第108話 念願の海鮮へ
「くく……くくく……」
込み上げる笑いを抑えきれず、俺は肩を揺らした。
そんな俺の顔を、隣に座っていたルナリアが不思議そうに覗き込んできた。
「レヴォス様、どうかしたんですか? 急に笑い出して」
「いや……単なる思い出し笑いだ。気にするな」
「えっ!? なんですかそれ! 私にも教えてください!」
ルナリアは好奇心を爆発させ、俺の腕を掴んで前後に激しく揺さぶってきた。
視界がぐわんぐわんと揺れるが、教えるつもりはない。
「さあな、もう忘れてしまった」
「ええー!? そんなすぐに忘れるわけないじゃないですかぁ!?」
ルナリアは納得がいかないとばかりに、さらに力を込めて俺を揺さぶる。
やれやれ、ルナリアは一度言い出すときかないのが玉にキズだな。
俺たちがいるのは、ザオツリ国の宿の一室。
最初に訪れた時に来た宿だ。
フェリス達が城へ招待してきたが断り、こちらの宿に泊まっている。
先王の国葬と、フェリスによる『新生ザオツリ国』の衝撃的な宣言から数日が経過した。
街にはようやく平穏な日常が戻りつつある。
開け放たれた窓からは、潮風の匂いと共に、群青色の海原へと漕ぎ出す漁船の姿が見えた。
これを見たいので、俺は宿に泊まっている。
そして俺たちは、獲れたての獲物を積んで戻ってくる船を、こうして悠々と待っているわけだ。
さて、さきほど俺が何を思い出して笑っていたかといえば――
それは、あの宰相とカイトバの、その後の末路についてだ。
フェリスが相続したザオツリ国の遺産は、国土の9割以上。
では、フェリスが相続できなかった残りの土地はどこか?
それはザオツリの北方に浮かぶ、岩肌の目立つ小さな無人島だ。
貧相な植物がまばらに生えているだけで、周囲には荒れ狂う海しかない。
まさに絶海の孤島。
そここそが、王となったカイトバに残された唯一の領土。
俺は親切心から、数人の兵士と共に、カイトバと宰相を船でその島まで送り届けてやったのだ。
『新王』が自ら統治し開拓するにふさわしい、まっさらな新天地へとな。
「ま、待ってくれ! 冗談だろう!?」
「おい! 置いていくな! ここには何もないじゃないか!」
去り際、波音にかき消されそうな情けない悲鳴を上げていたのを思い出す。
同行した兵士たちは、地獄に落とされる亡者を見るような同情の視線を向けていたが、俺にそんな感情は微塵も沸かなかった。
己の私利私欲のために民を脅かし、あまつさえ少女を殺そうとした外道どもだ。
そんな奴らに慈悲など与える価値もない。
反吐が出るほど浅ましい連中には、死罪よりも苦しく、長く続く絶望こそが相応しいだろう。
そんな事を考えていると、トントンと控えめなノックの音が響いた。
俺が椅子から立ち上がり扉を開くと、そこには見覚えのある小柄な姿があった。
「レヴォス様。幾つかの船が漁から戻って参りました。そのご報告に上がりました!」
扉の前の者が、俺にそう告げる。
「そうか、分かった。だがな、わざわざ王女が宿へ報告に来るなど、前代未聞だぞ」
俺は呆れ半分に、フェリスへ言葉を返した。
フェリスの恰好は、出会った時と同じように深いフードを被り質素なローブに身を包んでいた。
お忍びのつもりだろうが、その隠しきれない王族特有の品格が漏れ出ている。
髪には付け髪も着けていない。
民衆の前で凛として宣言していた姿とは程遠い、どこにでもいる年相応の少女の姿だ。
これが、フェリスの本当の顔なのだろう。
「えへへ! どうしてもレヴォス様に会いたくって……我慢できなかったんです!」
フェリスは顔を綻ばせ、満面の笑みを浮かべた。
その直後、廊下の向こうからドタドタと騒がしい足音が近づいてくる。
「フェ、フェリス様ー! 勝手に城を抜け出さないでくださいと、あれほど申し上げたのに!」
必死の形相で走ってきたのは、執事のロイドだ。
肩で激しく息を切り、今にも倒れそうなほど消耗している。
後ろからは護衛の兵士たちも、困り果てた顔で追いかけてきた。
フェリスは相当なお転婆らしい。
まあ、たった数人で反乱軍に立ち向かおうとしていたのだから、それくらいの肝っ玉は据わっているということか。
だが、今の立場を自覚していないのは問題だな。
「フェリス。城を抜け出して遊び歩くのが統治者の仕事か? そんなことでは、せっかく作った国もすぐに腐らせるぞ」
俺に叱られたフェリスは、目に見えてしゅんとうなだれた。
叱られた子犬のように耳まで垂れ下がりそうなほど、わかりやすく落ち込んでいる。
「はぁい……ごめんなさい……」
消え入るような声で答えるフェリス。
城でもロイドあたりに小言を言われているのだろうが、俺に言われるとこたえるらしい。
俺は、フェリスの小さな肩にポンと手を置いた。
「フェリス。お前の身体は、もうお前ひとりのものではないのだからな」
フェリスは新生ザオツリ国の民の命を背負っているのだ。
そのことを忘れてしまっては困る。
俺の言葉に、フェリスはビクッと身体を震わせた。
「た、確かにそうですね……! もう私ひとりの命じゃないですもんね……以後、気をつけます! レヴォス様! ……へへ!」
フェリスはすぐさま笑顔を取り戻した。
なぜかフェリスは自分のお腹をさすりながら、期待に満ちた目で俺を見つめてきた。
……腹が減っているのだろうか?
そういえば、船が漁から戻ってきていると言っていたな。
ついにあの時間が来たということだ。
やっとだ。
やっと海鮮を食べることができる。
思えば、ここまで随分と険しい道のりだった。
俺はただ新鮮な海鮮を食うためにザオツリへ来ただけだというのに、酒場で絡まれ、クーデターに巻き込まれ、王女の泣き言に付き合わされ……
ようやく、念願の報酬にありつける。
どうせだ、フェリスたちと一緒に食事をしてもいいだろう。
「フェリス、この後の時間は空いているか?」
「は、はい! もちろん空いています!」
「あ、あの……フェリス様、山積みの公務がありますが……」
背後でロイドが泣きそうな声を上げているが、フェリスの耳には届いていないようだ。
まったく、教育のしがいがあるやつだ。
「よし、行くぞ。ルナリア、アリア」
昼飯を食べながら、これからの国の統治の方法を教えるとしよう。
俺の呼びかけに、アリアとルナリアも期待に胸を膨らませて立ち上がる。
潮の香りに誘われるように、俺たちは宿を後にした。
念願の、ザオツリの海鮮を食い尽くすために。




