第107話 新生
ザオツリ国の首都である港町『ハアル』は混乱の渦中にあった。
国王が亡くなるという悲報に加え、王城で反乱が起きたという噂が瞬く間に街中へ広がったからだ。
だが、その反乱も、強欲な宰相が夢見た一日天下で幕を閉じた。
翌日。
そして今、街の中央広場。
そこには、物々しい数のザオツリ兵が立ち並び、鋭い槍の穂先を並べて警備している。
広場を埋め尽くした民衆たちは、一様に不安げな面持ちをしていた。
これから始まるザオツリ王の国葬を待っているのだ。
俺は、その様子を舞台の傍らで見ていた。
やがて、大臣が重い足取りで舞台に上がる。
民衆は、固唾を呑んでその姿を注視した。
「ザオツリの皆さん。ザオツリ国の王、ファルナンド・ザオツリ様が先日、崩御なされました」
大臣の沈痛な声が響いた瞬間、広場がざわめきに包まれる。
だが、大臣は言葉をつづけた。
「そして、嘆かわしい事件が起きました。国王が亡くなられた隙を突き、我が国の宰相が反乱を起こしたのです」
民衆の動揺が、目に見える波となって広がっていく。
「やはり……」「噂は本当だったのか」と、口々に不安を漏らす声が耳に届く。
大臣はコホンと、芝居がかった咳払いを一つして、さらに声を張り上げた。
「しかし! その反乱はすでに鎮圧されました! 我が国の王女、フェリス・ザオツリ様の主導により、再び我が国に安寧がもたらされたのです!」
大臣が舞台の袖へと大仰に片手を向ける。
数千の視線が、その指し示す先へと一斉に突き刺さった。
――フェリスだ。
王女としての正装に身を包み、白と青を基調としたドレスがフェリスの細い体躯を際立たせている。
昨日までボサボサだった髪は、見事なカチューシャで整えられている。
ゆるいウェーブのかかった長髪がまとめれ、背中に流れていた。
フェリスは短髪だったので、おそらく付け髪だろう。
だが、何より周りを驚かせたのは、その表情だった。
……ほう。
少しは見られる顔になったじゃないか。
フェリスのオドオドとした、怯えた小動物のような顔つきは微塵もない。
真っ直ぐに前を射抜き、堂々とした歩調で舞台中央へと進んでくる。
その威風に、民衆は言葉を失い、ごくりと喉を鳴らして圧倒されていた。
民衆だけではない。
傍らに控える兵士も、執事のロイドも、そして案内した大臣までもが、フェリスの身にまとう尋常ならざる雰囲気に気圧されている。
単に王女だからではない。
一国の主としての『覚悟』が、フェリスを別人のように変えていた。
フェリスが民衆の方へと向き直る。
「おお……!」
「なんと麗しいお姿だ……」
民衆から、祈りにも似た感嘆の声が漏れ出した。
だが、フェリスは今朝まで苦悩と葛藤の中にいた。
伝統、法、そして民の命。
それらの重みに押し潰されそうになり、これからどうするべきか決めきれないでいたのだ。
俺は、そんなフェリスに少しばかり助言してやったに過ぎない。
フェリスが深く一呼吸置き、静まり返った広場に声を響かせた。
「皆さん。我が父ファルナンドが去り、ザオツリに反乱という混乱を招いたことを……心よりお詫びいたします」
フェリスの言葉に、城の者たちが眉をひそめていた。
王族が安易に民に謝罪するなど、通常ではあり得ない。
弱さを見せれば、民衆は余計に不安を募らせるものだ。
だが、フェリスの言葉には、それを補って余りある力強さが宿っていた。
「今日は国王の葬儀です。ですが……皆さんに、どうしてもお話ししなければならない重要なことがあるのです」
その宣言に、広場は再びガヤガヤと騒がしくなる。
しかし、フェリスはひるむことなく、凛とした声で続けた。
「このザオツリという国は、男系が継ぐという習慣があります。しかし、王を引き継ぐはずだった私の従兄弟であった者は、あろうことか反乱に加担しました」
タイミングを合わせたかのように、舞台の脇から二人の男が引きずり出されてきた。
元宰相ズウボと、従兄弟のカイトバだ。
口には猿ぐつわを嵌められ、惨めに身をよじらせて暴れている。
しかし兵士たちの無慈悲な力に押さえつけられていた。
「古い伝統は尊いものです。そして法を遵守することは、王族であっても曲げてはならない義務だと私は考えています」
その言葉を聞いた瞬間、宰相とカイトバの動きがぴたりと止まった。
フェリスの言葉の真意が『法に従い、カイトバが王位を継ぐ』という意味になるからだ。
二人は信じられないものを見るような目で、互いに顔を見合わせている。
まさかの言及だったのだろう。
「法を変える手続きを待つ間に王位の継承は執行されてしまいます。よって、このザオツリ国は、我が従兄弟カイトバが引き継ぐこととなります」
その宣言が落ちた瞬間、民衆の間に絶望に近い混乱が走った。
「反乱した奴が王になるのか!?」
「ザオツリは大丈夫なの?」
「この国は、もう終わりだ!」
罵声に近い不安が飛び交う。
だが、フェリスの瞳は、まるで静かな水面のように凪いでいた。
「……しかし、父ファルナンドが私に残してくれたものがあります。それはザオツリの全財産、九割以上の国土、そして……ここにいる民の皆さんです。これらはザオツリ『国』ではなく、私フェリス・ザオツリ個人が相続いたしました」
フェリスの主張に、民衆は呆然として思考を停止させていた。
王はカイトバ。
だが、国の中身はすべて王女フェリスのものだという。
理解が追いつかないのも無理はない。
その時、フェリスが突然、両手を左右にバッと大きく広げた。
その威厳に満ちた仕草に、広場は水を打ったように静まり返る。
「私は法を守ります! それが信頼の証だからです! よって私フェリスは……ザオツリ『国』を離脱いたします。さらに、私はここに宣言いたします」
フェリスのザオツリ国の脱退。
そしてフェリスの新たな宣言。
広場に集まった全ての者――民衆、大臣、兵士。
そして宰相たちまでもが、フェリスの次の一言を、魂を削るような緊張感で待ち構えた。
「ザオツリの皆さん! 私はここに、新しい国の樹立を宣言します! 先王の意志を継ぎ、新たな法を刻んだ……『新生・ザオツリ国』として!」
フェリスの放った咆哮は、広場の空気を震わせ、人々の鼓膜を貫いた。
この少女が行なったのは、民のための、鮮やかな『国家の乗っ取り』だ。
王族として法を守りつつ、同時に伝統という名の古びた殻を叩き壊した。
新たな道を、民とともに進めると言う宣言。
父を亡くした少女の決意。
一瞬の静寂の後。
「うおぉぉぉ! 俺は王女様について行くぜぇっ!」
民衆の一人が、張り裂けんばかりの声で叫んだ。
その瞬間。
「俺も着いて行くぞぉ!」
「皆で頑張りましょう!」
「フェリス様、万歳!」
広場を埋め尽くす民衆が、地響きのような歓声を上げる。
その熱気に、俺の肌さえもチリチリと痺れるような感覚を覚えた。
フェリスは今朝まで、震える手で膝を抱えていたのだ。
法を守れば悪人が王になり、民が苦しむ。
だが王族が法を破れば、それは独裁者と同じになってしまう。
だから、俺が鼻で笑いながら言ってやっただけだ。
「国とは『入れ物』に過ぎない。民さえいれば、中身を丸ごと新しい箱に移せばいいだけの話だ」と。
ザオツリという古い伝統は、今日ここで一旦死んだ。
だが、国とはすなわち『民』そのものだ。
民さえ生きていれば、伝統などまた共に築き上げればいい。
原作『エル戦』では、開始された時には既にザオツリという国は無い。
エルヴァンディア帝国が消滅させてしまったからだ。
「まったく……やれやれだ」
俺は首を振り、大きくため息をついた。
ただ新鮮な魚を買い付けに来ただけだというのに、とんだ面倒事が増えてしまった。
どうやらグリンベル領のように、俺が守るべき場所がまた一つ、増えてしまったらしい。




