達し、贅沢な料理が振る舞われていたその時だ。
広場の中央には、かつての料理大会で使用した立派なステージが据えられている。
そこに一人の女が登壇した瞬間、俺の背筋に氷を押し当てられたような悪寒が走った。
「え~、皆さん! 私、ジクナが鬼族のみんなを歓迎して、一曲披露したいと思います!」
ジクナが上機嫌な顔で、ステージ上から高らかに宣言する。
何も知らない領民たちが、「おおー!」「楽しみー!」と無邪気にパチパチと拍手喝采を送った。
……やめろ、馬鹿共。
その拍手は死へのカウントダウンだ。
「では、魂を込めて歌わせていただきます!」
ジクナがスーッと大きく息を吸い込み、肺に空気を充填させる。
「ぼえええぇぇぇ~~!!!!」
「うわああぁぁぁ!!」
「ぎゃああああああああ!!」
「め、目が……目がぁぁ!?」
突如として、不可視の衝撃波がグリンベルを襲った。
逃げ場のない広場で、住民たちが糸の切れた人形のようにバタバタと倒れ伏していく。
俺も脳を直接揺さぶられたような眩暈に襲われ、膝が折れそうになる。
こいつの歌声はデバフどころではない、もはや特殊な精神攻撃スキルだ。
「あ、あれ……? みんな、感動しすぎて寝てしまったのかぁ?」
あまりの惨状に、さすがのジクナも異変を察して歌を止めた。
泡を吹いて気絶している住民たちの様子を、ジクナは不思議そうに見下ろしている。
しかし、これで止まってくれた。
「ジクナちゃん、上手ー! 最高だよー!」
地獄のような静寂の中で、ルナリアだけが元気にパチパチと拍手を送っていた。
頬を赤らめ、純粋な感動に瞳を輝かせている。
……ルナリア。お前は味方なのか、それとも敵なのか?
「そ、そうかぁ?! じゃあ、もう一曲アンコールだぁ!」
アンコールとは、自分でするものなのだろうか?
この日を境に、グリンベル領内での『歌唱』は完全許可制となった。
建前上は全住民を対象としているが、適用されるのはジクナただ一人だけであることは言うまでもない。




