第110話 おしおき
ジクナの姿が、地面の影の中へと音もなく吸い込まれて消えた。
「ルナリア、今だ!」
「はい!」
俺の合図にルナリアは短く、力強く応じる。
すると、ルナリアは右の拳を深く握り込んだ。
そのまま一気に上体を180度ひねり、反動を乗せた右腕を頭上から叩きつけるような一撃を背後へ振り下ろす。
ジクナの能力は、影をつたった瞬間移動。
そして、今しがたジクナが定めた狙いは俺ではない。
後ろに控えている、一見すれば弱そうな少女であるルナリアだ。
さきほど、ジクナは「覚悟しな、色男!」と、さも俺に斬りかかるようなハッタリをかましていた。
だが、その実はルナリアを人質に取ろうとしたのだ。
ジクナは、『合理的』なのだ。
正々堂々なんていう騎士道精神も、卑怯だという羞恥心も、ジクナには存在しない。
あるのは『いかに確実に、対象を倒すか』という計算だけだ。
さきほど、俺への攻撃が無効化されたのを見て、ジクナは即座に標的を切り替えた。
か弱そうな少女を捕らえれば、俺を無力化できる。そう考えたのだろう。
だが、ジクナ。
お前は最大の誤算をしている。
それは、目の前のルナリアはラスボス候補であり、化け物じみた強さを持っていることだ。
ルナリアの背後の影から、勝ち誇ったニヤケ面を晒して出現するジクナ。
――メキィ!
ルナリアの容赦ない拳が、ジクナの顔面に深々とめり込んだ。
ジクナは何が起きたのか理解できないだろう。
奇襲が完璧に見破られ、さらに反撃をくらっていることに。
そこへ、ルナリアがさらに一歩踏み込む。
ブン!と腕を大振りし、ジクナの身体が石造りの階段まで勢いよく吹っ飛んだ。
ドガアァァァン!
階段の石が砕け、ジクナの体がめり込む。
激しい土煙が舞い上がり、壊れた階段からパラパラと乾いた音を立てて小石が落ちてくる。
……ジクナは、白目を剥いて完全に気絶していた。
「ルナリア、お前……随分と思いきり殴ったな」
ジクナが不憫に思えるほどの威力だ。
「はい! レヴォス様のために、精一杯やらせて頂きました!」
ルナリアは顔を輝かせ、嬉しそうに胸を張る。
……ジクナ、死んでないよな?
俺はジクナの前まで歩み寄り、生存確認のためにペチペチと頬を叩いてみた。
「う……あぅ……」
か細いうめき声。どうやら死んではいないようだ。
殴られた頬は、赤く腫れあがっているが……
俺はマントを脱いで、全裸だったジクナの体に巻きつけた。
そして、その細い体を抱え上げる。
「よし、こいつを連れてさっさと城へ戻るぞ。目を覚まして、また影に逃げ込まれると面倒だからな」
――――――
ザオツリ城、その地下の牢の中。
「ん……ん!? ここはどこだ!?」
椅子に座らされた状態で、意識を取り戻したジクナが叫ぶ。
「ようやくお目覚めかな?」
俺は椅子に縛り付けられたジクナを、冷ややかに見下ろして言った。
「貴様らは……先ほどの人間か。いったい私に何をしたのだ?」
ジクナが冷静さを取り戻していく。
負けて捕まったというのに、態度はデカいままだが。
「お前は、この娘の拳ひとつで完敗したんだ。忘れたとは言わせんぞ」
俺が後ろのルナリアを指さすと、ジクナの視線がルナリアを捉えた。
「……ふん。こんな小娘に私が負けるはずがない。お前ら、何か汚い方法でも使ったんだろ?」
あくまで余裕ぶった態度で話すジクナ。
それもそのはず、奴は未だに、ここが自分の独壇場だと思い込んでいる。
俺は余裕の笑みを浮かべ、あえてジクナの問いには答えなかった。
苛立ちを見せたジクナが、椅子から立ち上がろうと力を込めるが、一向に腰が上がらない。
「……む? これは、どういうことだ?」
ジクナの手首は背後でいくつもの頑丈な手錠に繋がれ、重厚な椅子にしっかりと固定されている。
ようやく自分の置かれた状況に気がついたジクナ。
だが、それでもジクナは余裕の笑みを浮かべている。
「くくく……愉快だなぁ? 人間。こんな鉄の塊で、私を捕まえたつもりかぁ?」
「ああ、そうだ。逃げられるものなら、やってみるがいい」
ジクナは馬鹿にしたように、ぐるりと牢の中を見渡した。
そして、その視線が一点で止まる。
鉄格子がはめられた、小さな通気用の窓だ。
「甘いんだよ、人間!」
ジクナは羽織らされていた俺のマントを、獣のように噛んで強引に引き剥がした。
再び、一糸まとわぬ全裸になるジクナ。
奴にとって、この暗い牢獄は最高に有利な環境なのだ。
影の中を移動したり、影を武器に変えるには、暗がりが必要不可欠。
この薄暗い牢の中なら、ジクナは強気だ。
そもそも、ジクナがダンジョンにいたのも、その暗がりを利用するため。
常に自分に有利な状況で敵を仕留める。
それがジクナのやり方だ。
「さらばだ! 間抜け共!」
ジクナが自らの体を影に変え、脱出しようと試みる。
だが……何も起きない。
「…………あ、あれ?」
ジクナがキョトンとした、間抜けな顔で固まる。
影への変化は起きず、ジクナはただ、全裸で椅子に座り込んだままの滑稽な姿を晒し続けていた。
「どうした? さらばと言っていたが、どこへ行くつもりだ。まさか、俺との別れを惜しんでいるわけじゃあるまいな」
俺は小馬鹿にするように尋ねる。
「くっ! このっ! なぜだ!?」
ジクナは必死に何度も影の中へ潜ろうとして、椅子の上でガタガタと無様に暴れ回る。
だが、どれだけ念じても、影の中に溶け込むことはできないジクナ。
次第に、ジクナの顔から余裕が消え、焦りの色が濃くなっていく。
額からは脂汗が垂らし、目が泳いでいるジクナ。
「おい、後ろの手錠をよく見てみるんだな」
「むっ! ……これは!?」
ジクナの影移動を封じる絶対的な方法。
それは、拘束具をつけた状態で、その鎖を地面と連結させること。
道理はわからんが、ジクナは地面と連結された状態や服を着ている状態では、影の中を移動できなくなるという致命的な弱点がある。
「……ふ、ふはははは! いいだろう人間! 今回は私の負けだ! それほど鋭い観察眼を持っているとは、恐れ入ったよ!」
ジクナが豪快に笑ってみせる。
だが、これも奴の策略だ。
負けを認めたフリをして拘束を解けば、その瞬間に裏切る。
それがジクナだ。
原作『エル戦』でジクナを仲間にするには、奴の裏切りを9回ほど許さなければならない。
その間、建物を壊され、武器を奪われ、領地がめちゃくちゃにされ、多大な損害が出る。
それを修復する苦労は、並大抵のものではない。
だから俺は、そんな面倒なプロセスは全てショートカットする。
「ルナリア。アレを持て」
「はい、ここに準備してあります」
ルナリアが手に持っているもの。
それは、一本の鳥の羽だ。
適度な長さと柔らかさを持った、立派な羽である。
だが、それを見たジクナの表情が、みるみるうちに青ざめていった。
「これはな、ザオツリ内のダンジョンで冒険者から武器を奪い、暴れたことへの罰だ」
「ま、まさか……おい! や、やめてくれぇ! それだけは勘弁してくれ!」
ジクナが、最も苦手とするもの。
俺は原作知識で知っている。
それは――『くすぐり』だ。
ルナリアが冷たくニヤリと笑う。
ジクナにとって、地獄よりも屈辱的なおしおきの時間が始まった。




